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或る阿呆の一笑

 ある日の放課後、俺が放送室に向かったところ、先に来ていた橘が何をするでもなくボーッとしていた。


「どした?」

「ええ」


 それだけ言ってこちらを振り返らずに、ボーッと壁を見ている。いつもおかしい橘だが、今日は特別変だ。


「大丈夫か?」

「ええ」

 まるでプログラミングに失敗したコンピュータみたいな話し方じゃないか。


「おい」

 幾分か心配になった俺は、ちょいと肩を触った。

 次の瞬間、橘は床に倒れ込んでしまった。


「おいっ、大丈夫かよ!」

 流石に慌てた俺は、かがんで橘の顔を覗き込んで見る。顔色が悪い。額に手を当ててみたところ、すごく熱かった。それなのに、全く発汗が見られない。


 熱中症だと思った俺は、すぐに保健室に内線をかけた。しかし、留守にしているらしく繋がらない。


 そんなとき、安曇が放送室にやってきた。中を見るなり、

「どうしたのっ!?」

「急にぶっ倒れたんだ。熱中症みたい」

「保健室に連れて行かないと!」


「おい、橘起きられるか?」

 橘は呼びかけても呻くばかりで、意味のある言葉を発しない。


「……しゃーないな。安曇、運ぶの手伝ってくれ」

「分かった」


 俺は橘を背におぶって、保健室を目指した。階段を降りるのには難儀したが、なんとか保健室まで連れていくことができた。

 保健室に入り、橘をベッドに寝かせたところで、養護教諭が戻ってきた。


「どうしました?」

「こいつが熱中症になったみたいなんです」

 それを聞いた養護教諭の先生は、橘のほうに近づいてきて、額に触り

「確かに熱いわね」


 そう言うやいなや、電話を手に取り、どこかにかけた。


「神宮高校です。生徒が一人熱中症になったようなので、救急車をお願いします」

 一一九にかけたようだ。

 熱中症で学生がなくなる事件が過去に何度か起きているから、それも当然か。

 

 それから、先生は冷蔵庫に向かい、氷と経口補水液を取り出した。

 

「あなた、ちょっと手伝ってくれる?」

 先生は安曇に言った。

「はい」


「先生、俺は何すれば?」

「君は外」

 え?

「服脱がせるから」

 あ。

 そう言って、カーテンをシャーと閉めた。


「大丈夫? 救急車呼んだからもうちょっと頑張ってね」

「……気持ち悪いです」

 橘の声だ。意識は戻ったみたいだが、声からでも気分が悪そうなのがよくわかる。


「これ飲める?」

「花丸くんは?」

「男の子は外にいるから。とりあえず飲んで」

「花丸くんはどこ? いるの?」


 弱っている橘の様子は、それだけで痛々しかった。本当に大丈夫なのだろうか?


 救急車のサイレンの音が聞こえてきた。段々と大きくなって、校門から入ってくるのが見えた。


 先生は、一度カーテンの中から出てきて、外に出た。救急隊員をこちらに誘導するのだろう。


 すぐに隊員たちを連れて戻ってきて、橘は彼らによって救急車に運び込まれた。

 先生は付添でついていき、残された俺と安曇は呆然と救急車が離れていくのを見守るしかなかった。



「あいつ大丈夫かな」

「……心配だよね」

「病院って近くの大海原だと思うか?」

「わかんないけど、多分」


 俺は保健室を出ようと歩き始めた。

「行くの?」

「ああ。行っても何もできんけど」

 だが、学校にいても、なんの役にも立たないのは同様だ。ならば橘の様子を見に行くだけでもしていたい。


「私も行く」


 俺たちは荷物を学校においたまま、近くにある、大海原病院へと向かって行った。



 よく考えてみれば、でかい総合病院の中でたった一人の人間を見つけることは、そう容易いことではないのはすぐに分かるのだが、幸運なことに俺たちは、受付で何やら手続きをしていた先生を見つけることができた。


「先生! 橘は?」

「あなた達来たの? お医者様が言うには、安静にしてれば大丈夫だそうよ。とりあえず今は病室で休んでるわ。顔見てみる?」


「はい」


 先生に案内され、ある病室へと入った。


 橘は点滴に繋がれて、ベッドに横たわっていた。起きているのかわからないが、苦しそうに息をしている。

 

「橘、大丈夫か?」


 呼びかけに応じない。どうやら眠ってしまっているらしい。


「なんだか、疲れてるみたいね。彼女最近どうだったの?」


 ……確かに、最近はいろいろあった。

「あまり眠れてなかったのかもしれません」


「……そう。お家の人に連絡してみたんだけど、お忙しいのか、連絡がつかないのよ」

「父親は海外赴任してます。母親もおそらく愛知にはいないでしょう」

「ああ、そっか橘さんって一人暮らししてる子か。どうしようかしら」


「あの先生、私美幸ちゃんの荷物とってきますけど」

「車出してあげる。君は彼女見といてくれる? 一人にするの心配だから」


「分かりました」


 二人の出ていったあと、俺は橘の眠るベッドの隣で腰掛けて、彼女が目覚めるのを待つことにした。


「……嫌。嫌よこんなの」

 不意に橘が喋りだした。見ると目は閉じている。寝言だろうか。

 それからまた、苦しそうに呻き始める。


 俺は何もできない自分に苛立ち唇を噛んだ。

 不思議なものだ。あれ程いがみ合っていた相手なのに、いざ苦しんでいる姿を見ると心を抉られる思いがするのだから。


 そんなとき、橘がようやく目を覚ました。


「……花丸くん」

 顔をこちらに向けてポツリと言った。

「目、覚めたか」


「……ここは?」

 橘はゆっくりと体を起こして、キョロキョロとあたりを見回す。


「病院だよ。お前熱中症でぶっ倒れたんだ。覚えてないのか」

 

 橘は俺の方をじっと見てきた。それから、ぶわっと泣き出してしまった。


「どうしたんだよ。熱で涙腺までぶっ壊れたのか?」

「違うの。あなたが死んでしまう夢を見たから……」そう言って涙を拭っている。「何だ夢だったのね」

 ……夢じゃなかったら良かったのにというように聞こえるのは気のせいですかね。

「……どちらかというと死にかけてたのお前なんだが。……最近眠れてないんだろ」


 橘は曖昧に首を動かしたあと、

「ねえ、花丸くん。アイスクリームが食べたい」

 と言った。


 普段ならそんなわがまま耳になど入れないのだが、今日ばかりはこいつを甘やかしてもいいだろう。


「わかったよ。売店で買ってくる」


 

 急いで院内の売店でアイスクリームを買い、病室の前に戻ってきた。


「買ってきたぞ」

 病室の扉を開いた。


「……」

 

 橘は患者衣に着替えていた。



 俺は全く逆の動作をして、そのまま扉を締めた。


   *


「ねえ、花丸くん。なにか言うことはないの?」

「……全くすまなかった。俺が悪い。……が、俺がすぐに戻ってくることがわかっていたのに、着替え始めたお前も悪い」

「だって看護師さんに汗をかいたから着替えるように言われたんだもの。そもそも女の子の部屋に入るのに、ノックもしないなんてどうかと思うのだけれど」

「……いや、そうだけど」


 橘はため息を付きながら、

「アイスクリームは?」


 俺は手に持っていた袋を橘に差し出した。若干溶けてしまったかもしれない。


「花丸くん、体が重たいわ」

 俺からアイスクリームの入った袋を受け取った橘が言う。

「まあ、すぐ本調子にはならんだろうよ」

「アイスクリーム、代わりに食べさせてくれないかしら?」

「そんな重症なのか?」

「男の子に下着姿を見られた上、アイスクリームも食べさせてくれないなんて、もう無理。死ぬ! レイプよ! 私は精神的にレイプされたの!」


「わかった! わかったから一旦黙れ!」

 焦って橘を黙らせようとする。

 外に漏れでもしたら、俺が警察の厄介になってしまう。本当にそれは洒落にならない。


「じゃあ、食べさせてくれる?」

「分かったよ」


 俺はベッドサイドにあった椅子を、ベッドの方に近づけてそこに腰掛け、スプーンでアイスクリームをすくい、橘の口元に持っていった。

 橘は上目遣いでこちらを見ながら美味そうにアイスクリームを食っている。

 ニコニコニコニコ。ほんとに幸せそうだな。……そんなに高級なやつじゃないんだがな。

 前々から気付いていたことではあるが、甘味に目がないとかなんというか。


 戸を叩く音が聞こえてから、病室に誰かが入ってきた。


「橘さん大丈夫? ちゃんと着替えれた?」

 薄ピンクの制服に身を包んだ看護師だ。

 病院に入ったときから気づいていたことだが、ナース服は今どき男も女もパンツ姿だ。確かにスカートを履いて素肌を見せる意味もないし、ジェンダー論やそもそも機動性から言ってもパンツのほうが良さそうではある。

 これも時代の流れなのだろう。そのうちセーラー服の下もパンツになる時代が来るかもしれない。今みたいに真夏はともかく、防寒とか考えるとそっちのほうが合理的だし。反対する理由がどこにあるのか? ……へっ。


 それはそれとして。


 看護師の問いかけに対し、

「はい」

 とだけ橘は答えた。

 ナースは橘にアイスクリームを食べさせている俺の方をチラと見てから、

「先生が言うには、今日は安静にしてればいいそうだから学校の先生が戻ってこられたらお家に帰れるわよ」

「そうですか。わかりました」


「なんかあったら呼んでね」

 それからまた俺の方を見て、ウインクをして出ていった。なんだろう俺に気があるのだろうか。



 養護教諭の先生は安曇と一緒に、その後しばらくしてから病室にやってきた。少し簡単な話をしてから、

「一人で帰すの心配だな、どうしよう。この後職員会議あるし」

 と独り言のように呟いた。

 

 すると橘が俺の方を見てきた。

 安曇の方に目をやると、彼女もなにか言いたげにこちらを見ている。

 ……なんだよ。

 じーーーーー。


 俺は小さくため息を吐いた。乗りかかった船とはよく言う。


「俺が家まで送りますわ」

 と言うしかなかった。

「あ、じゃあお願いね」



 さて、身支度を整えてから病院を出たわけだが、駅まで少し距離がある。それほど遠いわけではないのだが、病み上がりの体には酷だろう。どうしたものか。大病院だからバスくらいは来るだろうと思い、キョロキョロとバス停を探していたら、橘は俺に手招きをして、ロータリーに停まっていたタクシーに乗り込んでしまった。

 タクシー――。一介の庶民にその選択肢はなかったな。


 タクシーに乗ったまま橘のマンションまで来てしまった。支払いを済ませた橘と一緒に彼女の荷物を部屋まで運んでやる。


「ねえ花丸くん。お腹が空いたわ」


 時計を見ると午後六時を回ろうとしている。

「でも、んなこと言われてもな」

「お腹をすかせた病人をおいて帰るというの? そんな極悪非道を全校生徒に知られてもいいの?」

 それとなく脅迫するのやめてほしい。


「……キッチン見てもいいか」

「ああ、私の私生活が男に覗かれてしまうというのね。ええ、もういいわよ好きにしなさい」

 もうノーコメントで。


 冷蔵庫を見たら、豚肉とナスにトマトが目に入ってきた。キャビネットには乾燥パスタがあったので、パスタで我慢してもらおう。伊達にボッチでブランチをしのいできた俺ではない。


 オリーブオイルで具材を炒めつつ、麺を茹でて最後にからませて完成。

 やばい女子力高すぎてお嫁に行けそう。


 皿に盛って、ダイニングに運んできたのだが、橘の姿は見えなかった。ヒトに作らせておいて、きゃつは一体どこに言ったんだ。そう思っていたら、洗面所の方から扉の開く音が聞こえてきた。


「おい、できたぞ」

「今行くわ」


 そういったのに、姿を見せない。


「何してるんだ?」

「シャワーを浴びて着替えてるのよ。見たいなら見てもいいわよ。明日になったら名古屋港の底にいることになるでしょうけど」

 そうか洗面所の奥は風呂場だったな。


「そんな事言われて誰が見るかよ」

 しばらく反応がなかったと思ったら、橘は脱衣所から出てきた。

「海に沈められないのだとしたら見たいということかしら?」


 彼女の姿を見て一瞬心臓がどきりとした。というのも彼女が薄手のネグリジェを着ていたからだ。首元が大きく開いている上、若干全体的に透けているようにも見える。目のやり場に困るとはまさにこのこと。

 

「……別に見てねえし」

「何言ってるの?」

「いいから飯食えよ」

 橘はテーブルに目を落とした。


「ちゃっかり自分の分まで作ってるのね」

「悪いか?」

 と言うか作りすぎてしまったというのが真実だったりする。


「いいえ。あなたが私と新婚プレイをしたかったのだということがよくわかったというだけよ」

 橘さん脳が熱暴走してませんか?


 橘が席についたので、俺も向かい合わせになるようにして座った。

「いただきます」

「いただきます」


 この際、まずいとか、(もとき)の餌とか言われてももう気にしないようにしようと思っていたが、橘は黙々と俺の作った食事を食べていた。

 自分で食べてみても、悲惨なことにはなってなかったから多分大丈夫だったのだろう。


「ねえ花丸くん。今度の土曜日、またお家に来なさい」

 食事をあらかた片付けたところで橘がそう言ってきた。

「なんで」

「これ以上犠牲者を増やさないために、料理教えてあげる」

「おい、犠牲者とか言うなよ。つかお前普通に食ってたろ」

「不味くはなかったけど、私の足元にも及ばないから」 

 まあそりゃ一人暮らししてるやつより下手なのは納得できるけどさ。

「食えりゃ十分だろ」

「今後私が体調崩したときに、美味しいものが食べられるならそのほうがいいじゃない。あと私がいいと言うまで他の人に食べさせてはだめよ」


 それって、……どうなんだ?



   *

  

 翌日、学校にて。

「なあ橘、昨日のことなんだが……」

「覚えてない」

 俺が先を言う前に橘はピシャリと言った。

「……まだ何も言ってないが」

「何も覚えてないわ。熱で脳が異常をきたしていたのかもしれない。だから、昨日私が行ったりやったりしたことは全て、別人格が勝手に行った幻よ。私には何も関係のないことだから」

 そういう彼女の顔はまだ幾分か赤かった。また熱中症で倒れなければいいが。でも、そうすると今度の土曜の話もなしということになるのだろうか。

 それならそれで構わないのだが。


「それで、今日なんだけど時間空いてるかしら。明日の食材の買い出しに行こうと思うのだけれど」

「あ? 別に暇だけど」

「じゃあ、大丈夫ね」

「おう。……ん? あれ」

「ところで花丸くん――」

 その時感じた違和感も橘の掌の上で踊らされるうち、どこかへ消え去ってしまった。



どうもどうも作者です。いつも読んでいただきありがとうございます。

二話だけ幕間劇をお届けしました。いつもより甘めに作ったつもりです。

次からは多分本編に戻ります。少し時間かかりそうですが。

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「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
本作から十年後の神宮高校を舞台にした話

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