完璧な人生に必要なのは綿密に組まれたシナリオ
私が「もし、私にできることなら何でもしてあげるって言ったらどうする?」と花丸くんに言ったとする。
そうしたら花丸くんは「別にどうもせんな。お前に頼むことなんて特にない」という感じのことを言うだろう。
私はそれにこう返す。
「そう。隣にいてくれればそれで十分ということね」
「何言ってんの?」
「冗談はこれくらいにして。何かしてほしいことはないの?」
「いや、だから本当にないから」
花丸くんは意地っ張りだし、変なところで遠慮するから私の申し出を絶対に断るはずだ。
だから次に私はこう言う。
「そう。あなたがしないのなら、私に権利を譲るということでいいのかしら?」
「どういう理屈?」
そうなったら私はこう言うのだ。
「そうねえ。……私にアイスクリームを食べさせる、でどうかしら?」
*
「よし、これで完璧だわ」
私は自宅で一人そうつぶやき、パソコンを閉じた。
書いていたのは明日のシナリオ。
花丸くんに告白させるという恋の方程式その五十六だ。
私にアイスクリームを食べさせるという、いかにもなラブラブシーンを演出することで、花丸くんに私と付き合いたいと思わせる作戦。
花丸くんも男子高校生なのだから、ずっと一緒にいる女の子に対して、全く特別な感情を抱かないということもないはず。安曇さんが花丸くんの魅力に気づく前に、なんとしてでも落とさなければならない。
「明日が楽しみだわ」
私は独り小さくつぶやいて、部屋の明かりを消し、眠りについた。
次の日。
早速昨晩書いたシナリオを実行に移す。
「ねえ、花丸くん」
「なんだ?」
「もし……」
私はそこで、突然女の子が「私にできることなら何でもしてあげる」という提案をすることの不自然さに気がついた。
あまりにも素晴らしいアイデアだと気が逸るあまり、最初のところに穴があることに気が付かなかった。
「もし、なんだよ?」
「……模試はどうだったのかしら?」
こんなこと聞きたかったわけではないのだけれど。
「どうって言われても、まあ普通。クラスで二番か三番くらいじゃないか」
そうすると、学年で二十番以内くらいかしら。……私よりいいかも。
うちの高校は毎年学年の半分の生徒が旧帝大に進学する。その中での上位五%ということは、本当にエリート路線にいることになる。東大京大を狙えるレベルのはずだ。花丸くんはよく「俺は優秀な部類に入る」とむきになって言うけれど、あながち間違いではないみたい。
つまり悪い女が目をつける前に今囲い込まなくては。
「あなたのその、全く頭良さそうに見えないのに意外と成績はいいというギャップ嫌いじゃないわ」
「煽られている気しかしねえな」
さて窮地は脱したけれど、計画が頓挫仕掛けている。どうしようかしら。とりあえず打開策が見つかるまで話を繋ごう。さもなければ花丸くんは読書を始めてしまう。本を読み始めた花丸くんに話を聞かせるのは難儀するから。
「そういえば、花丸くんの働いていたプールってスライダーってあったのかしら?」
もちろんスライダーがあったことくらい、直に見たからちゃんと覚えている。
「……お前ほんと何しに行ったの? 隅の方にあったろ。長島のやつよりかはしょぼいけど」
「ああ、そうだったわ」
「にしてもただ水と一緒に滑るだけなのに、よくみんなやりたがるよな。あんな行列作っちゃって。どんだけ滑るの好きなんだよ。何が楽しいんだか」
と花丸くんはつまらなさそうに言った。
「あなたは今までの人生滑ってばかり来たものね。特に教室の中で」
「そんな残念なやつになった覚えはないんだが」
さて、計画の復旧を……。
……そうだわ。
私は、筆箱を鞄から取り出して、ペンを取り出すふりをして、消しゴムが花丸くんの方に転がるように仕向けた。
「悪いけれど、取ってくれるかしら」
花丸くんは疑う素振りも見せずに、頭を下げて、私の消しゴムを拾ってくれる。
「ほらよ」
「ありがとう。お礼をしないとね。私にできることがあったら何でも言って頂戴」
ようやくスタートラインに立てたわ。
「マジ? じゃあさ、アイスくれよ。お前が朝買ってたやつ」
……。朝、花丸くんに見られるような場所で、アイスクリームを買ってしまった自分を呪いたい。
「……はい」
意気消沈の中、冷凍庫からアイスクリームを取り出し、いざ花丸くんに渡そうというその時、素晴らしい代替案を思いついた。
当初の目的は達成されないかもしれないけれど、十分な見返りはある。
「サンキュ……てくれないのかよ。強く握りすぎだろ。そんなに食いたいなら、無理に貰わんが」
私が自分の心臓が飛び跳ねそうになっているのをこらえながら、
「花丸くんのくせに、『橘、俺にあーんしてくれよ』って頼まないの?」
「お前は俺をなんだと思ってるんだよ」
「スプーンが一つしかないのよ」
「……じゃあいいわ。また今度で」
「待ちなさい。男児たるもの一度決めたことを曲げることはどうかと思うわ」
「これそんな重要なことなのか?」
ここまで来たらこっちのものだ。あとは無理矢理にでも口に突っ込めば、花丸くんは食べるしかなくなる。
「はい、あーん」
そう言って、スプーンで掬って花丸くんの口元に近づける。
緊張のあまり、手元が狂ってほっぺたにつけてしまった。
まずいと思いながら、
「花丸くん。この年にもなってアイスクリームも満足に食べられないの?」
「どう考えてもお前のせいだろ。てかわざとつけただろ」
「そんなわけ無いでしょう」
本当に失敗しているのだから。
いつの日か、お祭りでしたときみたいに拭ってあげようと思ったのに、花丸くんは自分でとってしまった。
「はい、あーん」
もはや諦めたのか、花丸くんは渋々口を開ける。
「美味しい?」
「うんまあ」
よし、調子がいいわ。ここが攻め時よ。
一旦スプーンを置いてから、
「花丸くんって欲がないの?」
「なんの話だよ?」
「私みたいな可愛い女の子が、『何でもする』って言ったら、いやらしいことをするのがあなたという人でしょう」
「おい」
「実を言うと、このアイスクリーム自分で食べる気はなかったのよ。だから、カウントしないであげる。他に何かないのかしら?」
「じゃあ、か……」
彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女。
「鍵返してくんない。今日の当番俺だけどさ」
……。
「嫌よ。それくらい自分でやってくれるかしら」
「だよな」
結局今日もうまく行かなかったわ。
でも次こそは花丸くんに、告白させてみせる。
私は意思を新たに固くして、アイスクリームを口に含んだ。