ツンデレは衰退しました
ツンデレというものがある。人前ではツンツンしているが、意中の人間と二人だけになると、甘えたりあからさまに好意を見せる、つまりデレるというものだ。
現実世界には端から男にベタぼれな女はいないのだから、当然男子ははじめのうち、潜在的に恋人になるであろう相手に、冷たい態度を取られる。
それを受け止められるだけの度量と寛大さと大きな愛情が、男子には求められるわけだ。そう考えると、ツンツン振る舞う女子は、本当に心の広い男子だけを見分けられるフィルターのようなものを、身に纏わせているとも言える。
だが今どきツンツンした女は流行らない。過激な口調をとれば、「生意気だ」とか「非常識だ」とか言われてハブられるのが落ちだ。
多くの人間に愛されるような性格ではないのが事実だろう。たとえ裏では意中の男子にベタベタしていたとしても、周りの人間からすればただの嫌なやつにしか映らない。
創作物においても、はじめから主人公にベタぼれなチョロインや、どんなに駄目な男でも愛してくれる包容力のあるヒロインが人気だ。
思うに、現実世界で疲弊した日本男児には、もはやツンデレ娘たちの天邪鬼な態度を受け入れられるだけの余裕が、なくってしまったのだろう。
余裕を失い、寛大さを失い、ただ優しいだけの女を求めるその姿、哀れみの感すら覚える。
優しいだけの女。聖女のような女。
そのような女こそ現実には存在しない。どうやら日本男児は寛大さだけではなく、現実世界とのつながりも失ってしまっているようだ。
南無。
日本は一体どこに向かっているのだろう。
さて、隣を歩く女。浴衣に身を包み、つややかな黒髪を結い上げ、見た目こそ大和撫子を絵に描いたような和風美人だが、中身は鬼神と言って差し支えない。
その女、橘美幸。口を開けば俺の悪口が出てくる、ツンデレ改めツンドラ女。
一向にデレる気配はない。
自分で言うのも何だが、俺はかなり寛大な方だと思う。そうでなければ毎日こいつに罵倒されて、平気な顔をして過ごせるはずがない。
ここまで酷いと、この存在自体がファンタジーみたいなものなのだが、実態としてそこにあるし、たしかに息づかいも感じられる。いい加減に態度を軟化させてくれてもいいのだが、やっこさん、そのつもりは毛頭ないらしい。
俺の視線に気づいたのか、
「花丸くん、どうしたの? 難しい顔して」
「ちょっと考え事」
「どうやったら私に好かれるのか考えていたのかしら?」
「ある意味ではそうだな」
「……そんなの簡単よ。あなたが私のことを好きになればいいのよ」
「そうなったらどうなるんだ?」
「魚心あれば水心ありと言うでしょう。あなたが私を好きになれば、私もあなたのこと空気ぐらいには好きになれると思うわ」
「つまり俺なしでは生きていけなくなるということだな」
「……今度から酸素ボンベを携行しようかしら」
「おい」
この通り可愛げのかの字も見えない。
祭り会場の中心にやってきた。櫓を中心に大勢の人が音楽に合わせて踊っている。
「おーい! 美幸ちゃん、まるモン!」
不意に声のした方を見てみると、太鼓が置かれた祭り櫓の上から安曇が手を振っていた。
あいつもいたのか。
それにしても、よくもまあ、あんなところから俺たちを見つけられたものだ。
安曇はそこから降りてきて、
「お祭り来てたんだ。言ってくれればよかったのに」
と近づいてきて俺たちに話しかける。
暑いのか安曇は顔を火照らせて、汗が首筋をツーと流れている。どうやら盆踊りの太鼓を叩いていたらしい。
上は法被に下は半股引といういでたちだ。男が着れば勇ましく男臭い祭りの衣装だが、彼女の姿はなんだか色気があった。
……多分太ももがお目見えしてるせいだな。あんまり見ているとまた橘に嫌味を言われると思ったので目を逸らした。
「安曇ってこういうのやるやつだったんだな。ちょっと意外だ」
もっとこう女の子っぽいというか、汗だくになりながら和太鼓をドンドコ叩くというイメージはなかった。
「お父さんがお祭り好きだから。それで私も」
なるほど。
それにしてもこの年頃の女子が父親について祭りに出るというのも珍しい。この世の殆どの女子高生は、「私の前にお風呂入らないで」とか、「お父さんの服は別で洗ってよ」とか、そもそも口すら聞かないだろうに。
俺も将来娘を持ったときは、安曇のような素直で良い子に育ってくれると嬉しい。……結婚できればの話だが。
「二人で来たの?」
「安曇さん。そんなことを言ったら花丸くんが可哀想じゃない。花丸くんと一緒に、祭りに来てくれるような人が他にいると思うの? 現実を突きつけるのは酷というものよ」
橘は捻りすぎてウルトラジー難度の返答をしている。というか一番俺に可哀想なことをしているのはお前だからな。
「ふーん。じゃあなんで二人で回ってるの?」
続けて安曇は尋ねてくる。
なんで? そりゃ……あれ?
「……なんでだっけ?」
「それは穂波さんに呼ばれたから」
ああそうだった。愛すべきお馬鹿な妹は今頃何をしているのだろう。どこの馬の骨とも知れぬ奴に絡まれてないといいが。
「それにしてもお前穂波といつの間にそんな仲良くなったの?」
確か橘と穂波が会ったのは名駅の金時計のところで一度だけだったと思うが。
「……たまに連絡していたわよ」
と橘は答える。
「なんで?」
「いけない?」
「……いや、いけなくはないが」
まあ、年齢も一つしか違わないし。橘が誰と仲良くなろうかなんてことに俺が口出しするのもおかしいか。
「おい、梓もうすぐだぞ」
櫓の上から安曇に声をかける御仁がいた。おそらく安曇の父親だろう。
「はーい。……じゃあ、私仕事あるから。楽しんでいってね!」
そう言って、軽快な足取りで櫓の上に戻っていった。
本当の意味で祭りに参加するというのは、ああいう感じを言うのだろうが、生憎、俺も橘もコミュニケイション能力が地を這っているので、的屋のあんちゃんを儲けさせるので精一杯だ。
人前で踊るとかも無理。誰も見てないとわかっていても気にしちゃうのが俺。
「花丸くん、あっちのお店見てみましょうよ」
橘がそういった矢先だった。
「美幸さん? お祭りに来ていたのね! お家を訪ねてもいなかったから会えないものとばかり思ったのだけれど、良かったわ」
どう見積もっても、三十以上には見えない女性が、橘を見て声をかけてきた。橘の知り合いらしい。
浴衣ではなく、品の良い色合いの着物に身を包んでいる。
橘の近所の人間か、親戚といったところか。
だから橘の次の言葉に俺は心底驚いた。
「……おかあさん」
俺の聞き間違いでなければ、橘はそう呟いたのだ。