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色物と混ぜないように

「映画面白かったね」

 映画館から出たところで安曇が言った。

 

 あまり乗り気であったとはいえなかった橘も、上映中は食い入るように画面を見ていた。表情にこそ出てはいないが、それなりに楽しんだのではないだろうか。

 「暗がりに乗じて、私の足に触らないでよね」とか、「あなた、ポップコーンを食べるふりをして、安曇さんの手を触りそうだから、一番端っこに行きなさい」とか、いろいろ言われはしたが。


「まるモン、どうだった? 面白かったでしょう?」

 安曇が俺の顔を覗き込んで尋ねてくる。(またた)かれた彼女の長いまつ毛が、くっきり見えて、思わず目を逸らした。……そういう男の子を惑わす仕草は辞めたほうがいいと思います。


「うん、まあ」

 思ったよりは。


 俺が曖昧な反応をしたのを見てか、

「あなた本当に、ちゃんと見ていたの? スクリーンではなくて、私の顔ばかり見ていたんじゃない?」

「ちゃんと見てたよ。お前の顔なんて見飽きてるから。わざわざ見たりはせん」

 橘は微笑を浮かべて、ゆっくりと瞬きをしながら、

「そう。私の事は、目を(つむ)っても精緻に思い浮かべられるほど、いつも見ているということね」

「そういうことではない」

「ちなみに言っておくけれど、私はあなたの顔、数秒おきに見ておかないと忘れてしまうわ」

「ああそう」


 言いたいことを言いたいだけ言った橘は満足したかのように、

「じゃあ、用も済んだし帰りましょうか」

 という。

 早く解散できるなら、そうするに越したことはないのだが、

「おい、橘」

「なにかしら?」

 そういって、すっとぼけた顔をしている。

「俺が今日ここにいる理由を忘れていないか?」

「私の事が気になって気になって仕方なくて、一緒についてきたのでしょう?」

 平常通り訳の分からないことを言っている。

「金魚鉢はどうしたんだよ?!」

 それがなければ俺は今頃家にいたはずなのに。


「ああ、そうだった。映画に夢中になっていたらすっかり忘れてしまったわ」

 本当にこの子は何なのでしょうか?


 ホームセンターを目指してモール内を、三人で歩いていく。

 途中、何かのイベントのスタッフらしき女性が、ティッシュを配っていたので何気なく受け取ったのだが、

「花丸君、今ティッシュ配りのお姉さんが、若くて綺麗だったから受け取ったのでしょう。本当いやらしいったらありはしないんだから」

 と橘が眉を(ひそ)めて言った。


「なら、お前があれをやったらすぐにティッシュなくなっちまうな」

 そういったところ、橘はこちらを見ることもせずに

「……馬鹿」

 と言った。それからスタスタと歩く速度を速めて、前に行ってしまった。


 残された俺は安曇に

「なあ安曇。なぜ俺は今罵倒されたんだ?」

 と尋ねる。


「まるモンって頭いいのに馬鹿だよね」

 ……。

 多数決でとにかく俺は馬鹿らしい。


 ホームセンターは映画館と反対のところにある。いろんな店の横を通り過ぎる訳だが、旅行代理店の横を通り過ぎた時安曇が、

「ねえ、ソロモンってどこにあるの? グアムらへん?」

 と不意に尋ねてきた。店頭のチラシでも見たのだろうか。


 橘がすぐさま

「ガダルカナル島がある所よ」

 と答えた。

「アナルカナル? 何それ?」

「それは肛門管。すごくわかりやすく言うとケツの穴だ。公共の場で大声で言うことじゃない」

 安曇はそれを聞くとさっと顔を赤くして

「そんなの知らないもん」

 という。


 そうしたら橘が

「花丸君、女の子に卑猥な事を言わせて興奮する趣味辞めた方がいいわよ」

「俺悪くないだろ。むしろ話を余計分かりにくくするような例を出してきたお前が悪い。ガダルカナル島がどこにあるのかなんてふつう知らんだろ」

「あら、中学の社会で習ったじゃない。太平洋戦争の流れが大きく変わった激戦地よ」

「生憎、俺は過去の事にはこだわらない男だ」

 人類史もそうだし、俺自身の人生についても。なにせ、「今日も家で一人だった」で夏休みの日記が完結する男だからな。振り返ったところでどうしようもない。


「そんなことをしているといつか困るわよ」

 と橘は眉をひそめて言う。

「壁にぶつかった時は回り道をすればいい」

「まるでチョロQね」

「それだと俺が愚直に真っ直ぐにしか走れない、ど阿呆みたいに聞こえるんだけど」

「え、そういう意味で言ったのだけれど。他にあるかしら?」

 可愛く首を傾げるな。余計むかつくから。

「せめてルンバとかにしてくんない?」

「あなた、ルンバより部屋を綺麗に保てる自信があるの?」

「それはあるに決まって……いやないな」

 ルンバ最強説ある。


「ねえ、結局どこにあるの?」

 完全に置いてけぼりだった安曇が、口を尖らせて尋ねてくる。


「……日本から南に進むと、ニューギニアに行くのは分かる?」

「うんと、オーストラリアの上だっけ?」

「地球は丸いから上も下もないけどな。畢竟、俺はいつでも世界の中心にいる」

「……まあそうね。ニューギニアから東の方に島伝いに行ったところが、ソロモン諸島よ」

「へえー、そうなんだ」

「おい、お前ら、俺を普通に無視すんなよ」

 これはいじめというやつではないのか?



「でもソロモンってどっかの王様だよね。そこにいたの?」

 この女どもの鼻を明かしてやるには、長年のぼっち生活で培ってきた雑な知識を披露する他ないな。


「いや、ソロモン王はイスラエルの王様。大航海時代にヨーロッパ人が金を探していたんだが、太平洋で見つけた島に、ソロモン王の黄金伝説にちなんでソロモン諸島って名前を付けたらしいぜ」

 なんの本で読んだか知らんが、どっかに書いてあった。

 

「ソロモン王って何した人?」

「七百人の妻と三百人の(めかけ)がいた奴だな。俺にもちょっと分けてほしい」

 ハーレムもハーレム。全員の名前を憶えられたのだろうか? さすが偉大な王様だ。英雄色を好むとはまさにこのこと。俺も賢くなったらモテるのだろうか? 


 ぼんやりそんなことを考えていたら、橘が何も言わずに冷ややかな視線を向けてきていることに気がついた。

「なんだよ?」

「別に」

 ……だったらなんで睨むんだよ。



「でもすごいなあ二人とも。いろいろ知ってて」

 と安曇は感心したように言ってきた。

「まあな。俺は現地では生き字引ウォーキングディクショナリと呼ばれていたぐらいだからな」

 と適当に返す。現地ってどこだろうな。

「生き字引ではなくて、生ける屍(ウォーキングデッド)の間違いでしょう」

「おい、こんな血色のいい人間がゾンビぃな訳ないだろうが。お前は気づいてないかもしれんが、俺は顔が死んでるだけで、本当は色男なんだぜ。ばあちゃんにもよく言われる」

 なにせ可愛い穂波のお兄ちゃんだからな。


 橘は鼻で笑う。

「あなたが色男? 白いシャツと一緒に洗濯しては駄目なタイプの人だと思っていたのだけれど」

「おい」


 安曇は橘が何を言っているのかよく分からないようで、キョトンとしている。

「どうゆうこと?」

「俺が色物だって言いたいんだよ、こいつは」

「あ……なるほど」

 納得されると悲しいなあ。


 色物。すなわち奇人変人。……うるせえよ。


 

 そんな他愛もないやり取りをしているうちにホームセンターにたどり着いた。


 橘は金魚鉢を買うと言っていたが、利便性を考慮した結果、直方体の水槽を買うことになった。

 とはいっても重いことには変わりないので、落とされたりしても面倒だと思い、モールの出口まで俺が運ぶことにした。


 モールを出たところで、俺は安曇に、

「安曇って家どこなんだ?」

 と尋ねたところ、橘が、

「あなた、隙あらば女子の家の場所を訪ねようとするのね」

 と心底軽蔑したまなざしを向けてきた。


「ちげえよ。お前、これから駅に向かうだろ。俺はそっち方面だけど、安曇が違う方向に帰るなら、ここで解散だろ」

「私、市内だから二人と違う方向だな」

 と安曇は答えた。


「そう。じゃあ、ここでお別れね。今日はありがとう安曇さん」

「うん! また誘ってもいい?」

「ええ」


「じゃあ、また今度」

「さようなら」

 安曇が自転車にまたがり、駅と反対方面に向かうのを見送る。


「私たちも帰りましょうか」

「そだな」

 

 ホームセンターの店員に言って、自転車の荷台に括り付ける紐をもらっていたので、それで水槽を橘の自転車に固定してから出発した。


 駅の駐輪場に自転車を止めたところで、水槽を荷台から外すのを手伝い、さあ帰ろうと思った。

 だが、水槽を手に持つ橘はいかにも危なげな足取りをしていた。プラスチック製ならまだしも、ガラス製の水槽はかなり重たい。女子にとってはなおさらだろう。


 俺は少し迷ったが、腕時計を見て時間がまだある事を確認してから、よろよろと歩く彼女に声を掛け、

「運ぶの手伝おうか?」

 と言った。


「……これくらい大丈夫よ」

 と彼女は強がる。

「その割にはふらふらしているが」


 橘は反論しかけ、いったん口を紡いでから、

「……本当にいいの?」

 とじっと俺の方を見てきた。


 自分からはいろいろと無茶なお願いをするくせに、俺から手伝いを申し出た時は、妙に遠慮がちになるようだ。


「いいって思ってるからそういってんだよ」

「じゃあ、お願いしようかしら。……お家に着いたら、お礼をするわ」


 家まで付いていく気はなかったのだが、ここで訂正するのもなんだか気まずいので、結局何も言わずに、橘から水槽を受け取った。


 電車に揺られ十数分、地下鉄に乗り換えるため名古屋駅で降りる。

 地下鉄の駅に向かおうとジェーアールの改札から出て、歩き始めたところで

「花丸くん、ケーキは好き?」

 と橘が尋ねてきた。


「嫌いではないな」

「デパ地下で買おうと思うのだけれどいいかしら? うちについたら食べさせてあげる」

 さっき言っていたお礼とやらのことだろうか。

 真夏に生物(なまもの)を運ぶ危険は無きにしもあらずだが、橘の家はここからそれほど離れたところにあるわけではないから、多分大丈夫だろう。


「いいぜ」

 そういうわけで俺たちはデパ地下に向かい、ケーキを買ってから地下鉄の駅に向かった。


 真夏になると、肌色が増えるのは言うまでもないこと。ここ名古屋でも、ミニスカやホットパンツを履いたギャルがウロウロしている。


 目の前を尻の溝が見えるほど短いパンツを履いた女が歩いていた。モデルによくいるような細い体つきではないが、ムッチリと欲情的な太ももが露呈している。

 見てくれと言わんばかりではないか。

 どんな顔だろうかと追い抜きざま振り向いてみようとしたその時、耳に激痛が走った。


「いててててぇ、耳を引っ張るなよ橘。芳一になったらどうしてくれる!」

 危うく水槽を落とすところだった。

「あら、それはあまりにも可愛い私が隣を歩いている現実が信じられなくて、お化けに化かされていると不安になったということかしら?」

「お前は何を言っているんだ?」

「……私の隣で妙な動きをするのやめてもらえる? 職質を受けても助けてあげないわよ。全力で知らないふりをするから」

「……なんのことかな?」


 それを聞いた橘はジトリとした視線を俺に向けてから、

「キャー。誰か! 助けて! この男に乱暴されるぅ! お廻りさーん!」

 と大きな声で騒ぎ始める。

「馬鹿! やめろっ! やってもないことを理由に俺を貶めようとするな!」

「では、やったことを素直に白状したらどうなの?」

「……すみませんでした」

「何が?」

「女の人を嫌らしい目で見て、すみませんでした」

「今度他の女の人に嫌らしい視線を投げかけていたら、通報するから」


 迂闊に橘と出歩いたら、社会的な死が待っているらしいから気をつけよう。





 


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幼馴染に「今更遅い」とざまぁされたツンデレ美少女があまりに不憫だったので、鈍感最低主人公に代わって俺が全力で攻略したいと思います!
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twitter.png

「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
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