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グローブジェネレイション

 祭りも(たけなわ)を過ぎて、俺の財布が橘のおかげで想像以上に軽くなり、人もまばらになりだした頃、安曇と金本は駅の方へと歩いて行った。

 まさか、ホテルに連れ込む気じゃないよなと、身構えた俺だったが、普通に駅まで行くみたいだ。

 二人は駅ビル内の、カフェに入っていった。

 ばれるかもと心配だったが、顔は多分知られてないだろうし、店内は薄暗かったので、安曇達から少しだけ離れた席に着いた。


「今日は無理に付き合ってもらってすまない。楽しかったよ」

 と金本は安曇に言っている。

「いえ、こちらこそ」

 

 よく見えないが、多分金本は少し寂しそうな顔をしながら、

「すまない。安曇さん。女子たちが君にひどい事をしていると知っているのに、何もできなくて」

 と言って頭を下げた。

「いえ、先輩は悪くないですからっ!! 頭を上げて下さい」

 と手を横に振りながら、安曇は言う。

「俺の力不足だよ。女子たちには、君に優しくするように、言ったんだけど、なかなか……」

 そう言って顔を曇らせた。

 

 俺が見た限りでも、金本の注意が効果を表していたとは到底言えない。あれでも抑えられていたのだと言うなら別だが。

 金本が安曇を贔屓すればするほど、女子たちをイラつかせることになったんだろう。


 金本は続けて、

「本当のことを言えば、俺が、自分から安曇に告白して、振られてしまった、という経緯をみんなに話すべきだった」

「そんな。先輩だって……。私も先輩に辛い思いさせましたし。私も怖気づいてしまったのが良くなかったんだと思います」


「俺も男だ。潔く君のことはあきらめるつもりでいた。だけど、こんなことになるとは本当に申し訳なく思っている。俺が余計な事をしたせいで、君が部活をやめる羽目になって」

「いいんです。放送部の人は二人とも素敵な人たちです。辞めなかったら、あの子たちにも会えなかった……」

 

 それは俺と橘の事だろうか。そう思って、橘の方を見たら、

「おかしいわね。安曇さん、益岡先輩には会ってないはずなのだけれど。他に誰か居たかしら?」

 と首を傾げている。この子は僕をいじめないと気が済まない病気なのかな?


「普通に考えて俺の事だろ」

「そういえばあなたもいたわね。忘れていたわ」

「……俺も誰かに優しくしてほしい」

「あら、いつも優しくしてあげているじゃない」

「どこが?」

「花丸君が、私の事を好きになりすぎて、ストーカーにでもならないようにいつも気を使ってあげているのよ。惚れ直したかしら?」

 今すごく矛盾したことを言われた気がするぞ。


 橘のことは放っておいて、安曇達の会話に耳を傾けた。


「こんなお願いするのは、非常識かもしれないけど、インターハイは見に来てほしい。もちろん、強制はしないけど」

「はい。試合は見に行くつもりです」

 金本はまだ何か言いたげだったが、

「今日は本当にありがとう」

 と言って礼をし、席を立った。

 それから、彼らは店を後にした。

 金本はどうやら、部を追われる形となった安曇に、謝罪をするために、今日安曇を誘ったらしい。


 橘は動く気配は見せない。危険はないと判断したのだろうか。


「なるほどね」

 としんみりした口調で言った。

「どうしたんだ」

「普通に考えて、人間性に難があるような男が、女性に好かれるわけがないもの。あなたみたいな」

「俺を引き合いに出す意味」

「金本先輩は、カリスマ性のある人だから、女性に好かれるのよ。そんな人が、一年の女子に振られるわけがない、みんなそう思ってしまうのよ」

「じゃあ噂を流したのは」

 確かに、あの感じでは、自分のプライドを保つために、嘘をつくということをするような人間には見えなかった。いや、プライドが高いからこそ、そのようなしょうもない嘘をつきはしないのではないだろうか。

「さあね。本当に、悪意なくどこからともなく、というのが真実なのかもしれないわね。誰も悪くなかった、というのが結論になってしまうのかしら。

 結局、みんな根も葉もないうわさに振り回されていただけなのよ。あなたも私も含めて」

「……そうなのかもな」

 口ではそう言った。


 だが、本当にそうなのだろうか。


 俺にはわからない。根拠のないうわさを信じて、人を傷つけることが、悪意無き事と果して言えるだろうか。

 女子マネージャーたちが反省もせずにのうのうとしているのには、モヤモヤしたものを感じる。


 そんな俺の様子を見てか、

「花丸君。余計なことしちゃだめよ。他のマネージャーたちに報復しても、安曇さんに迷惑をかけるだけなんだから」

 俺の心を読んだとしか思えない発言に驚きながら、

「やらんよ」

 と答えた。


 

 カフェを出て、橘は改札まで向かう。俺は自転車でここまで来ているが、改札は自転車置き場に向かう途中にあるので、橘を見送ることにした。


 改札の前に来たところで、最後に言っておこうと思い、

「おい橘」

「何かしら? 帰したくないと言われても、帰るわよ」

「んなこと言うかよ。……金魚、弱ってるだろうから、しばらくは塩水に入れてやって、餌も控えたほうがいいぞ」

「……そう。濃度は生食(せいしょく)と同じでいいのかしら?」

 生理食塩水は、確か容積あたり0.9パーだったか? 朧気な記憶では、一リットルあたり、五グラムの塩を入れていたと思う。

「いや、それだと濃いな。0.5パーだよ、たしか」

「私、魚のことあまりよくわからないのよ。……後で電話してもいいかしら?」

「まあ、いいけど」

 

「……じゃあ」

「また、学校で」

 そう言って橘は手を振って、くるりとホームへと向かった。


「あいつが俺に別れの挨拶したの初めてだな」

 明日は雪だな。



   *


 夏休みに入ってから、行われた、全国高校総体サッカー大会で、わが神宮高校は初出場ながらも善戦し、くしくも三回戦で敗退したが、母校の歴史に刻まれる結果を残したと言えるだろう。付け加えて言うと、うちの高校の得点のほとんどが、金本によるものだったらしい。


 夏休み中に開かれる、高校での夏期講習のその日の分が終了して、俺たちは放送室で、何をするでもなく、雑談をしていた。主にサッカー部に関することだが。


「まあ。でも、しつこく女の子に迫るっていうのは良くないよな」

 とスーパーマンに関する、欠点を述べたところ、

「ようやく自責の念に駆られたのかしら?」

 と橘。

「お前は何を言ってるんだ? 金本の話だぞ?」

「え? 花丸君が私のストーカーになりかけているという話でしょう」

「いつそんな話になった?」


 橘の俺に対する猛攻が始まる前に、安曇が口をはさむ。

「……うん、しつこいっていうか、すごく熱心だっただけなんだけど。ほんとに私の事好きなんだなって思えた。食事とか誘われても、私が断ったら、いつもすぐに退いてくれたし」

 逆にそれだけ、好き好きアピールされて、振ってしまう安曇もすごいな。俺に対して、そんな態度を取る女がいたら、間違いなく落ちてしまうと思う。


「思うんだが、別に先輩のこと振る必要なかったんじゃないか?」

 

 あんな完璧超人に好かれることなど、安曇のような可愛い女子であっても、なかなかある事ではない。

「だって、そんなこと言われても。いろいろ気、遣うし」

 と安曇は困った顔をした。

 気を遣う、か。それは金本が二歳年上だからということか。それとも、周りの女子たちに対してということか。

 ……まあ、両方だろうな。安曇は気が強そうな女の子には見えない。橘も見習ってほしい。


「それに、誰が誰を好きになるかなんて、決まっている事じゃないじゃん」

 お説ごもっとも。

 そこで橘が口をはさんで、

「そうよ花丸くん。世界人口のほとんどがあなたを嫌ったとしても、地球が誕生するくらいの確率で、あなたを好きになる人がいるかも知れないのと同様、みんながみんな、先輩を好きになるというわけではないのよ」

「地球誕生の確率って、奇跡じゃないかよ。俺は嫁探しのために世界を旅する必要があるのか?」

「何を言っているの花丸君? 現時点で地球が誕生する確率はゼロよ。同じものが誕生するわけないじゃない。諦めて愛知で大人しくしてなさい。あなた、何をしでかすか分からないのだから、私の目の届く範囲にいることね。

 まあ出国しようとしても、税関で捕まると思うけれど」

 税関で捕まる高校生ってどんな奴だよ。

 俺は恨めしがるように橘を見た。


「そんなに落ち込まなくてもいいのよ。現時点でって言ったでしょう」

「なんだ? 今俺を好きな奴がいるってのか?」

「ええ。人づてに聞いた話なのだけれど」

「えっ、誰?」

「たしか、フローラと言ったかしら」

 フローラ? ラテン系の名前だろうか? うちの高校にも何人か日本人離れした顔をした生徒がいるが、その中の一人だろうか。

 やっぱり、俺の魅力というものは国際的なものらしい。道理でこの国では生きにくいわけだ。


「どんなやつなんだ?」

 と心持ちワクワクした気持ちで聞いたら、

「温かいところが好きみたいよ」

 まあ、南欧系の血を引くとそうなるのだろう。

「あと、ヨーグルトとか、チーズとかをあげると喜ぶみたい」

 それも欧州人らしい。


「体調が悪いと意地悪してくるそうよ」

 ……ん?


「あまり酸素がなくても生きられるみたいね」

「……待て橘、そいつほんとに人間か?」


 嫌な予感のした俺は、辞書でフローラを引いてみた。


『一、ローマ神話に出てくる花と豊穣の女神。二、植物相のこと。三、多様な細菌を花畑に見立ててフローラという。細菌叢。腸内フローラなど』


 温かいところと発酵食品が好きで、酸素が少なくても生きられる……。


「人間じゃねえじゃねえかよ!」


「はい、ヤクルトあげる」

 橘は冷蔵庫にしまっていた乳飲料を俺に差し出した。

 いつ持ってきてたんだよ? 

 貰ったものは飲むけど。


「そんなかっかしないでくれるかしら。全部冗談なのだから」

 と言うが、どこまでが冗談か分からない。


 細菌しか俺を愛してくれないのなら、俺も細菌を愛するしかない。

 ヤクルトの蓋を開け、口に流し込んだ。


 そんな折、橘が、

「地球は確かに存在するもの」

 と聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、呟いた。

 何を言っているのやら。


 橘の相手をしていると、俺の精神が著しく不安定になるので、形だけ本を開いた。

 眼が滑るばかりで、内容が頭に入ってこない。脳の活動が、考え事にシフトしていってしまう。


 楽しいばかりが青春時代ではない。

 現に、俺の今を青春というのなら、辛酸をなめる日々だ。辛いことを経験し、泣いてわめいて傷ついて憎まれて、人の心の醜い部分に触れる。

 大人になればもっとつらいこともあるのかもしれない。けれど初心(うぶ)な高校生たちが心をやつすのに、事件が劇的である必要などないのだ。日常での些細な諍い。友人とのすれ違いに仲たがい。大人が馬鹿らしいと思うことでむきになるのが、俺たち子供で、どんなに小さなことでも本人達には切実な事だ。

 いつか、安曇も今回のことを笑って話せるようになる時が来るのだろうか。

 それも、後の人生における辛い経験のせいかと思うと、ため息をつきたくなるが。


 一人の人間を退部に追い込むほど、荒れた部活が、どうして崩壊せずに続けられ、インターハイ出場までこぎつけられたのか、ずっと謎だったが、今ではなんとなくわかる。

 すべては、金本という一人の人間の求心力があったからなのだろう。

 盲目的なまでの信頼、それはトップに反駁しようとする人間を排除する理由にもなる。恋愛感情が絡んでくるにしてもだ。 

 みんなどこかでおかしいと思っているのかもしれない。けれど、金本という男の強烈な光が、何もかも塗りつぶしてしまうのだろう。

 クラスメイトの某君は、金本を怖い先輩だと言った。

 一年生で、日の浅い彼だからこそそう思うのかもしれない。誰もかれもが、金本に絶対の信頼を置いている、そのような状況に恐怖を抱くのは、割と自然な感情だ。

 インターハイが終わり、三年生が引退すれば、状況はがらりと変わる。求心力を失ったサッカー部は果たしてどうなるだろうか。

 金本級の柱となる人物が、そうそういるものとは思えない。そう考えると、サッカー部の未来はあまり明るいものではなさそうだ。

 もはや俺には関係のないことではあるが。


 放送室の外では、照り付ける日の光をものともせず、セミが鳴いている。日本の夏特有の、むわっとした空気は、まだまだ続く。

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「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
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