対峙
抗議すると言っても、ストレートに嫌がらせをやめるよう、言うほかないのだから、とりあえずは、マネージャーたちと話をしなければならない。
前に橘は、注意した位でやめるわけがないと言っていたが、プライドが高く、世間体ばかりを気にする、進学校の生徒ならば、他人に知られているという事実だけで、手を引きたがるのでは、という淡い期待を俺は持っていた。
安曇は普通に部活に参加しているだろうか。あそこまで嫌がらせをされて、参加し続けるというのも大したものだ。
彼女の中途半端な心の強さが、問題をややこしくしているのかもしれないが。
橘と俺は、校庭まで出てゆき、一人で、洗い物をしていた安曇を見つけ、声をかけた。
「まるモン……」
と俺たちに気づいた安曇は言った。
洗い物はかなりの量だ。これは一人でやるべき仕事なのだろうか。グラウンドを見渡してみれば、他のマネージャーたちは楽しそうに話をしている。
「女子の先輩と話がしたいんだが」
「分かった。付いてきて」
安曇は俺たちを引き連れて、マネージャーたちのところへと向かった。
安曇が近づいてきたことに気が付いた、女子マネたちは、いい顔をしたとは言えなかったが、俺たちを見たときは、明らかに眉をひそめた。
「あなたたち誰?」
おそらくはリーダー格であろう、女子がそう尋ねてくる。
「放送部の花丸です」
「ああ、例の。なんか用?」
「安曇から相談を受けたのですが、あなた方から嫌がらせを受けていると。即刻辞めてください」
「嫌がらせだなんて、してないわよ。ちょっとじゃれ合ってただけなんだから。ねえ安曇。私たち仲良しでしょう?」
そういうマネージャーのリーダー格の女は、微笑こそ浮かべてはいるが、なにやらひやりと冷たいものを感じた。それが単に偏見のせいだったとは思えない。
「私は……」
「あなた方がどう考えようと、安曇が嫌だと思ったら、それはいじめですよ」
「どうして放送部が、サッカー部の問題にしゃしゃり出てくんの? 大体、その一年の女子が、うちのエースに手を出して、部をめちゃくちゃにしたのが悪いのよ。それを少し小突くだけで許しているのだから、よほど良心的だと思うけれど」
「そんな閉鎖的な考え方をするようだから、問題が起きて、俺達みたいな部外者が出る必要があるんでしょうが」
「どうしてそこまで必死になるの? あんた、安曇に抱かせてもらったの?」
自分を聖人のような人間だとは言わないが、割と温厚な方ではあると思う。けれども、女子マネージャーの発した言葉に、腹の煮えくり返るような思いがした。
「舐めんなよ。言っとくがな、俺は母親のおっぱい以外触ったことがない!」
「馬鹿じゃないの?」
何を笑っているのだこの女は?
完全に血の上った頭で、言葉を吐こうにも、口がパクパク動くばかりで、どうにもならない。
すると橘が前に出た。俺に加勢してくれるらしい。
「上級生だからといって、言っていいことと悪いことがあるでしょう。私以外の人間が花丸くんをコケにするような発言をしているのを聞くのには、虫唾が走るわ。花丸くんがどれほどクズで下衆かも知らないのに、彼のことを悪く言うのはやめてもらえるかしら?」
「よく聞いたら、いや、よく聞かなくても、それ俺の悪口じゃないか。お前は俺の味方なのか敵なのかどっちなんだ?」
「私とあなたの関係は『勘違いするなよ。お前を倒すのはこの俺様なんだからな』的な感じよ」
「どこの戦闘民族の王子様だよ」
「汚え花丸だ」
「お前それが言いたかっただけだろ」
「話、終わったんなら、もう行くけど」
ああ、いかん。橘の相手をしていたら、本当の敵が逃げてしまう。
マネージャーたちは、俺達から離れていこうとする。
「おい、ちょっと待てよ」
と追いかけて、肩をつかもうとしたが、これはセクハラになるのか、という迷いが生じて、一瞬ためらった間に、橘がすっと俺の方に近づき、耳打ちをするように、
「花丸くん。ここは引きましょう」
と俺の服の裾を持って、後ろに引きずっていった。
安曇は俺たちについてくるか迷ったようだったが、マネージャーたちが向こうを見ていたので、駆けるようにして、こちらに来た。
*
「あなた、道化師にでもなりたかったの? 完全に掌の上で踊らされていたじゃない」
放送室に戻り、開口一番、橘はそういった。
「なんだ、あの、人を小ばかにした態度は? むしゃくしゃする」
「世の中には、私のような善人ばかりではないということが分かったでしょう」
橘が善人かどうかは議論の余地があるが。
「……とりあえず様子見か」
いっそのこと、先生にチクってやりたいとも思うのだが、事情を知って安曇に協力するようなやつは俺らぐらいだから、悪い噂が流れるのはどうにも防ぎ難い。彼女の名誉のためには、ならないだろう。
人が聞きたがるのは、整合性の取れた噂ではなく、スキャンダルだ。ビッチな一年女子という醜聞に勝るものはなかなかない。放送部の花丸をたらしこんで、言うことを聞かせているなんて噂が流される可能性もある。
「ごめんなさいね、安曇さん。花丸くんが役に立たなくて。この人、大事な場面でもピエロをやりたがるのよ」
「今回ピエロになったのは、多分にあったお前の介入のせいだと思うんだが」
「あからさまな嫌がらせは無くなるかもしれないけれど、無視とかはされるかもしれないわね」
「お前は俺を無視するのやめようぜ」
いい加減、子供ホットラインに、「同級生の女の子にいじめられているんです」と通報してやろうかと、思っている俺の隣で、
「ああ、私どうすればいいの?」
と安曇は泣き言を言っている。
「一つ確認しておきたいのだけれど、安曇さんは、他の部員たちと仲直りがしたいの? もちろんあなたが悪いわけではないと分かっているけど」
「そりゃ仲直りできるなら」
「できないと思うわよ」
誘っといて、ストレートをくらわすのは、橘の十八番である。
橘は続けた。
「仮に嫌がらせが止んで、三年生が引退して、悪の根源がなくなったとしても、禍根が消えてなくなるわけじゃない。上級生に同調して、あなたが苦しんでいるのを見て、何もせず、あまつさえそれに加担していた同級生たちとあなたは本当に仲良くできるの? 見て見ぬふりをした、選手たちと仲良くできるの? あなたは引退まで、しこりを残したまま部活に参加することになる」
安曇は困ったような顔をして、
「だって、そんなのどうしようもないじゃん」
「そうね、どうしようもないわ。あなたがあくまで、サッカー部に残るというのなら」
「……やめろって言うの? 私――」
「あなたは悪くない。けれども、だからと言って、わざわざあなたが苦しめられるような状況にいる必要もないと思うのだけれど」
「でも、一人になりたくない」
「それが偽りの友情だとしても?」
「……」
「そういえばなんだが、橘」
「なにかしら、今大事な話をしているところなんだけど」
「なぜ俺は部外者扱いなんだ?」
「あなたは部外者というより、ETでしょう」
と・も・だ・ち?
「やい、訂正しやがれ! 俺はETなどではない!」
「そうね。ETといったのは誤りだったわ。あなたが知的生命体だなんて過大評価だもの。あなたと同列にされたのでは、流石にエイリアンたちも怒るわよね」
ET=地球外知的生命体≠花丸元気
……もういいや。
「……井口先生が、もう一人部員を探して来いって、言ってたよな」
「言ってたわね」
「ということなんだが。どうだ安曇?」
さり気なく、安曇に放送部の入部を勧める。
安曇は考え込むようにして、
「……ちょっと考えさせてくれる?」
と言った。
橘は俺には天地がひっくり返っても見せないであろう、優しそうな微笑みを安曇に向け、
「ええ、もちろん」
と言う。
「今日は帰るね」
安曇は荷物を手に持って、放送室を後にした。
サッカー部にこだわる理由でもあるのだろうか。それとも単に負けず嫌いなだけなのだろうか。あるいは、やめる方が怖いのか。
「どうなると思う?」
心配そうに、じっと彼女を見送っていた橘に声をかける。
「放送部に入らないにせよ、サッカー部をやめたほうがいいのは確かだわ。ここに転部してくる上で一番のボトルネックは……やはりあなたよね」
そう言って、俺を横目で見ては、小さくため息をつく。
「なんでだよ」
「あなたみたいな珍獣が居たのでは、誰だって躊躇うわよ」
「なんか俺も転部した方がいいような気がしてきた」
優しい女の子がいる部活とまでは言わないが、俺に意地悪しない娘がいる部活に行きたい。
「……駄目よ。転部先に断られて、どうせ放送部に泣きついて仕事を増やすのだから、余計なことしないでくれる? 私のそばでじっとしてなさい」
「お前は俺のお袋か? なぜ受け入れられないの前提なんだよ?」
「いつも言っているでしょう。私は相当に器が大きいのよ。日本で一、二を争うくらいに」
「それで行くと、俺はほとんどの人間に受け入れられないことになるんだが」
「あら、よくわかっているじゃない。最も、あなたの人生がそれを証明しているわけだけれど」
「いや、だから、俺がぼっちなのは、時代が俺に付いてこないだけであって、俺は悪くない。この世界が悪い」
「知らないの? この世界の原理は多数決なのよ。つまりあなたは一生正解にならない」
「……器が大きいなら俺にもっと優しくしろよ」
「優しさとは時に残酷なのよ、花丸くん」
「お前はいつも残酷だが」
「私はいつも優しいだけ」
なんだ? 全面的に俺が悪いのか?