ツンデレからデレを引いたような女
今日は女子会。
メンバーは四人。接点という接点はあまりないのだけれど、年の節目なので集まることになった。
私的には修羅場? の予感がしていて、心配。どきどき。
「梓さん久しぶりです!」
駅のコンコースで梓先輩を見つけて声をかけた。
「久しぶり! 穂波ちゃん!」
三年生の受験も終わって、会うのは久しぶりだ。さすがに受験中は苦しかったみたいだけど、今の梓先輩はそれなりに元気そうに見える。
「お元気そうですね」
「ようやく全部終わったからね」
「今日は彼女も?」
知ってはいたが、一応確認をした。
「うん。呼んであるよー」
私達が二人で話していたところで
「お待たせ!」
胡桃先輩が杖を突きながら私鉄の方から歩いてきた。
「こんにちは、胡桃ちゃん!」
梓先輩はそれに元気よく返している。
「こんにちはです」
私も続いて挨拶をした。
「なんか、今まで三人が会したことってありましたっけ?」
「三人だけって言うのは初めてかもね」
私が確認したら、梓先輩がそう返してきた。
「大抵、兄が間にいましたからね。あ、今日はもう一人来ますけど」
もう一人のメンバーは茉織ちゃんだ。茉織ちゃんと胡桃先輩が会うのは今日が初めてだけれど、まあ問題はないと思う。
噂をすれば、すぐにパタパタと足音を立てながら、茉織ちゃんがやや駆け足でこちらにやってきた。
「すみませーん。遅れちゃいました。電車がトラブっちゃって」
「いいよいいよ。気にしないで」
「胡桃先輩。こちらうちの学校の執行委員長の蒲郡茉織ちゃんです」
私はそう言って胡桃先輩に茉織ちゃんを紹介した。
「どうもはじめまして。花丸先輩がいつもお世話になってます」
ぺこりと頭を下げた茉織ちゃんをみて、胡桃先輩は
「……げんきくんの保護者の方ですか?」
とポカンとしている。
「あ、はい。そんな感じです」
それに対し茉織ちゃんは平気で嘘をついている。いや、少しは本当かもしれないけど。
「あ、あ、とりあえず、お店行こっか」
梓先輩が仕切り直して、場所を移動することになった。
お店に入って、ご飯を食べ始めてから、私たちはおしゃべりに興じた。
それから場も温まってきた頃。
ふと胡桃先輩が
「でもびっくりしちゃうよねえ。アズアズ男追いかけてハンガリーまで行ったのかと思ったら、恋敵の援護射撃だけして帰ってきちゃうんだもん」
とみんながあえて避けていた話題を口にした。ほんとこの人恐ろしいな。
私も冷や汗をかきながら
「私も聞いたときは驚きましたけど……」
と窺うように梓先輩の方を見る。
梓先輩は苦笑いしながら
「自分でもどうかしてたと思うときもあるけど、でも私は最善のことをしたと思ってる。何もしなかったら、まるもんはずっとうじうじしてただろうし、かと言って私は見向きもされないんだから、そっちのほうが最悪だった」
「なんかアズアズ、『ピロートークした男のことを思い出しながら感慨に耽ってる春の午後』って顔してるね」
「何それ? 私そんなピンポイントな表情できるほど顔面筋発達してないよ?」
梓先輩は笑いながら言った。
「……ちなみにそれは事後の話ですか?」
ちょっと茉織ちゃん!?
「そりゃあ、ピロートークって言うぐらいなんだから……ねえ?」
茉織ちゃんと胡桃ちゃんがいやらしい笑みを浮かべながら、お互いを見合っている。この二人初対面なのに、なんでこんなに息が合うんだろう。
さすがの梓先輩も慌てふためき
「わ、私何もしてないからね! ……それに、まるモン美幸ちゃんにしか興味ないしさ」
「……でもまだ大学生だし?」
胡桃先輩は眉を釣り上げて意味有りげな表情をした。……。この人達妹のいる前でなんちゅう話おっぱじめてるんだろう。
でも梓先輩はそれを否定するように首を振り
「多分ないよ。あの二人は出会うべくして出会った。そんな気がするから」
その言葉に、さすがの二人も黙って顔を見合わせる。
「今日は飲むか! 慰労会だよ!」
「これから新生活っていうのに?」
梓先輩が胡桃先輩の言葉に突っ込む。
「それに私達も、先輩もまだ未成年ですよ〜」
私は冷静なツッコミをする。
「やっぱ駄目かぁ」
でも大人になった私達でお酒ありの女子会をしたらちょっと楽しそうかも。
そのときは当事者二人も参加したりなんかして。
……それは地獄かな。
「私思うんですけど」
不意に茉織ちゃんが声を出した。
「何?」
「先輩と出会ってなかったら、色々違ってたんだろうなって。それがいいか悪いかはわかんないですけど」
梓先輩はその言葉を聞いて
「私は出会えてよかったと思ってる。本当に卑屈さとかなしで、私は彼が彼女に向ける優しさの十分の一でももらえたことが幸せだった。こんな素敵な人が世の中にはいるんだって知れたから」
と答えた。
梓先輩はドンと胸を叩いて
「だから目標! まるもんより素敵な人を好きになって結婚する!」
「私はもとよりそのつもりですけどね」
胡桃先輩が二人の会話を聞いて
「そううまくいくかなぁ?」
とコメントした。
「やだなぁ。この世に何人男がいると思ってるんですか?」
茉織ちゃんがそう返す。それから続けて「いい男見つけるなんて、干し草の山から針を探すくらい簡単ですよ?」
「……それ難しいってことだよね」
「何言ってるんですか? 干し草燃やせばすぐ見つかるじゃないですか」
「大虐殺起きてるよ!?」
*
うららかな春の日差しを感じ始めた日本列島。
……を遠く離れたこの地。まだこちらは寒い。
高校三年の春休みから、一年経った。俺は高校を卒業し、大学生となる。
「俺はハンガリーの大学に行くよ」
一年前、あの場所で俺は彼女にそう宣言した。有言実行を地で行く俺は見事にそれをやり遂げたのだ。
本当おやじには感謝している。俺が海外の大学に通うことを言って、「学費は働いて返すから貸してくれ」と言ったところ
「金を貸せだ? 俺も焼きが回ったな。息子にそんな風に舐められるとは。いいか元気、よく聴け。俺は長くてもあと四十年もすりゃ多分死んでる。死ねば稼いだ金何て何の意味も持たんのさ。どんな金持ちも最後にゃ地獄に落ちるんだからな」
「おい親父は、地獄に行く気かよ。天国目指そうぜ」
「馬鹿かバカ息子よ。人間なんてくだらん生き物が天国なんぞに行けるわけなかろうが。俺達人類はな、他の生き物の命を踏みにじって、ひいては人間同士互いの命を踏みにじって生きているんだ。俺達金持ちの国の人間が、ゲームとか映画見るために石油をじゃんじゃんもやし、金を使いまくって、フードファイトの番組を鼻くそをほじりながら見ているその時に、地球上のいたるところで、技術不足の為にまともな治療が受けられなくて死に、金がなく飯が食えないせいで死ぬ子供がうじゃうじゃいる。そのことを知っておきながら、見て見ぬふりをしている人間が天国なんぞに行けるなんてことあらすか」
「……俺、自分が捻くれてる理由偶に考えるんだけど、今分かったわ。確実におやじのせいだわ」
「ばっきゃろー。ひねくれてなくて、この歪みまくった現代社会を生きていけるわけないだろうが。俺は純粋だったからこそ、このくそみたいな社会の現実を見せつけられて、心を痛めたんだ。畢竟、ひねくれてる奴は大抵いいやつ」
「……その論理は置いといて、ほんとに学費出してくれるんかよ」
「たりめーよ、べらぼーめ。いいか息子よ。人間の人生なんて一瞬だぜ。大抵の人間は歴史の教科書に名前を残さず、その他大勢のくくりで一生を終えるんだ。だけどな、俺はそんな、その他大勢の人間にもできる素晴らしいことを知っている」
「なんだそりゃ?」
「人生における最高傑作を作ることだ。つまり愛する我が子を立派に育てる事。俺にとってはそのために出す金なんて全部些細なもんさ。俺自身の業績が後世に残るなんてことはない。だけど、俺がお前に遣ったものは残り続ける。お前が自分の子どもを持った時に、俺にしたようにそいつにしてやって、そいつもまたその子に同じことをしてやればな。俺の遺伝子を受け継ぐものなら必ずやり遂げてくれるはずだ。だから何も気にせず、行ってこい」
俺は親父のその言葉にただ一言
「恩に着る」
と答えた。
「だから気にするな。お前はやりたいようにやれ。悔いの残らないようにな」
俺は自分を幸せ者だと思う。
人を嫌って、人を避け続けた。だけど周りの奴らはそんな俺を見放さず、無償の愛を与えてくれる。心苦しいのは、俺のキャパがおよそ一人用であって、与えられっぱなしなものを返すことができない事だが。
でもそんな悩みも俺は捨てなければならない。
何も捨てられない者は、何も守ることは出来ない。本当にその通りだと思う。だから俺は自分が聖人になれないことに納得して、一人の普通の人間になる事を受け入れなければならない。誰かを守るために誰かを傷つける覚悟をしなければならない。偽善も独善も、他人の顔色を窺って生きるのも、もうやめだ。俺は自分の大切なもののために生きる。たった一つの宝物を手に入れるために。
飛行機から降りて、ターミナルを歩いてゆき税関を抜けたら、新天地に立ったことを実感して、熱いものがこみ上げてきた。もう最近本当に涙もろくて困る。
俺が一人で目頭を押さえていたら、
「何一人で突っ立っているのかしら? 怪しい動きをしていると空港警察に捕まるわよ」
聞き覚えのある、ただしすごく懐かしい声が後ろから聞こえてきた。
「俺に嫌味を言うだけ言って地元からとんずらした女の顔をまた拝めると思うと、感動で膝が震えちまうからな。動くに動けん」
前を向いたまま俺は答えた。
「私は私の事が大好きすぎて、少々重たい愛を押し付けてくる男が海外まで来ると聞いて恐怖でこの一年昼寝もまともにできなかったわ」
俺はゆっくり振り返った。その女の顔を、しかと見るために。
「よう橘、ひさしぶりだな。俺に会いたかっただろ?」
「いいえ」
え? ここツンするとこか?
とか思っていたら、彼女は思いっきり飛びついてきた。
「すごく会いたかったわ」
それから、苦しいほどに締め付けてくる。
「あ、ちょっと、橘さんギブギブ。苦しいです。お願い離して」
「嫌だ。もう絶対離さないんだから」
なんなんだよマジで。お前俺の事大好きかよ。奇遇だな、俺も大好きだ。
「さすがプロポーズの言葉に対し、『あなたの人生は端から私のものよ』って答えた女だぜ」
「そんなこと言ったかしら? というかあれプロポーズだったの? 忘れちゃったからもう一度言ってくれるかしら」
「ひでえ! お前、この世で一番忘れちゃいけない言葉を忘れやがった!」
「大体あれでプロポーズが済んだと思ってるあなたの考えが驚きだわ。私と恋人になるのだから人生くらいもらわないと釣り合わないもの」
「なんか一年前色々言ってたけど、君のほうが重たくない?」
「人生は一度きりよ。真剣に生きないで、何とするの?」
彼女は力を緩めて体を離した。先程の言葉を実践するつもりか、手は握ったままだ。え? 一生このまま? 何それ誰得? 俺得だよ。俺浮ついてるな。ヘリウムガス並みに浮ついている。
俺から体を離した橘は
「花丸くん、お父さんが合格祝いをしたいと言っているのだけれど。これから時間あるかしら?」
と尋ねてきた。
「合格祝いってお前の?」
「私達のよ」
「おお、……え、まじ? 超緊張する。なんでいきなり言うの? 心の準備が」
「だってあなた、事前に言ってたら、空港で私に捕まらないようコソコソ怪しい動きをして、愛知に強制送還される羽目になるでしょう」
わかる。なんなら空からダイブして、撃ち落とされるまである。
俺たちはタクシーに乗り込んだ。
移動中も会話を続けた。
「今度一旦、愛知に帰ろうと思うの」
「……そうか。安曇たちにも会うのか?」
「ええ。約束はすでにしてあるわ。久しぶりに蒲郡さんや胡桃さんにも会いたいし」
……うーん。そうか。なんか心配だなあ。
とりあえず、俺はその場にいたくないな。うむ。
俺の微妙そうな顔を見てか
「心配しなくてもいいわよ。ちゃんと心得ているから。花丸くんの罵倒大会でも開けば大いに盛り上がると思っているのだけれど」
「お前ほんとに俺のこと好きなの? おい、顔をそらすな顔を」
俺が問い詰めようとしたら、橘はキッとこちらを見てきて
「ねえ」
「え何?」
「これから私の家族に会うのだから、私のこと、お前とか橘とかで呼ばないでよね」
と憤慨するようにいってきた。
「……分かった」
「じゃあ練習して」
「……マイプリンセス」
「本当にお父さんたちの前でそれ言えるの?」
「口が裂けても言えないな。そんなこと言ったら、自分で自分を殴る自信あるぞ」
「真面目にやってくれるかしら?」
「……美幸」
「却下」
即答。
「なんでだよ?!」
「それが人生を与え合うと約束し合った人に対する名の呼び方? ちっともラブラブに見えないわ。離婚協定中の夫婦みたい。もっと甘く囁くように言ってくれるかしら?」
「みゆき……ちゃん?」
「なんで上がり口調なの?」
「いやなんか、恥ずい」
「本当あなたって人は」
橘はため息をついた。
「……ねえ、もとき君」
「……どしたの? 名前なんかで呼んで」
「私だってあなたのこと名字で呼んでたら変でしょう。等価交換よ」
「……そうか。でもずっと花丸だったから、なんか違和感あるな」
「そのうち慣れるわ」
「そうか。……でなんの話?」
「よく物語の結論で、二人は結婚し、いつまでも幸せに暮らしましたって言うのあるじゃない」
「ああ、あるな」
「でも絶対そんなのあり得ないわよね」
「……おお。仮にそうだとしても、今する話それ?」
「今だからするの」
「……まあ、俺とお前……」
橘は俺の言い方に不満があるようで睨んできた。
「大丈夫。そのときになったらちゃんと言えるから」
「本当に大丈夫なんでしょうね?」
「俺を信じろ」
やはり不満げではあったが、彼女も渋々許してくれたようだ。
「……俺とお前のことだ。喧嘩なんてしょっちゅうするだろうな。それも多分しょうもないことで。大体はお前が強硬しようとして、俺が結局折れて、なんだよって俺がぶつくさ文句言う頃になって、お前はようやく俺に優しくする」
「それで時たま、私が折れるのは、多分しょうもないことじゃなくて真面目な話。あなたは大抵正しいから」
「これからするであろう喧嘩の数を数えたら、多分一晩中かかっても終わらんだろう。でもそんなことは最初から分かっていたことだ。一年前、お前に会うためハンガリーにやってきたときには既に。
正直言って、男女交際ほど面倒なものはないと思う。特に俺もお前も面倒くささを体現しているような人間だしな。
でもお前は、その面倒くささも覆い隠すくらいの理由を俺に与えてくれた。
面倒なことだって、喧嘩だっていいくらでもしてやる。それも含めて俺はお前を選んだんだ」
「……私ほんとはもっと可愛いのよ」
「知ってる」
橘は口元をしばらくモニョモニョさせた。
真顔になってから話を続ける。
「それと、これはお父さんから伝言なのだけれど、あなたのパトロンになるってさ」
「パトロン?」
「あなたのお家が貧乏でないのは知っているけれど、長男を留学させても、すごく余裕があるというわけでもないでしょう。だから学費を工面してもいいって」
「え? まじ? 学費いくらか知ってんの?」
「当たり前でしょう」
「え? え? ……まじ?」
「まじよ」
「……なんでそこまで」
「私のボーイフレンドだもの」
……。それは、はい、そうですが。
もしこいつを泣かせるようなことになったら、俺絶対存在消される気がするわ。……そんなことはしないけどさ。
……俺養子になったほうがいいかな?
断ろうかな、どうしようかな、と俺がうんうん悩んでいたところ、橘が思い出したように声を出した。
「元気くん、一つ言い忘れていたことがあるのだけれど」
これまでのように、サラリと澄ました口調で、さも部活の連絡事項でも伝えるかのような言い草だった。
「なんだ?」
橘はつやつやした瞳で俺を捉え、ニヤっと不敵な笑みを浮かべている。
まるですごい悪戯を思いついた子供みたいに無邪気な表情だ。
一体どんな支離滅裂なことを言うのだろうかと、いつものように、やれやれと耳を傾けた。
それから彼女はぷいとそっぽを向いて
「好きよ」
ぽそっとそう言った。赤い耳だけこちらに向けながら。
よし、俺の理性が残っているうちに一つ命題を立てよう。
命題「ツンデレからデレを引いたような女が最高に可愛い」
これは真である。
自明であるので、証明は略す。
完