いざ
昨晩、部屋から安曇を送り出してから、すぐに横になったのだが、まんじりともせずに朝を迎えてしまった。
朝日が窓から差し込んできたのを見て、のっそりと起き出してもぐもぐと朝ごはんを食べていたところで、ちょうどドアがコンコンと叩かれた。
口に含んでいたものを慌てて飲み込んでドアまで行くと、ドアの前には安曇が立っていた。すっかり出かける用意を済ましたらしく、外行きの格好をしている。そしてなにやら荷物を抱えている。
ドアを開け挨拶をするや否や
「え、ちょっと、まるもん。酷い顔してるよ!」
と御母堂からもらった顔を非難されてしまった。俺の顔が気に食わないらしい。やっこさん相当俺に恨みがあるみたいだ。
「……ごめんな。旅の道連れがジャニ系のイケメンじゃなくて」
と申し訳なさでいっぱいになった俺は、平謝りした。
「え、あ、違う! そういうことじゃなくて! なんで今起きました、みたいな顔してるのってこと!」
「だって今起きたんだもん」
「……あ、ごめん。……もしかして、あんまり寝れなかった?」
「……そう。俺、枕が変わると寝られないタイプだから」
「もう七日目だよ?」
「まじか。俺がセミだったら死んでるじゃん」
それか足を開いた状態で玄関前とかに落ちてる感じのセミだな。
「セミじゃなくても一週間寝なかったら死ぬでしょ」
「ほぅ」
安曇は呆れたような顔を見せた。
「ほぅ、じゃないよ。ほらまず顔洗ってきて。これ洗顔剤と化粧水。整髪料買っといたから後で髪もセットしてあげるね。さあさあ、行った行った」
彼女に言われるがまま、洗面所で顔を洗って戻ってきたら
「シャツはホテルの人にアイロン借りてきたから、伸ばしとくよ」
と安曇さんはばっちりアイロンがけの準備までしている。自分の部屋で既に使っていたのだろう。すぐに予熱が終了し、手慣れた手付きでアイロンをかけていく。
俺はそんな彼女を見てぽろっと
「もうママ。安曇さんママすぎる」
と言葉がこぼれた。言い終えると同時に、おっとこれはポリコレ案件か、と自身の失言を撤回する準備をしたが、安曇さんはそんなことはつゆも気にする様子は見せず
「えへへ。……私の養子になる?」
と笑いながら返してきた。相手が懐の深い安曇さんで良かったぜ。他の人だったら袋叩きに遭うところだった。ミルキーでさえ気軽にママの味とか言えない時代だからな。かといって彼女の寛大さに甘えるのはよくないか。うむ、自制しよう。
が、とりあえず養子縁組には賛成しておく。
「ああ、その手があったか」
と俺が乗り気な姿勢を見せたにも関わらず
「いやないでしょ。ほら次行くよ」
と安曇さんには素気無く振られてしまった。
そう言って安曇は俺を椅子に座らせ、整髪剤を手にとって、俺の髪の毛になじませた。
みるみるうちに俺の髪の毛が整えられていく。
「……何から何まですまんな。本当、お前には迷惑かけてばっかだよ」
すっかりおんぶにだっこになってしまっているのが申し訳なくて、そんな言葉を吐いた。
安曇はそれを否定するように困ったような顔を見せた。
「迷惑だなんて……。私にはこれくらいしかできないから。……だから絶対私達の美幸ちゃんを取り戻してね」
なんと言えばいいかわからず、言葉に詰まりながら、俺は感謝を込めて言葉を返した。
「埋め合わせはする」
「いいよそんなの。……それに私の欲しいものはまるもんには与えられないものだから」
「俺は戦力外通告か」
「うん、いらない子宣言だよ」
そう言って安曇は笑った。
「……そうか。でも、自転車引き起こすくらいならいくらでもやってやるから、いつでも呼べよ。すぐ飛んでいく」
「それもいい。私、一人で起こせるから。一人で起こせるようになったから」
「……そうか」
「うん。そうだよ。もう十七だもん」
「もう大人なんだなぁ」
「誰かさんのせいでそうならざるを得なかったんだよ」
「……おう」
「しかも責任は取ってくれないみたいだしさ」
「……あの、ほんと、ごめんなさい」
「別に。……それでほんとに心変わりするような人だったら、むしろ軽蔑してたと思うし」
「あ、はい」
喋りながらも安曇の手は動いていた。ついに作業は終わったようで
「よし、できた」
安曇がそう呟くと、目の前の鏡には見違えた俺の姿があった。
なんだか別人のように整った自分の姿を見て、照れくさくなった俺は
「……気合い入り過ぎじゃなかろうか?」
と言った。
そうしたら安曇はまた顔を曇らせ
「いま気合い入れないでどうするの?」
「それもそうだな」
確かにと思い俺は頷いた。
安曇は手洗い場で手を洗ってきてから
「じゃ、行こっか」
と告げた。
安曇の言葉に従い、俺も必要な荷物だけ持って、外に出た。