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忘れられない味になるから

 飛行時間は総計で一日近くに及んだが、安曇と隣の席になったおかげで、あまり退屈せずに済んだ。機内食を食べたり、仮眠を取ったりしたわけだが、安曇が言っていたように、確かに隣の人間が全く知らない人よりかは気が楽だったかもしれない。いつもの他愛無い会話も旅行というスパイスがあると、余計に盛り上がるのだろうか。もちろん、周りに気を使って、ほぼ小声で済ませていたが。

 

 俺たちの滞在期間は一週間だ。

 その間に現地の高校と交流をし、用意していた課題研究の発表などをする。

 それ以外の時間はブダペストと周辺の観光をした。


 ハンガリーはカルパチア、アルプス、ディナルアルプスという三つの山脈に囲まれた、ハンガリー大平原に国土を持つ国だ。ヨーロッパ大陸のほぼ中央に位置するこの国は、歴史上何度も統治する民族を変えてきた。時代時代で興隆した幾多の大国に翻弄され続けた歴史がある。第二次世界大戦の際は、枢軸国側として、連合国相手に戦ったが敗れ、共産圏に加わった。しかし、旧東欧諸国の中ではいち早く民主化を進め、ソ連崩壊の契機さえ作った国でもある。

 だが数奇な運命を辿っている国家なだけに、問題が複雑になっている感を否めない。……それはどこの国もそうなのかもしれないが。


 日本国内では、日本の将来に対する悲観論が横行しているが、視野を世界に向けてみた時、それが行き過ぎなんじゃないかと思えてくる。

 確かに日本の抱える問題は簡単に解決できるものではないかもしれない。だがそれは諸外国も同様だ。

 問題のない国など存在しない。


 ここ旧東欧諸国のハンガリーもそうだ。

 セーチェーニ鎖橋やハンガリー国立歌劇場といった、まさにヨーロッパの童話に出てきそうな、石造の荘厳な建造物で観光客を圧倒させても、この国で生じている、貧富の差や、人口流出問題、少数民族に対する迫害、権威主義化する中央政府等々、山積している問題が帳消しにできるわけではない。


 かと言って

「みんな苦しいのは一緒。だからお前も苦しめ」

 というように極端なことを言うつもりはないが、やたらめったら自国の未来を悲観するのもどうかと思う。文句を言ったところで問題が解決されるわけじゃないのだから。


 結局俺たちにできることは自分の人生を一所懸命に生きることだけ。そうしていれば、文句ばかり垂れ流すその口も少しは静かになるだろう。


 ご立派な建物と、ふとした瞬間に感じるこの国の暗い部分とを見比べながら、日本や世界の行く末に想いを馳せていたら、日程はあっという間に消化されていった。


 最終日前日の夜。


 俺は一人、ホテルの部屋で明日の準備をしていた。

 明日になれば、ここを立ち、日本に戻る。

 

 外国で一週間過ごしてみて、自分が別人のように成長したかと言われると、そんな気は全くしない。

 俺はまだ何も成し遂げてなどいないのだから、それもそのはずか。


 明日は最終日で、唯一自由行動が許されている日だ。


 明日するべきことは、俺がハンガリーに来ると決めた日から、既に決まっていたことだ。

 

 橘美幸に会って話をする。


 橘とは、連絡を拒絶されて以来、意思疎通ができていない。仕方なく、橘の継母である雅子さんに連絡したら、協力してくれるという。橘を家に引き留めておいてくれるらしい。

 一抹の不安はあったが、母親になりたいと願っていた彼女を信じるしかないだろう。


 ずっと分かっていたこととはいえ、やはり緊張しているのが自分でもわかった。

 気持ちを落ち着かせようと、インスタントココアを溶いて飲もうかとしたところで、誰かが戸を叩いた。


 部屋の扉を開けたところ、廊下に安曇が立っていた。

「今いい?」

「おう」


 安曇は「お邪魔します」と言いながら部屋の中に入ってきた。


 俺はそんな彼女に声をかけた。

「ココア作るところなんだけど、安曇も飲むか?」

 そう言いながら俺はいつの日か、安曇の家で、ホットココアを飲ませてもらったことを思い出した。それのお返しにはしょぼいココアだが、出先ゆえこれで我慢してもらうより仕方ない。


「あ、うん。ありがとう」


 安曇はそう言って、ベッドの上に散らばる荷物を見やった。俺が明日の準備をしているのに気づいたらしく

「明日何着てくの?」

 と尋ねてきた。


「あそこにかけてある服」

 俺はココアの素をお湯で溶きながら、空いた手でハンガーに掛けた服を指さした。


 安曇はそれらを見てから、若干首を傾げるような仕草を見せ

「……穂波ちゃんに選んでもらった?」

 と聞いてくる。


「え? なんで?」

 鋭い指摘にギクリとした。


「なんか、まるもんのセンスじゃないなあって思って」

 安曇は少し笑いながら言った。


 さすが、安曇さん。彼女の眼を誤魔化すことは難しいらしい。

「……だいぶ前になるんだけど、初めて橘と出掛けたときにあいつに選んでもらった服」

 俺が正解を言ったら、安曇は納得したように頷いた。


「……あ、そーなんだ」


 チョイスを誤ったかと不安になった俺は

「駄目かな?」

 と尋ねた。

「いいんじゃない? 似合うと思うよ」

 

 良かった。……まあ、だめって言われても、他にまともな服がないんですけどね。


 俺がとりあえず服装の問題はクリアしたことに安堵したところで


「ちょっと話があるんだけど」

 安曇がベッドに腰掛け、ベッドをポンポンと軽く叩いて横に座るように促してきた。


「どした?」

 俺はゆっくりと安曇の隣に腰掛けて、彼女にココアを渡しながら尋ねた。


「夢の話なんだけどさ」

「将来の夢?」

「あ、寝るときに見る方」

「ああ、はいはい。夢ね。それがどうかしたのか?」

「……えっとね」


 安曇はどうやら緊張しているらしく、なかなか一言目がすっと出てこなかった。

「やっぱ、ココア飲んでからにする!」

 と宣言して、ふーふーしながらココアを飲み始めた。


 安曇も俺も終いまで飲みきって、コップをことりとサイドテーブルに置いた。

 

 彼女は胸に手を当てながら、何度か深く呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、ぽつりぽつりと話し始めた。


「夢の話ね」

「うん」


「昔助けてくれた男の子を待ち続ける女の子の話なんだけど。

 女の子はね、倒しちゃいけない他の人のドミノを倒しちゃって、部屋の中で一人で泣いていたの。そこに男の子がやって来て、倒れたドミノを直すのを手伝ってくれたんだ。

 女の子はその日のことをずっと忘れなかった。男の子のことをずっと覚えていた。

 女の子はまた彼に会いたくて今度はわざとドミノを倒すの。でも倒されたドミノは直されない。もう誰も助けてくれない。部屋の扉はなかなか開かれない。

 そこで夢は終わり」

 そこで安曇は言葉を切って、じっと俺の方を見てきた。


 それから

「……どう思う?」

 と俺にコメントを求めた。


 おそらくは何か俺に望む答えがあって、そう尋ねてきている。そう思うと下手なことは言えないと、俺の口は途端にぎこちなくなった。


「……うまく言葉にできないが、興味深い夢ではあるな」


 俺が苦し紛れにそう言ったのを見て

「あ、うん。えへへ、ごめんね。変な事言って」安曇は慌てるように髪を手櫛で解いた。「えっと、明日どうしよっか?」


「とりあえず地下鉄の駅に向かうかな。……ブダペストの地下鉄は世界遺産にもなってるらしいぞ」

「うん。十九世紀に造られたんだよね」

「そんで、まあ、電車に乗って目的地に向かうと」

「……うん」

「……簡単に言えばそんな感じだな。終わったら荷物拾って空港行きの電車に乗る。それで全行程は終了」


 簡単に言ってしまえばそれだけのこと。それが彼女の求めている答えではないと分かっていながら、俺はそう答えた。


 もちろん彼女はそれで納得はしなかった。

 だから続けて

「美幸ちゃんに会ってどんな話をするの?」

 と尋ねてきた。その瞳はひたと俺を捉えている。まるで吸い込まれるくらいに艶々とした瞳だ。


 そうだ。もう逃げられないのだ。

「……俺の決意」

 だから俺はそれにたった一言で答えた。たった一言だ。でもそれだけで十分だったはずだ。結局初めから、俺たちに足りなかったのはそれだけだった。


 俺も彼女も互いの顔から目をそらさずにいた。たった数秒だったはずなのに、その時間は恐ろしいほど長いものに感じられた。

 彼女はポツリと

「そっか」

 とだけ言って、目を伏せた。


「安曇はどうするんだ?」

「私は……、私は一日限りの大女優になる予定、かな」

「……ハンガリー国立歌劇場張りの?」

「ハンガリー国立歌劇場張りの」

「役は?」

「お姫様を口説く役かな」

「ほほう。それはぜひご観覧に与りたいな」

「駄目だよ。観覧席はないの。いるのは演者だけ。強いて言うとすればまるもんはただのマネージャーだから」

「マネージャーには世紀の名演技を見せてくれないのか」

「うん。でもその代わり大事な役があるの」

「なんだ?」


「私が明日、大女優になれるかどうかは、全部まるもんにかかってる」


 安曇は真剣な眼差しでそう言った。


「……俺は何をすればいいんだ?」

 俺は唾を飲み込みながら答えた。


「それは……ちょっと待ってね。準備が必要だから」

 そう言って安曇は手をもじもじさせながら、黙り込んでしまった。


 なんだか落ち着かなかった俺は

「もう一杯、ココア飲むか?」

 と尋ねた。しかし安曇はふるふると首を横に振る。

「ううん。私、ココア好きだから」

「好きだから?」

「今は飲みたくない。嫌いになりたくないから」

「……そうか。そうだな。流石に飽きちゃうよな」

「……うん。そうだね。でもありがとう」


 また一分ほど俺も安曇も何も発しなかったが、先に安曇が静寂を破って

「準備できた。行くよ。……さっきの夢の話の続きなんだけど」

「うん」

 どうやら、さっき聞けなかったことを聞きたいらしい。


 安曇は俺のことをじっと見た。

「もしその女の子が、男の子にもう一度隣に来て、一緒にドミノで遊ぼうって言ったら、男の子は来てくれると思う?」

「……えっと」


「あ、ごめん! やっぱ今のなし。違う質問にする」

 安曇は慌てるように両手を振った。

 それを見て俺はなんだか悪い気がした。別にはぐらかそうとして言葉を濁したわけではない。繰り返し聞こうとしたことなのだから、安曇にとっては重要なことなのだ。それをただの思いつきで返していいはずがないと思い、言葉に詰まってしまったのだ。


「……なんだろう」

「質問というか、お願いというか、提案……なんだけど」

「うん」


 安曇は言った。

「明日、普通に市街を観光して、普通に集合場所に行って、電車に乗って、日本行きの飛行機に乗るの。それで機内食を食べながら、二人で旅行の思い出を話しながら『楽しかったね』って言って、日本に帰って、今まで通りの学校生活に戻る。それで、一緒に部活して、休みの日には映画行ったり、動物園行ったり、喫茶店でお茶飲んだり、一緒に勉強なんかしたりしてさ。大学ももしかしたら一緒のところに行ったりしてさ、食堂でご飯食べたり、電車で一緒に帰ったりするの。……そんな提案」


 もしこの場に第三者がいたら、安曇の「提案」とやらを「えらく具体的な提案だな」と笑ったか、あるいは一風変わったジョークとでも思ったかもしれない。

 そしておそらく、俺がそう茶化してしまえば、彼女は自分の発言を冗談だと認めて、俺と一緒に笑うのだろう。

 だけど俺には安曇の言葉をただの冗談として片付けることは、もうできなかった。彼女があれだけ前ふりしたものを無視できるはずがなかった。


 俺は答えた。


「すまないが、それはできない」


「……どうして?」


「俺は、……俺には安曇を幸せにしてやれないから」


 俺も安曇も互いの視線をそらさなかった。

 





「……してやれない、じゃなくて、する気がない……でしょ?」

 安曇は微笑みながら言った。


「……」

 俺には返す言葉がなかった。


「……ごめん。意地悪だった」

「いや、いいんだ」


 それから安曇はベッドにぼふっと音を立てながら倒れこんだ。


 ゴロンと転がり俺に背を向け、そしてぽつりと呟いた。

「私じゃ駄目なんだよね」

「……別に安曇が駄目ってわけじゃ」


「ううん。駄目なんだよ。私じゃ。私じゃ駄目なの。だって私は……美幸ちゃんじゃないもん」

「……安曇」

 彼女の背中は甚く小さく見えた。


「私もっと馬鹿に生まれれば良かったな」

「なんでだ?」


「そうすれば他の人が何考えているかなんて知らずに済むでしょう。いろいろ悩まずに済むし、周りに遠慮しなくても済む。自分の思ったとおりに、……自分の気持ちに素直に行動できたんじゃないかな」

「……かも分からんな」

 俺は彼女の言葉を否定しなかった。


「でも、そうなったら、二人に会うこともなかったんだろうけど」

「……それは、嫌か?」

「当たり前でしょう」


「……そうか」

 

 その言葉を受けてかは知らないが、安曇は小さく

「本当、どうにもならないなぁ」

 と呟いて、そこでじっと動かなくなってしまった。

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「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
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― 新着の感想 ―
[一言] 安曇さん、すごく頑張ったと思いました。 安住さんの気持ちを考えると胸が締め付けられます.... いよいよクライマックス!!! 美幸ちゃんと無事結ばれるといいなぁ
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