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そして何度も懺悔する

 久しぶりに随分と爽やかな朝を迎えた。


 今日は月曜日だが、いつになく体が軽い。


 俺はベッドから飛び上がって、軽く体操をしてから、階下に降りる。

 時間に余裕があったので、豆を挽いてコーヒーを淹れ、手早く朝食を掻き込み、家を後にした。お寝坊の妹は、俺が出る頃になって、ようやくもぐもぐとご飯を食べ始めている始末だ。まったく。早起きは三文の徳という言葉を教えておかにゃならんな。


 朝の心地よい風を受けながらツーリングよろしく、キコキコ自転車を漕ぎ十五分。颯爽と正門を潜り抜け、まだ人気(ひとけ)の少ない校内に入り込む。


 起き出したばかりの学校は不思議と新鮮な匂いがした。


 軽く鼻歌を歌いながら、昇降口の階段を駆け上り、下駄箱で上靴のサンダルに履き替える。

 

 教室には一番乗りだ。

 席に着き鞄から筆箱や教科書を取り出す。

 当然課題は済ませてある。

 

 俺は普段使っている参考書を開いて、自習を始めた。


   *


 しばらく自習をしていたら、人も増え教室も騒がしくなってきた。休憩がてらトイレに向かい、戻って来たところで、安曇が廊下を歩いているのを見かけた。


 俺はその後ろから

「おはよう、安曇」

 と声を掛けた。


「うわ、お、おはよう」

 安曇は急に声をかけられたのに驚きつつも、挨拶を返してきた。

 そこで安曇の顔をちらとみたのだが

「……お、目どうしたんだ?」

「え、何?」

 安曇は驚いたように目元に手をやった。


「なんか、ちょっと腫れてるような……。夜更かししたのか?」

「えうそ、やだ恥ずかしい」

 安曇はサッとコンパクトを取り出し、自分の顔を見た。それから「うわぁ、ほんとだ。まだ腫れてる」とうめいている。


「これこれ。夜更かしは美容の天敵だぞ♡」

「いや、夜更かしはしてないんだけど。……ちょっと目が痒くて掻いちゃったっぽい」

「……そうなのか。あんまり痒いなら眼科行ったほうがいいんじゃないか」

「いや、今は大丈夫なんだけど……」

「そうか」

「あ、もうチャイムなるよ。急ご!」

 安曇に言われ、俺も急いで教室へと戻った。

 

   *


 昼休み。

 

 安曇と放送室に詰めていたら、蒲郡がひょっこりやって来た。

 しばらく駄弁っていたのだが、久しぶりにお悩み相談でもするか、と言う話になって、溜まりに溜まった相談箱をひっくり返して、中身を机の上に広げた。

 手頃なものを選び、昼の放送を始める。蒲郡が乗り気だったので、彼女にも答えてもらうことにした。


   *


相談内容:『一年生です! 二学期中に文理選択をしないといけません。でもどう決めればいいか分からないです! 先輩たちはどう言うふうに決めましたか?』

「将来やりたい仕事があるなら、簡単ですけど、確かに数年後のことなんて分からないですよね。花丸先輩はなんで理系にしたんですか?」

「……まあ、いろいろあんだよ」

「いや、ですから、その色々を教えて欲しいんですけど」

「……理系の方が就活楽そうだったから」

 俺がそう述べたところ、蒲郡は呆気に取られたような顔を見せた。

 なんでだよ。就活大事だろ。


「……あ、はい。だそうです。ちなみに安曇先輩はどうして理系選んだんですか?」

「私は、建築やりたかったからかな」

「なるほど。やっぱり夢がないと駄目なんですね……」

「あ、でも! やりたいことって変わると思うから、そんなに気にしなくてもいいんじゃないかな。漠然とした憧れとかでもいいと思うし。一生懸命悩んで決めたなら、それが正解だと思う」

「わー、やっぱり安曇先輩は言うことが違いますね」

「えへへ」

 ……。


相談内容:『女心と秋の空とは言いますが、実際その通りだと思いますか?』


「ところで秋の空と言えば、鰯雲が印象的だが、俺はどちらかというと秋刀魚が好きだ。美味い」

「いや先輩、それじゃ回答になってないですよ。ちなみに私は一途ですよ」

「……へえ、知らなんだぁ」

 なぜだか蒲郡は抗議するような目を向けてきた。


「あ、えと、女の子の気持ちが移ろいやすいっていうか、なんだろう。最初から気持ちは一貫してるんだけど、すれ違いがあるせいっていうか。……うーん、うまく言えないな」

「まあ、行き違いのせいで、相手が何言ってんだろって思うことはあるんだろうな。野郎は理屈っぽいところが多いから。……いや女子側も理屈ではわかってるんだけど、もっと配慮してほしいみたいな、というか言い方の問題だったりして、それで諍いに発展するって言うのはあるんじゃないか。男が鈍感だったりすると、無神経なこと言ったり、女子に言われたから『こう言えばいいんだろ』みたいな態度だったり……。でもそれは女子からすれば『そういうことじゃない!』ってなるだろうし」

「……」

「……」

「なんでお前ら黙るんだよ」


「いや、なんかなんだろう。って思いまして」

「うん」


相談内容:『そろそろ冬支度をしなければいけませんが、皆さんはどんな暖房器具がお好みですか? 私は薪ストーブに憧れています!』


「うちはエアコンだな」

「私の家もですね。乾燥するからあまり好きではないんですけど」

「私んちは灯油ストーブかな。遠赤外線? でぽかぽかするよ」


「エアコンか灯油、ガスストーブが現実的なところだよな。愛知だと氷点下行く日もそんなないし」

「でも薪ストーブに憧れるって言うのもわかるな。おしゃれだもん。それにあったかそうじゃない? 燃料も安そうだし」

「確かに火力は強いけど、金食い虫だぞ」

「え、そうなの?」

「薪代が結構するんだよ。山持ってる人間ならまだしも。そもそもストーブ本体も高いしな。煤が出ないようにするには高次の燃焼を起こすクリーンバーン現象が欠かせないわけだが、それを可能とするためには、綿密に計算された炉内の構造と、十分な煙突の長さが必要なんだ。ただその構造を持った高級なストーブを揃えればそれでいいかと言うわけでもなくて、燃料も油分の多い針葉樹の薪材じゃなくて、密度も高く燃焼時間も長い──」

「あ、先輩もういいですよ。長くなりそうなんで」

「おい、まだ途中だろ」

 こっからが重要なんだ。


「ああやだやだ。オタクは語り出すとすぐ熱くなるんですから。とりあえず落ち着いてください。自分の好きなものの話の時だけ異様に目輝かせて、鼻息荒くしながら話す癖どうにかならないんですか?」

「別に好きじゃないし。あとオタクじゃないもん」


   *


 それから午後の授業を終え、帰りの放送の当番でもなかったので、部室で適当に話をしてから(蒲郡もいた。よほど暇らしい)、早めに学校を出た。

 安曇も蒲郡も今日は早く帰るらしく、三人で昇降口を出てゆく。


 家の方向が逆の安曇とは校門で別れ、駅に向かう蒲郡と俺とで並んで歩いていた。


「今日も図書館行くんですね」

 自転車を押しながら歩く俺の横で、マフラーをぐるぐる巻いている彼女はなんの気も無しに訪ねてくる。


「まあ」

 図書館の何がいいかというと、自宅の暖房を独り占めする罪悪感を感じなくて済むと言うところ。

 また受験生は大学入試までそれほど時間もなく、図書館の自習室はなんとなく引き締まった空気になっている。そのため、俺も多少は家にいる時より集中して勉強ができる。


 俺は何気なく隣を歩く蒲郡を見た。蒲郡はいつになく静かだった。


 その妙な気まずさを紛らわせるように俺は口を開く。

「……どうでもいい話していい?」

「どうでもいいならしなくていいです」

「……ヒューレットパッカードとドルチェアンドガッバーナってなんか似てね?」

「……似てないですし本当にどうでもいいですね」

 ……。


 さて、図書館に着いたら何から取り掛かろうかと考えながら歩いていたら

「ところでどうだったんですか?」

 と不意に蒲郡が尋ねてきた。


「何が?」

「何がって安曇先輩とのデートに決まってるじゃないですか。一応、私はスポンサーなんですからね」


「……それなりに」

「なんですかそれなりにって」

「言いたいことは言えたよ」

「言いたいことはって、……大丈夫かなあ。言いたいことだけ言って終わってそうな気がするんですけど」

「失敬な、ちゃんとエスコートしたぞ。安曇も楽しそうにしてた」

「……本当ですかぁ? ……安曇先輩の感想が気になりますけど、こればかりは本人に聞くわけにもいきませんし」

「なんで?」

「なんでって、安曇先輩は先輩に誘われて水族館に行った気でいるのに、私が余計なこと言ったら、私が噛んでること勘づかれちゃうじゃないですか」

「ふーん、確かに」

 

「ふーんじゃないですよ。まったく」

 蒲郡は呆れたように鼻を鳴らした。


 それから駅ビルに着いたのだが、蒲郡も俺に釣られて図書館で勉強する気が起きたらしい。

 俺たちは少し離れた席に座りしばらく勉強した。半刻(はんとき)と少ししたところで、二人で図書館の外にある休憩スペースに向かい、そこの自販機で買った缶ジュースを飲みながら、話をした。

 ジュースを飲み切ると蒲郡はそのまま帰って行ったが、俺はまだノルマが残っていたのでもう少しだけ残ることにした。


   *

 

 翌々朝。

 今日は祝日だ。週の中日が休みになると言うのはなかなかあることではない。三連休にならない恨み辛みを嘆く声もあったが、水曜が休みになると言うのも、息継ぎができてこれはこれで良い。


 俺はいつもより少しだけ遅くに起きて、午前中は学校の課題に取り組んだ。昼を食べてから、参考書の問題を数題解いた。時計を見れば、午後三時に差し掛かる頃だった。頭もぼーっとしてきたし、眠気覚ましに近所のカフェに行くことにした。


 俺が外に出る支度をして、土間で靴を履いていたところ、部活から帰ってきて昼から居間でゴロゴロしていた妹が、顔を覗かせ

「お兄ちゃんどこ行くの?」

 と尋ねてきた。


「近所のカフェ」


「……ふーん。そっか」

 

 穂波は特に興味もなさそうに言って、手に持っていたスマホをポチりながら居間に戻っていった。


   *


 そのカフェにはしばらく行っていなかった。最後に行ったのは梅雨の頭に傘を借りて、それを返しに行ったときだったか。

 だから初夏からこの晩秋まで実に半年近く行ってなかったことになる。

 あの傘を貸してくれた気さくな店員はまだ働いているだろうか。大学生のバイトと言っていたし、もしかしたらもう辞めてしまっているかもしれない。


 俺が店に入ったところ、まばらに客が座っているくらいで、あまり混んでいなかった。扉の鈴を鳴らした俺に気付いたマスターと目が合ったので会釈をしておいた。


 さっと見た感じ、件の女性店員はいないようだった。


 俺はお気に入りの窓側の席に座り、すぐに注文も決まったので、水を持ってきたマスターにそのままオーダーを入れた。

 注文の確認が済んだところで


「あの、前までいた女の店員さんって辞められたんですか?」

 とマスターに尋ねた。


 マスターは、眉をピクリと動かし若干驚いたような表情を見せたものの、すぐに

「ああ、あの子は私の娘なんですが、どうやら就活が忙しくなってきたようで、しばらく店には出ていないんです」

 と答えた。


 秋から忙しくなったと言うことは、三年生だろうか。形骸化した就活ルールは灰燼(かいじん)に帰し、インターンという名の選考まで行われている昨今だ。終わりの見えない不況と相まって、就活生は胃に穴の空く思いで就活に望んでいることだろう。

 マスターの娘だという、かの女性店員がストレスで健康を害さないことを祈る。


   *


「相席よろしいかしら」


 コーヒーをちびちび飲みながら、単語帳をめくっていた俺に話しかける人物がいた。


 顔を上げてみれば、俺にとっては因縁深い少女がにこやかな様子で立っているのが確認された。


 俺が呆気にとられていると

「おっす」

 とその片手に杖を持った少女はニカッとした表情で一方の手を挙げる。


「……カカロットか」

「おら胡桃」

 不意に出た俺の言葉に彼女は間髪(かんはつ)を容れずに返してきた。


 ここまで歩いてきたのだろうか。校区内とは言え、ここまで歩くのは大変だったろう。

 それでも彼女は疲れ一つ見せず、病院生活で痩せ細った足は、今となっては健常者のそれと見紛うくらいに筋肉も戻ったように見えた。


 それを見て俺は胸がいっぱいになった。もちろん嬉しさはある。だがその感情は喜びというよりもっと複雑なもので、多分に気まずさを含んでいた。

「……私、あなたに接近禁止令が出てた気がするんだけど」


 お構いなしに俺の前の席に座った彼女に俺がそう告げると

「それは君から私に近づくのが駄目なだけであって、偶然会うのは禁止しようがないよね」

 と答えてくる。


「偶然って、故意だよね」

「恋って偶然だよね」

「……」

 

 胡桃が俺の席についたのを見て、マスターが水を運んできた。


 メニュー表を受け取りながら、胡桃は

「まあ、あれだよげんきくん」

 と目配せしてくる。


「どれだよ胡桃くん」


 彼女は窺うような視線で

「私との約束守ってくれてるかなって」

 おずおずと言葉を紡いだ。


 俺は言葉に詰まり、はぐらかすように言う。

「三つ目のはすでに失敗してしまったな」

「今日のエンカウントはノーカウントでいいよ」

「胡桃さん減点です。エンカウントは和製英語なので正しくはencounterです」

「細かい先生だな」


「というか胡桃さん。あなたカフェに来るなんてどうしたの?」

「何を言っているのげんきくん? 私もう十七歳よ。大人の女性なの。一人でカフェくらい来るわ。だって大人だもの」

「ほ、ほう」


 胡桃は華麗に手を上げた。

「マスター、よろしいですかしら」


 再びマスターが近づいてきて、彼女の言葉に耳を傾けようとする。

 そして胡桃は言った。

「コーヒー、ブラックで」

「……はい。どちらの豆にしましょう?」

「え」


 胡桃は慌てたようにメニューを見返した。そして「分かりにくいわね、どれがコーヒーなの?」と呟いている。残念ながらどれもコーヒーなのである。


 胡桃はメニューから選ぶのを諦めたらしく

「彼と同じものを」

 と注文した。

 マスターは「はい、グアテマラですね。かしこまりました」と言ってカウンターの奥に下がっていった。


 程なくマスターはグアテマラを持ってきた。


 しかし胡桃はお盆から出されたものを見て

「あらミルクは頼んでないですわよ」

 とおっしゃっておる。マスターも流石にくるみ(ぶし)に慣れてきたようで

「コーヒーを頼んだお客様には付けておりますので、安心してお使いください」

 とにこやかに言った。

「あらそうなのですね。ありがとうございます」


 胡桃は早速、カップを掴んで口元に持っていった。何を主張したいのかは分からないが、とりあえず小指はぴんと立っている。

 そして口をつけたかと思ったら

「あちっ、にが!」

 と言って一口だけ舐めるように飲んだだけで、カップを置いてしまった。


 ……。

「ミルク入れたほうがいいんじゃないか」

「そうね。グアテマラは苦いものね」

 胡桃はそう言い素直にミルクと砂糖を入れた。さすが大人の女性。諦めも早い。

 グアテマラは苦味そんなに強くないはずなんだけどね。


 胡桃はミルクと砂糖で味をまろやかにしたグアテマラの香りを嗅ぎながら、それを口に含み

「マヤ文明の香りがするわね」

 とかなんとかそれっぽいことを言っている。しかしながらグアテマラのコーヒー生産は列強のプランテーションが発端なので、マヤ文明にとっては侵略者による蹂躙の象徴な訳で、その感想というのは全く心外なんじゃなかろうか。と思ったり思ってみなかったり、むにゃむにゃ。


 胡桃は一通り、コーヒーを楽しんでから、ことりとカップをソーサーに置いた。


 それからもう一度俺の目をじっと見た。

 

 それでゆっくりと

「それで、どうだったの? やりたいことはできた?」

 柔らかい表情でもう一度聞いてくる。


 まさか胡桃が慣れてもいない喫茶店に、杖をつきながらふらりとやってきて、そこにたまたま俺がいて、思いついたようにこれまでの経緯(いきさつ)を聞いているなんてことが、偶然の重なりによって起こり得た事象である、なんてことさすがの俺も考えはしない。

 だからといって彼女の尋問が、あどけなさを着せた無神経さによるものとも思わない。

 であるなら、今さら何を恥じ、何を躊躇い、また苛立てばいいだろうか。

 そんなものは何もない。


 上手くいっているふりをするのはそんなに難しいことではない。安曇にそうしたようにただ笑って、「俺は大丈夫だ」と言えばいい。


 だから、俺は言おうとした。あの時みたいに。なんてことないはずだ。一度したことをもう一度するだけ。


「俺は……」


 でも息を吐こうにも、声が上手く出なかった。まるで声帯が痙攣したように、気管から出てきた呼気が喉でつっかえた。


 胡桃はじっと俺の目を見ていた。


 嘘も言い続けていれば真実になる。

 俺は自分にそう言い聞かせた。


 偽りも時を重ねれば真実になると。


 でも本当は分かっている。それこそ嘘だってことを。


 偽りはどこまでいっても偽りでしかない。


 結局俺は変わらない事実から目を背けていただけだ。


 彼女の目を見てようやく俺はそれに気づいた。ここで嘘をついても彼女の目を誤魔化すことはできないのだ。


 俺は観念して心のままに言葉を吐いた。

 

「自分のしたいようにしようとは思ったが、上手く行かなかったよ」

「……That's lifeだね」

 

 それが人生。

 陽気なアメリカ人が言いそうなセリフだが、彼女の口から出たその言葉は重かった。

 

 全くその通りだ。

 人生なんて自分の思い通りにいかないのだ。


 浮かれに浮かれそんな当たり前のことさえ忘れていた自分が恥ずかしかった。


 俺は口を閉ざした。


 しかし沈んだ俺の気持ちとは裏腹、彼女は明るい声で言った。

「でもさ、それがどうしたっていうの?」

「え?」


「やりたいようにやろうとしたけど上手くいかなかった。そんなの当たり前じゃん。やりたいこと、つまり夢って、簡単に叶えられるものじゃないし、簡単に諦めていいものでもないでしょ? やってみた、だめだった、だから諦める。そんなのおかしいよ」

「……自分のしたいことだと思ってやってみたけど、今思い返してみれば、よく分からん。一時の気の迷いだったんじゃって思う」

「そうやって言葉を重ねるのは、そうしないと諦めがつかないからじゃないの?」


「……そうだ。でももう終わったんだよ。もうどうしようもないことなんだから」

 どうしようもなかったんだ。今となっては。

 いや初めからどうにもできないことだった。


 食べるものも、着るものも、見るものも、感じるものも、立場から何まで何もかも違う。あいつもそれを分かっていたからこそ、ああ言う行動に出たんだ。

 彼女のしたことこそ、その証拠じゃないか。

 さよならもなしに飛び立つ先が二千里先の世界だ。そんな違いをまざまざと見せつけられて、俺にどうしろと言うのだ。


 住む世界の違う人間が一時のエラーで交わったように見えただけ。本来関係を持つことすらあり得なかったんだ。


 それでも胡桃は続ける。

「本当にもう終わり? まだやれることあるんじゃない?」

「別世界に行かなきゃ無理だな」

 俺は皮肉まじりに言った。今となっては物理的な距離まで離れてしまって、顔を突き合わせて話をすることもできない。


「なら行ってしまえばいいじゃない」

「……そんな簡単に」

「絶対的に不可能なの?」

「……」

 不可能ではないだろう。時間と金をかければ、その「別世界」自体に行くことはできる。だけどそこに行ったところで俺が得るものは何か。


「やらない理由は何?」


 その答えは単純だった。


「……多分また傷つくのが怖いんだと思う」


 諸々の垣根を乗り越え、背伸びじゃ足りないから、足を揃えてジャンプまでして、漕ぎ着けるのは僅かばかりの自己満足。それで済むならいいが高く飛べば飛ぶほど、地面に叩きつけられた時の痛みは大きく、惨めさに拍車をかけるだけ。ならば最初から何もしない方がマシだ。


 俺もグアテマラをまた口に含んだが、冷め切ったそれは随分と苦く感じた。


 胡桃は続けた。

「……酷い事言っていい?」


「……なに?」


 彼女が俺に突きつけたのは当然の帰結だった。


「忘れたら? 何もかも。文字通り全て。傷つくのが嫌なら。……それ以外どうしようもないと思う。何もする気がないなら、何も変わらない。だったら全部忘れちゃいなよ」


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「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
本作から十年後の神宮高校を舞台にした話

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感想!
[一言] 追加シーン拝読しました。 妹繋がりでしたか。周りの人同士は繋がっていたのですね。 ハンガリーに行ってしまった彼女と、まだ繋がっているのは誰なのでしょう。 続きを楽しみにしています。
[気になる点] 胡桃は、事情は知っているのでしょうか。安曇と連絡を取り合っている?どうやってこのタイミングで現れることができたのか。 [一言] 続きを楽しみにしています。
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