なんで
部屋の中から萌菜先輩の笑い声が聞こえてきた。多分、まるもんが彼女に対し何か冗談を言ったのだろう。
正直なことを言うと、私はちょっとだけ萌菜先輩のことが苦手だった。
悪い人だとは言わない。だってあの小動物並みに警戒心の強いまるもんでさえ心を開くくらいなのだから。
美幸ちゃんに負けず劣らずの美人で、おまけに頭まで良くて、周りから慕われ、リーダーシップもある。
でもその非の打ち所の無さが、逆に付け入る隙を与えない。彼女と私は住む世界が違うのだと。惨めな私と違って、彼女はいつだってキラキラしている。
そしてだ。……そして突然戻ってきたというのに、ああしてまるもんと楽しそうに会話ができるのだ。
だから、私は先輩が苦手だ。
私が部屋の前で待ち始めてから数分と経たずに、話を終えたのかまるもんが部屋から出てきた。
「……あ、おっす」
まるもんは部屋の外にいた私を見つけ、ぼそぼそ言った。
「やあ。……何してたの?」
なんで全部知っているのに、私はそんなことを聞くの?
「まあ、ちょっとな」
「そっか!」
萌菜先輩とお話ししてたんでしょ? なんで隠すの?
なんでそれを聞いている私はヘラヘラ笑ってるの?
まるもんは何か付け加えようとしたように見えたが、
「……じゃ、俺向こう戻るわ」
結局そう言って行ってしまった。
私はその後姿に心の中で声を掛けた。
(まるもんは、先輩とは話せるのに、私とは話せないんだね)
私はぶるぶると頭を振った。自分の言葉がちくちくと自分に刺さる。
この数か月で私は本当に性格が悪くなってしまったらしい。嫌らしい考えが次々と浮かんできては私を苛めた。
ああ、先輩に嫉妬するなんて私はどうしてしまったのだろう。……いや、嫉妬していることを否定したって仕方がないか。彼と楽しそうに会話をする彼女が羨ましいのは事実なのだから。
それでも今日のお礼を先輩にしないほど礼儀知らずにはなれない。
深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、扉をノックして、萌菜先輩の返事の後、自分の名前を名乗り、私は中へと入った。
「失礼します」
部屋の中に入った私に、萌菜先輩は近づいてきて、私をぎゅっと抱きしめた。ふわっと石鹸の良い匂いがした。中では見かけなかったけど、先輩もお風呂に入ったようだ。
「……え、あの。どうしたんですか萌菜先輩」
私は訳が分からず、戸惑いながら尋ねる。
萌菜先輩はしばらく私を抱きしめながら、頭まで優しく撫でた。
それからゆっくりと腕を離してから
「どうしたもこうしたも、大変だったでしょ。一人であの子の相手するの」
私は一瞬言葉に詰まった。
「……いえ、そんなことは」
ちゃんとできていただろうか。彼女の言うその「相手をする」というやつは。私にはそんな実感全くない。
私は自分の不甲斐なさを押し殺しながら、ペコリと頭を下げた。
「あの、今日はありがとうございました。こんなところまで連れてきていただいて」
「いいのいいの。気にしないで。彼のことは私も心配していたし、私も彼には色々世話になったしさ。……それに、あずにゃんには借りがあったし」
「借りですか? 私、萌菜先輩に何もしてないですよ」
私は窺うように彼女の顔を見た。
「んー、まああずにゃんに何かしてもらったというか、私がしちゃったことなんだけど」
私はもう一度思い返してみたが、さっぱり何のことを言っているのか分からなかった。
「……何のことですか?」
「……去年の体育祭のときかな。覚えてる? 花丸くんが美幸ちゃんをお姫様抱っこしたときのこと」
「……はい」
私は一息間を置いてから答えた。あの時の情景が、胸の細波と一緒になって蘇ってくる。
「あなたがすごく辛そうな顔をしていたのを、たまたま見たのよ」
先輩は言った。
……たしかあの時は、思わず席を立って校舎の方に向かっていったのだった。見られていたんだ。
そのことに関して、先輩が私に引け目を感じているとしたら、理由は一つだけだ。
私は何も言わないでいたが、先輩は続けた。
「あの借り物競走、私が口を出したから、ああなったんだ。美幸ちゃんのこと応援するつもりだった。あの子が必死になるなんて、滅多にあることじゃない。小さい頃から知ってる私としては、世話を焼きたくなっちゃったんだ。でも私も周りが見えてなかった。もっと気を配ってあげられればよかったんだけど、でもそれであなたがそんなに傷つくことになるなんて、思わなくて。ずっと悪いことしたなって、反省してたの。だからごめんなさいね」
「……萌菜先輩が謝ることじゃないです」
萌菜先輩が何をしたところで、結局人の気持ちが変わるわけじゃない。だから彼女が罪悪感を感じる必要なんてないはずだ。それに今更そんなことを言われても、どうしようもないのだ。
「でも今度はあなたを応援しようと思うんだ。さすがに美幸ちゃんが彼に対してした仕打ちはいくら何でも酷いと思うし。あなたが彼の心を癒してあげられるなら、それが一番いいと思うけど」
「……そんなことできませんよ。親友の好きな人に対してそんなこと」
私は彼女というより、自分に言い聞かせるようにそう言った。
それでも萌菜先輩は
「ほんとにそう思ってる?」
「え……」
「美幸ちゃんがいなくなって、ほんとはちょっとホッとしてるんじゃないの?」
彼女は私の心を見透かしたように言う。
「そんなこと!……ないです」
私は即座に否定した。
そんなことあるはずない。彼女のために流した涙まで嘘だなんてありえない。私が感じた悲しみや苦しみは本物の痛みだったはずだ。
「でも彼女がいなければ、あなたは彼と仲良くできる。私だったらチャンスだと思うけどな。命短し恋せよ乙女。……なんのための人生かと問われたら、願いを叶えるための人生だと私は答える。あなたがその願いに手を伸ばしていけない理由なんてどこにもないわ」
私は叫びたい気持ちをぐっと抑えた。ここで感情的になってしまっては彼女の思うつぼだ。
私は淡々と答える。
「……違いますよ。誰かのものにならないことがすなわち、私のものになるということではありません。彼は、彼の心はずっとあの人のものです。一瞬私を見る視線にも私は映っていなくて、海を越えたずっと向こう側にいる人のことを考え続けている。……私は彼女には敵わないんです」
萌菜先輩はどこか寂しそうな目をした。
「……あなたはそれで納得できるの?」
滲んだ先輩の顔から逃げるように目を閉じた。
やっぱり先輩は苦手だ。私が言ってほしくないことを言うから。
言ってほしくない、本当のことを。
萌菜先輩と安曇ちゃんの会話、該当シーン→第二章49それをせずして何とする,50安曇梓の事情
https://ncode.syosetu.com/n5565fj/49/
https://ncode.syosetu.com/n5565fj/50/