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葦原にシャウト

 六月に入り、例年通り梅雨入りを迎えた、東海地方は、連日ムッとする暑さに包まれていた。七月八月と暦が進むに連れて、気温がこれよりも高くなっていくのかと思うと、溜息を()きたくなる。

 数年後に開かれる東京オリンピックで、テレビ中継の都合上、これよりも暑い中で、運動させられるオリンピック選手たちのことを思うと、不憫で仕方がない。

 じっとしている俺でさえ、暑くて敵わないと思うのだから、運動する者たちの苦労は、想像を絶する。

 運動部員諸氏を始め、校舎のいたるところで、健全な青春を謳歌せん者たちは、体中に滝のような汗を流していることだろう。


 放送部に所属するこの俺は、他人事のように、そのようなことを、冷房の効いた放送室の中で考えていた。

 衣替えも完了し、校内の色は、黒から白へと様変わりしている。不思議な事に、女子生徒の大半は、夏服でも長袖のものを好んで着ているようだ。半袖の夏服もあるにはあるようだが、日焼けを気にしているのか知らぬが、半袖を着ている女子生徒は、学年に一人か二人ぐらいしかいないようである。

 暑くないのだろうか? いや、汗で身体にべったり張り付き、下着を透かしている、彼女らのセーラー服を見るに、暑くないわけがないのだ。皆に合わせなければならない、という強迫観念は、体温調節の自由も奪うのだから、恐ろしいものである。


「ねえ、花丸くん」

 高尚な思想に耽っていた俺に、橘が声をかけてきた。

 橘もその例にもれず、長袖の夏服を着ている。他の生徒と違うのは、俺と同じように、冷房の効いた部屋にいるので、べたつく不快な汗をかいていないところだ。そのおかげで、下着が透けるという事態にも陥っていない。……別に見たかねえけど。

 俺の私見によると、淡く明度の高いペールトーンの下着の方が、暗い所でもよく見えてしまうので透けやすく、色相にもよるが、明度の低い、ヴィヴィッドトーンや、ダークトーンの方が透けなかったりする。故に、案外清楚そうな子の下着の方が透けていたりする。特に白はやばい。

 ……。一応言っておくが、俺は別に女子の下着が見たかったわけじゃなくて、休み時間暇だったので、何か観察でもしようかと思い、()()()()、透ける下着の法則に気が付いただけである。俺は悪くない。俺を暇にするこの社会が悪い。


 それはそれとして。


「なんだ橘?」

「……あなたのオーラから、身の危険を感じるものを察知したような気がしたのだけれど、それはいつものことよね……。それはいいとして、益岡先輩の話って何なんでしょうね」

「何の話だ?」

 橘の発言の前半部分で、俺の人間性に関し、余人の誤解を招くようなひどい陳述があった気がしたが、多分聞き間違いかなにかだろう。なにせこの俺は、その聖人すぎる神聖なオーラを以て、周りの人間を()ててしまうために、孤独でいることが多いような男だ。俺ほど人畜無害な人間を、未だかつて見たことはない。


「メール見ていないのかしら」

 橘のその言葉に、俺は眉を(ひそ)めつつ、スマートフォンを起動させ、メールをチェックしてみるが、何も来ていない。

「メールなんて来ていないぞ」

「……あ、わかったわ。益岡先輩、花丸くんには連絡していなかったのね。……まあ、仕方ないわよね」

 どうしてだろう、彼女の慇懃とも言える、慈悲を(たた)えた視線に、これほど心を(えぐ)られるのは。……最後の、仕方ないわよね、はどういう意味だろうか。……考えるのは止そう。どうせろくな意味じゃない。

 橘は話を続けた。

「何か私たちに話があるそうなので、ここに来るそうよ」

 益岡先輩の話か。皆目見当がつかん。四月の入部時期に会ったきり、彼女とは顔を合わせていない。

「俺に会いたくなったのではないだろうか」

「それはないわ。もし花丸くんに好意を持って接してくるような女性が現れたら、その人の眼前でキスをしてもいいわよ」

「お前、それ、どうやっても俺の恋愛が成就しなくなる賭けじゃないか」

 賭けに勝っても負けても、結局俺の負けである。

 どこの世界に、他の女にキスされている男に近づける乙女がいるだろうか。……いたら面白いな。「俺のために争わないで!」とか言えるじゃん。片方は完全なる悪意によるものだが。俺に恋愛させないためにキスするとか、こいつどれだけ俺の事なぶるの好きなんだよ。 

「もとから、その可能性がないのだから、別にいいじゃない。ゼロには何をかけてもゼロなのよ」

「ああ、そうですか」

 どうやら、俺の孤独死は確定しているらしいことが、橘から告げられたちょうどその時、放送室の戸を叩くものがあった。そのままガチャリと開く。

 入ってきたのは、俺たちのクラス担任であり、放送部顧問でもある井口先生と、放送部OGの益岡先輩だった。


「ちゃんとやってるな」

 入るなり井口先生はそう言った。


「どうかしましたか先生? 若い女の人を連れて」

「ははは! 花丸って面白いやつだな」

 先生は俺の冗談が気に入ったらしく、大きな笑い声をあげている。

「でも花丸も、可愛い女子高生と毎日狭い部屋に一緒にいるじゃないか」

「先生それセクハラです」

「あら、花丸くんは私のこと不細工とでも言いたいのかしら」

「……そうは言ってないだろ」

「じゃあ、可愛いって思っているの? ごめんなさい、無理です。あなたが私に求婚する場合は、最低でも国一つくらい用意してから来なさい。話はそれからよ。でなきゃ、源平藤橘の橘の血を引く私にはふさわしくないわ」

 ……綺麗かもしれんが、可愛くはない。とりあえず。


「……先生はなにか御用でしたか?」

「昼の放送をそろそろ考えてほしいと思ってな。益岡にアドバイスでも貰って、何か始めてほしい。じゃあ俺は授業の準備があるから」

 それだけ言って、井口先生は放送室をあとにした。


「なにかやれって言われてもなあ」

 そう言いながら、橘の方を見ても肩をすくめるばかりである。

「何かいい考えでもあるんですか?」

 益岡先輩に尋ねたところ、

「無難なところだと、音楽かな」

「音楽ですか。著作権とか大丈夫なんすかね」

「えー、分かんない。校内放送だし良いんじゃない?」

 良いのか?

「……ラジオ放送って何やってるっけ?」

「ドラマとかはたまに流れているけど。演者もいないし駄目よね。花丸君の一人劇でもいいけど」

「一人劇? それ絶対しらけるだろ」

「そうかしら? あなたは存在自体が喜劇なのだから、きっとみんなに嘲ってもらえるわよ」

「そんな笑いのとり方だけはしたくないな」


「ラジオ放送かぁ。ほか何やってたかな? ……あ。お悩み相談室とかは?」

「生徒の相談に乗るってことですか?」

「うんうん。良くない?!」

「はっはは。先輩、俺に悩み相談ができるわけないじゃないですか」

 乾いた笑いが出た。どちらかというと、俺の悩みを誰かに聞いてほしいくらい。花丸元気(はなまるもとき)くんは女の子にいじめられて困っています、みたいな。

「あら、あなたは素質あると思うけれど」

 その元凶の女は、しゃあしゃあと言った。

「なんでだよ」

傍目八目(おかめはちもく)という言葉を知らないのかしら」

 なんだ。俺は学校生活の傍観者だってか。

「……そうだな。この青春というクソゲーから早々にリタイアした俺は、賢明とも言える」

「あなたの場合、人生からリタイアしかけてるけど」

「流石にそれは酷くないか?」

「だから、私が更生してあげるわよ」

 まともな人間にか? そりゃありがたい。本当にそう思っているのなら、橘は案外いいやつなのかもしれない――

「せめて有機物らしく振る舞えるくらいには」

 ――わけがなかった。

 ……。なんですか、俺は金属か何かでできているんですか? そうですか。……誰か、人肌で温めてくれないだろうか。


「まあ、放送されるわけだし、そんな深刻な悩みは来ないだろうから大丈夫だよ」

 俺の自己同一性が、有機か無機かというレベルで、揺れていたところで、益岡先輩がそう言った。

「そうですかねえ」 

「私はやっても構わないわよ」

 自分のこともままならないような人間が、誰かの相談に応じることなどできるのだろうか。俺ほど相談役にふさわしくないやつも居ないように思えるのだが。

「うーん。しかしなあ」

「別にあなたに大したことなんて期待していないわ。あなたはただ座って、ふむとか、なるほど、とか言っておけばいいのよ。あなたの存在意義は、床屋が大声で王様の秘密を打ち明けた、穴ぐらいのものでしかないのだから」

 今日の橘美幸罵倒語録の出典は、ギリシャ神話「王様の耳はロバの耳」でした。

                  終わり 制作・著作 (神宮)(放送)()

 ……こほんこほん。

「そうとすると、俺は人の秘密をみんなに広げる最低なやつということにならんか?」

「あら、あなたまだ落ちる余地があったのね。驚きだわ」

 ……。

「先輩。橘さんが僕をいじめてきます」

「え、えっと」

 突然のフリに、益岡先輩は固まってしまった。言葉のキャッチボールというのは、相手の取れるところに投げないと、返ってくるのが難しい。思えば橘は、大抵の問いかけにも即座に返してくる(内容は九割俺の悪口だが)。もはや、捕球者を通り越して、そびえ立つ壁のようでさえある。……壁というより、すべてを場外に出してしまうような、強打者と言ったほうが適当かもしれない。


「うじうじしてないで、決心しなさい。あなた、私の勘違いかもしれないけれど、ひょっとして男の子なんでしょう」

「ひょっとしなくても男だ!」

 胸部に脂肪の房はなく、それなりに厚い胸板がある。そして、今の所、役に立つ気配もない、種袋が、ブラブラしているのだ。

 全裸になってそれを見せれば、いくらなんでも、俺が男であることを認めるだろう。

 ……。

 たぶん次、意識が浮上したときは、青あざだらけの顔で、病院の天井を見上げているに違いない。それか刑務所か。


 痴漢、ダメゼッタイ。


「……まあ、やっても構わんが、そのかわり橘もやれよ」

「ええ、もちろんそのつもりよ。相談者が女子の場合、あなたとんでもないこと言いそうだから。……男子でもそうかもしれないけど」

「言っとくが、俺の生き方の理想は。空気だ。マイナスイオンたっぷりのきれいな空気。誰かの気持ちを害することなんて言わんさ」

「あなたが空気? つまり、気体として私の体の中に入るのを想像して興奮しているのね」

「……」


「なんか、私、お邪魔みたいですね。じゃあ、私は失礼するので、よく話し合ってください」

 益岡先輩は申し訳なさそうに言って、放送室を出ていった。


「あなたのせいで、勘違いされたじゃない」

 ガチャリと閉じた扉の音が鳴り終わる前に、橘は眉を顰めて言った。

「これだけは自信を持って断言できるが、百パーセントお前のせいだと思う」

「あら、私の言葉にムキになって反応するあなたもあなただと思うけれど」

 ……それはそうかもしれない。



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幼馴染に「今更遅い」とざまぁされたツンデレ美少女があまりに不憫だったので、鈍感最低主人公に代わって俺が全力で攻略したいと思います!
花丸くんたちが3年生になったときにおきたお話☟
twitter.png

「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
本作から十年後の神宮高校を舞台にした話

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― 新着の感想 ―
[一言] 確かに女子は何故か透けると分かってても下着だけなイメージがあるかも? むしろ男子の方が暑くてもシャツの下に何かしら着てる謎。笑
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