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俺は森の王者になる

「ねえ花丸くん。そろそろ次のデートでどこに行くか、決めたほうがいいと思うのだけれど」


 夏休みの前期補習最終日、授業が終わってから部室で勉強をしていたところ、不意に橘がそんな事を言った。

 流石に気恥ずかしいのか、安曇が中座した隙を狙ったようだ。


「……どこ行きたい?」

「花丸くんの行ってみたいところに行きたいわ」

 なんていじらしいことを言っているが、気に入らないところを言うと、絶対に首を縦に振らないよね君。まあ別にいいけどさ。現地で不機嫌になられるよりはましである。


「ナガシマとかはどうだろうか?」

「あら花丸くんったらそんなに私の水着姿が見たいの?」

 橘は上機嫌そうにニタニタしながら言った。


「プール行くとは言ってない。遊園地の方だ」

 俺が訂正したところ

「……水着見たくないの?」

 と今度は少々不満げな顔を見せる。


「そんな事も言ってないけど」


 そしたら橘はまた笑った。

「花丸くんのえっち」

 えぇ……。


「でもナガシマのプールは嫌よ。だって混むもの」

「なるほど」


「というわけでホテルのプールで遊ぶというのはどう?」

「え、待って、レベル高いこと言わないで」


「別に普通じゃない」

「普通の高校生はホテルのプールで遊びません。大体なんだよホテルのプールって。それ通行許可証いるやつだろ。おらお(かみ)から、んなもんもらってねえだよ」

「安心するが良い。これを使わばそなたでも入れるのじゃ」


 そう言って橘は金属で出来たまじもんの通行許可証(ブラックカード)を財布から引っ張り出した。

「出すな出すな。んなもん人前で。それは駄目」

 そのカードの引き落とし口座って君のお父さんのでしょう? それで遊べるわけ無いじゃん! 目にするのも恐れ多いから。


「……あらそう」

 橘は渋々と言った様子でカードを財布に戻す。家に置いといたほうがいいと思うが、逆にこれを悪用するやつの身が心配になるレベルだから、俺は何も言わないでおこう。


 ところで英語でクレジットカードのことはプラスティックカードとも言うが、金属製のクレジットカードもプラスティックカードと言うのだろうか。いや、plasticという言葉の原義を考えてみれば、確かに金属も熱可塑性を持つので、橘が持っているカードもプラスティックカードと言えなくはないのかもしれない。それを言うとガラスとかもプラスティックなので、プラごみの日には、合成樹脂はもちろん、缶も瓶も出していいということになるかもしれない。違う。

 


「プールがだめならもう他に思いつかないわ」

 橘は投げやりに言った。

「さすがに愛知県にも、もう少し遊び場はあると思うんだが」

「あら、じゃあ教えてくれるかしら?」


「だから遊園地は駄目なのか?」

「遊園地ならこの間、鈴鹿サーキットで遊んだじゃない」

「それ8耐のついでだったじゃん。あんま遊園地って感じしなかったし。ナガシマ楽しいよ?」

「それは、花丸くんは今までの人生で、女の子とナガシマスパーランドになんて行ったことないでしょうから、行きたい気持ちはわからないでもないけど。……どうしたの? 顔色悪いわよ」


「いや、行ったことあるけど……」

「え? どこに?」

「いや、だから、女子とナガシマ行ったことあるけど……」


「え? もしかして花丸くんは花丸くんのくせに、女の子とナガシマスパーランドでデートしたことがあると言うの?」

 わざとらしく言ってるけど……

「むしろ首謀者君だったじゃん!?」


「なんのことを言っているのかよくわからないけれど、とりあえず遊園地は却下ということね」

「えぇ」

 

 橘はわざとらしい演技を辞めて言った。

「だってあなた、私の記憶違いでなければ、そういうところ苦手だったじゃない。……あなた乗り物で酔いそうだし」

「それはそうなんですが」

 というか絶対安曇から一部始終聞いてるじゃん。


「だったら別にそんなところで無理する必要なんてないのよ。それに今は暑いし。8耐を思い出してご覧なさいよ」

「うぅむ」

 確かにあれは暴力的な暑さだったな。死ぬかと思った。


「というわけで今度は涼しいところに行こうと思うのだけれど」

 言い方から察するに、プールとは別に腹案があるようだ。

「俺に聞いた意味」

「何を言っているの、恋人同士の会話というものは九割無意味なもので、その無意味こそが有意義であるのよ。たとえ私達の関係が仮のものであったとしても、そこを外してはいけないわ」

 なんかよくわからんことを言っている。


「まあそれはいいとして、涼しいところとは?」

「今、伊吹山が熱いわ」

 熱いのか涼しいのかどっちですか?


「……伊吹山って、あの伊吹山?」

「そうよ。岐阜と滋賀にまたがってる、あの伊吹山よ。遠足で長浜行ったことあったでしょう。バスの窓から伊吹山が見えたから、その時から登ってみたいと思っていたの」

「……山頂までのバスとかあるんかな?」

 確かロープウェイは随分前に廃線になってしまったはずだ。ただ伊吹山ドライブウェイはある。そうだとするとそこを陸送されるしかないが、路線バスみたいのはあるのだろうか。


 俺がそれを検索しようとしたところで

「何言っているの? 歩いて登るのよ」

 橘は驚いたような顔をしているが、それを聞いた俺が驚いている。

「え……。マジかよ。お前、歩けるの? あれ結構高いと思うぞ」

「大丈夫よ。中学の頃、関東の山をいくつか登ったことあるから。どれくらいのきつさか分かるわ」

 ……本当に多趣味な子だなあ。

 経験があると言うなら、おそらく大丈夫なのだろう。むしろ俺のほうが問題かもしれない。


「……分かった。伊吹山な。行き方とか色々調べてまた連絡する」

「ありがとう。じゃあよろしくね」


 交通手段のことはとりあえず置いておいて、とにかく走り込んでおくことにしよう。


   *


 それから約束の日になった。

 不安感は払拭できなかったが、日頃から運動はしていたのだ。なんとかなるだろう、と俺は楽観的に考えていた。


 神宮(かみのみや)の駅で合流した橘は、山ガールと言うに相応しい出で立ちをしていた。彼女の道具は真新しいという感じはなく、嗜んでいたというのは本当のことのようだ。

 しかしながら、そういう格好でさえ、どこか華やかさがあるのだから、つくづくこの橘美幸という女は恐ろしい。


 俺がそんな彼女に見惚れていたら

「なぜ山に登るのか。なぜならそこにそれがあるから」

 と俺の前に立った橘は満足げな顔で言った。

「……自問自答しちゃうんだ」

 橘は嬉しそうにムフフと鼻を鳴らしている。

 橘さん、まだ出発前なのにテンション上がり過ぎでは?


 俺たちは神宮駅からJRで近江長岡まで行き、バスに乗り換えた。駅に立った時点で今日の目的地は見えていた。

 

 伊吹山。

 それは滋賀県米原市から岐阜の関ヶ原にかけてまたがる霊峰。滋賀の最高峰であるが、登りやすい百名山として子供から大人まで大人気である。

 大概の観光サイトにはそのような感じで説明がされているだろう。


 そう。百名山と聞くと構えてしまうが、登りやすい山らしい。

 ならば安心だと思うだろう。

 俺もそう思った。それを疑ってもしょうがないだろう。


   *

 

「ハァハァ」

 俺は先程から息を切らしていた。歩き始めてから一時間ほど経ったと思うが、未だ山頂は遥か彼方に見えている。米粒のような人が延々とそこまで続いているのだ。この距離を歩いて登るなんて正気か? エベレストはこれの六倍以上あるというのだから、登山家というものは頭がおかしいに違いない。一体山に登って何が楽しいのだ。またすぐ後で降りるじゃないか! なぜ山に登るのだ? そこに山があるからか? アホちゃうか。登山家というものは、マゾなんだな。そうだ。そうに違いない。


「ねえ、花丸くん。さっきからなんでハァハァ言ってるの? いくら私が可愛いからって人前で欲情するのは、辞めてほしいのだけれど。時と場所を考えてくれる? 馬鹿なの? 変態なの?」

「……違う……酸素が……薄いんだ……」

 そうだ。これは高山病というやつに違いない。


「……? まだ千メートルも登っていないわよ。花丸くん知らないの? メキシコの首都であるメキシコシティは2250m、ボリビアのラパスは3640mにあるのよ。温泉で有名な群馬の草津でさえ1200mのところにあるのよ」

 橘は涼しい顔をして答えている。

「……」

 果たして俺はゴールにたどり着けるのだろうか?


   *


 それからところどころ記憶は途絶えている気がするが、気づいたときには山頂に座り込んでいた。


「本当、情けないわね。あなた、男の子なんでしょう」

「……いや、まあ」

 橘が腰に手を当てて、呆れたように俺を見下ろしている横で、若干の吐き気をこらえながら、俺は山頂の横木に座り、脂汗を額に浮かべぜぇぜぇと息を吐いていた。

 おかしいな。この五日、毎日走り込んだというのに、全く効果がなかった。いや、最初の百メートルからして、なんだかおかしかったのだ。一歩一歩にかかるパワーの質が、平地のそれとまるで違うのだ。


 俺が何が行けなかったのか考えていたら、

「あなた、歩き方が下手くそなのよ」

 俺は荒く呼吸しながら

「何それ。俺は生きるのが下手だっていうのを、風刺した遠回しな皮肉ですか?」

 そしたら橘は、唇を尖らせ

「違うわよ。私がそういうことを言いたいときはそんな遠回しな言い方はせずはっきり言うもの」

「……さいですか」


「字面通りに歩き方がまずいって意味よ」

「……俺は一七年近く生きてきている訳だが、その大部分の月日、歩いてきた。その俺が歩くのが下手だと?」

「ええ下手だわ」

「……説明していただけるとありがたいのだが」


「あなた、ゴリラって知っている?」

 橘は突拍子もない事を言い始める。


「ゴリラって言うとゴリラ・ゴリラか? それともゴリラ・ゴリラ・ゴリラか? はたまたゴリラ・ベリンゲイか? あるいはゴリラ・べ──」

「そういうのいいんで」

「……ごめんなさい」


「……これを見てご覧なさい」

 橘はそう言いゴリラの写真を見せてきた。だが妙なことに正面からの写真ではなくお尻の写真だ。というか山頂でもネット繋がるんだ。


「……まさしくゴリラだな」

「人と見比べてみて」

 ……それは橘のお尻を見ろということなのだろうか? 

 しかしながらゴリラの尻と橘の尻とを見比べて何を見い出せというのだろうか。もじゃもじゃしたゴリラのお尻に比べれば、プリッとした橘の丸い尻が柔らかそうなことくらい見なくてもわかる。だからといって見なくていいなんてことにはならないから、許可を与えられた今のうちにじっくり見ておこう。


「何か気づかない?」


 尻がどうのなんて話をしたら、ぶたれることは必至だったので、婉曲に婉曲を重ね、さらにオブラートに包んだような表現で答えた。

 

「……お前の方が可愛い」


「……そんなこと言って何がしたいの? 馬鹿なの?」

 何がしたいと言われましても、照れて顔を赤くしている可愛い女の子が目の前にいるのが眼福なので、俺の生きる意味がわかったような気もするし、とりあえず君のお父さんとお母さんに君を生んでくれたことを感謝して、はてには君という存在を作り上げたこの世界に感謝したい。

 

「ああ宇宙に感謝だ」

 俺がそう呟けば、橘は気味の悪いものを見るような目を向けてきた。


 閑話休題。


「それで何が分かった?」

「さてはゴリラみたいに歩けということだな」

 大分気分も良くなり、頭もスッキリしてきた。

 スッキリした頭で橘が伝えたかったことを考えて、口に出した。

 ゴリラほど森の王という異名が似合う生物もいるまい。つまり彼らのライフスタイルは森の生活において最も洗練されたものであり、その歩き方は人間が山を歩く際にも参考に値するものだろう。


 ところが橘は

「というかあなた現時点でゴリラみたいよ」

「……実に面白い」

「あなたゴリラじゃないのにゴリラみたいな歩き方してるから疲れるのよ」

「うほほう」


「人間とゴリラで違うのは歩き方。人間は直立二足歩行をするけど、ゴリラはナックルウォーク。一瞬立つことはできても長時間二本足では歩けないのよ」

「なるほどな。それでそれがこの話にどう関係するんだ?」


「不思議に思わない? 筋肉の量って人とゴリラでどっちが多いと思う?」

「そりゃゴリラだろ」

「そうなの。でも筋骨隆々なはずのゴリラは、非力な人間が簡単にやっている二足歩行を出来ない。なぜだと思う?」


「……体の作りが違うからじゃないか?」

「そうね。正確に言えば筋肉の付き方が違うからよ。ゴリラのお尻から太ももにかけてのラインって直線的でしょう。じゃあ人間は?」

「……尻が膨らんで曲線を描くな」

「そう。その違いは、人ではお尻の大殿筋が相対的に大きく発達しているからなの」


「その話は分かるが、それが山登りにどう関係するんだ?」

「直立二足歩行の優れている点はわかる?」

「疲れにくい……とか?」

「ええ。その理由は多分あなたの方が詳しいと思うけれど、簡単に言うとトルクの問題ね」


 トルク、つまり力のモーメントのことで、重力に対して体の軸が平行に近ければ、モーメントの総和をゼロにするのは容易になる。簡単に言えば、空気椅子をするより立つほうが楽という類の話。


 橘は続けて説明した。

「あなた大股で歩き過ぎなのよ。普段人が歩くときは太腿より下腿の筋肉を使って歩いているのだから、長く歩かなくてはいけないとき、太ももを使って歩いたら余計疲れるに決まっているでしょう。膝を曲げるほどトルクも必要になるし、人間がフィジカル面で他の動物を圧倒する大殿筋がありながら、それを使いにくい歩き方になるのだから。そういう意味であなたはゴリラなのよ」


 確かに冷静に考えてみれば軸足が体幹からずれるほど、体を支えるのに必要な力が増えてしまう。だから大股歩きは駄目なのか。

 だがそれにしても……。

「……それ、登り始める前に言ってほしかったなぁ」

「身を持って体感させてあげるという、私なりの愛よ。これで忘れないでしょう」

 愛だというのなら、謹んで受けるより仕方あるまい。


 だが最後に聞いて置かなければならないことがあった。


 俺は尋ねた。

「ちなみになんだが、写真のゴリラってなんてゴリラ?」

 

 橘は答えた。


「ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ」

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幼馴染に「今更遅い」とざまぁされたツンデレ美少女があまりに不憫だったので、鈍感最低主人公に代わって俺が全力で攻略したいと思います!
花丸くんたちが3年生になったときにおきたお話☟
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「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
本作から十年後の神宮高校を舞台にした話

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