表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
111/146

おおきく振りかぶって

 思うに外野守という人間は、人を捕まえてはくだらない話をしているとき、それだけで多幸感(ユーフォリア)の極致に至るような人間なのだ。つまり「みんなが俺の話を熱心に聞いている!」という感じで一人で興奮して、ドパミンを含んだ脳汁をどばどば出しているのである。

 そう考えると煙草を吸ってドパミンを噴出させてる人間と大差ない。そして外野のくだらない話というのは、聞かされている人間にしてみれば迷惑千万なので、受動喫煙のようなものである。健康被害は甚大だ。くだらない話を(くゆ)らせている外野の横で、うちの部長は眉を曇らせているから、そろそろ本格的にやめてほしい。その子がイラつくと俺に被害が出るから、まじでやめて。

 受動喫煙から国民を守る党みたいなのができれば迷うことなく応援するのだが、政治家先生たちには国民の健康を守ることよりも大事なことがたくさんあるようなので、どうにもならないらしい。国会中は寝てばかりいるが、夜中まで何をしているのだろう。なんにせよ夜更かしして昼間居眠りするようなら、大学生の八割を占めるポンコツ学生と変わらない。よく考えてみれば日本の国会、つまりJapanese Diet を略すとJDになるから、国会議員というのはもしかしたら女子大生なのかもしれない。女子大生というものは悪口と、居眠りが得意な人種だからな(偏見)。


 ひとのときは、想わない。JD


 やはり時代はJKだ。ビジネスも盛んだし。俺も来世は東京の美少女JKになろう。


 俺がこの上なく高尚な思索に耽っていたら

「くだらない話はやめて、そろそろ本題に入ろうか」


 今の今までくだらない話をだらだらとしていた張本人がそう言い、また真面目な顔をした。だが一度やられた手は食うまいと、話半分、いや四半分くらいの意識で聞こうと思ったのだが、

「野球部の先輩のことで相談があるんだ」

 とまともなことを言い出したので、どうやら本当にまじめな話をする気になったらしい。


「……先輩がどうしたんだ?」

 俺が聞いてみたら

「やばいんだ」

「何がやばいんだ?」

「まじでやばいんだ」

 とりあえずお前の国語力がやばい。


「先輩というのはどういう人なの?」

 痺れを切らした橘が外野に尋ねた。


「うちのエースだ。名をば恋路ヶ浜(こいじがはま)(れん)という。人の恋路を邪魔するなの恋路にヶ浜をつけて、恋路ヶ浜。そして君の瞳に恋してるの恋と書いてレンと読む。恋路ヶ浜恋先輩だ」

「ああ分かった。その恋路ヶ浜先輩って人が名前のわりにいかつくてヤバいってことだな」

「おい花丸。人がまじめに話しているのに、ふざけるとは何事だ」

 さっきふざけまくってた男がいたんだけど、一体どこ行ったのかな。


「その恋路ヶ浜先輩って人がどうしたの?」

 今度は安曇が優しく外野に問いかけた。安曇さん、外野に甘すぎると思う。安曇ママが甘やかしても、まるもん、そんなの許さないぞ。


 外野の教育方針の違いで我が家に家庭崩壊の危機が生じている横で

「これ以上投げて欲しくないんだ」

 当の本人はそんなこと知る由もなく話を続けている。


「……どういうことだ?」

 割とガチめな相談らしいことが匂ってきたので、俺も真面目に訊いた。


「……予兆みたいなものは前からあった。連投したときなんかはよく気にする素振りを見せていたからな」

「……何処か故障してるってことか?」


 外野は俺の目を見てから答えた。いつになく真面目な様子で。

「……昨日見ちまったんだよ。先輩が整形外科から出て来るとこを。ただそれだけだったら、取り立てて気にすることでもないんだが、腕を伸ばしにくそうにしていたのは何となく気づいていたから、止むに止まれず引き留めて訊いたんだ。さすがにすんなりとは話してはくれなかったが、俺がごねたら観念して話してくれたよ。……曰く、肘の骨が剥がれかけてるらしい。これ以上投げたら野球を続けられなくなる、とも。おうよ花丸。俺はどうすればいいと思う?」


 天敵の相談とはいえ、さすがに邪険に扱うことはできなかった。


   *


「妙ね」

 外野が帰ったあと、ボソリと橘がつぶやいた。


「何がだ?」

「外野君が私達なんかにこの話をしに来たことよ」

「なんで妙なの?」

 俺が尋ねる代わりに安曇が訊いた。


「だっておかしいじゃない。普通だったら先生に相談することよ。恋路ヶ浜先輩が選手生命を絶ってまで投げ続けようとするなんて、教育者が許すはずないもの。だから先生に言えばすぐにでも解決する問題だわ」


「だからだろ」

「どういうこと?」

「教師はすぐにでも恋路ヶ浜先輩をスタメンから降ろすだろ。でも外野は、俺達に打ち明けるくらいには、先輩のことを心配しているが、同時に先輩に投げ続けてほしいとも思ってる。はっきりとは言わなかったがな」

「どうして? これ以上悪化すると二度と投げられなくなるんでしょう」


「最後の夏だぞ。恋路ヶ浜先輩にとっては、最期の夏。高校三年間の集大成がこの夏の大会なんだよ。外野は先輩の体と、球児の三年間とを天秤にかけて、どちらが重いか決めかねているから、俺らに不安を打ち明けたんだ。口では先輩を止めたいとは言っているが、投げさせてやりたいという気持ちもあるから、先生には言えなかったのさ」


 もし外野が先輩の身体を最優先しているなら、橘の言ったように暢気に俺らなんかに相談はせず、すぐにでも顧問に伝えただろう。先輩に逆恨みされるだなんだってことは全く考えずに、あるいは考えるのかもしれないが、それをぶち抜いて自分の道を突き進むはずだ。良くも悪くも人に出来ないことをやる男だからな。

 その外野が何も実行に移せていない上に、俺たちに相談しに来たのだから、本当の本当に相当悩んでいるらしい。そして先輩に投げてほしいという気持ちも、それが試合に勝ちたいからという利己的なものというよりは、先輩に後悔してほしくないという利他的なものだろうから、なお感じ入ってしまう。試合に勝つという点で言えば、外野が一試合投げ切った方がまだ可能性が高い。それは外野自身がよくわかっているはずだ。その上で先輩の気持ちを優先しているのである。

 憎々しいやつではあるが、俺が嫌い切ることができないのも、そういうところのせいだろう。


 本当に俺の周りには癖の強いやつが多い。百鬼夜行の神宮(かみのみや)とはよく言ったものだな、と俺は苦笑いした。


「……ではどうするつもり?」

「外野は代わりに先生に伝えてくれとは言ってないし、投げて欲しくないとは言ったが、実際俺達に先輩を止めてほしいとも言っていない」

「じゃあ静観するつもりなの?」

「……俺たちは結局の所部外者でしかないからな。外野がここで悩みを吐き出したことに意味があるのであって、俺たちが何かをすることは求められていない」


「彼は先輩に『投げて欲しくない』ってはっきり言ったのよ。どうしてそれなのに、そういうふうに決めつけられるの? 彼は話を聞いてくれればいいだなんて一言も言わなかったわよ」


「……だが、外野のことはお前より俺のほうが詳しい」

「でも全てを知っているわけじゃないでしょう」


「……じゃあ聞くが、俺たちは何なんだ?」

「放送部員よ」

 橘はきっぱりと答えた。その点に関し彼女の立場はぶれないのだ。


「ただの放送部員だ。悩みを聞くが、相談者が解決するまで面倒見る義務なんてないんだぞ。そこまでする理由はなんだ?」

「承服できないわ。理由がなきゃ人を助けちゃいけないの? 目の前で傷つこうとしている人がいるのに放っておけって言うの? それが今まで私達がやってきたことの答えだとでも言うの? 胡桃さんが今のあなたを見たら──」

「美幸ちゃん」

 安曇に呼びかけられ、橘はハッと我に返ったように口を噤んだ。恥じ入るように顔を伏せ

「ごめんなさい。余計な事を言ったわ」

 と小さく言った。


 俺は彼女をただ見つめていた。安曇が制し、橘が言わなかった話の続きは分かる。それでも、橘が最後までそれを言い切ったとしても、俺はどんな感情を抱くか想像ができなかった。怒りはしなかったと思う。彼女が残念がる気持ちは理解できたから。


「……ちょっと散歩」


 頭を整理しようと、俺は席を立った。


 以前の俺だったら、自分の行動を疑うことなく、すぐにでも相談者にとって最善の結果になるよう努力をしただろう。それが己の義務であると自身に言い聞かせる必要すらなかったはずだ。


 だが今の俺は知ってしまっていた。

 俺の今までの行為は過去の贖罪のためで、ただの自己満足を高貴な自己犠牲と履き違えていたのだ。橘と安曇はそれを認めたがらないだろう。俺が彼女たちに協力した理由が、そんなしょうもない事だって分かったらガッカリするだろうから。


 だがエゴを正義と(うそぶ)くことほど歪なことはない。


 自分を偽るくらいなら、自分本位に生きた方がまだ人間らしい。


 

「あ、先輩だあ」


 ブツブツ考えながら廊下を歩いていたところ、猫なで声が耳朶(じだ)をくすぐった。


「……自称世界一の後輩だ」

 俺が顔を上げて答えてみれば、不服そうに返してくる。

「自称じゃないですよ! 公称です!」

「公称ですって、どこの機関が認めたんだよ」

「私って国宝級に可愛いじゃないですか。だから国かなって」

「ちょっと何言ってんのかわかんない」

 それに国が認めただけなら世界一じゃなくて、日本一だよね。


「あ、先輩なんか、ジュース奢りたそうな顔してません?」

 いつも通りせびってきたのを軽くあしらおうとしたが、ジュース代に愚痴でも聞かせてやろうかと思い立って言った。

「……何飲みたいんだ?」

「……えっ? ほんとに奢ってくれるんですか? あ、もしかして何かいやらしいこと期待してません?」

 最初から冗談のつもりだった蒲郡は逆に驚いている。


「ジュース一本で何を期待できるんだよ。……少し話するだけ」

「え、困っちゃうなぁ。なんだろ話って。テレテレ」

「安心しろ。天気の話するだけだから」


   *


「それで、先輩の心が雨模様って、毎度おなじみの話ですよね」

 校内の自販機コーナーに移動して、俺と蒲郡の飲み物を買ったところで、蒲郡がそう言った。


「いつの間におなじみになったのか知らんし、そもそもそんな話を君にした覚えがない」

「それでなんですか。橘先輩に振られそうだから、茉織ちゃんと付き合いたいなって話なら、答えはNOで」

「いや、違うから。まだ振られてないから」

「いつかは振られるんですね」

「振られないもん」


「で何の話ですか?」

 どこから話せばいいのやらと、舌で唇を湿らせた。


 後輩に自分の醜態を晒すのがなんだか恥ずかしく思えて、回りくどいことを言う。

「……蒲郡はボランティアについてどう思う?」

 蒲郡は不可解そうな顔を見せた。

「ボランティアですか? 浜辺のゴミ拾いする的な?」

「まあそんな感じ。人のためになることをしましょう的な」

「はぁ。別にいいんじゃないですかね。好きにすれば」

「どうでもいいんじゃないですかねって言うふうに聞こえるんだけど」

「そういう意味で言いましたけど?」

「お、おう」


 蒲郡は合点のいったように、呆れ顔を見せた。

「なんか、話読めました。どうせ先輩が、偽善だ、自己満足だなんだと、言って橘先輩、怒らせたんでしょ。ほんと先輩って面倒くさいですよね。先輩と橘先輩が喧嘩してると、周りに被害が及ぶんで早く仲直りしてもらえますか?」

 話の触りには触れてないのに、全くピタリと言い当てられたことに苦笑いした。

「別に喧嘩してるわけじゃないけど。……俺はエゴでやってるって自覚してるのに、周りにいいことをしようとしていると思われるのがちょっと嫌だなって思っただけだし」


 蒲郡はまた溜め息を吐き、続けた。

「別にいいじゃないですか。周りにどう思われようと。私には先輩がいちいち周りの目を気にして生きてきたような人に見えませんけど? 明らかにファッションでボランティアする人たちと違いますもん。愛想ないし、天邪鬼だし、デフォルトで逆張りだし。誰もいい人ぶってるだなんて言いませんよ。

 仮に先輩たちのやっていることが自己満足だとして何が悪いんですか? 高校の部活でしょう。みんな自己満足でやってるに決まってるじゃないですか。放送部だけが高尚でなくちゃいけない理由なんてあるんですか? 

 そもそも私、先輩が私を助けようとした理由が自己満足だったとしても別に良かったですよ。だって私も困ってないですもん。むしろ助けてもらって良かったですし。相手が助かるなら動機なんてなんでもいいじゃないですか。

 いちいちごちゃごちゃ考えるのやめたらどうですか。もういいじゃないですか、先輩がしたいと思ったことをすれば。正しいとか正しくないとか、善いとか悪いとか正直どうでもいいですよ。助けたいから助ける。それ以上理由要りますか?

 それとも人に介入するのが怖いんですか? 上手く行かなかったとしても、別に先輩のせいじゃないですよ。結局決めるのは本人なんですから。やりたいようにやって盛大にやらかしちゃえばいいんですよ。

 もしなんか言う奴がいたら、うるせーばかやろうって言ってやればいいんですよ」


「……あははは」

 不貞腐れたように、嘲弄するように話す蒲郡の言葉を聞いて、俺は笑えてきてしまった。


「え、先輩何笑ってんですか? 馬鹿にしてるんですか? 殴りますよ?」

「いや、前に橘にも同じようなことを言われたなあと思って」


 蒲郡は胡乱げな視線をぶつけてくる。

「なんですか。私に昔の女の発言を重ね見て、惚れちゃいましたか。そういうの間に合ってるんで」

「いや、まだ昔の女じゃないから」


「まあ、どうでもいいですけど。……多分先輩は失敗して人に迷惑かけるのが怖いんだと思います。でも迷惑かけてこその人生ですよ。知ってますか? 人って文字は人同士が迷惑を掛け合って成り立っていることを暗示してるんですよ」

「そんな格言初めて聞いたんだけど」

「今作りましたから」

「……あのな」


 そんなとき

「あ、いた! 探したよぉ。携帯くらい見てよね」

 廊下の向こうから安曇がやって来るのが見えた。


「安曇先輩だぁ」

 蒲郡がぱっと明るい顔をして彼女を出迎え、安曇もそれに呼応する。

「茉織ちゃんだぁ」

「キャッキャ」

「ウフフ」


 彼女らは手を取り合ってキャッキャウフフしている。

 それを横目に俺は缶コーヒーを飲み干して、くず籠に投げ入れた。


「橘どうしてる?」

 と俺が尋ねてみれば、安曇は肩をすくめて答えた。

「帰っちゃったよ。でも何回もため息ついてた。言い過ぎたって反省してるみたい」

「別に怒ってないんだけどなあ」

「そういう問題じゃないんだよ。美幸ちゃんはまるもんと違って繊細なの」

「俺も繊細だけどな」



「……どうすることにした?」

 安曇は覗き込むようにして尋ねてくる。


 誰かのために生きるのをやめろと言われた。

 自分のために生きろと言われた。


 つまりはとことんエゴイスティックに生きてやればいい。


 俺は考える。


 この場合人が傷つくのを見逃すのは俺の気分が悪い。だから、自分が気分よくあるためなら、それは自分のために動いたといえるだろう。

 人に介入するのが怖い。確かにそうなのかもしれない。でも俺がいくら他人の心配をしたところで、代わってやることはできないし、その責任を持つこともできないのだ。

 

 要は結局の所、全て自己責任で自己満足にしかならないのだろう。身も蓋もない話だが。


「……そうだなぁ、外野が先輩を心配しているってことくらいなら、言ってもいいかなと思う」

「そっか。……それがいいのかな」


 助けたいから助ける、か。

 その理由はいつまで持つだろうか。

 また時間が経てば同じような問いをしている気もする。結局正しい答えなんて誰にも分からないんだ。


 「俺は清く正しいのだから、みんな俺に従うべきだ」というのが独善、「お前のためなんだ。俺はお前の事を思っているんだ。こんな俺って良い奴だろ?」と言って迷惑な親切を押し付けるのが偽善。

 では「俺は俺のためにお前を止める。お前が泣こうが喚こうが構うものか。なぜなら俺は悪いやつだから」というのは何というのだろう。

 愛かもしれない。多分違う。


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作者の他の作品 詳細 ※画像クリックで作品ページに飛べます
幼馴染に「今更遅い」とざまぁされたツンデレ美少女があまりに不憫だったので、鈍感最低主人公に代わって俺が全力で攻略したいと思います!
花丸くんたちが3年生になったときにおきたお話☟
twitter.png

「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
本作から十年後の神宮高校を舞台にした話

81frnnd0os468uffu9638gfbtb_ah0_iw_9x_wbg.jpg
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ