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あなたはただの豚よ

 どういうわけか不機嫌になった橘の後ろを、ダラダラとついていった俺だったが、橘がちらちらと俺を振り返って見ているのに気が付いた。

 橘は俺と目が合ったところで、

「不機嫌でいるのは、私としても得することがないので、特別に不埒(ふらち)なあなたを許すことにします」

 といった。橘らしく、誇りに満ちた態度を以て。

「……ありがとよ」

 ここで噛みついて、せっかく直りかけた彼女の機嫌を、また損ねることほど、愚かしい事はないと思ったので、苦笑を浮かべながら、俺はそう言った。

 それを聞いた橘は、満足げに口元を綻びさせて、歩く速度を緩め、俺の横に並ぶ。ふわりと香ってきた、彼女の甘い香りが、俺の鼻腔(びこう)(とろ)かす。

 これがあの橘美幸で無かったら、惚れちまうレベル。


 不意に橘が、んんっ、と咳払いをして、俺の注意を引き、

「……その、正直に答えてほしいのだけれど、今日の格好ってどうなのかしら。自分自身ではどうにも判断がつかなくて、他人の意見を聞きたいのだけれど。別に、否定的な意見を言ったりしても、もう怒らないわ。忌憚のない意見を言ってちょうだい」

 橘的には、そこは意外にも気にしているらしい。

 再度じっくりと、彼女の格好を観察する。

 白のブラウスの袖と、赤の膝上のキュロットから覗く彼女の四肢や、首はぼんやりと発光しているのではないかと思えるほどに白くて、すべてのパーツが彼女の器量を際立たせるためにあるかのように思えた。

 正直な気持ちで言えば、綺麗だと俺は思った。

 だが、その言葉を、今までずっと口論を続けてきた、橘に言う事は、俺の敗北を認めるような気がして、また、本音を言えば、ひどくばつが悪く思えて、どうにも言えそうにない。

 怒らないと言ってはいるが、否定的な意見を言うのも、後でどんな仕打ちに遭うか分からないので、とてもできそうにない。

 残された選択肢は、もはや一つだ。これも、俺の正直な考えであることには変わりない。


「エロい」

「死ね」


   *


「どうしようもないクズだという事を自分で証明した花丸くん」

 三十分間、だんまりを決め込んでいた橘の、開口一番のセリフはそれだった。

「なんでしょうか、橘様」

 どうやらとんでもない事を言ってしまったらしい俺は、彼女の(かん)(さわ)らないよう、恭しく返事をする。

「お腹が空いたわ」

 時計を見た所、短針はてっぺん近くまで来ていた。

「園内のレストランにでも入るか」

 俺は発言してすぐに、しまったと思った。橘は「あら、女の人に簡単にセクハラをしてしまう花丸くんは、花丸くんのくせに、この私を昼食に誘っているのかしら。寝言は寝てから言ってもらえるかしら」とか言うに違いない。

 俺は訂正しようと、口を開きかけたのだが、

頓馬(とんま)もここまでくると、むしろ滑稽ね」 

 橘に先を越された。

 にやにやしながら、楽しそうに俺を攻撃するに違いない。

 と思ったのだが、続く橘の発言は、俺の思っていたものと少し違っていた。

「私が、どうして朝から、そのような荷物を持ってきているか、あなたは理解できないのかしら。神宮(かみのみや)高校一年生三百六十人が、複数あるとはいえ、園内のレストランに詰めたら、混雑するのは、猿にでもわかるでしょうに。前から言っているように、私は静かなところで食事をするのが好きなのよ。弁当を作ってきたから、適当なベンチに座って食べるわ」

 と俺に運ばせていた紙袋を指してから言った。

「ああそうですか。じゃあ、俺は売店でも見つけて、買ってくるわ」

 これは逃げるのに絶好のチャンスではないか。

「待ちなさい。あなた逃げる気でしょう。私が食べ終わるまで、そばに居なさい」

「……」


 ベンチとテーブルを見つけて、俺たちは席に着いた。

 橘は俺に見せつけるかのように、自分の作った弁当を美味そうに食っている。不覚にも、そんな様子を見て、俺は腹をグーと慣らしてしまった。

 橘はニヤリとして、

「あら、花丸くん、もしかして私の手作り弁当が食べたいのかしら? 花丸くんが、地面に頭をこすりつけて、今まで私にしてきた無礼を詫びて、『どうか橘様、この卑しい豚めに、高貴な温情を以て、食べ物を分け与えてください』というのなら、分けてあげないでもないわ」

「死んでもそんなことするか」

「嘘よ。天から祝福を受けているこの私は、分け隔てなく、下位の者に優しくする、度量を持っているので、あなたにご飯を恵んであげるわ。口を開けなさい」

 反射的に口を開けた俺に、橘は出し巻きを突っ込んできた。そして、すっと箸を抜く。

 美味いなあと思うと同時に、その行為の意味するところに気が付いた俺は、戸惑うようにして橘を見る。

「……お前」

「勘違いしないでよね。私は別に、間接キスをしたとか、そんなことは考えていないのだから。単に、唾液の交換をして、免疫力を高めようと思っただけで、それ以外に何か意味することなんてないのだから。花丸くんの口腔菌が私の中に入ってくると思うと、吐き気を催すけど、健康のためと思えば、我慢のできないほどの気持ち悪さではないわ」

 と何時になく早口で言った。

 橘は橘で、人とあまり接してこなかったせいで、他の人間の考えとは、ずれた思考を持っているのだろう。ここで俺が、間接キスしたことに戸惑いを見せれば、橘の事を意識しているみたいに、とられかねないので、俺も平静を装うべきである。

 間接キスで騒ぐのは、小学生までだ。紳士たるもの、女子のリコーダーを平気でなめられるくらいの、人徳を持ち合わせていなければならない。

 橘は、今度は自分の口に出し巻きを入れ、彼女の頬には幾分か紅が差した気がしたのだが、それ以上顔を見る前に、橘は白いご飯を俺の口に突っ込んできた。


 ちょうどそのとき、前の道を、うちの生徒らしき男子二人組が通りかかる。気味の悪い汗が、体中から噴き出してきた。多分ないとは思いつつ、学校の関係者ではない事を祈る。もしそうだとしても、俺たちが生徒だということは分かりはしないだろう。

 

 二人組の一人で、背の高い方が、俺たちを見て、

「おい、雄清。学校行事中だというのに、風紀を著しく乱している馬鹿がいるぞ」

 といったところ、相方の方が、

「それは風紀委員に言ってくれよ。僕は執行部だぜ。管轄外さ。それに、あのくらい別にどうってことないだろ。太郎は気にしすぎだよ」

 と答えた。

 太郎とかいう方は、性の乱れだ、不純異性交遊だ、とか(わめ)いてたが、雄清と言われた相方がそれを(なだ)めて、二人は通り過ぎていった。

 さすがに、平日の昼間から、遊んでいるような若い人間が学外にいるとは思われなかったか。


 俺はなんだか気まずくなって、ちらと橘の顔を(うかが)ってみたのだが、橘は顔を真っ赤にして、いったん箸をおいて、紙袋から、もうひとつ弁当箱を取り出して、新しい割り箸一膳と一緒に、俺の方へ寄こしてきた。

 ……。

 あるんなら、始めから出せよ。


 公衆の面前で、恥をかかされた俺だったが、そのおかげで、橘が常識を身に付けられたのなら、それで良しとしよう。これで滅多なことを人前でやらなくなるだろう。


 昼食を食べ終えて、引き続き園内を探索していた俺たちは、東南アジアのエリアまでやってきた。展示をよく見ようと思ったのか、橘は近くまで歩いて、じっくりと見物をしている。俺は従者のごとく後ろをついて回っていた。

 

 何やら看板のようなものを見ていた橘は、急に俺の方を振り返り、

「衣装のレンタルをやっているそうよ」

「あっそう」

「着てみたいわ」

「お好きにどうぞ」

「私だけ、着替えるというのは、損な気がするので、あなたも着替えなさい」

 どんな理屈だよ。


 というわけで、レンタル料を支払って、バリ島の舞踊衣装に着替えた。

 女性衣装の方は、袖の無い、イブニングドレスやウェディングドレスのようなオフショルダーの形式をとっている。胸元の見えた姿の橘を見て、少しく背徳感を覚えた俺は、目のやり場に困った。

 サービスでスタッフが写真を撮ってくれるらしく、俺は至極躊躇(ためら)いを覚えたのだが、早くしろという目を橘は俺に向けてきたので、しぶしぶ橘の横に立って、写真を撮られた。

 撮影の後、写真を渡してきた女性スタッフは、

「お似合いのカップルですね」

 といったのだが、間髪(かんはつ)()れずに、橘は、

「この男はただの召使です」

 といった。

 それを聞いたスタッフは戸惑うような視線を俺に向けてきたのだが、俺も、

「そういうことになっているらしいです」

 と真面目な顔をして答えた。

 スタッフは奇妙なものを見るような眼で、俺たちを見比べていたのだが、納得したのか知らないが、

「楽しんで行かれてください」

 と言って、俺たちを送り出した。


 ヨーロッパエリアにやってきて、ヨーロッパの農村にでも建ってあったら、至極似合いそうな雰囲気の建物を、ほお、と言いながら眺めていたところ、不意に橘が、

「ここは、ドイツ・バイエルン州の村がモデルだそうよ。ところで、バイエルンというと、ディズニーに出てくるお城のモデルになったお城があったわね」

「ノイシュヴァンシュタイン城か?」

「何で知ってるの? 気持ち悪いわ」

 どうしてそうなるの?


「……お前もシンデレラに憧れたりするわけ? 白馬の王子様が来てくれたらなあ、って」

「馬鹿ね。自分の幸せを、誰かに頼ることほど、愚かしいことは無いわ。私を幸福にできるのは私だけ。物語のお姫様みたいに、甘ったれた女が一番嫌いなの」

 なんだろう。こいつが言うとすごく説得力がある。ちょっとかっこいいと思っちまった。

「まあ、シンデレラに憧れるような女は、たくさんいるでしょうけど、安心しなさい。あなたは王子様になんてなれないわよ。白馬に乗っても、真っ赤なフェラーリに乗っても、飛べない豚にしか見えないわ。そう思うと諦めがつきやすいでしょう。あなたはただの豚よ」

 実際飛んでないしね。


 結局、橘に引っ張りまわされて、すべての展示を見る頃には、集合時間も近づいてきていて、一人で過ごすことになるだろうと思われた、俺の春の遠足は、そうして終わりを迎えた。




 

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幼馴染に「今更遅い」とざまぁされたツンデレ美少女があまりに不憫だったので、鈍感最低主人公に代わって俺が全力で攻略したいと思います!
花丸くんたちが3年生になったときにおきたお話☟
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「ひまわりの花束~ツンツンした同級生たちの代わりに優しい先輩に甘やかされたい~」
本作から十年後の神宮高校を舞台にした話

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