青い稲は何時黄金色になりますか
「穂波も飲むか?」
帰ってきたばかりで体の水分が不足していた俺は、妹との対話に備え喉を潤そうと、冷蔵庫を開けてカルピスの原液を取り出そうとしていた。ついでに穂波の分も入れようかと思ってそう声を掛けた。
穂波はそれに対し
「あ、うん」
と答える。俺は妹の分のコップも出しながら
「すぐ行くから、先上がってていいぞ」
と声をかけた。
「わかった」
穂波は頷いてリビングから出ていった。
俺は自分と穂波の分のカルピスを氷水で割って、ティースプーンでくるくるとかき混ぜた。
その渦を眺めながら、妹が一体俺に何を相談しようとしているのかを考えてみるが、皆目見当もつかない。
あまり俺を頼ることの無い妹が、わざわざ相談事をするのだから、そう容易い問題ではないことだけは分かるのだが……。
ああいかん。
話を聞く前から弱気になってどうすると意気を奮い立てるように頭を振る。それから両手でマグカップを二つ持ち、こぼさないようにゆっくりと二階へと上がっていく。
穂波は自分の部屋のベッドに座りどこか不安そうな表情で、部屋に入ってきた俺を見つめていた。
俺はエアコンの冷気が逃げないように片足でドアを閉めた。穂波に片方のカップを渡し、俺は勉強机の椅子の方に腰かけた。
「そんで、話って?」
そう切り出した俺に対し、穂波ははにかみながら
「ちょっと、最近このあたりがむかむかして……」
と自分の胸のあたりで片手をくるくると回転するようになぞった。
「……医者に診てもらった方がいいんじゃないか、って答えは多分必要としているものじゃないよな」
俺がそう言えば
「……まあ」
と苦笑いする。
病院に行ってどうにかできる問題じゃないから、俺なんかに相談しているんだ。一日に二人も胸部の不快感を訴える女子高生に遭遇するなんて、循環器疾患の若年化が取り沙汰されるのも時間の問題かもしれない、と昼の橘とのやりとりを思い出しながら考えた。
「原因は?」
兄妹で探り合いをしても仕方ない。俺は直截に聞いた。
「……前置きしとくけど、別に解決策が欲しい訳じゃなくて、ただ愚痴? みたいな感じで、まあ、話を聞いてくれればそれでいいんだけど」
「わかった。兄ちゃんはさしずめテディベアってとこだな。いくらでも愚痴って、ぎゅっとしていいぞ」
「ぎゅっとはしないかな」
「ぱおん」
そんなやりとりをしてからしばらく沈黙が流れ、間を持たせるために、カルピスを舐めては氷をカランコロンと鳴らした。
薄く不味くなってしまった残液すらも飲み切る頃になってようやく穂波は
「恋……かな」
とため息をつくように言葉をこぼした。
それを聞いた俺もまた
「恋……ですか」
とため息をつくように返した。
やはり少し込み入った話になりそうだ。
どこの世界に、兄と単なる恋バナをする純粋な女子高生がいるだろうか? ……いや、いるのかもしれないけど、少なくとも俺が知っている世界線の、花丸穂波にはそんな趣味はなかったはずだ。
とすれば、妹が惚れている相手は悪魔憑きか何かで、一筋縄ではいかない恋だから、この恋愛経験が無いに等しい兄なんぞに相談を持ち込んだのだ。
よし分かった、そいつをとっちめればいいんだな? 違う? 違うか。
「……なんか、なんとなくだが穂波の話が読めた気がするが、一応聞いておこう。その相手はどういうやつなんだ?」
穂波は自分の耳朶を触った。何気ない仕草だが、言いにくいことを言おうとするときに出る彼女の癖である。
躊躇いがちな口調で漏らした言葉はこうだった。
「小学校からおんなじで、小沢中からうちの高校に入った同級生の男の子なんだけど、これまた小学校から高校まで一緒の友達もその子のこと好きみたいで、……なんというか……」
そこで言葉に詰まってしまった穂波の代わりに俺は続けた。
「あれか、三角関係ってやつか」
「……そんな感じ」
「……なるほど」
小沢中学校というと俺や穂波が通っていた地元の中学で、そこから神宮高校に進学する人間は毎年二、三人である。
「確か、今年って小沢から神高入ったの三人だったよな」
俺は以前に母親が言っていたことをぼんやりと思い出した。
「そう」
穂波は頷きながら答える。
なるほど。まだ入学して二ヶ月ちょいしか経ってないのに加え、中学からの顔馴染みが穂波含め三人しかいないとなれば、俺に相談するより仕方あるまい。二ヶ月で重苦しい恋愛相談をできる関係性を築くのは少々難しいだろうから。
かといって俺が有益なアドバイスができるということにもなるまい。
だから俺は黙るよりなかった。
「……で、その男の子は私じゃなくてもう一人の女の子の方が好きなわけなのですが」
「なるほど穂波さん。端から詰みゲーじゃないですか」
「そうなんですが、大事なのはこっからなんですよお兄さん」
穂波は深呼吸をしてから続けた。
「告白しようと思うの」
*
翌日、休日明けの学校にて。
穂波から受けた相談。とてもじゃないが俺の手に余る問題だと思ったので、部活仲間に相談してよいかと穂波に聞いたら許可が出たので、事の顛末を二人に話すことにした。
とりあえず二人に部室で話を聞いてもらうために、橘にはその旨メールをしたが、安曇には教室で会えると思い直接話すことにした。
朝教室にやってきた彼女に
「今日、放課後時間あるか?」
と尋ねる。
机の上にカバンを置き、座りかけていた彼女はぴたりと動きを止める。
「大丈夫だけど?」
そして不審そうな顔をした。
俺は説明をするように言った。
「ちょっち相談があるから、部室にきて欲しいんだ」
「わかった」
用件を済ませたので自分の席に戻ろうと身を翻したのだが
「あ、あのさ」
と安曇に呼び止められた。
俺は振り返り彼女が何を言うのか耳を傾けたのだが、安曇は言葉に詰まったように間を開け、思いついたように
「……最近どう?」
と尋ねてきた。
「特段これといって」
安曇が当たり障りのない挨拶のような言葉を、わざわざ引き止めてまでかけてきたことを不思議に思いながら答えた。
「……だよね。ごめん」
「別に謝らなくてもいいけど」
「あ、ご……だよね」
そんな彼女のことを見て、安曇はもっと別なことを話そうとしていたように思えたのだが、すっかりその気も無くなってしまったらしい。だから聞き出すのは諦めて俺も席へと戻っていった。思えば橘とお付き合い的なものをさせていただくようになってから、安曇と面と向かって話をするのはこれが初めてだ。もしかしたら、橘からそのあたりの話を聞いて気になって尋ねてきたのではと思ったが、わざわざ引き返してほじくり返す話でもあるまい。というか俺がしたくない。
*
「ということなんだが」
放課後、予定通り二人に集まってもらい、俺は事の次第を話した。穂波の三角関係の話と、これからその男子にアタックすると言う話について簡潔にまとめた。
俺の話を聞いていた二人は互いの顔を見合わせて、それから答えた。
「別にいいんじゃないかな。何もせずにウジウジするより全然いいよ」
と前向きに答えたのは安曇。
それに対して
「私は……分からないわ」
と橘は俯きがちに答えた。
違う受け止め方をした橘を気にする視線を向けながら、安曇は
「えっと、穂波ちゃんはどういうふうに考えているのかな? 勝算ありそうな感じなの?」
と俺に尋ねてきた。
「……いや、当たって砕けるつもりみたいだが」
「……そう、なんだ」
橘は頭に浮かんだ疑問をそのまま口にするように言った。
「なら、どうしてそんなことをするのかしら?」
俺はまさかそんなことを聞かれるとは思わず
「どうしてって……ねえ」
と口籠った。
俺が答える代わりにすぐに安曇が言う。
「それは好きだからでしょ?」
それを聞いてもなお橘は納得いかない様子だ。
「好きだから? それが理由になるの?」
「そりゃ、穂波が理由になると思うんなら理由になるんじゃねえの?」
俺がそういったら、橘はハッとしたように
「……そうよね」
とそれ以上反論することはしなかった。
安曇がそこで場を取り成すように話を変える。
「あ、えっと、穂波ちゃんと直接話ができないかなって思ったんだけど」
「そうだな。呼んでみる」
俺は安曇の提案に乗り、穂波に連絡することにした。
部活をしているだろうからすぐに連絡は来るまいと思ったが、既読マークがすぐについて部活が終わるまで待っててくれるかと聞かれたので二人に確認した。
二人とも快く了承してくれたが、俺と妹のわがままに付き合わせてしまって申し訳なく思った。
「すまんな。時間取らせて」
橘は首を小さく横に振り、柔らかく微笑んだ。
「いいえ。あなたの妹さんのことだもの。無碍にはできないわ」
「うん。まるもんにはいろいろ世話になってるしね」
部活が終わる頃になってから、穂波と校門前で合流し、高校近くの喫茶店へと向かった。
「大体の話は彼から聞いているけれど、一つ確認してもいいかしら」
席に着くなり、橘は妹に尋ねた。
「お友達と『彼』はお互い好き合っているということをあなたは知っている。その上であなたが彼に自分の気持ちを伝えるというのは、一体どういう思惑があるの?」
真意を探るためか、妹の目をじっと見つめている。
穂波は答えて
「私たちは三人とも友達でした。ですから彼と彼女が一緒になることは素敵なことだと思いますし、友達として応援したいとも考えています。ですが……なんと言いますか、自分の気持ちに整理をつけないと、嘘をついているようで気持ち悪くて、ちゃんと二人のことを祝ってあげられる自信がないと言いますか……」
つっかえつつも、懸命に綴られた妹の言葉を受け、橘は返した。
「言って、全部こぼして、一切を曝け出してもまだ、あなたは彼らと今まで通りにやってやっていける自信があるの? 彼女はあなたに裏切られたと感じることはないの? 彼女の気持ちを知りながら自分本位に気持ちをぶつけるあなたを、あなた自身が許すことはできるの?」
橘は家族である俺が、いや家族であるからこそ言えなかった問題を的確についた。
穂波に話を聞いた時にすでに俺も気づいていたことだ。橘が指摘したことは一つの客観的な見方だ。失恋するとわかっている穂波が、想い人に気持ちを伝えることは自己満足以外の何物でもなく、それによって今まで築いてきた三人の関係性に亀裂を入れてしまうことは火を見るよりも明らかだった。
表面上は何もなかったように装えても、いずれ距離が離れていってしまうことは避けられないだろう。
だからといって、穂波に物言わぬ地蔵になる選択をさせることが正しいことだ、とは思えないのもまた事実だった。
俺は結局、そのどちらの立場に立つこともできず、彼女たちにその役目を押し付けてしまったのだ。
「穂波さん。あなただって頭が良いのだから、気持ちをぶつけても何もいいことなんてないって分かっているんでしょう」
「……はい。それはそうなんですが」
嫌な役回りを押し付けてしまったことに罪悪感を覚えつつも、橘の剣幕に押されて、流石の穂波ちゃんも涙目になっているから
「あんま人の妹をいじめてくれるなよ」
と間に入った。怖いよね橘さん。よく俺も泣かされている。
「……そういう意味では」
俺に遮られ橘はしゅんとしてしまった。
「私は応援してあげたい」
しゅんとしてしまった、橘の横で安曇が大きく見開いた目で言った。
「私はさ、肝心なところで怖気づいちゃってさ、最後まで大事なこと言えないタイプだから、それでいろいろと嫌な思いすることがあって……。だからせめて穂波ちゃんには後悔してほしくないかなって」
弾ける笑顔をいつも見せている彼女。彼女が日頃どんなことを我慢しているか、具体的には想像がつかないが、サッカー部でいじめられていた彼女が、それでもなお一人で凛と立っていた姿を見ていた俺には、その言葉はずっしり身の詰まった言葉として聞こえた。
二つに割れた意見を前に、橘は反論も異論も述べなかった。
「相談を受けたというのに、私たちの意見がバラバラではどうしようもないわね」
ただそれだけ言い、どこか寂しそうな笑みを浮かべていた。
穂波はそれを自嘲の言葉と受け取ったらしい。
「いえ、そんなことありません。相談に乗って頂けただけでも、とても感謝しています」
と手を横に振りながら言った。
橘は微笑んだが、それは気遣ってくれた妹の気を悪くしないためのように見えた。
「穂波さん。月並みなことしか言えなくて大変申し訳ないのだけれど、多分どちらの選択をしてもあなたは傷つかずにはいられないのだと思う。だから後悔しない選択を、あなたがしたいと思う選択をするべきだと思うわ」
俺はその言葉を聞き、訳もわからず胸が苦しくなった。それは妹が感ずるであろう心痛を想像したため、と言うのはどうにも腑に落ちなくて、強いて言うなら橘のそこはかとない憂いの表情がそうさせたように思える。だがそれも判然としているわけではない。
いずれにせよ嫌に涙もろくなった自分がいることに気づき、このおじん臭さは一体いつ身につけたのだろうかとしみじみと思った。
兄が勝手に一人でしんみりしている横で
「はい。もう一度じっくり考えて、自分がどうしたいか決めたいと思います」
当事者である妹はそう言いペコリと頭を下げていた。
俺はそんな妹を見て、あのしおらしいと言うより勇ましいという言葉の方が似合う、美しい元執行委員長の姿を思い起こした。
そこで蘇ったのは苦い感情だ。俺は彼女を助けられなかったように、自分の妹も助けることはできない。俺たちは結局のところ相談者たちに何もしてやれないのだという、どうしようもない事実が押し寄せてきて、ため息をこぼすばかりだった。
*
俺は駅に向かう橘を見送るために、自転車を押して横に並び歩いていた。
一緒に歩いているというのに、俺たちの間に言葉はなく、街の喧騒だけが耳には聞こえてきていた。
用水路に掛かる橋を歩いているときに、ふと橘が口を開いた。
「私だって鬼じゃないのよ」
「……」
橘美幸は鬼ではない。俺はその事実を疑ったことなどなかったから、突然の主張に対し鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。俺の知る限りでは橘美幸という生物は徹頭徹尾ホモサピエンスの少女であり、そうでなかったら学会が黙っていないだろう。
俺が橘の発言の意図を計りかねて、黙って見ていると
「出来る事なら穂波さんのことを応援してあげたい。でも何でもかんでも正直にすれば正しいなんてことはないのよ。彼女が辛いのは私にだって痛いほど分かるわ。あなたの妹さんのことだし、真剣にもなるわよ。だからこそ安易な気持ちで囃子立てるなんてことできないわよ」
と彼女は続けた。
「そうだな。わかってる。俺は別にお前が間違ったこと言ったなんて思ってはいないよ。客観的な意見をはっきり言ってくれて感謝してるくらいだ」
三人で話していた時は、まるで橘が悪者みたいな雰囲気になってしまっていたから、彼女には嫌な思いをさせてしまったかもしれない。そう思って俺はフォローした。
それでも橘は話し続けた。
「好きな相手に好きって言えれば、それは気分だっていいでしょうよ。でも後で強く悔いることになるのよ。それが分かってるのに──」
「おい橘」
「何よ」
歩きながら前を向いて喋る彼女の顔を見て、俺は声をかけずにはいられなかった。
それが俺の見間違いじゃないかと確かめずにはいられなかった。
だが振り向いた彼女の目に溜まったものが俺の錯覚ではなかったと知って甚く動揺した。
「……なんでお前が泣いてんだよ」
橘はその質問には答えなかった。
萌菜「私思うんだけど、ハーレムラブコメって別にリアルからかけ離れてるとは思わないんだよね」
山本「というと?」
萌菜「ハーレムってことは、女がいる男が女にモテるってことじゃん。彼女持ちの人を好きになっちゃう的な。それって彼女がいるから魅力的に見えるんじゃなくて、魅力があるから彼女がいるってことだと思うの」
山本「それは確かに」
世界一の後輩「でも略奪愛ってもえませんか?」
萌菜「……」
山本「……」
世界一の後輩「やっぱり、あるんですよねなんか。彼女持ちっていうことで増す魅力?的な。一種のステータスっていうか、運動ができるとか、ピアノが上手いとかそういうのと同じ次元の話で──あ、ちょっ、先輩何するんですか! やめ、ヤメロォー!」
蒲郡強制退場。
花丸「すみません。馬鹿が邪魔しました」
山本「あ、いえ」
萌菜「……どこまで話したっけ?」
山本「魅力があるから彼女ができるし、いろんな女子にもモテるってとこです」
萌菜「ああそうだった。……それって現実でも当たり前だよね。やたらモテるイケメンとか。なんなら女子が男子に向ける好意ってそっちのが一般的で、あとの男子は有象無象だから、実質クラスに存在してる男子はイケメン一人だけなんだよ。つまり現実世界こそハーレムラブコメの手本なの」
山本「お、おう」
外野「つまりあのクラスには男子は俺しか存在していないということだな!」
伊良湖(キュン…♡)
萌菜「……」
山本「……」
*
作者「まあ、問題なのはハーレムラブコメの主人公が大概イキリ陰キャってところなんだけど」
胡桃「それな」