No smile, no JK.
六月も半ばになり、しとしとと降りしきる雨が、ここ尾張平野にも梅雨をやってきたことを知らせている。
この鬱陶しい雨が止めば、これまた耐え難い長い夏がやってきて、そうかと言って「暑い。まじ暑い。あと暑い」とか何とかうだうだ言っていたら、いつの間にか秋になっているのだろう。もはやこのパターンは掴めてきたぞ。
さて先月はクラスマッチなり、修学旅行なり色々と事件があって、あたふたしていた、というか半分俺は死んだようになっていたが、天気のことはともかく、今はとりあえず悪い気分ではない。むしろ上々。
色々とのしかかっていた肩の荷が下りた気がして、それどころかふわふわと羽すら生えている心持ちである。
とか考えていたら、ずしりと両肩に荷重を感じた。誰かが両手で俺に乗りかかってきたようだ。誰だ俺の純白の羽をむしる悪魔は?
「先輩! お久しぶりで〜す」
まあ、そんなことをしてくるのはただ一人に限られるわけで、その後に続いてきた、甘い媚びるような声に別段たじろぎはしなかった。
「おう、お前か」
俺が振り向いて、素っ気なく言えば、蒲郡は分かりやすくふくれっ面をする。
「先輩、反応が薄いです」
そう言って唇を突き出した。
「お前の言動にいちいち大げさに反応してたら、カロリー収支の観点から言って、俺はもう一食ぐらい増やす必要が出てくるんだよ」
「もうっ。私は先輩のたった一人の後輩ですよ? もっと可愛がってもいいと思うんです」
「生憎だが俺にはお前の他に後輩が359人いるんだ」
「つまり、その中でも特別な一人が私──」
「ではなく、俺の妹である花丸穂波だな。特別なのは」
「うわっきもっ。シスコン。うわっきもっ」
「……なんで二回言ったの?」
まるもん傷ついたよ、ぴえん。
「知らないんですか? 『大事なことは二度言う』が国語の原則ですよ?」
「そうかもしれんが二度言うと死体蹴りになることもあるんだよなぁ」
「じゃあもう一度言っておきます。先輩、キモいです」
「おい」
その後「先輩、飲み物奢ってください」「バカタレ、自分で買え」「ケチ、イジワル」「ナントデモイエ」というお決まりの会話をしてから、結局蒲郡は、自分で買った缶を手に持ち、柵にもたれる俺の横に並んだ。
それからまじまじと俺の顔を見て
「なんか、元気出たみたいで安心しました」
今までの態度とは打って変わって、彼女は静かで、そして優しい表情をした。
「え? なんの話?」
しかし俺はなんのことか分からず聞き返した。
「だって先輩、修学旅行行く前、すごくションボリしてたじゃないですか。流石の私も気を遣いましたよ!」
「あー。なるほど。そうなの」
確かにここ二、三週間の俺は、しょげていた。よもやこの後輩にまで心配されていたとは。
やはり山本が言ったように、そして俺が思ったように、こいつも根は善人なのだろう。
「そういえば先輩。いい人見つかりましたか?」
「なんの話だ?」
「私の恋人に相応しい人を見つけてくれるって言う約束ですよ!」
「ああ、あれな。はいはい。頑張ってますよ」
「ほんとですか〜?」
蒲郡は疑るような視線を向けてくる。
「まじまじ」
「とか言って、『先輩が補欠合格ギリギリ』っていうのを鵜呑みにして、あわよくば私の恋人になろうとしてません?」
「なわけ無いだろ。お前みたいな男たらし俺じゃ相手できんよ」
そういった瞬間、蒲郡は目を潤ませ、しくしく肩を震わせ始めた。
「先輩、流石にひどいですよぉ。女の子に言っていいセリフじゃないです」
まさか泣くとは思わず、俺もたじろいでしまう。
「……いや、すまん。言い過ぎた」
蒲郡は泣きじゃくりながら
「私の恋人補欠合格って言うならもっと喜ぶべきだと思うんです」
と鼻声で言う。
「そ、そうだな。お前にそう思ってもらえてとても光栄だ」
とりあえず機嫌を治してもらおうと思い、胡麻を摺っておく。
ところが蒲郡は俺のその言葉を聞くや否や、泣き止んで口元に笑みを浮かべた。
「やっぱり先輩、私のこと好きなんじゃないですかぁ」
そう言ってバシバシ肩を叩いてきた。
「おっ、お前、ウソ泣きかよ!」
「ウソ泣きじゃないですよ、今泣き止んだんです。先輩がひどいこと言ったのは本当ですし。……それと」
蒲郡はぐっと俺の耳元に唇を近づけてぽしょりと囁いた
「一応言っておきますけど、私まだ処女ですからね」
「え?」
俺がびっくりして、ぱっと離れた蒲郡を見たらニンマリ笑っている。
そして体をくねくねさせながら
「先輩が勘違いしてたらやだなぁって思って」
と上目遣いで見てきた。
「いや、え、……俺そんな告白されたの初めてなんだけど」
「私だって先輩が初めてですよ?」
「あ、……ふーん」
「先輩が私を女にしたんですから、ちゃんと責任を取ってくださいよ」
「そういう誤解を生む言い方はやめようね。あと君は生まれた時から女の子だったから。安心して」
「うわぁ。まるで自分は何もやっていないかのような言い草。典型的なクズ男ですね」
「実際俺何もしてないし」
そこで突然凍てつくような声が飛んできた。
「何、二人でコソコソ話しているの?」
そこにおわしましたのは橘様であらせられました。
「えっと、いや、その……」
俺が答えられずに、しどろもどろになっていると
「少し場所を開けてくれるかしら? 私も飲み物を買いたいのだけれど」
と言って橘は俺と蒲郡の間に割って入ってきた。
そしたら今度は蒲郡が不満げ様子で
「ちょっと橘先輩、今私が先輩と話していたんですけど?」
橘は満面の笑みで
「あら蒲郡さん。私はてっきり花丸くんがあなたにちょっかいをかけているのだとばかり思って、助けてあげようとしたのだけれど」
同様に蒲郡も笑顔にて
「お気遣いどうもです。でも、心配御無用です」
「あらそうなの」
しかしながら橘はそのまま飲み物を買って、蒲郡には背を向けて俺の方を向いた。
「ねえ花丸くん。今度の日曜日のことなのだけれど、動物園に行くというのはどうかしら?」
「え? 動物園? あ、うん。いいんじゃないか」
「じゃあ、それで決まりね。……今日は図書館行く?」
「うん。……行く」
「そう。……私も行っていいかしら?」
「いいけど。……なんで?」
「べ、別に構わないでしょう。というか、そんなこといちいち聞くのやめてくれるかしら?」
「あ、いや、ごめん」
それから俺と橘を胡乱げに見つめていた蒲郡が
「先輩たち、修学旅行で何かあったんですか?」
と尋ねてきた。
「「別に、何も」」
俺と橘はすぐさま同時に答えた。
「……そうですか」
そう言いつつ、蒲郡は怪しむようにジト目を向けてきている。
それ以上言及されるのを恐れたのか、橘は慌てて
「じゃあ花丸くん。私次体育だから」
そう言って一足先に校舎の中へと戻っていった。
それを俺と蒲郡は見送っていたのだが、不意に蒲郡が
「橘先輩と仲良くするのもいいですけど、ちゃんと私にもかまってくださいよ」
といじらしく言ってきた。
「……まあ、お前は俺の後輩だしな」
流石にちょっと相手ぐらいしてやってもいいだろう。
俺がそう言ったら蒲郡はむんっと胸を張った。
「そうですよ! 私は先輩の世界一の後輩なんですから」
そんな彼女を見て、肝っ玉だけは確かに世界一かもしれないな、と俺は思うのだった。
次から本編に戻ります