ターゲットを洗い出せ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ほお、集合写真かい。卒業アルバムを眺めると、若かりし頃の思い出に浸れるな。ホント、良くも悪くも若かった。
で、こーちゃんはどこにいるんだい? あ、いや、やっぱり自分で探すわ。こういうのは得意でね。
……見切った、これだろ。青色の野球帽をかぶっている奴。ふふ、正解か。
その顔からして、分かるとは思っていなかったようだね。よ〜く見ると分かるよ。目元とか鼻の形とか、たいして変わっていないし。
昔から人相を覚えたり、頭の中で照らし合わせたりするのは得意でね。ちょっとした変装くらいなら見破れる眼力があると、自負しているよ。人探しの時には重宝したもんだ。
ただ、そのおかげで肝を冷やした経験もあったなあ。知らぬが仏っていうけれど、「まさに」と思ったね。自分の中に、恐れの確たる証拠を持っていながら、誰にも言い出す度胸を持てなかった。
ちょっと、その時の話を聞いてみないかい?
親の話によると、私は小さい頃から「いないいないばあ」がお気に入りだったらしい。どんなに不機嫌で、ぎゃんぎゃん大声を出しながら泣いていたとしても、いないいないばあをして顔が見えたとたん、笑顔に変わったんだとか。それがたとえ、家族相手でなくっても。
その時から人の顔というものに、私は魅せられていたんだろう。テレビや新聞を始めとした、人の顔が写っているものに、次から次へと目を向けた。内容など二の次で、その人の顔を見ること自体が好きだった。老若男女や美醜優劣を問わずに、だ。
一緒に映し出されたり、掲載されていたりした名前も覚えちゃったから、さっきみたいな写真当てクイズは得意だったんだ。
学校に上がった後も、人の顔と名前を真っ先に覚えて見せた。こういう共同生活の場だと、プラスに働く特技で、とってもありがたかったよ。
あの日がやってくるまではね。
夏も近づく7月のこと。
いつも遊んでいる面子と一緒の学校帰り。今日もどこかに遊びにいこうか、とおしゃべりに夢中になって、歩道を横いっぱいに並びながら無遠慮に歩いていた。
私は右端にいたんだが、みんなと話すことが楽しすぎて、人が近づいてくるのに気づかなかった。ふっと、目の前に影がかかった時には、すでにぶつかりそうになっていたんだ。
私はさっと身をかわしたけど、頭が相手の腰のあたりにかすってしまう。「ちっ」と大きな舌打ちが、頭の上から浴びせられた。見上げると、太陽の光をさえぎりながら私をにらむ、年配の男の赤ら顔があったんだ。あごには無精ひげが伸びている。
当時の私は、小学4年生にして130センチ少しと、だいぶ小柄だったとはいえ、私の頭が腰にあたるほどの大男。私とにらみ合っていたのはほんのわずかの間で、彼は再び前を向き、ずんずんと大股で去って行ってしまう。
「あのおっさん、気に食わねー!」
友達は自分たちの迷惑具合を棚に上げて、彼の悪口を重ねていたが、私はそれどころじゃなかった。あの顔には見覚えがあったからだ。
用事を思い出した、とみんなに別れを告げ、飛ぶように家へと帰った私。
自分の部屋の机に並べてある、スクラップブックを手に取る。顔の惹きつけられた私が集めた、数々の名のある容貌たち。
ページをめくって、めくって、ようやく私はたどり着く。やはり記憶は正しかったようで、モノクロで映ったバストアップ写真が、あの男と一致する。厳密にはひげは生えていないものの、あの目の鋭さは間違いない。
とある一家を惨殺して、家に火を点けたという、指名手配犯のものだ。
知らぬ間に汗をダラダラかいていたらしい。急に身体が冷えてきた。
私はすぐにボイラーを焚くと、風呂場に飛び込んだ。熱めのシャワーを浴びながら、神経質なまでに石鹸をつけたタオルで、身体中をこする。
ほんのわずかの接触とはいえ、凶悪犯とその身を合わせてしまったんだ。一気に私自身が汚されてしまった気がして、なおさら力が入る。あまりに込め過ぎたせいで、垢が出るどころか、血がにじみ出してしまうほどだったよ。
指名手配書には、犯人逮捕につながる情報を提供した者には、金一封を用意すると書かれていたけど、私には話に行く勇気はなかった。ほんの一瞬だけだったし、学校というゆるい環境でもてはやされる特技が、警察というシビアな場所で通用するか、という不安もあった。
だがそれ以上に、あの時に買ってしまったかも知れない不興が、どんな形でこちらに帰ってくるかが、恐ろしくて仕方なかった。たとえば、こうしてシャワーを浴びている私をのぞいているとか……。
ぶるっと身体を震わせながら、私は湧き上がる不安のままに、浴槽の上についている、猫がやっと通れるくらいの大きさをした窓の、くもりガラスを見つめる。
そこには、私が想像していたような人影はいなかった。
翌日から、私は学校にいる間も、登下校の間も、家の中にいる間も、あの男がいないかどうか警戒を続けていた。
相手は極悪な殺人犯。私の首など、苦もなくへし折ることができるだろう。顔色ひとつ変えることもなく。近づいては、近づかれては完全にアウトだ。
シャワーを浴びる回数も増えた。のみならず、湯船に漬かる時間も増えた。疲れを取るには風呂にもしっかり入らなければいけないという我が家の方針で、毎晩、浴槽には熱いお湯が張っていた。
私は湯船につかりながらも、両足の土踏まずを、順番に手の指でこすりはじめる。ほどなく指に、白い垢が転がりながらついてくるようになる。ぷかりと浮かんだそれを、私はお湯ごと丹念にすくい上げては、洗面台下の排水溝目がけて捨てていく。
あいつに触れた身体の汚れなど、消えてしまえばいい。むしろ、あいつ自身が消えていってほしい。実際に襲われたわけではないのに、私は日々、不快感ばかりを募らせていた。
夏休みに入った、日曜日の午前中。私は自由研究に使う道具を揃えるために、家から少し歩いたところにあるホームセンターに来ていた。
無事に買い物を終えて、店を出ようとしたんだが、不意に出口脇のトイレから、あの男が現れたんだ。あいつはこちらに気づいた素振りを見せずに、まっすぐ外へ向かったけど、私の足は一気に固まった。
自分を探しているんじゃないか。子供心にそう思った。
あの日の接触。あの日の表情。あの日の舌打ち。それらに裏打ちされた不安が、私の身体を凍てつかせるほどに、押し寄せてくる。肺と心臓が一度にむかむかして、吐きそうになったくらいだ。
一人じゃ出られない。私はさりげなくうろつきながら、同じタイミングで出る「団体さん」を待った。その人たちに紛れるようにすれば、触れられることもないと思ったんだ。
数十分後。訪れる、機会。どうやら大量の板材に用があったと見える、がっしりとした体つきの男性六人。各々が大荷物で、はた目にも重さが感じられた。ここしかない、と私はくっつくようにタイミングを合わせた、何人かに少し変な目で見られたが、この際においてはささいなことだ。
店を出る。ガーデニング販売所を抜ける。駐車場を通る……。
あの男は見つからない。団体さんも留めてあった白いワゴン車に乗り込んでしまって、私の盾はいなくなる。
杞憂だったか。私が胸をなでおろしながら、歩き始めた時。
ぽん、と肩を叩かれた。ずしりと、石でも落とされたかのような重さ。
「落としたぞ」
ただ一言。けれどもその声音は、忘れられない。あの舌打ちの主と、同じだ。
逃げたら、かえってまずい。本能の声のままに、私は振り返る。
あの日の男だ。サングラスをかけているが、頬の輪郭と髭の生やし方は、あの日とほとんど変わりない。差し出した手には、タコ糸がひと巻き。色やサイズからして私のものだ。
胸をばくばく鳴らしながらお礼をし、タコ糸を受け取ると、できる限りゆっくり、男から遠ざかっていく。
追ってきていないだろうか? だが、すぐに振り返ったら怪しい。あと五秒……いや十秒待とう。
陽に焼けるアスファルトの熱は、まるで地獄の窯。そう感じられるほどの長い十秒。
振り返った。あの男はいない。
私は向き直ると、一気に家へ向かって駆け出した。玄関に飛び込むと、荷物を放り出し、また風呂場に飛び込んだ。触れてしまった手をごしごしこすりながら、もう何度目になるか分からない、祈りを捧げる。
どうか寒気をもたらす、あの男がいなくなりますように、と。
その夜、私はパトカーと救急車のサイレンの音に、起こされることになる。
翌日、聞いたところによると、あのホームセンター近くの年季の入ったアパート。
その二階の浴槽の床が、突如抜けたらしい。二階の住人は風呂にお湯を入れている最中で、入浴はしていなかったとのこと。だが、階下に住んでいた男は浴場におり、ちょうど落ちてきた浴槽に挟まれて……。
無残な遺体は、やがて例の犯人のものと判明した。私の眼鏡は、正しかったんだ。
だが、私の心には的中に浮かれる喜びも、願いが叶った達成感もなかった。
残ったのはしこり。あの眼差しに二度とさらされる恐れはなくなったというのに。
あの日から、よく思う。私が願ったこと、叶ったことを照らし合わせれば、人殺しと何が違うのか、と。
彼は命を落としたことで、むしろ自由に動けるようになったのではないか、とも。
こうして生きている間も、私は視線を感じる。それが誰もいない場所だとしても。
目に見えず、しかし、確かにつきまとっている影。私はいつそれが、こすれて表に出てくるか、心配になっている。ちょうど身体にこびりついている、垢たちと同じようにね。




