第9話・リアルVSイリュージョン
大事そうにノートPCを抱えた幼女を抱き上げ、車に走り寄る。
右側のドアを開く。ルームランプが眩しい。
幼女を放り込むように助手席に乗せる。
暗視ゴーグルを外してコンソールに置き、自分も運転席についた。
門扉の有無、庭の雑草の有無、此処へ来た時の屋敷の中の料理、猟銃の男たちの行動。
つまり、オニコには人に幻影を見させる能力があるに違いない。
だから車のエンジンやらが無いってのも同じことだろう。
そう考え、キーをポケットに入れたままスタートボタンが有る辺りを押してみた。
(見えているのは、以前乗っていた車のダッシュボードのそれだ。今乗っている車は、スタートボタン方式だからな。俺は幻影を見せられてるだけなんだ)
すると、インパネに指が触れるか触れないかのあたりで、エンジンがかかる。それは待たせ過ぎだと言わんばかりのタイミングと轟音で。
それと同時に、ダッシュボードがまるでイリュージョンの様に今の車のそれに戻った。
……やはりな。
ドアを閉めヘッドライトを点ける。
塀によるライトの照り返しで薄明るい室内で、幼女はセンターコンソールの上でシートにしがみ付いて、こちらを見上げていた。
軽く頷いて見せると、意を決したように頷き返して来た。
準備良しと見て、車を方向転換させる。
2WD(後輪駆動)のままギアを一速に入れ、ハンドルを右に切りながら半クラッチでアクセルを踏み込む。
エンジンの轟音、リアデフがロックした金属音、タイヤに巻き上げられた小石がフェンダーの内側を叩く音。
車は右前タイヤを軸にして回転。180度向きが変わったところでハンドルを中立に戻す。クラッチは全つなぎだ。
正面100m向こう、ちょうど道の上に虎の一体がいるのが見えた。
猟銃の連中が入った屋敷の広い庭でもう一体とやり合ってるオニコの隙をうかがう格好だ。
虎たちは電影の存在だろう。だからオニコのように現実のものは干渉出来ないように見える。
だが今は、何故か直接ぶっとばせるような気がしていた。
だから。
ハンドルを中立にした事でリアタイヤがグリップ、虎に向かって走りだした。
そのままの動きで一気に三速にシフトアップしアクセルを床に押し付ける!
最大トルク60キロで一気に加速する車体。
が、50メートルほど行ったところで標的の虎は庭の中のオニコに飛びかかってしまった。
「そうはいくか!」
思ったとおり、オニコが薙刀で牽制の一振りを行なった。
それで、飛びかかった虎は再び元の位置に戻った。
その時はもう車の眼前!
「おらああああっ!!」
あごを引き、ハンドルを押すようにして体を固定して一気に虎を撥ね飛ばす!
フロントのアニマルバーが曲がったか、それなりの衝撃が前方から伝わる。
虎は、左斜め前方にもんどりうって飛んでいった。
「どうだっっっっ!」
その勢いのまま、オニコと残りの虎が向かい合っている庭に飛び込む。
正面に迫ったオニコをパイロンに見立て、右サイドターンで車を止めた。
チラと右を見ると、サイドウインドウのすぐ外にオニコ、目を丸くしてこちらを凝視していた。
ああそうか、と助手席を見ると、幼女は後ろ向きにシートの背もたれにしがみついたままだ。まあ無事だ。
10メートルほど先の正面には残った虎がいる。
クラッチを切り、ニュートラルにしていたギアを一速に入れ、アクセルを吹かして威嚇する。
オマエもはね飛ばすかひき潰してやろうか? と。
脅しが効いたのか、残った虎は道の上に横たわってるもう一体の虎の方に走った。
俺の方をチラッと見た後、その後を追いかけるオニコ。
虎に負けず劣らず速い!
じゃあ俺も追撃、という気持ちをグッとこらえて車から出る。
幼女は俺の背中にしがみ付いたようだ。微妙な重量感と温かさがある。
「……!!」
何ごとか叫んでる(たぶん、危ないから車から出るなとでも言ってるんだろう)オニコの向こう、残った虎が撥ね飛ばした方の虎に向かう。
そして二体は重なり合い……合体した!
先ほどより一回り大きくなり、細部もよりヤバい形になっていった。
「そんなんアリかよ」
呆れつつ、倒れている人間を見る。
全員気を失ってるだけで命に別状は無い様だ。それどころか何やら幸せそうな表情だ。
まあ此方は良いか、と思ったところで軽トラから新たな光が!
「なんだ!?」
またも巨大な生物が。今度は、鷲、か!?
翼長10mになんなんとする巨大なハクトウワシ。羽ばたいてオニコの上空に向かう!
「……! ……!」
背中の幼女が軽トラの運転席を指差す。
ああ、そうだな。これ以上お客さんにご登場願うワケにはいかんからな。
軽トラに取り付く。
開けっ放しのドアの外から、案の定有ったノートPCのケーブルを引き抜く。
その最中、幼女が背中から降り、俺のPCを座席に置いた。
ケーブルを繋げという様なそぶりを見せる。必死な顔で。
「大丈夫なのか?」
外ではオニコたちが三すくみの状態だったが、他二体はオニコを最初の標的に決めたようだ。間合いと動きが変わっていく。
「……どうなっても知らんぞ」
先程抜いたケーブルを俺のPCに繋ぐ。と同時に幼女がそれに光を与え始めた。
オニコを見る。地上と空中との間合いを計りかねているのか、防戦一方だ。
爪や牙・嘴の攻撃に、長い黒髪は乱れ着物の裾は破れ始めた。
「待ってろ!」
車に戻ろうとした、その時!
「!!!」
丸い光りに包まれた。これは幼女が纏っていたもの、それが膨らんだのか。
桃色、いやそれより更に淡く儚い桜色。
その大きな光の玉が軽トラの運転席と俺を包み、そこから色々な姿形をしたオニコ達が飛び出していく。
そしてそれらがオニコに吸い込まれて行くのと同時に、俺の胸のペンダントが銀色の光を車に向かって放った。
轟音を上げるエンジン、それはあたかも獣の咆哮の様な。
吸い込んだオニコは、角が延び、目の回りに隈取が浮かび、全身に強烈な殺気を纏った。
同時に、轟音を上げ光り輝く車からは、純白の獣が飛び出した!
その体長3m程の獣(いやこれは狗だ)の背中には翼が生え、地上・空中を構わず走りまわり、他の二体を牽制する。
「くっ、くはっ……」
何故だろう、ペンダントから光が放たれると同時に、今まで有った勇気の類が一気に無くなった様な気分になった。
そんな俺の弱気と対照的に、オニコは空中の狗に飛び乗り、他の二体に対して絶好の位置をとった。そして――
一閃!!
着物から舞い散るモミジの葉。オニコが放った一薙ぎで、虎も鷲も十字に断たれた。
それらの断面が光の粒になり、周囲に舞い散って消えていく。
そして最後には、その体全てが月夜の中に霧散した。
(一振りなのに何故十字の剣戟になるんだ? それも二体に対して同時に)
3m程の高さで停止する狗。
オニコも、まるで其処が地面であるかのような動きで狗から降り立つ。
(それじゃあまるで、時間を操ってるみたいじゃないか!)
不意に周囲が暗くなる。体を包んでいた桜色の光が離れたのだ。
ハッとして軽トラを見る。
そこに居た筈の幼女は、オニコの方にユラユラと飛んでいくところだった。
「あ……終わった、のか?」
桜色の光が無くなると、弱気も勇ましさも無い、普段の自分に戻った。
とりあえず車に近寄る。エンジンは止まっていた。
前部のアニマルバーも大した歪みではなかった。これなら走行に支障は無いだろう。
ホッとして、タイヤを背に座り込んでしまう。
「とりあえず一件落着、で良いのかな?」
中空に集まった二人と一匹(狗は翼を仕舞い、幼女を背に乗せていた)を見上げる。
幼女の放つ桜色の光が、それらを包み込んでいる。
元の姿に戻ったオニコが、先程の様に胸の前で手を重ねて目を閉じた。
(私たちは、同属のこの狗を迎えに来ていたのです)
(しかし、狗の現世の体は謀のモトを持っていました)
(この度は、その諍いに巻き込んでしまい、誠に申し訳ありませんでした。そして)
幼女がオニコの腰にしがみ付く。狗も先程までの険が消え、優しい表情だ。
そして、オニコは目を開け、現実の物に干渉しようとする時の表情になって口を開いた。
それは心のではなく、現実に空気を震わせる本来の意味での声で。
「ありがとう」
その一言で、辛うじて残っていた気が抜けた。
遠ざかり、月夜の中に消えていく二人と一匹。
それは俺の意識に同期しているようで……
…………
……
「……い、……きな」
んん……
「おい、……な兄ちゃん」
う、なんだ、よ
「……って?」
目が覚めた。薄青い空が広い。
車の横の地べたの上で、仰向けになって寝ていたようだ。
声がした方に顔を向けると、見知らぬおっさんがしゃがみ込んでこちらを見ていた。
長靴にツナギっぽい服、その上にベスト、野球帽。
「おおい課長さーん、兄ちゃんが目ぇ覚ましたよー」
夜が明けていた。5時半頃かな。まだ暗い青空。結構寒い。
腹の上にいつのまにか俺のノートPCが。
それを横に置き、半身を起こす。背中からパラパラと小石が落ちる。
普通、こんなところで寝たら風邪引きは確実だが、何か特殊な空気に包まれていたかのように、体には何の問題も無かった。
「お、お早うござい……!」
おっさんが右手に持ってる袋、それって猟銃用のじゃないか!?
「ちょ……!!」
一気に夕べの記憶が蘇る。まさか俺、撃たれる!?
いや、でも、袋に入ってるという事は?
「ああ、すまんすまん。起き抜けに銃突きつけられたら、おっかないわなぁ」
そう言って、近くの軽トラの荷台に銃を置きに行く。
そのおっさんと入れ替わりに、スーツ姿の中年男性がやって来た。
「お早うございます。と言いましても、私どもも今しがた起きたばかりなんですがね」
照れ笑いする中年男性。ズレかけた黒縁のメガネを人差し指で直す。
ピンと来た、こいつは昨日の胡散臭い役場の上司だ。
立ち上がり、とりあえず挨拶を返す。
「お早うございます。どうしてこんなところへ?」
「それはこちらのセリフですよ。昨日こんなところに泊まると聞いたものですから」
「ああ、そうですか」
「ここは嘗て人が住んでいたとはいえ、怖いところなんですよ? 今では山犬やイノシシ
それに熊も出たりしますので」
それよりも遥かに怖いものが出たけどな。
「日が暮れても山から下りてこないようなら、迎えに行こう、という事になったのです」
そしてそれは、いま俺の目の前で薄い頭の分け目を気にしながら立っているのだが。
「それはお手数をお掛けして、誠に申し訳ありません」
深く頭を下げる。
言ってる事自体は全くの善意から出たものだろうから。
「でも何故皆で寝てたのでしょう?」
「さて、それが全く」
犬の事を聞いてこない。それ以前に昨日の胡散臭さが微塵も無い。
「俺たち全員、キツネにでも莫迦されましたかね?」
そうかもしれません、と苦笑いする課長さん。虎たちに操られなければ良い人なんだな。
引き上げる準備をしましょう、お疲れ様です、とお互いに言い合って別れる。
奥の屋敷、思った通り廃墟然としたものに変わっていた。
いや、これが本来の姿なのか。
其処へ向かおうとしたところで、猟師たちの会話が漏れ聞こえる。
「いやほんとだって、本当に鬼が」
「まったまたぁ」
「だから、お前らが鬼に喰われそうになってたから、ぶっ放したんだよ、二発!」
薬莢を取り上げてみせる。
当然ながら中身は空だった。
「でもお前も寝てたんじゃないかよ」
「いやそれは」
「ああ、そういやあウチのじさまが言ってたなあ」
「緋ノ元の鬼子は時を喰らう、ってな」
はははと明るく笑う猟師たちにお辞儀をする。
彼らは明るく手を振ってくれた。
「あ、そう言えば、ケンに電話しとかなきゃ」
そこへ、場違いなプロペラ音が空の向こうから聞こえてきた。
「あれは……V22オスプレイ?」
垂直離着陸が可能な双発プロペラ輸送機。
その巨大なローターが出す独特な音は、電話が既に手遅れである事を示すものだった。
「やべ、在日米軍まで動かしちまったか!」
呆然と空を見上げる猟師達を横目に、急いで車に乗ってエンジンをかけた。
奥の屋敷から衛星電話一式を回収しに。
そして、俺を此処へ来させた奴の手がかりを探す為に。