第5話・ひとり上手と呼ばないで
反射的に振り向いてしまう。
どうしようもないと分かっていても、体の反射は制御出来ない。
振り向いた先には、案の定誰も居なかった。
別に珍しい事じゃない。よくある偏在的な既視感だ。
古い建物などの中に多く在る、古い記憶を呼び起こす為のキーワードになるもの。
それを連続的に見た場合、脳内でその時点とは全く関係ない記憶を本人の意思に関わらず引き出してしまう、というもの。
俺は仕事柄、そういう状態に幾度となく陥ってきた。ある意味慣れっこだ。
だから反射の瞬間は怖くとも、落ち着けばどうと言う事はない。
それよりも、現状をどう判断するかだ。
妖の類のイタズラでないとするなら、この家の中には何者かが居る。電気も水道も村ごと止められている此処の中に。
何を好き好んでこんな所へ?
まあ普通に考えれば人目を避けたいからだろう。例えば仙人じみた世捨て人か、若しくは逃亡中の犯罪者か――
「…………!!」
一瞬にして総毛立った。
何故今までその可能性に思い至らなかった? マヨヒガとかよりもよほど現実的なのに!
しかし、体は先ほどと違って急な動きをしようとしなかった。制限がかかった感じだ。
それは恐怖も有るが、それよりも(恐らくは見張っている)この料理を作った人間にそれと悟られない様にする為の方が、理由としては大きい。
それ故、今すぐ逃げ出したい気持ちを抑えつつ、仕事を行うフリをした。
ポケットからデジカメを出し、室内の撮影。
薄暗い室内を一瞬照らす、フラッシュの青白い輝き。
部屋を仕切る障子は全て開け放たれており、蔵側の方向の部屋まで撮影出来た。
「ふむ、こんなもんで良いか!」
「これで今日の仕事は終わりだな!」
「上には特に問題無かったと報告するかな!」
とワザとらしく大声で言って、玄関に向かう。
靴がキチンと出口に向かって揃えられていたが、気にしない事にした。
冷静さを演出する為、靴の紐を結びなおす。
しかし、(トレッキングも想定した為に着ていた)ごついズボンとブルゾンとが体の震えで擦れて鳴らす音までは抑え切れなかった。
いかん、落ち着け俺。怖くない怖くない。
結局のところ、怖いのは人間なのだ。
そしてそれは、座卓の上に乗っていた椀と箸の数から見て、最低でも3人は居る筈。
こちらは俺1人。
大学時代にはアメフトの試合に応援で参加した事もある(ディフェンスタックルだ)し、体格や腕力にはそれなりに自信があるが、それでも3人同時に飛び掛られたらひとたまりもない。
まして、相手はどんな得物を持ってるか知れない。刃物とか。
故に、気付いてない風を装いつつ、車に向かう事にした。自然体で。
軽すぎる引き戸を開けて出て後ろ手で閉める。
庭の上、秋のお昼の長閑な日差しが足元に一人分の影を作った。
門に着き、これまた軽い門扉を開けて出て閉じる。
門の外に人影は無く、背後からついて来る気配も無い。
見逃してくれたのか?
愛車は目の前だ。
門の前、道がT字状になって少し広くなった所に止めてある。
転回するには少しスペースが足りない臭いが、まあなんとかなるだろ。
最悪、スロットルターンで向きを変えれば良い。
この砂利道なら、自慢のエンジンとノンスリがその仕事をしてくれるだろう。
開錠し、運転席に乗り込む。ここからはもう急いでも良いだろう。
震える手でキーを差し込み、セルモータを回すべく捻った。
しかし、モータはうんともすんとも言わない。
ここからは急いでも良い、と気持ちに区切りをつけた事もあり、、焦って何度も繰り返してしまう。
が、結果は同じだった。
まさか、何者かに配線を切られた?
急いでステアリングコラムの奥を覗き込む。
単純な切り方なら、後部荷室に積んである工具で修理可能だ。
しかし、だからこそ此処までは見逃したのか?
首を振って弱気をを打ち消す。
配線は、コラムの奥までは問題無かった。ではエンジン側か。
俺の車はいわゆるキャブオーバー型のワンボックスだ。それ故、エンジンは室内から見える。犯人もそうしたのかもしれない。
急いで助手席を跳ね上げセンターコンソール(運転席と助手席の間)を開く。出て来た防音のマットを取り外す。
さて、配線は……
エンジンが無かった。
「…………は?」
自慢の縦置きV型6気筒3.5Lコモンレールディーゼルターボエンジンが。
忽然とその姿を消していた。
「…………」
センターコンソールから直下の薄暗い地面をただジッと見つめる。
事実を受け入れるのに、たっぷり2分を要した。
「い、いやいや、暗いからよく見えないだけで、単に外れて下に落ちてるだけかも」
「うん、よくあるよくある」
ねーよ。
明るい独り言とは裏腹の、緩慢な動きで車外に出る。
車載のジャッキで前部を持ち上げ、馬をかます。
これで下が丸見えになるが……
実はクラッチとミッションも無かった。
このショックからは約10秒ほどで立ち直れた。まあそうだろうな、と。
その方が、手数が少なく済む筈だから。
再びジャッキをかまし、馬を外して車体を下ろす。
尋常ではない、エンジン+クラッチ+ミッションで250Kgは下らない重さだ。
それを屋敷に居た十数分の間に降ろして(どうやって?)何処かに持ち去るなど!
此処は6月のサルトサーキットのピットか!?
「…………」
残念ながら、どこをどう見ても11月の日本の海無し県の廃村だった。
「どうすんだ……」
ここまでの道のりを思い出す。
険しさもかなりだが、徒歩では日が暮れるまでに里まで降りられる距離じゃない。
仮になんとか辿り着けたとしても、車と積んである機材一式は此処に置きっぱなしで諦めなければならない。
では此処に留まるか? エンジン一式を返して下さい、と叫びながら?
「……無理だわな」
此処の住人の狙いは、恐らくはこの車と中に積んである機材なのだろう。
だから、命だけは助けてやるから大人しく山を降りろ、という事だろう。
気配や音すら感知させずにエンジン一式を外して見せたのは、“その気になったら何時でもヤレるぞ”という意思表示に違いない。
「仕方が無い、か」
思えば自分のミスだ。
30数年使われていないと言われた屋敷が、実はそうではなかったという事が分かった時点(門をくぐった瞬間に分かっていた)で車を放置した俺自身の。
とりあえず車内に戻り、リュックサックに水のペットボトルや懐中電灯などを入れ、車外に持ち出す。
帽子も被った。歩くしかあるまい。
歩き出す前に最後の確認。デジカメがちゃんと撮れているかの。
これがダメだったら、何をしに来たのか分からなくなるから。
デジカメを再生モードにする。撮ったのは20枚ほどだ。まあ問題は無いだろう。
……と思ったが、室内のそれは全て真っ白だった。
「なぜ!?」
ま、まあ露出のオートバランスが狂ってたのだろう。その証拠に庭でのものは問題無く撮れてるし。
そう、確かに撮れていた。本来写っていてはいけないものと共に。
「オ、オカルト写真?」
その全ては、幼女だった。
鞠をつく着物の幼女、大きな鈴を抱えて微笑む巫女服の幼女、大きな打ち出の小槌を振り回す突飛な服の幼女、単にレンズを珍しげに覗きこんでいる幼女、など。
それら全てが別人にも見えるし、且つ同一人物である様にも見える。
しかも、オカルト写真に有りがちな不気味さやおどろおどろしさは一切無かった。
撮る時には見えなかった、という事を知らなければ、これは単なるほのぼの写真か、若しくは二次元キャラの設定画集だ。
「これは、参った」
眼前の車のフロントウィンドウ、背後にある屋敷の門を映している。
それに向かって言った。
歩いて帰るにしても、これらの写真は取り直さねばならないだろう。
これも無ければ、自分は単に愛車を捨てに来ただけになってしまう。それも機材ごと。
それ故に。
「済みませんが、写真を取り直させてもらっても宜しいでしょうか?」
振り向いて言った。
果たして、そこには先ほどのツノ少女がいた。先ほどとは違う白基調の着物を着て。
そして傍らには、デジカメに写っていた幼女が。