第3話・萌え散った先に
「あ、私は、クリストファー・エクルストン、です」
勢いに押され、素で返答してしまった。
「くすりふぁと? えっと、言いづらいかも」
「では、クリスで良いよ。小さなお嬢さん」
私をクリスと呼んでくれるのは、ボスともう一人。しかし彼女の場合は、過去形にしなければならないだろうか。
「クリス。呼びやすい! じゃあわたしも、こにぽんって呼んで」
こひのもと、から、こにぽん、か。あまり呼び易くなった様な気がしない……?
「オーケイ、ではコニーと呼ばせてくれないか?」
「うん、いいよ!」
「ではコニー、キミは私に何の用事だい?」
「うん。えっとね、クリスを結びに来たの!」
ムスビ? 繋ぐという意味か? 今ひとつ意味が通じない。
と思ったところで、この子が流暢に英語を操っている事に気が付いた。
「そ、そうか……コニーは賢いな」
「えーっ、なんでバカにするのー?」
見た目が明らかに東洋人(それも典型的な日本の美少女)から、流れるようなキングダムイングリッシュを聞かされれば、誰でもうろたえる。聞き手が英国人なら尚更だ。
「バカにするなんてとんでもない」
そう否定しながらも手は彼女の頭を撫ぜてしまう。これは殆ど父性の発露だと言い訳しておこう。
いや、私には子供はいないのだが。
「あー、もー」
と言いながら満更でもない様子が、一段と可愛らしい。
「では行こうか」
立ち上がり、彼女の前に手を差し出す。『お手をどうぞ』と。
「えっと、どこへ?」
「コニーが居た所へ」
駅の構内に張ってあったポスター。展示場の催し物。マザーマシンの展示会だったか。
派手な衣装に流暢な英語。この子は、多分そこからやって来たコンパニオンなのだろう。
東洋人は若く見えるとはいえ、こんな明らかにElementary schoolに通う様な子を働かせるというのは如何なものかと、責任者に一言言ってやる気になったのだ。
「さあ、行こう」
「えっと、うん。その間にクリスを結んじゃうね」
ムスブ……?
ああ、そうか。それはつまり、会場へ赴かせて商談をさせるという意味なのだな。
それなら話が通る。そしてこんな幼い子を商談の手先に使う大人を懲らしめる必要が有る事も。
「いや、私は結ばれないよ」
冷たい風の中、展示場に向かって歩き出す。左手にはコニーの右手。
その柔らかさと暖かさに、結ばれていた頃があった事を思い出す。そう、4年前までは。
「だから、それをもう一度結ぶの!」
ぎょっとしてコニーを見る。
彼女は、桜の花のような穏やかさをこちらに向けていた。
そしてそれは、桜の花の下で優しく微笑んでいた彼女を、出会った頃の元嫁の姿を思い起こさせた。
「そんな……事が……?」
「出来るよ! だってクリスもあの人も、まだ諦めていないんだもの!」
いきなり本質を突かれた気分だった――
「あの、初めまして。私はサラ・キャリーと言います」
「桜が綺麗ですね」
「英国から帰化されたのですか? 私カナダ系の人間なので、その、あの」
気が付くと、展示場の近くまで来ていた。変わらずにコニーと手を繋いだまま。
目には殺風景な景色が映っている筈なのに、何故か昔の風景が眼前に展開されていた。
これは、まさかコニーの仕業なのか?
「うふっ、変な人ですね。私は消えたりしませんよ?」
「お仕事、大変そうですね。応援してます」
「え、そんな、こんな高価なもの……」
「大丈夫、貴方は優しい人ですから。周りの人が気付いてないだけです、きっと」
コニーから伝わる、春の日の桜の様な優しさ。それが呼び起こす。
優しいサラ。桜の下で出会ってから、何かと理由をつけては会っていた。
彼女と居たかった。桜が散った後でも、それと同じ優しさに包まれる事を知ってたから。
「いつも貴方の応援をしていたい、もっと近くで」
「その場合は、苗字を合わせるものでしょう?」
「今日から私は、サラ・エクルストンです」
しかし、その後は……
「やめてくれ、コニー!」
ほとんど叫んでいた。コニーに引きずられるようにして登った、展示場前の広場の上で。
「クリス……」
先ほどよりも、その存在感が薄くなったコニーが見上げてくる。心配そうに。
それに違和感は無かった。彼女は真っ当な人間ではない。
無神論者の私だが、未だ人間が認識出来ない事象と言うものは沢山有ると言う事くらいは充分知っているから。
例えば、コニーが桜の木の精霊みたいなものだとしても。そして――
「此処の桜は如何でしたか?」
後ろから追いかけるように階段を登ってきた和服美少女の頭に、小さなホーン(角)が二本有っても。
「貴女が電車の中で……?」
問いかけに答えず、近づいてくる少女。不思議な既視感を纏いつつ。
「切っちゃダメ!」
手を離したコニーが、哀しげに少女に訴える。
そこでピンときた。彼女はボスがメールに書いていた電脳美少女なのだと。
と思い至ったところで、3ヤード程まで近づいた少女が胸の辺りで両手を重ねる。
そして静かに目を閉じ、軽く俯いた。
「夕食の準備が生き甲斐なの」
「お仕事、あまりご無理をなさらないように」
「いえ、旅行はまた今度にでも」
「また出張ですか?」
「やはり、子供が出来ないのが」
ああ、サラ。それでも赤ん坊用の服を編んでいたな。
「私にも寂しいと思う時はあります!」
「それは私のプライベートでしょ?」
「お仕事の方が楽しそうですしね」
「あの人は別に……」
あれだけの器量良しだ。男の影がちらついても不思議は無い。
「急用でなければ連絡は不要です」
「もう、私たちは」
「お元気で」
そう、そうして私たちは別れた……心に深い傷を残して。
それからは、ただ仕事に打ち込んだ。そうしないと、いつまでも済んだ事を気に病むだけで、事が前に進まなかったから。
「彼女に対して、貴方はどう考えていたのでしょうか?」
「えっ?」
何を言ってる、この電脳少女は? 私はただどうしようもなく……
「専業主婦ってのは楽で良いな、くそっ」
「仕事なんだから仕方ないだろう?」
「子供が出来ないのはサラの所為。俺は被害者だ」
「カネは入れてるのに、何が不満だ!?」
「そのカネで男と遊んでるのか?」
「会話すら拒否かよ。俺はなんて可哀相なんだ!」
「別れた。珍しい話じゃない。寧ろ世間的には箔が付く」
「仕事が辛い。しかしこれは全部サラの所為だ!」
「頑張る俺格好良い! サラは悔しがるがいい!」
「一人は寂しい。が、サラと居るくらいなら」
「サラ! 俺は見返してやる! くそっ!!」
…………
気がつけば、膝をついていた。
「貴方は、別れた相手を未だに精神的な支柱にしているのです」
右を向いて呟くように。それで頭部の左側にあるデビルのマスクがこちら側を向く。それは怒りの形相だ。
「何故ならそれは魂が脆弱だから。それが生み出した悪い心だから」
そうだ、その通り。何の異議も無い。
「もうやめて! クリスが、クリスの心がイタいよ泣いてるよ!」
いや、コニー、良いんだ。これが私なんだ。
そうやって同情される方が余計に痛い。
「そして私は、そんな悪心を散らします」
ハッとして見上げると、少女は虚空からロングソード(薙刀)を取り出した。
「貴方に未だ、萌えの心が有るのなら――」
反射的に飛び退いた、ソードが届く範囲の外へと。
そして上着の懐へ突っ込まれる右手。仕事場に置きっ放しの拳銃を掴む為に……
しかし果たして、右手は愛用のSIG SAUER P250を掴み出した!
何故? 確かに丸腰だった筈。まさか地球の裏側から持ち主の危機を感じ、瞬間移動をしたとでも? バカな!
が、訓練で体に染み付いた動きは止まらない。セーフティを外しながら1弾目を装填、遊底が戻る金属音。
その動きのままに腰を落とし、両手で眼前の少女に照準する。
距離にして5ヤード。必殺の間合いだ。
そのまま撃った。
銃声、マズルフラッシュ、排出され重そうに右横へ飛んでいく薬莢。
ん、重そう?
良くは分からないが、何故か弾丸が薬莢から離れていない状態で出されたように見えた。
ではこの両肩に伝わる衝撃はなんだ?
しかし.357SIG弾は確実に少女の胸に命中した――のだが、手ごたえが無い!
「悪心を萌え散らしませい!!」
ソードを振りかぶる少女、キモノの裾や袖の端から模様のメイプルリーフが飛び舞散る。
距離は詰まっていないのに、上段から真っ二つにされると直感した。
その時、手中のSIGが頭上へと飛び上がった。
持ち主の命を、体を張って守らんとするかの様に!
しかし次の瞬間、両腕が頭上に伸ばされ隙だらけ私の腹が横薙ぎにされていた。
また同時に、青白い光の剣戟が頭上のSIGをすり抜け、私の体を両断していた。
つまり彼女は、同時にニつの攻撃を行ったのである。
「もうハロウィンの季節だね、寒くないかい?」
「ううん、平気よ。それより見てほら、あの仮装した子可愛いね」
「ああ、ありゃ愉快だ。あんな子がうちにやってきたら大変だろうな」
「家中のお菓子を攫われそうね」
「そりゃ困るな」
「あら何故? あなたあまりお菓子は食べないじゃない」
「え、そりゃつまり、サラに食べて欲しいからさ」
「ええ? 太らないように気をつけてるのに」
「サラはもう少し太った方が魅力的だよ。それに」
「それに?」
「食べてる時の幸せそうなサラの顔を見るのが幸せだからさ」
「もう、バカ!」
曇り空だった。大の字になって寝ている陸橋の上の地面は冷たかった。
しかし心は温かい。
コニーとソードの少女は居なくなった。
今はその不思議な雰囲気が無くなっている事からも、それは明らかだった。
ああ、あの雰囲気が有ったから、SIGも此処へ飛んでこれたのかも。今は、彼女たちと同じタイミングで消えてしまって此処には無いが。
しかし、あの少女の攻撃で傷ついていないだろうか? まさか真っ二つとか?
いやそれは、体はおろか服すら傷一つ無い我が身を見れば杞憂と分かる。
帰ったら精々手入れをしてやろう。
「あ、あのぉ、あーゆーおーけい?」
通りがかった、OLらしき女性に覗き込まれる。
年齢は、ケンと同じくらいか。
まるで日本語みたいな英語で。
「eh……あ、だいじょぶです」
立ち上がり、問題無い事をアピールする。
女性は少しホッとした風を見せた後に、曖昧な笑顔を残して去った。
アルカイックスマイル。
そう、これは非常に単純な話だったのだ。
頼るのではなく、拗ねるのでもなく、ただ愛すれば良いのだと。
そうだ、この優しく吹っ切れた感じ。これが萌え散る、という事なのかもしれない。
思い立ち、道端に投げられていたバッグの元に行って、ネットブックを引っ張り出す。
善は急げ、だ。
メーラーを立ち上げ、サラにメールを送ろう。さて、何から書こうか?
いや、ここは凝ったものより単純に行くべきだろう。元々私に文才は無い。
だがしかし、指先が震えているのは、あくまでも気温が低いからだ。
と、誰に言ってるのか分からない言い訳を一人ごちつつ、本文を完成させる。
返事は、まあどうでも良い。何かしら返ってくれば御の字だろう。
と開き直って、SIGの引き金よりも重く感じる送信ボタンを押した。
ピンポン
メーラーのアンサーバック? ではなく、メールの受信音だった。
送信者は……サラだ!
まさかサラの機器に迷惑メールの設定が? いや、件名からするとどうもそうでは無さそうだ。
先ほどよりも一段と振幅を増した震える指で、メールを開く。
内容は、寒くなった事、ハロウィンの季節だという事、中間選挙ももうすぐだという事、桜のキモノを着た謎の幼女が現れ、こんこんと諭された夢を見たという事。
そして、出来れば会いたい、という事。
そんな私以上に文才の無い者が書いた長文を、実は読む必要は無かったかもしれない。
何故なら、送信者の名前がこうなっていたのだから。
From Sarah Eccleston