第21話・獅子
「待たせたな」
出入り口のドアを後ろ手で閉めながら。
ダークブルーのスーツ、少しやせ気味ながらも肩幅の広い長身で銀髪の初老男性。
明らかに不動産屋の社長。俺の雇い主。確か今は米国へ出張中の。
「では早速だが……」
歩み寄って来る。
もしこの社長がニセモノなら、要求はただ一つだろう。
「ブツを出してもらおうか」
予想通りの要求を単刀直入にしてきた。
だがそれに対し、何故か違和感を覚える。
なんだこの感じ?
「ブツとは何ですか?」
「廃村で手に入れたものがあるだろう」
口調に少し苛立ちが混じる。
そうか、分かったぞ違和感の正体が。
「廃村……? 何処ですか」
「昨夜オマエが居たところだ!」
違和感の正体は、ジミコちゃんの挨拶に反応していない事だ。
口調とか以前の話だ。
社長は、調査室時代からこのステルス女を常に認識していたからな。
「ああそうでした、田舎県の山中の廃村に行ったんでした」
つまり、この社長は誰か若しくはナニかが化けたものだ。
確定。それなら筋が通る。少しホッとした。
「あ、タカハシさん」
と思ったところで、ソフト屋の男が。
「この方でよかったでしょうか?」
少し申し訳なさそうな顔で言った。
そして、ジミコちゃんを目で追ったのか、俺の背後を見た。
「あ、あれ……」
俺も釣られて振り返る。
しかしジミコちゃんは居なかった。
なるほど、ジミコちゃんもこの社長が偽物と見抜いたのか。
それで危険を察知して脱出したんだろう。
流石は現役の調査室員。
「ん? ああ、この人間でいい」
タカハシ……社長が調査室時代によく使った偽名だ。
ということは、この男はコイツが偽物だと分かってないのか。
「良かった。それでは」
「うむ、仕事に戻ってくれ。それでだ」
言いながら俺の方に向き直る社長もどき。
しかし、見れば見るほど社長にそっくりだ。
その気安さからか緊張感が薄れ、変装の方法について興味が湧いてきた。
「ああいえ、もう一つ確認したい事が」
「……なんだ?」
面倒臭そうに俺から視線を外して、ソフト屋の男に向き直る。
「先週に提出しましたソフトウェアについての、ご評価をまだ頂いておりません」
「評価? ……うん、まあ良かったんじゃないか? それよりも」
今度こそ、という感じで再度俺の方に向き直る。
だが……!
「……なんのつもりだ」
「ふむ、フォームレイテックスとかではないようだな」
社長もどきの頬を両側から引っ張ってみた。
感触からも外観からも、何かを張り付けてるようには見えない。
つうか明らかに人肌だ。ひょっとしてこれは変装などではなく、社長の双子とかなのか?
「ちょアンタ、なにしてんの!?」
ソフト屋の男が口を挟んでくる。
いやいや、何してるってのはコチラのセリフだ。
この社長もどきは真っ当な奴ではないぞ!
「なにって、そっちこそ早く逃げろ!」
仮に社長の双子だとしても身分を騙っていいものじゃない。基本的には犯罪だ。
それに、世界に七人は自分のそっくりさんが居るというしな。それでないとも限らないし。
いずれにしても、廃村で役場の人間に猟銃を振り回させたように、他人に危害を加えることに躊躇しない奴なのは間違いないのだから!
「ふざけるな」
頬を摘まんだままの俺の手を払いのけて、社長もどきが。
ご丁寧に両腕を使ってくれたので、体が一瞬隙だらけになる。
その様を見て腹の底から黒いものが立ち上ってきた!
「ふんっ!」
黒い気持ちのままに右足で社長もどきの両足をまとめて横払いにした。
目の前の空中で、綺麗に九十度横を向く社長もどき。
「ほれっ!」
軽くバックステップし、倒れたところへ再度右足で腹部に強めの蹴りを入れた。
今度はつま先だ。
鈍い音と感触からして鳩尾に入った模様。すぐ立ち上がる事はもちろん、しばらくまともな食事すら出来まい。
「な、なんてことを」
「ああ、警察と救急呼んで」
目の前の惨状を唖然と見ているソフト屋の男に、わざと冷たく言い放つ。
仕事上で取引先だからといっても、何が何でも服従しないといけない、なんてことは無いのだという含みを持たせたつもりだった。
だが。
「……電話したければ自分でしたらいいだろう」
予想外の返答が来た。
「いや、だから俺はケータイ忘れて来てて」
「つまり、そういうことだ」
そう言って、ソフト屋の男はしゃがみ込んで社長もどきの介抱を始めた。
大丈夫ですか、とか言いながら。
「大丈夫なワケねーだろバカかよ」
言って部屋の中を見回す。
ジミコちゃんは居らず、相変わらず数人が机に突っ伏したままだ。
それを見て、何かムカついてきた。
「デスマーチだかなんだか知らんが、なんで仕事でこんな状態になるまで」
「世間知らずの半グレが知った風なことを」
社長もどきの傍らの男が、吐き捨てるように。
つーか俺、半グレ扱いかよ。
……まあ無理も無いか。
「アンタがタカハシさんとどういう関係なのか知らないが、暴力は否定されるべきだ」
「そりゃ正論だが、それこそ世間知らずだろ。仕事場がこんなになってもまだ仕事相手にすがりつくなんて」
正気の沙汰じゃない。そう思った。
何の為に働いてるんだって話だ。
「そもそもオマエら自身が無理して仕事するから、それがその業界での日程の標準になるんじゃないのか?」
どこの業界でもそうだろう、よくある話だ。
仕事は適当にやってれば良い、とは言わんが、やりすぎは回りまわって自分の首を絞めることになるのだと。
「……人はパンのみに生きるにあらず、って分かるか?」
「知らん、宗教はやってないんだ」
「カネだけじゃないんだよ、正しい評価こそが報酬のメインとなるべきなんだ」
社長もどきの介抱を止め、口を尖らせてくってかかる男。
評価される事が最優先? なんだそりゃ、いつまでも学生のつもりなのか?
「そういうのを、本末転倒って言うんだぜ」
若しくは終わりのない承認欲求か。いつまでもイイコイイコされたいですってか。なんという甘ちゃんだ。
「それでも、皆そうして生きてるんだ!」
顔をしかめて男の吐露。ソフト屋は皆こんな考えを持ってるのか?
そう思った瞬間、ふいに脳裏をかすめるものがあった。
それは学生時代の友人、ケンの横顔だ。コンピュータープログラムの世界に行くと言っていた。
アイツはもっと大人だった筈だ――
「ずいぶんと大人しい運転だな、ケン」
「HPに捕まりたくありませんから」
遮音されてない車体、そのエンジン音と走行音の中で怒鳴り合うように。
走行車もまばらな郊外の州道。時速50マイルでマネージャのラリーカーを走らせている。
こんな深夜、というか未明の時間帯にレーダーや覆面が居るとは思えなかったが、念のためだ。
ただ、助手席にうずくまっているボスは、いまいち納得してない様子だったが。
「賢明な判断だ。だが、あまりノンビリしてる場合でもないんだがな」
アパートの前の道路から、出来るだけ信号の少ない道路を選んで走ったため、目的地から西に大きく外れたこの110号線を通る羽目になっていた。
片側2車線の、右側の車線を走る。
たまにある街灯がボスの顔を暗闇の中から浮かび上がらせ、そしてまた元に戻った。
「急がば回れ、でしょう」
その言葉で思い出した、マネージャもこのルートを通ってアパートに来たと言っていたことを。
加えて同じ事を言っていたのも。
彼はごく普通の、例えば警察に追われていない状態でも、出来るだけ問題の起きないルートを選択しているのか。
流石は当代一流のスパイ。少し、いやかなり感心した。
「それでもオマエはまだ若い。このクルマの加速力を開放してみたくてウズウズしてるんじゃないのか?」
今は5速に入れっぱなし。それはフェリー用のギア比のようで、エンジンは2500弱と低い回転数でピタリと安定している。
競技用にパワーアップされているとはいえ、日本製のエンジン。その回り方からはまるで高級な機械式の時計のような緻密さを感じさせる。
だが俺は知っている。ひとたびアクセルを深く踏み込めば、それは獅子の咆哮にも似た轟音と共に暴力的な加速力を生み出すことを。
「嗾けるようなことを言わないで下さい」
アパートから出てしばらく街中を走ったが、低いギアでの加速には手を焼いた。
ハンドリングもブレーキもそうだ。遊びは一切無くダルな操作を許さない。
ただ速く走る事だけを強要する、そのセッティングに。
「これでも結構我慢してるのですから」
それ故に試してみたくもあった。
発進させた瞬間から感じている、軽量で恐ろしく硬い鎧をまとったような全能感にも似た感覚。
それを与えるこのマシンの全力とは、一体どんなものなのかと。
「そうか」
言ってボスは、スライド式の小さな窓を開けてドアミラーをいじり始めた。
後方確認の為だろう。
室内の音に風切りのそれが追加された。
「……だがそれで本当に満足なのか?……」
ボスのつぶやきは、高まった音でよく聞き取れなかった。
だが何となく言いたいことは伝わった。
「そう言われても」
と言ってるうちに、遅い先行車に追いついた。
左にウインカーを出し、車線変更。速度を落とさずに追い越しにかかる。
「…………」
先行車は2台。後ろがミニバンで前がピックアップトラックだ。
2台とも派手な内装に電飾を施しており、中に若い男女が数人、楽しそうにしているのが丸見えだった。
「楽しそうだな」
ボスが単純な感想を述べる。それ以上でもそれ以下でもないという感じの。
だが俺は少し複雑な気分になった。
勤め人になってからは、大学院時代の友人たちとも徐々に疎遠になった。
それで、ああして遊びに行くことも最近は殆ど無くなっていたのだ。
だがそれは仕方が無い事だと思っていた。仕事は辛いがやり甲斐がある。
寂しさは、社会人としての税金みたいなものなのだと。
「そうですかね」
2台を追い越し、再び右の車線に戻る。
ヘッドライトの届く限りには先行車の姿は無く、再び淡々とした走行となる。
だが、ボスはしきりに追い越した2台の方を気にしていた。
「楽しいに決まっている。でなきゃこんな夜遅くにこんな生き生きと」
生き生きと、か。
学生時代は楽しかったな。特に日本に居た頃を思い出す。
俺のたどたどしい日本語にも嫌な顔一つせずに付き合ってくれた、気のいい奴ら。
その中でも一段と細かいことを気にしなさそうな、よく言えば豪放磊落、悪く言えば単純バカな、親友の事を。
「そういえば、タケは無事だろうか?」
泥だらけのアメフトウェアで、真っ白い歯をむき出しにサムアップして見せての笑顔。あいつなら少々の事ではビクともしないだろうが。
「他人の心配をしてる場合じゃないぞ」
後方を見ることをやめたボス、懐から黒くて巨大な物体を出しながら。
「それは、何故?」
それはボス自慢のハンドキャノン。
何故、今それを出す必要が!?
「言っただろう、奴らは生き生きしてると!」
とボスが言ったと同時に、左側から猛烈な速度差で他車に追い越された。
「!……!!」
抜いて来たのはパトカーだった。
けたたましいサイレンの音と共に、車を路側帯に寄せて停車するように言っている。
「抜き返せ! ケン!!」
ボスの怒鳴り声。
それは命令なのか? 仮に命令だとしても、そもそもこれは業務なのか?
先ほどのレジャーカー2台の若者たちの笑顔が脳裏をよぎる。
ほぼ同じ場所に居るのに、片やお楽しみ、片や緊迫の真っただ中だなんて。
こんな理不尽は認めたくない、のだが。
「早くしろ!!」
疑問を持ったという意味において、これはアパートの駐車場とは状況が違う。パトカーの指示に従ってしまえば、楽にはなるだろう。
だがそれは市民としては正解でも、勤め人としては間違いだ。
俺はどうしたら良いんだ? タケ、教えてくれ!
「……知るかそんなもん。じゃあな」
皆そうして生きてるだと? それじゃその皆とやらが死んだらオマエも死ぬのか?
いい加減呆れたので、部屋から出ることにした。
先に出て行ったジミコちゃんにはすぐに会えるだろう。
なんせ俺に散々付き纏ってたようだからな、今も部屋の外で様子を見てるに決まってる。
そこでジミコちゃんに救急へ電話してもらうとするか。
そう思って、出入り口に向かって数歩進んだところで。
「ブツを、置いていけ」
「なっ……!」
それは異様な光景だった。
足元に転がっていた社長もどきの体が、一瞬獅子の姿に変わり、その直後に薄黒いかげとなってソフト屋の男の体の中に入っていったのだ。
そして、目に異様な光を宿した男は、立ち去ろうとする俺の腕を掴んで例のロケットを出すように要求してきた。
「出さなければ、代わりに命を貰うぞ」




