第2話・中年男と恋のもと
『体長15フィートの虎? それも電脳世界から飛び出してきたと?』
『キミは部門長としてよくやってるとは思うが、少し疲れてるのではないかね?』
『今回のサイバーテロは、担当者によってうまく対処出来た。それで良いじゃないか』
…………
……
「なあ、ケン」
「はい」
「例の『日本鬼子』は、その後どうなってる?」
あれから数日の後、オフの日。出先でボスと出会ったのは全くの偶然からだった。
「え、あぁ……今はその、男性化を進めている模様です」
「な……!」
「更に言うと、ショタや男の娘化も模索しているようです」
「なんだそのsho ta……というのは?」
「あぁ、ショタっていうのはですね……」
【メガネ青年説明中】
「何故そんな事を? あのミステリアスな美少女を、どうしてそんな風に変えたがる?」
「分かりません」
正確に言うと、ボスのツッコミに全くの同意なのだが。
日本人は、何故こんなに完成されているキャラクターを更にイジろうとするのか?
「一歩譲って容姿や衣服をモディファイするのは認めよう。いや寧ろ積極的に行う事を期待したい」
「はあ」
「だが性別変更はダメだ! ましてやその……あぁクソッ、日本人は全員ペドフィリアかっ!!」
40代の働き盛り。短いグレーの髪にくすんだ青の瞳。
ドイツ系らしい巨体をゆすりながら、遠く東洋のネットリクリエーションに辛辣な評価を下す。
深い洞察力と大胆な行動力で部下からの信頼も厚い人物の言とは到底思えなかった。
「いや、あの」
「それとまだ説明を受けてないが、その男の娘(Man's daughter)ってのも、どうせクソッタレなものなんだろ?」
「いいえ、ボス。それは正しくは、娘な男性(Male's like daughter)と言いまして……」
「どっちでもいいわ、そんなもん! その名称からして既に怪しさ大爆発じゃないか!」
「爆発ですか。確かに日本鬼子のネット上での盛り上がりは」
「あーもういい、聞きたくない! 俺はもう何も聞かないぞ!!」
そんなボスが、仕事と家族以外の事でこんなに熱く語るのを見るのは初めてだった。
いや、いまは両耳を手でふさいでイヤイヤをする、まるで幼いダダっ子の様だが。
「……で、キャラクタ案の最終投票が明日行われる予定になってまして」
「なに、それは本当か? ……いやどうせ真っ当な女性じゃないんだろ」
「いいえ、ボス。こちらは本流の話なので普通に女性です」
聞かないと言った直後の素早い反応に、思わず苦笑。
……鬼子にツノは付いてるけど、説明がメンドクサイから流しとこう。
「なんと、そうか! 俺はまた会えるんだな、あの娘に! それも更にグレードアップした状態の!」
「ええ、但しグレードアップは投票の数日後と思われますが」
「おうっ、そのくらい待つさ。……ケン、正式な命令は明日仕事場で出すが、そのサイトの監視を継続し変化があれば逐一報告するように!」
「イ、イエス、ボス」
言えなかった……その他のは兎も角、男の娘はちょっと良いかな、と思ったなんて口が裂けても……!
「頼んだぞ」
そう言って隣のブースに戻るボス。愛用のリボルバーを取り、弾丸を詰め替える。
此処はワシントンにある銃砲店の地下射撃場。
業務命令として、月に100発以上の射撃訓練が義務付けられている。今日はそのノルマを果たしに来ていた。
「虎めっ!!」
短い間隔で2度火を噴くボスのハンドキャノン。
15ヤードほど先に有る小さな標的が、その面積を一段と縮小した。
俺も射撃に戻る。
ベレッタM93R。ガスポート付きのロングバレル、手に馴染む別注のウッドグリップ。
装弾は済ませてある。先ず横の台上に置き、ゴーグルとイヤーマフを付けてから、素早く取り上げ引き金を引いた。
パパパンという3点バーストによる乾いた銃声とマズルフラッシュ。
発射された9mmパラベラム弾は、とりあえず全て標的の円の中に納まった。
イヤーマフを外した耳に、隣のブースからヒュウーというボスの口笛が入ってくる。
拳銃など、使う羽目にならなければ良いのだが。
「調子良さそうだな、ケン!」
「ボスこそ!」
俺は知っている。あの時ボスが一旦自分のデスクに戻り、引き出しからサブマシンガン(基本的に連射可能な銃器は所持不可なのだが、俺のベレッタ同様に国防総省上層部から直で携帯を命じられた場合はその限りではない)を出していたのを。
「それ、もういっちょ!」
再びボスの銃声。その2発のうちの一発が標的の支持棒を粉砕した。
それで標的は、まるで人が倒れる様に崩れ落ちてしまった。
「どうだっ!」
……そして、虎を見失って、危うくオフィスを破壊するところだった事に気付き、愕然としていた様子も。
ボスに倣って、標的の支持棒を狙ってみる。
両手でしっかりとベレッタを握り、慎重に狙いを定め。
銃声とマズルフラッシュ。肩に来る反動。
銃弾は全て支持棒を外した。
「甘いな!」
そう、銃撃では倒せない。そんな敵だ。
上層部から強制された理由すら知らない、このベレッタでは尚更。
「これからですよ!」
強がって見せる。当面はあのサイバーテロは来ないだろう。なにしろ詳細不明の対抗策によって撃退されたワケだからな、虎を操る者達にしてみれば。
しかし、ずっと来ない保証にはならない。次に来た時に、俺たちはどうやって対抗するべきなのだろうか?
「こうやるんだ!」
ボスの声。直後に轟音。
しかし新しく立った標的に、その銃弾はかすりもしなかった。
「マグレをあてにするのは良くないですよ?」
この前の事もそうだ。
彼女がまた俺たちを救ってくれるという保証は無いのだから。
「うるさいぞ!」
射撃場でうるさいも無いだろう。
「準備完了。行きます!」
ベレッタを単射モードに切り替え、銃把に専用のフォールディングストックを付けた。
単発の軽い音。しかしマズルフラッシュの量はそれなりだ。
そして排出された薬莢が床に落ち動きを止めた時には、標的が斜め後ろに倒れていた。
「どうです!」
「その射撃体勢を何時でもとれるものならな!」
ボスも気付いてる。しかしだからこそ、その態勢作りを考えなければならない。
その後、ノルマをクリアするまで射撃訓練を続けた。
…………
……
「ASEAN首脳会議は無事終了したようですね」
射撃訓練が終了。目と耳(それと硝煙で鼻)がやられた状態では車の運転は難しい。
それらが元の調子に戻るまで二人して銃の掃除。
合間にボスに話しかける。
「うむ。結果の詳細は出張者が報告してくれるだろう」
「出張者……ああ、マネージャですね」
分解されたベレッタ。内部の隅に残った火薬のカスを、ブラシとウエスで丁寧に拭き取る。その細かな作業が、彼の少し神経質そうな横顔を思い起こさせた。
「クリスだ。今頃はトランジットで東京かな」
クリストファー・エクルストン、確か35歳。
因みに彼の事をマネージャと呼ばずに、クリスと愛称で呼ぶのはボスだけだ。
「意外とカブキチョーでお楽しみの最中だったりしてな」
「あのマネージャがですか? まさか――」
「まさか誤植ではないだろうね?」
何度も確認した航空機のチケット。ハノイ-羽田、ビジネスクラス。
羽田には、確か国際線は発着しなかった筈だが。
(注:作中は2010年の秋です)
「新滑走路の運用開始に伴い本日より発着を始めました。良い空の旅を」
ハノイ空港のカウンターレディ。
他の客から同じ質問を何度も受けたのだろう、無駄の無い答を至って事務的に返された。
「ビジネス?」
「……サイトシーイング」
羽田空港のイミグレーション(入国審査)。査証により米国政府の人間である事は分かるから、観光と答えた事に違和感を覚えたのか担当官の表情が少し曇ったが、すんなりと通された。
その後の税関検査も、大した荷物は持っていなかった為に問題無く通過。
「これは広くなったな」
日本国内の移動で数回使った事があるこの空港。今までは必要なところにスペースが無い不便な造りだったのだが、今日の此処はその悪印象を綺麗に払拭するものとなっていた。
「まるでショッピングモールだな」
最上階のフロアにはプラネタリウムまで有った。
そこで乗り換えまでの時間潰しをするのも一手と思ったが、今日は何故か空港の外に出てみたくなった。
特に用事があるわけではない。行きたい場所があるわけでもない。
敢えて言うなら、誰かに誘われている様な、会うべき人間が其処で待っている様な。
「不合理だ」
呟いて、カードでモノレールに乗る。これでとりあえず以前使った都内のホテルまでは行けるのだろう。この妙な考えに囚われた中年男の体を運んでくれるだろう。
「これは変わってないのか」
モノレールの車内。不思議な椅子の配置と物静かな乗客たちが作る不思議なテンション。
併走している道路の車の並びでさえ、なにか型に嵌められた様な窮屈さを演出しているかの様だ。
「……降りるか」
今までは嫌いでなかった、こんな日本の風景。整然として合理的な人波と街並み。
それが今日はどうだ?
もっと広い場所へ行きたくなり、目の前の埋立地へ行く列車に乗る事にした。
「どこへ連れて行かれるのか……」
緩やかに変わっていく周囲の風景。不思議な球体を抱いたビル。遠くに船の形の建物も。
建物の間隔や道路の幅は広くないが、何故か自宅周辺の雰囲気を髣髴とさせた。
「あとは桜の花だな」
ひとりごちる。そう、それが川の近くで咲いていれば完璧だ。
『桜ならここですよ』
列車が国際展示場と書かれたホームに着いたところで、背後からそう言われた。
「……?」
が、振り返った私を、乗客の誰一人として見ようとはしていなかった。
ふむ、恥ずかしがるのが日本人の特徴だったか。
しかし好意を無駄にするのも気が引け、その駅で降りる事にした。
桜の花など無かった。
降りた駅。遠くにおかしな形をした建物が見える。
あれが国際展示場というものか。ケンが言っていたな、トウキョウには年に二度、とてつもなく人が集まる祭りがあると。あれがその会場なのか?
もしそうならこの前の道を数万人が埋め尽くすらしいが、まさかな。別の場所だろう。
でなければ、こんな狭いところでキ○ガイじみている。
想像して何か嫌な疲れを感じ、近くのベンチに腰を下ろした。
「ふっ……」
いま北半球は秋の盛りだ。桜などあるはずが無い。
空は曇天、行きかう人もまばらで吹く風も冷たい。
覗き込んだ駅の構内にある時刻表によると、次の列車まで少し時間があるようだった。
そこで時間潰しにと、バッグから買ったばかりのスマートフォンを出して起動させる。
ふむ、ネットに繋がるようだ。
そして飛び込んでくる十数通のメール。
ボスからのものも有る。『虎の実体化』。刺激的なタイトルは、しかし中身を単純明快に表したものだった。
「まさかそんな事が……」
結果として、ケンの対処によってサイバーテロは押さえ込んだ形で纏められた様だ。
しかしあのボスが、こんな作り話をわざわざメールにしたためる筈が無い。
だが、話自体が異様な為、それが逆に話の信憑性を高める結果ともなっていた。
「接続と同時に現れた、ええっと、ヒノモトオニコ?」
どうやらその電脳美少女が、虎をデリートしたらしい。
文面からして、どうもボスは彼女にぞっこんの様だが、私にはあのボスがそんなものに入れ込む様の方が、よほど異様な事に思えた。
「とりあえず、そのサイトに繋いでみるか」
接続はあっけなく済んだ。
中国語は出来るが日本語は不得手だ。とりあえず意味の分かる漢字を拾い読みする。
「ふむ、上位による決選投票か」
これでキャラクタの代表案が決まるようだ。サイトはそれなりに盛り上がってる雰囲気。
しかし、これは只のファンサイトではないか? これで電脳な実在を作り出せるのか?
「有り得ない」
スマートフォンを終了する。時間の無駄だ。桜も無い。
そして再度時刻表を確認するべく顔を上げると、そこに桜が。
「有る、のか」
正確には、花咲く桜の絵がプリントされたキモノだ。
それを身長が4フィートほど(いや、そのハイソールな履物を除くと4フィートを割りそうな)の少女が、引きずるようにして着ている。
「はじめまして、わたし、こひのもと、だよっ!」
8歳くらいの見た目に似合った快活な声で、そう自己紹介した――