第13話・虎口の難
鈴が、電話が入ってると言ってたのは少し気になったが。
まあ無視してもどうなるもんでもないだろう、目先の緊急事態に較べれば。
と焦る心とは裏腹の、スッキリ晴れた秋の日のお昼頃。
マンション近くの街中で愛車を走らせる。
「チ、コイツはどっからついて来たんだ?」
気が付けば追尾されていた。
ルームミラーの端に見え隠れする、地味な色のハイブリッド車。
マンションの駐車場には居なかった筈だが。
「山の役場の連中か? いや……」
違うな。そもそもナンバーの県名が山のものではない。
それに、その車の、年式は新しいくせに全体的にくすんでヤレた雰囲気。
この感じは、街中だけを散々走り回らないと出てこないものだ。
「山の連中なら、帰り道につけられてるのが分かる筈だからな」
あんな事があった後だ。帰り道は、それなりに気を配った。
その道中、こんな街中専用の営業車みたいなのは見なかった。
山の連中とは別口だとするならば。
「撒くに限るか」
郊外の道路と繋がる立体の交差点にさしかかった。
右折して郊外の道路に乗る。街の北側を走る片側3車線の広い道だ。
目的地とは逆方向にハンドルを切る。
ミラーで見ると、件のハイブリも間に2~3台他の車を挟んで付いてきていた。
「ついて来いよ」
街の北側を走る片側3車線の広い道。
それなりに混んでいるが、信号が無いこともあって流れはスムーズだ。
シフトアップ。アクセルを踏み込み、先行車を縫うようにして追い抜いていく。
前の職場を辞めてから一ヶ月ほど、俺に監視らしきものが付いていた。
職務上それは仕方の無い事だったのだが、それでも気分が悪いので監視の目を撒く事もしょっちゅうだったのだ。
だから、こういうのは慣れっこになっている。
しかも今現在追尾して来てるのは、状況からして以前の職場絡みとは思えなかった。
そのため、キッチリ撒く必要がある。
とりあえず適当に引き離して、中央分離帯が切れてるところで急なUターンをして対向車線に入って逃げるつもりだった。
しかし、その目論見はもろくも崩れた。
対向車線側は、何故かこちら側よりも混雑していたのだ。
これでは入り込むスキマが無い。
「あ、クソ。まいったな……」
道路は上り坂になった。街から出てくる道路とのハイパスだ。
やはり撒くのなら街中の方が良いのか?
そう思ってハイパスの頂上付近で街の方に目をやると、ひと辻向こうに相変わらず混雑したメインストリートが見えた。
そして、そこから少し離れたところに派手なラッピングを施した路線バスが走っているのも。
「……運試しをしてみるか」
「それは、キミが幸運をどれだけ持ってるかによって変わるだろう」
まるで感情を感じさせない能面で、マネージャが言い放つ。
俺の護身用の拳銃は隣の部屋のデスクの中、マネージャの向こう側。
「それは、選ぶべきでない選択肢だ」
彼我の中央に位置しているモニターを蹴って、マネージャにぶつける!
「それは」
予想の範囲内だったか、あっさり避けられる。
だがこれで隣の部屋への道が!
「蹴るべきでもない」
マネージャの横を駆け抜けようとしたところで、彼の鋭いローキックが襲ってくる!
飛んで避けるが、動きに無理がありすぎて自分で床にダイブする結果となってしまった。
両膝と左肘を床に打ちつける。
「くっ……!」
急いで起き上がろうとする。が、両足が痛みで痺れて思うに任せない。
「……?」
四つんばいのまま首だけをマネージャの方に向ける。次の攻撃を避ける為に。
が、彼は攻撃どころか間合いすら詰めず、ただ其処に立っていた。
殺気も無く、どうした大丈夫か? と手を差し伸べてきそうな雰囲気すら漂わせて。
「敵と相対する時は、自分の行きたい方を見てはいけない」
痛みが少し引いた。全速力で立ち上がる。
自分ではそのつもりだが、実際には非常にノロノロとした動きにしかならなかった。
その、意識と動きの乖離が怖い。敵を目の前にしている時なら尚更。
しかもその敵が、あの……!
「では何処を見ろと?」
まだ痺れの残る体を動かして間合いを取る。というか怯えて下がる。
「相手の目だ」
思い出してしまった、こんな時に。
何故、ボス以外の人間がマネージャをクリスと呼ばないのかを。
「それは会話の時の話ですね」
それは、その後に続く二つ名を思い出させるからだ。
局内でも随一と言われる体術と、冷徹な性格、実行力。それらから付けられた。
文官にあるまじき、普通に生活していれば使う事の無いその名を。
「これは失礼」
ゆらり、とした動きで間合いを詰められる。
あ、と思う間も無く繰り出される左の拳。
それを咄嗟に右手で外側に捌く。
(よし、カウンターで)
思った時にはその右腕を両手で掴まれ、肘を極められていた。
「ぐぅっ」
更に懐に入り込まれ、マネージャの肩に右腕を乗せられる。
このままでは腕を折られてしまう!
反射的に肘に力がかからない方向、即ちマネージャの背に乗りかかろうとした。
が、それは読まれていたか、その動きを利用されて背負い投げられ、床に叩きつけられた。
「!!……!」
クルリと回転した直後、腰から全身に広がる激痛と痺れ。
動くどころか呼吸すら出来ない!
これが“失礼”レベルなら、これより上のはどうなるんだ?
無感想な表情で見下ろしてくるマネージャ。
とどめの一撃なのか、少し屈んで右の拳を引いた。
「2~3日、まともな食事は諦めてくれ」
鳩尾に正確な一撃を喰らう。
体の中心に激痛を追加された。このまま落ちるのか……
と思ったが、まだ意識がある。ひょっとして手心を加え過ぎたのか?
Witch of Deathにも、ミスは有るのかもしれない。
モニターをテーブルの上に乗せ始めている。警戒感のまるで無い隙だらけな背中。
これなら痺れが引けば反撃も可能か。
そう思って腹に力を入れた瞬間、目の前が真っ暗になった。
周囲が一瞬真っ暗になる。
ハイパスの下、街中のメインストリートに至る交差点。
明るいところから急に薄暗いところに入った時によく起きる、暗順応というヤツだ。
視界はすぐに戻る。
目前の信号は赤。右折レーンを先頭から5~6台目で停止する。
この交差点を右折すれば、街中のメインストリートに入る事になる。
「よし、来たな」
ルームミラーの中に、件のハイブリが、俺の車の3台後ろに来て止まったのが見えた。
それと同時に。
「っと、もうか?」
目前の信号が、右折のみ可の表示に変わった。
前の車が右折を始める。
「ちょっと早すぎるかもしれんな」
ハイパスの真下、広い交差点。
そこに出てきたところで、またも目前の信号は赤。
後ろを見ると、なんとか車線に乗ろうとする後続車がひしめき合っていた。
もちろん件のハイブリもその中に居る。
「いや、そうでもないか」
街中を貫くメインストリート。
この、600メートルほどの片側4車線の直線道路には交差点が4箇所あり、両端の交差点のものを含めると、6箇所の信号機がシンクロして動作している。
今は、メインストリート方向の信号が赤に替わったばかりのため、しばらくはこのまま止まりっぱなしになる……筈だった。が。
「よし、ほぼドンピシャ!」
遠く、メインストリートのほぼ中ほど辺りにチラリと見えた、ラッピングバスの派手な天井。
交差点を左折してメインストリートに入ってきたようだ。
「はいゴメンねー」
目前の信号が急に青色になった。
戸惑う先行車を左から追い抜き、2つ目の信号機に向かって加速する。
2つ目の信号も赤になったばかりだった為に右折車はハケており、直進レーンには十数台の車が止まっていたが、右折レーンはガラ空きだ。
そこを直進した。トップにシフトアップし、アクセルを床まで踏み込んで(※作者注:違法行為です、運転は交通法規を守って安全に行ないましょう)。
「…………」
対向車線のラッピングバスとすれ違う。
流行の萌えキャラが、ボディ全体に派手に描きこまれている。
何故か気恥ずかしさを感じてしまった。
3つ目の交差点も2つ目と同じ状況だった。
委細構わず右折レーンを直進する。
そしてルームミラーで後方を確認した。
「ぬ?」
件のハイブリは見当たらなかった。
いや、それ以前に後続車自体がいなかった。
ぶっちぎったのだ。
「あ、マズ……」
4つ目の信号を直進した(ここでは既に直進車も動いていたため、直進レーンに入った)ところで念の為にもう一度後方を確認。
すると、相変わらず後続車はいなかったが、ラッピングバスが彼にとっての左側に曲がって行ったところが目に入った。
この街では先日から、路線バスの時刻表どおりの運行を実現するため、街中の信号はバスが来るとその通りの信号は強制的に青信号に切り替わるようにシステムが組み直されたのだ。
俺は、一般には未だ馴染みが無いその仕組みを逆手に取ったのだ。
もちろん、追っ手がその事を知らないのが前提の賭けだったのだが。
ここまでは、その賭けに勝っていた。
だが、バスが曲がってしまっては、そのシステムが通常に戻る、つまり俺がメインストリートを抜け出る前に信号が赤になってしまう=追っ手を振り切れない、という事だ。
「くそっ」
先行車をスラロームで追い越しつつ、5つ目の信号を青で通過。
だが、最後である6つ目の信号が今まさに黄色に変わった!
残りの距離は50メートルほどか。
「俺に運は」
このままの速度なら、黄色のままで交差点に入る事は可能だろう。
青信号になってから時間が経っているため、先行車は一台も居ないのも好材料だ。
だが、目の前の交差点はT字路。つまり右か左に曲がらなければならない。
しかもそこに横断歩道を渡っている歩行者がいたら!
俺は停止せざるを得ず、追っ手であるハイブリに追いつかれてしまうだろう。
もちろん、人身事故を起こすよりは遥かにマシな結末ではあるのだが。
「どのくらい有るんだ!?」




