さよなら、私。
私の婚約者は、とても美しい。そしてとても優秀らしい。女の私には分からない政治の世界で彼は非常に評価を得ている。だから、優秀だと周りの人から言われても、私にはあまりピンと来ない。彼が美しいということは嫌になるほど私も実感しているけれど。
彼、ヨーディリト・サローズビットは現在18歳で、伯爵家の嫡男だ。それに加えて、容姿に優れ、優秀で将来有望である、ということが意味するのは…。皆まで語らなくても分かるだろう。夜会に出たならばあっという間に令嬢たちに囲まれ、その隣にいる権利を持つ私には嫉妬やその他もろもろの視線が突き刺さる。
娘の理想を具現化したような彼に比べて、私は同じ伯爵家の次女ではあるものの、容姿は十人並だ。町へ下りればそこそこ目を引く容姿だが、こと社交界においては周りの人々がきらびやか過ぎて埋没してしまう。お世辞にも頭が良いとは言えない。あんな平凡な奴が彼の隣に並ぶなんて、と言われても仕方がないとは自分でも思っている。だって、彼と婚約できたのは、ひとえに我がルンデロイス家とサローズヒット家の仲が良く、私と彼も幼いころからともに遊び育ち仲が良かったからだ。そして彼より私は3個下と年齢的にも丁度良かったからだ。私は彼が好きだし、彼も私を好きだと言ってくれる。幸せ、なのだろうと思う。
けれど。けれど、たまに息苦しくて仕方がなくなる。
平凡で釣り合いの取れない私が彼の隣にいるためには、周りにそれを認めさせるためには、私は完璧な淑女でなければならなかった。美しい動作で、美しい言葉を操り、感情の機微を表に出さず、常に微笑み、何事にも泰然と構え、令嬢の嫌味はさらりとかわしつつそれとなく倍返しにする。そんな女性であることが求められた。
分かっている。これは貴族として、その家に生まれた女としてだれもが強いられる理想であると。
分かっている。私を蔑む彼女たちも、貴族としてこの婚約は至極当然のことであり、そこに私の容姿など関係ないことを。それでも、憧れのヨーディリト様の相手がパッとしない私であるのは許せないんだってこと。
私たち貴族は、他人と自分との優劣に敏感だ。そうあれと育てられてきた。だから私が彼女たちより、劣るとは言わないまでも優れていないことは誰の目にも明らかであり、そんな女が優秀な男の妻となり幸せを掴むのはどうしても許しがたいのだ。ヨーディリトを慕う彼女たちにとっては。
そこで生まれる負の感情を拭い去り、釣り合っていないという見方を覆す必要が私にはあった。さもなければ私は社交界でつま弾きにされ、女の戦場で居場所を失ってしまうのだから。そしてそれは、ヨーディリトの隣に居られないということを意味する。
それをはっきりと分かっているから、誰よりも完璧であることを求めた。男と違い、学問が重要視されないことがせめてもの救いだった。これまでの私の評価を覆すために、死にもの狂いだった。白鳥は優雅に見えて、実は水面下であわただしく足をばたつかせているという。自分を白鳥に喩えるほど自惚れているのではない。ただ、私も白鳥と同じように外面ばかり取り繕っているんだなと思った。少しでも隙を見せるわけにはいかない。人の目を常に意識し、優雅に、美しく。けれど一度一人になれば、みっともないくらい淑女になるために励んでいた。そんな時、他人より劣る自分をしかと理解する。大抵のご令嬢がすぐにできることも、私は繰り返し努力しなければできるようにはならないからだ。
だがその努力も実を結び、私は完璧な淑女として受け入れられつつある。
「シリリア、泣いてはいけないよ。僕の隣に居たいなら、決して涙をみせてはダメだ」
昔、私がどうしようもなく泣き虫で、ヨーディリトの後ろをついて離れなかった頃、彼が私に言った言葉だ。あの時はちっとも分からなかった。なんで泣いてはダメなんて酷いことを言うの?としか思わずに、泣いていたと思う。
今なら良く分かる。容姿に優れない私があなたの隣にいることを周りに認めさせるためには弱みを見せてはいけないということ。もうずっと、私は泣いていない。そうあろうとしてきたからだ。
でもね、ヨーディリト。私が泣き虫なのは変わらないのよ。知ってる?
今でもすぐに泣いてしまいそうになるけれど、泣けばあなたの隣に居られないと分かっているから微笑むの。そんな大人の作法を覚えて取り繕ってばかりいたら、いつの間にか本当に泣けなくなった。一人になって、あなたと二人きりになって、少し疲れて泣きたくなっても、ちっとも涙は出てこない。胸ばかりが幼いころと同じようにきゅう、と痛むばかりだ。
ヨーディリト。あなたが好きだから、隣に居たいから、私は今の私を形作っていったけれど。
ヨーディリト。私はあなたが昔、私を好きと言った時の私とは随分違う。もう、どうすれば昔のように自由に気楽にあなたの隣に居られるのか分からない。
ねえ、ヨーディリト。理想の私に近づくために、削ぎ落とし、削り取った幼い私はどこに消えたの。削いで、削いで、削いで。残った私は何なのだろう。
ああねえ、ヨーディリト。私、とっても嫌な予感がしてるのよ。
ヨーディリト、あなたが、昔の私のような女の子に恋をしてしまうような気がしてる。そんな未来が近いうちに来てしまう気がしているの。
あなたが好きだから、何のためらいもなく捨てた幼かった私は、もっと大切なものだったんじゃないかと思えてならない。あなたの隣に居るために絶対に捨てなければならなかったものなのだろうか。
理想の私であるのに、周りからも認められているのに、あの頃覚えなかった違和感を覚える。何を言われても微笑みを絶やさない自分を客観的に見ている時、私は一体誰なのだろうと考える。貴族として理想の淑女である私のどこに、“私”がいるのだろう。その理想が私である必要はどこに?
理想という服を纏っているだけだと考えても、その服の下にいるはずの私を思い描けない。
あなたの隣にいたくて。だけどそれは、私を捨て去るほどのものだった?私はこんなにもぐちゃぐちゃになっているのに。どうしてあなたはあなたのままいられるの、ヨーディリト?
嫌だ。こんなことを思いたいわけじゃない。
ヨーディリト。どうかこんな私を好きだと言って。
そうしたら、きっと私は大丈夫だから。
釣り合わない二人の場合、いつも平凡な方が我慢をする気がしています。そんな逆境を跳ね除けてまで相手を思い続けることは難しいのではないのでしょうか。