特殊メイクで騙したい
「りっこーっ! わたしに超合金美女顔の特殊メイク施してください!!」
部室の床に座り込んで装着マスクの作業をしていた友人に向かって、新名千花は人生初のスライディング土下座を決行した。からーん、と友人の手から筆が落ちる。
「……え? ちー、何してんの? ふつうに引いたわ」
「ひどい! でもそんなことどうでもいい! お願いしますわたしめの顔をその神の手で造り変えてくださあああい!!」
「いやちょっと待てとりあえず立て。まったく話が読めん」
むく、と千花は起き上がり、とてつもなく情けない顔を押し上げた。土下座したときに床に強打した膝が痛くて仕方ない。うう。
「だって、鷹臣くんが……」
「たかおみ? ああ、浅尾ー? あんたの彼氏がどうしたってのよ」
浅尾鷹臣。ことの発端は、千花の愛しい愛しい恋人のまったくもってクールな態度に起因する。
千花が彼と出会ったのは、まだ中学一年生のとき。同じクラスで、でもその頃はべつにさほど仲良くはなかった。ただのクラスメイト、だった。それからまあ、クラスメイトなりに適度な親交を深め、友達、といえるくらいにまでなった。恋に変わったのがいつかは、よく覚えていないけれど、三年生に上がった頃にはもう千花は鷹臣くんのことが好きで好きでたまらなくなっていた。で、まあ、そう。受験でほとんどの生徒が自由登校になる二月のはじめあたりに、たまたま帰り道が一緒になって、告白した。言い逃げするつもり満々だったけど、なぜか鷹臣くんは千花を受け入れてくれた。それから一年と半年弱。高校二年生になった千花は、ありがたいことにまだ振られずにいる。
それは、いいことなのだけど。
偶然にも同じ市立第三高校を志望していて、そのうえふたりとも合格できたのも、とっても喜ばしいことだったのだけど。
「鷹臣くんは、ぜったい、そんなに、わたしのこと、好きじゃない……」
だってそっけないのである。
いや、もちろん、彼と付き合いを持って――友人だった頃も勘定にいれて――四年とちょっとにもなるのだ。彼に、多少なりとも好かれているのは分かる。一緒にいることを、嫌がられてもいないことも。告白したとき、俺も、と言ってくれたので、まあ、うん、そういう意味も、ちょっとは、ある……と、いいなあ。どうなんだろう。じゃなくて。それはともかく、彼にとってそれなりに重要なカテゴリーに入れてもらえていることは、じゅうぶん分かっているのだ。
だけど、彼は、一度だって自分にときめいてくれたことは、あっただろうか?
……それは、まあ、ときめくような要素がないことも、自分の容姿が優れていないことも、よっく承知していますとも。でも、そういうことじゃなくてですね。そういう問題じゃなくて。
だって!
わたし!
彼女なのに!!
すっぴんを多少なりとも割り増しできる化粧をしたり、まあまあ可愛い――あくまで装いが、だけど――おしゃれしたりして、鷹臣くんが嫌がらない程度にべたべたして。みたり。したのに。しているのに。
鷹臣くんの表情は基本的に無に尽きるし、ちょっとかまってちゃんオーラ出してねえねえとまとわりつくと「うるさい今本読んでるから黙って」とか言われる。ひどくないですかこれ。ていうかわたしが彼女じゃなくてもひどくないですか!
「あー……浅尾はほんと、そういうとこあるからねえ……」
じゃっかん引き攣った顔で、中学時代からの友人律子がフォローにならないフォローを入れる。りっこももちろん、鷹臣くんのことを知っている。クラスもほぼ同じだったし。そんなりっこは軽粘土で作った悪魔っぽい角にフレッシュラテックスで傷痕をつけている。話聞き半分である。話聞いてください。
「や、でも、浅尾はさ……」
「そう! わたし知ってる! 鷹臣くんの好みのタイプは、ちょっと切れ長の涼やか目許にぽってりした唇の、じゃっかん色っぽいクールビューティー! 氷の男のあのひとにぴったりだね!」
「落ち着きなって。泣かないでよ塩水が飛び散る……」
本気で嫌そうにされ、千花はしおしおと萎んだ。すみません。「あと暇ならこれ繕っといて」と縫いかけの衣装を渡される。もそもそと針を持つ。せつない。
「で? どっから特殊メイクに繋がるわけ?」
面倒そうながら、けれどもこんなふうに聞いてくれるりっこが、千花は大好きである。ぱあっと顔を輝かせ、ぐいっと身を乗り出す。
「あのね! 元のわたしじゃダメなら、理想の顔になればちょっとくらいどきっとしてくれるんじゃないかなって!」
「はー?」
頭大丈夫かこいつ、というりっこの視線は、残念ながら千花には通じなかった。彼女は握りこぶしを作る。
「たった一度で良い! 鷹臣くんを振り向かせたい! ほんの一瞬でいいから可愛い! 好き! みたいに思わせたい!」
「せつねえ」
「もーわたしの原型なんてまるでない好みドストライクの顔で突撃して、分かってない鷹臣くんにどーよわたしだってやればここまでできるんだぜ! ってドヤりたい!」
「なんかもう可哀想過ぎるからやめて」
鷹臣くんはぜったい、千花のことを可愛いと思ったことなんてないだろう。たぶん、このまま、鷹臣くんが運命の恋とかにでも出会わない限り、自分は彼女のままでいられると思う。それだけで我慢するべきなのかもしれないけれど……でもなんでわたしがそこまで耐えてやんなきゃならんのだ、とも思う。好きなものは好きだし、彼女なのは彼女なんだし、好かれたいのは好かれたい。ぜんぶ混ざりあっていて、同時に別々の話だ。そもそも、付き合っているからこそ、可愛いと――実際、可愛くなくても! 自分なりの努力で!――思われたくなるのは、それほど突飛なことではないはずだ。
そう、一度でいいのだ。
あの男の不意を突いてやりたい。どきり、ってさせたい。こんな可愛いのが俺の彼女か、とか思ってほしい。あ、いや、これ無理そうだけど。
だから、と千花はぱんと両手を叩き合わせ、友人を拝むようにする。
「お願いします! 美女顔に塗りたくってください! できればクールビューティーで」
「図々しいなおい。つってもねー、特殊メイクってそういうもんじゃないんだけど」
「そ、そこをなんとか……」
我が映画部の部室は雑然としており、今日は晴れの土曜なので、役者連中は天気の良い午後いっぱいを使って外で練習している。音響班や制作方は部室の中のそれぞれのエリアでそれぞれの作業に没頭し、総監督とカメラたちは役者に付き合っていていない。そして本日活動中の特殊メイク班はりっこひとり。千花は音響なのだが、すでに今日のノルマは終わっていて、他にやることもないし邪魔だから帰ってよいと言われていた。あんまり機材がないので、必然的に多量の同時作業は難しくなるのだ。でも邪魔って。けどまあ、だからこうして、チャンスだとばかりにりっこのもとへ拝みにこれたわけだけど。
無理だろうか。やはり、塗ったマスクを貼りつけるべきか。
「うーん。ふつうの化粧でならできるよ。顔面の造りをまるっと変えるの」
「えっ、ほんと?」
「うん。特殊メイク班をナメるでない。マスクを貼りつけたかのように変身させてしんぜよう」
「神よ! お願いします!!」
けろっと言われ、千花は再び土下座した。ひたい打った。
鷹臣くんは、クールな男である。
本が好きで、写真が好き。だから、図書委員を引き受けて、写真部に入っている。うちの学校の写真部はゆるいらしく、週二日、月初めに決められた時間帯に必ず集まる以外は、好きなようにしていて良いらしい。負の熱血性と死なばもろとも精神を持つカオスな我が映画部とはわけが違う。羨ましいとか思ってない。
でも、だから、千花たちは帰宅時間が異なる。そのはずだ。でも鷹臣くんは、千花が終わるまで待っていてくれる。なぜ、と最初に聞いた。そんなの悪いよ、時間もったいないし、先帰っていていいよ、と。でも。
『なんで。べつに悪くないよ。待ってる間、写真撮れるし、本も読める。ちーから連絡くるまで、待ってるよ。付き合ってんだから当然じゃん、馬鹿じゃないの』
鷹臣くんは、本当に当然みたいに、こう言った。ぜんぜん、当然じゃないのに。それは、ものすごくたいへんなことのはずなのに。
断るべきだった。でも千花は鷹臣くんのこの言葉に、もう何も言えなくなって、こっくりと頷いてしまった。ただ、学校に許可を取って遅くまでいるときだけは、先に帰ってもらうよう、約束した。あのひとはとても不満そうだったけれど。
そういうひとだった。だから千花は、このひとにもっと好かれたい、と思ってしまう。恋をしている。千花は、鷹臣くんに恋をしている。
本を読んでいるときの横顔が好き。写真を撮る時の無言が好き。いつだって静かで、どこか張りつめて、でも整然とした時間の中にいる鷹臣くんが好き。つめたくて、そっけなくて、千花に対してかなり雑で、ぜんぜんこっちを見てくれない。どうしようもないひとなのに。
そんなあなたと手を繋ぐことが、わたしにはたまらなく幸福なのだ。
でーきた、と暢気な声に目を開ける。と、ひょいと手鏡を渡された。
反射的に鏡を覗き込み――唖然、と目を見開いた。
「えっ、ほんとにクールビューティー! すご!」
「どーよ! 見たかりっこさまの腕前を!」
「すごいすごい! りっこ天才!」
「あっはっはー! もっと言いたまえ」
鏡の中に映る千花は、もはや千花ではなかった。面影がないどころではない。同じパーツがない。どうやったのか、耳の形すら、少し尖り気味に変わっている。吊り目がちの目尻に沿って塗られた赤ベースのアイシャドウが色っぽい。唇もぷっくりぽってり花びら型。ファンデーションもパウダーも塗りたくられた気がするのに、肌は素のままのようにつやつやしている。すっと通った鼻梁は女優さんみたいだ。何より恐ろしいのは、こんなに変形しているのに、これは美人のすっぴん、と思わせる仕上がりなところである。どうなっているんだ。千花の髪は染めていない黒のままで、ちょっとウェーブがかっている、いわゆる癖毛なのだけれど、この超合金美女顔と合わせるとまるで子どもっぽさがなかった。そのあたりの塩梅までさすがりっこ様である。
はああ、と感動していると、どうやら様子をうかがっていたらしい部員たちがぞろぞろと集まってくる。でばがめである。
「うわっ、何それ新名? 声聞いてもぜんぜん分からんわ」
「これはやばい。荻本、今度うちの役者勢にもやってやれよ」
「マジ綺麗だなー、これは惚れる。黙っててくれたら惚れる」
「妖・怪・七・変・化!」
「いやー、毎回同じ顔作れるかが微妙なんですよねえ」
「今なんかすごい失礼なこと言われた気がする……」
「えーっ! ちー、超美人! やっばい。それぜったい誘拐されて宇宙人の嫁にされるよ」
「ごめんちょっと意味がわからないよ!?」
「新名ちゃんハアハア。クールビューティーを取り乱させたいハアハア」
「マリア先輩こわい! ガチっぽくてこわい!」
「新名その顔でその反応はだめだろー。もったいないさすぎる」
「つーか違和感半端ないな」
言いたい放題である。
じりじりと後退しつつ、千花はさっとかばんを持った。
「と、とにかく。わたしはこれから彼氏をぎゃふんと言わせにいきますんで! お疲れさまっした! りっこ本当にありがとう!」
「おっかれー」
「がんばれやー」
「浅尾はぎゃふんとか言わんだろ」
「ばいばーい」
「新名ちゃんばいばい」
りっこは無言でぐっと親指を立てた。それを見て、千花は重々しく首を振った。踵を返し、ポケットからスマホを取り出す。時刻は三時半に近い頃合い。今日は写真部も部活の日なのだけれど、確か四時前には終わると言っていた。微妙な時間だ。まだ終わってはいないだろうけど、どうしようか。正門の花壇の前で待っていようかな。そういえば、今度青系のパンジー撮りたいって言ってたな。廊下を足早に進みながら、SNSを開いて連絡しようとしたそのとき、しゅんっと鷹臣くんからメッセージが届いた。
―― 終わった。図書室に移動
「わっ! 待った待った」
行動がはやいよ! と突っ込みながら、わたわたとメッセージを返す。
―― 私も終わりました!追います!
―― 図書室でだいじょうぶ?
「っと……、お?」
――だめ。正門の花壇のとこ
――走るな
「うあっ、はい!」
ぴたっと急停止する。見ていたかのようなメッセージにびっくりしてしまった。はしりません、と返した千花は、挙動不審になりながら、サッと方向転換し、階段をなるべく素早く降りて下駄箱に向かう。靴を履き替え、正門へ。
千花の通う学校は門から校舎までの道に金木犀が並ぶ。その並木が途切れたあたり、校舎にほど近い位置にコスモスや撫子などの植えられた花壇が点々と配されている。開けているので人待ちのしやすい場所だ。ちなみに秋は金木犀の匂いがきつくて鼻が曲がりそうになる。
千花はあたりを見回し、花壇に腰掛ける細い男子生徒を見つけると、ぱああっと顔中に喜びを溢れさせた。しかしすぐにハッと表情を改め、キリッと美女顔を引き締める。しずしずと歩いてみる。彼は文庫本をめくっている。無言で彼の前に立つ。緊張。すう、と息を吸い、話しかけようと決心すると、そんな千花の影に気づいてか、ふっと鷹臣くんが面を上げた。息が止まる。
「ちー。はやかったね」
「えっ」
即バレた。
……ええーっ、なんでえ? がっくりと肩を落とし、美女顔を思い切り情けなく歪めると、鷹臣くんは心の底から不審そうに彼女を見上げた。
「おまえ、それどうしたの? 整形?」
整形って。そんな反応は期待してなかった!
「ち、違うよ! メイクだよ! りっこにやってもらったの。ていうか、よくわかったね。わたしの面影なんてぜんぜんないでしょ?」
このひとは名探偵かと疑る千花に、ああ、と彼は気のない調子で答える。
「人間、目さえ見れればわりと分かるよ」
なんだそれ……妖怪か。分かんないよふつう。どういう観察眼なの。そりゃあ、カラコンも入れてないけど。くるくるうねる髪にくるくると指を絡め、千花はなんだかしょんぼりする。彼氏どのはまったく顔を赤らめることも、動揺することもなく、平然と千花を観察している。どちらかというと、りっこの技術に感心しているふうだ。ぐぬぬぬ、悔しい。千花はばっと顔を上げ、腰に手を当て、ふんぬと胸を張った。
「でも! ほら! よく見てください!」
主張すれば、胡乱ながらも視線を向けられる。
「わたしは鷹臣くんの好みなんてとっくのとうにお見通しだよ!」
「はあ?」
「ほら、ほら! こういうクールビューティーなかんじ、鷹臣くんの好みばっちりでしょ? ね? かわいい? かわいい?」
「……」
「かわ、いい、で、しょ!?」
もうやけっぱちだった。頬が熱い。指先が震える。ああもう、無理矢理にもほどがある。ぜんぜんクールビューティーじゃないし。顔だけだし。恥はかき捨て! と脳内で叫ぶ。大丈夫かこの女、という目をしていた鷹臣くんは、やがてゆっくりと笑みを作る。どこか不敵で、同時に満足げな顔だ。千花には滅多に向けてくれないような、とびきりの笑顔だ。どきり、とする。
鷹臣くんの指が、千花の頬に伸びる。
「ああ、可愛いよ。すごい俺の好み。ちー、分かってんじゃん」
そう言って彼は千花の頬を優しく撫でた。
千花は。
「……え、あ……そ、う? ……あ、うん……すごい、でしょ……?」
千花は、あんまり嬉しくなかった。
どちらかというと、茫然としていた。目論みは上手くいったのに、かわいいと言わせたのに、珍しく褒めてもらえたのに、なんだか心にぽっかり穴が開いたみたいだった。複雑、そう、複雑だった。だって、鷹臣くんが、本当に滅多にないくらい、いい顔をしている。なんて。
「……そ、そんなに、普段のわたしの顔は、お気に召しません、か……」
ぼそり、と口の中でぼやく。ひっそりと。納得いかない気分だ。でも、すごく勝手な気持ちだ。自分でこうなることを期待していたくせに、どういうつもりなのだ。我ながらまったく苛立たしい。せっかく、ぎゃふんと言わせたようなものなのに。
「でも、もうそれ洗ってきなよ」
うじうじとした考えは、でも鷹臣くんによってぶった切られる。彼は読みさしの文庫本をかばんに仕舞い、立ち上がって土を払った。そうしながら続ける。
「かわいいっつっても、なんかおまえの感じしないし、違和感しかないんだけど。あんまりやらしい気持ちにもならないし」
「へ」
ぱかん、と口を大きく開ける。思わず、鷹臣くんをガン見する。先ほどまでの鬱屈はすべてきれいに消え去り、心は踊りそうなくらい浮き立った。じわじわと頬に赤みが差していく。え、え、と声にならない声を洩らす彼女を、高校に入ってずいぶん背の高くなった鷹臣くんが見下ろす。
「なに?」
え、あ、えと、と口ごもると、ズバッと切られる。
「はっきりしなよ」
「うあ、あのっ! え、えと、鷹臣くん、って、わ、わたしのこと、そのー……ちょっとでも、すき? ですか? 見直した?」
「は? 何調子乗ってんの?」
氷の視線! こわ! 突き刺さった!
「うぐ、すみません」
「それべつにおまえがメイクしたんじゃないじゃん。ていうか見直すとかありえないし」
「うう……」
ブロークンハートである。持ち上げて落とすとは、この男の無意識鬼畜度もなかなかに上がっているようだ。悲しい。調子に乗ってほんとすみませんでした。
ダメージを受ける千花を追撃するような、呆れの溜息が落ちる。
「――あのさあ、今日のおまえの行動、ほんと失礼なんだけど」
あう、と千花はとうとう涙目になって青ざめる。けれど彼はさらりとこう言い放った。
「そんなことしなくても、もともと俺はおまえが好きだよ。まあ可愛くしてくれんのは嬉しいけど、整形並にやられても困る」
「えっ」
青天の霹靂とはこのことだ。頭の中が真っ白になる。鷹臣くんは今、なんと言った? 信じられない。ありえない。でも幸福が胸に押し寄せる。こんなに簡単に世界はひっくり返ってしまう。千花は目をいっぱいに見開いて、話は終わりとばかりに歩き出した恋人の裾をはっしと捕まえた。
「ちょ、待って――もっかい! もっかい言って! ねえ!」
「うるっさい、帰るよ」
「ええー!」
その顔で寄るなと邪険にされて、それでも千花は幸せだった。にへにへと頬が緩んで仕方ない。あんまり彼女がまとわりつくので、鬱陶しくなったのか、鷹臣くんは千花の手を乱暴に繋いだ。さながら落ち着きのない飼い犬のリードを引っ張るような仕草だった。そんな触れ合いにすら千花はえへらっと相好を崩し、ぎゅうっと彼の手を握り返す。
「鷹臣くん! 大好き! 超好き!」
「あっそ」
空はじんわりと赤らんで、透き通るような水色と混じり合う。花壇のパンジーが揺れるのを見て指さすと、鷹臣くんは微かに口許を笑ませて何やら雑な手つきで千花の頭を撫でてくれた。うふふ、と浮かれた声が洩れそうになる。ひらりと眼前を蝶が横切った。
まったく本日も平和で幸せな一日である。
・・・
部室の窓から花壇のあたりを見下ろしていた律子は、頬杖をついたまま呆れ笑いを洩らした。
「はは……アホかあいつら……」
爆発しろ、と物騒に呟く。そもそも、浅尾が千花を大して好きではない、という前提が間違っているのだ。千花はそっけないとか振り向いてくんないとか落ち込んでいたが――
(いやいやいやどこがだよ。あんたが気づいてないだけだよ。あいつ、ちーのこと超見てるから。見過ぎだから。むしろあいつの方が先に狙い定めて捕まえたんだと思ってたんだけど)
浅尾鷹臣という男は、たいそうクールな男だ。態度ばかりは。
彼はいつだって、千花が見ていないときに彼女を余すところなく見つめているのである。だから整形かというほどメイクで盛った彼女のことも、悩む間もなく分かったのだろう。恐ろしい。だいたい、あの男があんなにそっけないのは、彼女に対してだけなのだ。このあたり、愛情表現の歪みが見て取れる。今だってさりげなく人の目につかないよう千花を上手く誘導して、ふたりっきりになるべく動いているではないか。あれは美女顔のせいで千花が他の人間に見られるのが嫌なのだろう。うわ、頭にちゅーした。牽制か。しかも当人に気づかれないようこっそりって。「そんなに好きじゃない」? いやいやいや。
むしろ、浅尾の愛が重過ぎる。
(でも、特殊メイクに騙されないで)
みたいな!
唐突にクーデレ書きたい!と思い立ったものの滲み出るコレジャナイ感……ぐぬぬ。
ここまでおつきあいいただきありがとうございました。