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第一話part2

 あなたの名前は? そう訊いてきたからには、この人と俺との間に接点は無い、もしくは顔だけ見知っている程度だったという事だ。それでいて、団長が自分の自慢の劇団を解説しているという事は、俺はこの劇団について元々知っていなかった。

 過去に一度でもこの団長と会っていたならば、きっとこの劇団について一度は説明を受けているはずだ。なぜなら、会って間もない俺にもこの人の“ネルア”への愛情は伝わってくるほど、彼の声には感情がこもっていた。

 そういう素振りすら見せず熱弁し続ける団長も、きっと初対面と考えるのが妥当だ。結論として、この二人は俺の事を何一つ知らない。

 一々そんな風に考えないと、この二人との関係性を明示できないことから、やはり記憶が無くなっているという事になる。そう思うと、途方もないほどのもの淋しさを感じた。

 単に記憶を失ってしまったというだけの話ではない。今まで、自分が一生のうちに辿ってきた軌跡、それを自らの頭から消してしまった喪失感。今までの自分を自ら否定してしまった、この悲しみ。それらは言葉では言い尽くせないほどに、大きすぎるものだった。


「まさか……記憶喪失ですか?」


 己の心の中で考えるのでなく、他人から言葉にして出されたその瞬間、既に俺の中で膨張していた不安が一気に弾け飛んだ。言葉を声にされてしまったせいで、もうそれは疑いようも無く、避けようもない出来事なのだ。

 何も答えられなくなった俺は、せめて肯定だけはしておこうと、ゆっくりと首を縦に振った。


「どうしよう、何も思い出せねえよ、ははっ……」


 辛うじて口からこぼれ出たのは、負け惜しみにも似た乾いた笑い声。自分の名前、どこで育ったか、何を学んだのか、そして……なぜ記憶を失ったのか。何一つ頭に浮かんでは来なかった。

 どうしたらいいのか分からず、俺とルカは沈黙の中にいたのだが、団長はそうではなかった。彼は周りを気にしない講釈を、今の今まで続けていたらしく、そのために俺達の会話など耳にしていなかったようだ。何せ、顔色がまったく変わっていない。

 そして、場の雰囲気を読むという力が欠如しているのか、彼はいきなり見当違いな提案をしだした。


「ややっ、まさか我々の劇が見たいんですかな。それならご安心を。怪我人への出血大サービスとして、無料で見せてあげようではありませんか」

「いや、団長実はこの人は……」

「ささ、怪我してへこんでいても、我々の劇を見れば一発で元気百倍です。開演まであと二時間、私達も今から会場に向かうところなので、余裕で間に合います」


 こんな時にも聞く耳を持っていないようだが、今の俺にそんなことを考える余裕はなかった。ただ呆然と、操られるがままに団長の指示を受けてベッドから立ち上がる。

 看護師さんがその様子を見て、団長に文句を言っているようだが、持ち前のマイペースな語り口で丸めこんでいるようである。俺は、ふと近くに置いてあった手鏡で、自分の顔を見てみた。

 それを見たことがきっかけになって、記憶が戻ったら良いな。そんな淡い期待を抱いて覗きこんだのだが、それはあっさりと裏切られた。そこに映っていたものを見て俺が言えたのは、「ああ、俺ってこんな顔なんだ」という呟きだけだった。

 自分で言うのも何だが、優しそうな目をしていた。だけど、茶色い瞳には生気が宿っていなかった。覗きこんだ鏡の中の髪の毛が黒くて、あの夢の中の虚無を思い出すのが怖くなった俺は、慌てて手鏡を裏返して元の場所に置いた。


「さーて、看護師さんの了解ももらいましたし、行きましょうか。えーっと……名前聞いてなかったな。そこのキミ、行きますよ」


 ほら、やっぱり話を聞いてなかった。

 だけど、そのアホらしさに少し癒された俺は、特にすべき事も見つからないのだから彼らの劇を目にしようと考えた。

 少しぐらい、この悲しみを紛らわせることができるんじゃないか。そんなかすかな思いを胸のうちに秘めて。


「ごめんなさい、強引な団長で」

「ううん……俺は大丈夫」

「そうなの。じゃあ、こう言うのも何だけど、楽しんでいってね」


 そうやって笑うルカの顔は、やはり俺の目には眩しすぎた。

 その輝きのせいで網膜が焼けてしまわないように、俺は反射的に目を背けた。何だか、目だけではなく顔全体が火照っているような気がする。

 待ちきれない様子のルカに手を取られて、俺は引っ張られる。もう既に、自己中心的な団長は歩き出しているようだ。

 確かな手のぬくもりを感じながら、俺は二人についていった。

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