番外編:3 松浦とオムライス
うちの店は祖父・春治郎(初代)が国内外で料理の修行をしたあとに現在の場所に開店してもう60年近くになる。繁華街の裏通りにある小さな店で特に宣伝もしていないが、ありがたいことに客足が途絶えることもなく営業し続けている。
祖父は10年前に厨房引退宣言をし、現在は2代目の親父と3代目の俺が店を切り盛りしている。
引退後の祖父は、ボケるどころかますますパワーアップしていて80を過ぎたいまも繁華街をぶらぶらすることを好み、パソコンを覚えて観光案内所で受付を引き受けたり、仲良したち(こちらも同年代の元気者ばかり)と習い事や遊びに行ったりと日中ほとんど家におらず、まあ元気だ。
祖父を見てると、人は年齢じゃなくて本人の心意気しだいなんだなー、と俺はつくづく思う。
そんな祖父が、週に1度か2度ほど厨房にいるようになったのは半年前からだ。昨日PCでメールをチェックしたあと、うきうきとドミグラスソースを作りはじめ次の日には厨房の奥からちらちらとドアをチェックしている。
「親父、じいさんがドミグラスソースを作ってるということは誓子ちゃんが帰ってくるのか?」
「今日帰国するってメールが昨日届いたらしい。お前より父さんのほうがよっぽど私生活が充実してるよなー」
「うるせっ」
“誓子ちゃん”というのは、祖父が星の数ほどいる(自称)と自慢しているガールフレンドの一人で、観光案内所から頼まれた彼女が祖父たちに英語を教えるようになって仲良くなったらしい。
祖父いわく“誓子ちゃんは大企業でバリバリ働く語学堪能な24歳。週の半分は海外出張に行っていて疲れているはずなのに、案内所の頼みを快く引き受けてくれた優しい女の子”なんだそうだ。
祖父は彼女が帰国するとまずオムライスを食べるというのを聞いて“うちの店でわしがつくったオムライスを食べてくれ”と彼女を誘ったのが始まりだ。
彼女は祖父のオムライスをいたく気に入り、それからというもの昼間に帰国するときはうちの店でオムライスを食べていくようになった。
なぜか祖父は俺と彼女が顔を合わせないように謀っているらしく、彼女が来る日の俺は朝から祖父の言いつけで遠出をさせられる。しかし今日は祖父から用事を頼まれてはいない。だから誓子ちゃんを見ることができるチャンスだ。
祖父と同じくらいドアのほうをちらちらと見ていると、カランというベルの音ともに一人の女性が入ってきた。
チャコールグレーのパンツスーツにネイビーのシャツを合わせたすっきりしたスタイルにオレンジ色のトロリーバッグを持ち、髪の毛はすっきりと後ろでまとめている。黒目がちのくるりとした瞳は印象的だけど、顔立ちは普通かな・・・・などと厨房越しに見ていると、祖父がぱあっと顔を明るくして出て行き、女性に声をかけた。
「誓子ちゃん、いらっしゃい。疲れただろう?すぐにオムライス作ってあげるからね」
「春治郎さん、こんにちは。私も帰国してオムライス食べるのを楽しみにしていたんです」
あれが“誓子ちゃん”か!!あとから父も出て行き、楽しげに挨拶しているところをみると、どうやら俺以外の2人はとっくに顔見知りらしい・・・しかも俺が厨房にいるのを知ってて呼ばないあたり、なんかちょっとむかつくんだが。そういうことなら、俺は自分で存在を知ってもらうからなっ。
祖父は厨房に戻ってくるといそいそとチキンライスを作り、卵を薄く焼きチキンライスを包み込むと紡錘型に整える。そして仕上げに前日から仕込んだドミグラスソースをかけた。付け合せはにんじんのグラッセと、旬の野菜のさっとゆで。そしてパセリをのせればうちの店のオムライスだ。
「じいさん、俺が持っていくよ」
「は?お前、孫のくせにわしの楽しみを奪うのか」
「せっかくだから孫として、じいさんのガールフレンドに挨拶しときたいし?」
「お前みたいなとっかえひっかえは誓子ちゃんに近寄るんじゃない」
「最近の俺はもう聖人君子そのものだよ。それに温かいものは温かいうちに食べてもらうのがうちの店だろ?」
「あ、こらっ!!」
俺はじいさんを無視して、さっさとお皿を取ると彼女のテーブルに持っていった。
「お待たせしました。祖父がいつもお世話になっております」
「は・・・え?祖父って」
「私は春治郎の孫で、ここの3代目です」
目を見張る彼女に俺はにこやかに挨拶する。
「そうなんですか。初めまして三島誓子です。こちらこそ、おじい様にはいつもお世話になっております」
「そのバッグは・・・」
「あ。今日は海外出張からの帰りなんです。ごめんなさい、お店に大きな荷物を持ち込んでしまって」
「いいえ大丈夫ですよ。そういえば祖父から三島様は海外出張が多いと聞いてます」
「ええ。今日はアメリカから戻ってきたところなんです。私、帰国したら真っ先にオムライスを食べることにしているのですが、春治郎さんのオムライスを食べたらもう他のお店では食べられなくなってしまって。だから、春治郎さんの言葉にいつも甘えてしまうんです」
そこでにっこり笑った彼女の顔に、俺は思わずどきりとする。確かに顔立ちは普通だけど・・・笑顔がすごく可愛い。
もしかしてミヤが董子ちゃんに感じたものもこういう気持ちだったんだろうか。あいつは天使の前髪をつかんだけど、俺はちゃんとつかめるのか。
ただミヤと決定的に違うのは、俺の場合は誓子ちゃんの前に祖父を懐柔しないといけないってことだ。




