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仕事を既に辞めていたので私は毎日ヒマだった。
家のことはなるべくやろうと思っていたが、母が手際良く済ませてしまうので引きこもりのような日々を過ごしていた。
父はあれきり何も言わないからほとんど全く口をきいていない。
「操、手紙がきているわよ。」
誰からだろうと受け取ったら泰からだった。
中には飛行機の往復のチケット、行き先は泰のチームが本拠地にしている地域に一番近い空港、だと思う。
それからホテル名前と連絡先が書かれた便せんが一枚だけ。
飛行機の予定からして1週間くらい滞在できるのだろうと推察される。
その夜泰から電話が来た。
「チケット届いた?」
「昼間ね。」
「予定ないなら来てみない?」
「このホテルって食事ついてるの?」
「朝はつけておいた。郊外に近いから大した観光はできないけど昼は自由に決められる方がいいだろう。夜は俺の予定がなければおごってもいいよ。」
海外旅行は何度かしたことがあるからパスポートは持っている。
泰に会いに行くとうい気分ではなかったが父達に気を遣わせる家の中が居辛かったのもあったので、チケットを使うことにした。
泰がチケットを送ってくれたことを両親に話しして私は出発した。
チェックインしたホテルの部屋に入って荷物を広げ寛いでいると泰から電話が来た。
「明日試合に出るけど、見に来る?」
「行かない。」
クスクスという笑い声と一緒に「だろうな。」と言ってそれから
「6時頃迎えに行くから支度してロビーで待ってて、メシ食いに行こう。」
「ドレスコードのあるところは嫌。」
「俺が連れて行けるのは安くてカジュアルな店だよ。」
6時少し前、泰がロビーに来た。
先にこっちが待っているのは癪だったけど、一人で部屋で時間をつぶすのはつまらなかったので、ロビーのフロアのお店を見ていたらバッタリ会ってしまった。
連れていかれたお店は言われた通りカジュアルで値段がお手頃というより、値段の割に量がものすごくて驚いた。
「明日何するか決めてる。」
「全然。」
「ちょっと遠いけど動物園があって、結構面白いから行ってみれば。」
食事を終えて泰は私をホテルまで送ってくれた。
明日試合があるからと私が部屋に入るのを見届けて帰って行った。
次の日泰に教えてもらった動物園へ行った。
女の子一人の海外旅行は危ないって言われているけど、泰が教えてくれた地元の人しか行かないような動物園では至ってのんびりと過ごせた。
父と娘の親子連れが視界に入ったときだけは泣きそうになったけど、動物園なんて久しく行ってなかったから意外と面白くて動物を見ているだけであっという間に時間が過ぎていった。
1週間の滞在中動物園には2回行った。
あとはその動物園の途中に見つけた公園に行ったりで、観光らしい観光はほとんどしなかった。
滞在期間があとわずかとなったところで家族や友達へのお見げを買わなきゃと思い買い物に出たが、行ったお店は免税店ではなく地元のお店ばかりだった。
泰にご飯をおごってもらったのは2回、最初と最後の夜だけ、でもべつに文句はない。
そもそも泰に会いにきたわけではないから全く問題ない。
「おやすみ」とあいさつをしてホテルの部屋のドアを閉める瞬間泰の瞳があの日と同じ赤みを帯びていた。
ドアの向こうに泰がいるって分かっていてもガチャリと音を立てて鍵を閉めてしまった。
胸が苦しい。
翌朝、チェックアウトをしようとしたらフロントに泰がいて鍵を奪われた。
泰が清算しようとカードを出すので、飛行機代も返していない私は「それくらい自分で払う」と断ったけど、「操はダメ」と言われた。
泰はそのまま空港まで一緒に行ってくれた。
私の荷物も泰が持ってくれた。
でも会話らしい会話は一切していない。
「・・・色々ありがとうね。」
他に言葉が思いつかなかった。
「操、あのさ。俺と結婚しない?」
泰の言葉は突然のような気もしましたし、きっといつか言われると予感していたものでもありました。
でも私は・・・
「やっぱり泰はダメだよ。」
「俺がダメなわけじゃないだろう。俺の仕事とか置かれている状況とかが嫌なだけだろう。それは分かってる。分かってるけど、それでも、俺は操がいいんだ!」
「だったら今すぐ辞めてくれる?無理でしょ?」
泰は黙ってしまった。
例えば今のチームとの契約期限まで待ってくれとも言わなかった。
まだまだ長い道のりをこの世界で行きぬくつもりなんだ。
「操じゃなきゃ嫌だ。」
呟くような声で泰が言った。
私は「スポーツマンはダメ」と念押ししようとしたが、口を開きかけた時ちょうど搭乗案内のアナウンスが聞こえた。
だからそのことには触れず
「帰るね。」
とだけ言った。
私はゲートに向かったけど、泰の方へは振りかえらなかった。
ドクンドクンと激しい鼓動に襲われた。
苦しくて、体中の骨が軋んでいるようで、激痛に耐えながら前進している感じだった。
泰はダメ。泰だけはダメ。
あの海で心の奥に閉じ込めた孤独と悲しみと涙を泰は全部見ていたから。
泰のそばにいてはダメ。
きっと暴かれる。
穏やかに静かにそんな気持ちで暮らすことが出来なくなってしまう。
「最近連絡が取れないと思ったら傷心旅行してたんだ。」
小学校からの親友の可織にお土産を渡しながら結婚を辞めたことを話ししたらそう言われた。
「ここってさぁ。泰久くんのチームの本拠地だよね。会ったの?」
「2回ご飯おごってもらった。」
「おぉー!世界の奥寺泰久におごらせるとは、さすが操。」
「別に、そういうんじゃないでしょ。」
アイスティーを飲みながら大したことではないと暗に示した。
「でも破談になったとはね。正直言うとそっちの方が驚きよ。何が原因?」
「・・・子供がいた。」
「えっ!?隠し子?」
「ううん。私が知った時彼も初めて知ったの。で、その子がお父さんと遊園地に行きたいって。」
「うーん。遊園地くらいいいんじゃないの?」
「うん、でも遊園地だけで終わりにするような人は嫌。だけど、色々なことをちゃんとしてあげるとしたら私とは結婚しない方がいいでしょ?」
「まぁ、ねぇ。」
ティールームの窓の外を見ると、腕を組んで歩く恋人同士とか親子連れとかいて、それを眺めていたら視界が少し滲んだ。
「操、偉かったね。」
「まぁね。」