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遠いところで泰の声がする。
「・・・・・・・明日の午前の飛行機で帰ります・・・」
帰るんだ。
瞼をこすりながら目を開けると、眠っていたベッドに腰掛けて電話をしている泰がいた。
その髪は濡れていて受話器を持っていない方の手は私の前髪をいじっていた。
「はい・・・また後で連絡します。」
受話器を置いた泰が私を見た。
私が黙って上体を起こしかけた時「シャワー浴びる?」と聞いてきたので声には出さずに頷いた。
手渡されたバスローブを羽織ってベッドから降りた時シーツにつけた印が視界に入った。
恥ずかしくて視線を足元に移すとゴミ箱の中に使用済みの避妊具らしきものの端が見えて、それは泰がもの慣れいる証拠のようで癪に障った。
泰と目を会わせないように急いでバスルームに入った。
バスローブを脱いだ姿を鏡で見ると、体中には赤い花弁、情事の証-------
明日には海の向こうへと行く男と何やっているんだろう。
あきれてしまう。
どれだけシャワーのお湯を熱くしても泰の素肌ような熱はなかった。
むしろ寒いくらいだった。
「帰る-----」
シャワー浴びた後、脱いだ服を取りに戻ったところで泰に告げた。
泰は既に着替えを済ませていた。
「送るよ。」
「目立つからいい・・・それにここからなら一人で帰れるし。」
「だったら匠さんに迎えに来てもらおう。さっき操と一緒にいるって連絡したから。」
本当は一人になりたかったけど、たく兄か泰とここにいるかのどちらかしか選ばせてくれないようだったから
「たく兄と帰る。」
たく兄を選んだ。
「分かった。」そう言って泰は携帯を手にした。
しばらくしてたく兄が車で迎えに来てくれた。
昼間あんな電話を取ったにも関わらず何も聞いてはこなかった。
私も黙ったまま車に乗った。
家に着くと珍しく母が玄関まで迎え出た。
「おかえりなさい。」
「ただいま。」
「操、風呂入るか?そういえばメシは?泰と食ったか?まだなら母さんに何か用意してもらうか?」
妻と娘が待っている家には帰ろうとはしないで、たく兄が私の世話を焼きだした。
「・・・どっちもいらない。もう寝る。」
たく兄知ってるんだ。泰が話したんだ。
「お父さんには明日話すけど、私結婚辞めたから。」
くつを脱ぎながらお母さんの顔は見ないように足元を見つめて言った。
「沢井さんから何度かお電話を頂いていて、今日はもう遅いからってお断りしてあるから。」
「そお」
沢井さんが言ったとは考えにくいから、たく兄が話したのかな。
お母さんも既に知っているような言い方だった。
私は誰とも目を合わせず自分の部屋に入った。
薄暗い部屋で灯りもつけずにベッドに飛び込んだ。
目を閉じるとさっきの泰との行為が思いだされて、目を開けたままでいた。
涙がまた溢れだした。
ずずっと鼻をすすった。
今自分が泣いている理由が分からなかった。---------
次の日、朝食が済むとお父さんとお母さんと私はリビングにいた。
なぜかたく兄もいてダイニングの椅子に座ってこちらを見ていた。
「つまりお前が尊くんと結婚するのが嫌になったんだな。」
私は大きく頷いた。
「だって尊さん最近休日も仕事でけっこう残業も多い部署じゃない。そんなんで結婚してほっとかれたら嫌だなぁって、段々冷めて来ちゃったの。」
和香ちゃんのことは一切触れなかった。
いつもなら「そんないい加減な態度が許されると思っているか!」とかなんとか言って平手の一発でもお見舞いしおうなお父さんが声を震わせて「そうか」と呟くだけだった。
たく兄はいかにも心中複雑というような表情をしていた。
お母さんは今にも泣きだしそうだった。
みんな本当のことを知ってて、こんな茶番に付き合っているんだ。
「尊さんに連絡して式場のキャンセルのこととか決めてくる。」
ちょっとした予定を取り消すかのように言った私は席を立った。
一日振りに携帯の電源を入れると尊さんからの着信とメール、たく兄からの着信とメール、一番新しいのは泰からのメールだった。
泰からのメールは今日の日付と飛行機の便名だけが本文だった。
時計を見たら泰がもう雲の上にいる頃だと知る。
「こんにちは尊さん。」
「操ちゃん・・・昨日はすまなかったね。」
「遊園地、行きましたか?」
「いや、まだだよ。」
「もったいない!昨日すごくお天気良かったじゃないですか。早く和香ちゃんの願いを叶えてあげないと。」
「そうだね。」
「あっ、あと私からもお願いがあるんですけど・・・」
「何かな」
「式場のキャンセルとか尊さんお一人で行ってもらえますか?予定合わせて二人で行くのってなんだか面倒で。」
「分かった。他に僕に出来ることってあるかな?」
「ないです。」
「分かった。」
「それじゃぁ、さようなら。」
「操ちゃん、元気で。」