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その頃私の方は短大を卒業し就職した職場で知り合った男性と交際していました。
それまでにも何人かとは交際していたのですがどれも長続きせず、父からは「尻軽」と叱責されることがしょっちゅうでした。
彼、沢井尊さんは違いました。
希望通りのサラリーマンの尊さん。要兄さんより年上だけど、優しくて素敵な方です。
これまでの男性達よりも長く交際した後にプロポーズされました。もちろんすぐにOKしました。
営業職なのでたまには休日出勤もあるかもしれませんが、休みの日はゆっくり過ごそうと言って下さる穏やかな人です。
スポーツは子供頃やっていたようで、今もテレビで見るくらいは好きと言っていますが、どこかのチームの熱烈なファンであるわけではないそうです。
ドラマやニュースを見る感覚でスポーツ中継も見ているようです。
時期的にキリが良いということで私は寿退社をし所謂花嫁修業に励んでいました。
式の日取りも決まり、左手の薬指をキラキラと光らせている私の前に泰が何年か振りに現れました。
「泰、久しぶり」
「婚約したって聞いたけど・・・」
「うん、そうなの。この前式場を予約して来たんだ♪」私は微笑みながら婚約指輪を泰に見せるように向けました。
自分の幸せにどっぷり浸かって指輪を見つめていた私は、この時泰がどんな表情をしていたのかは知りません。
ただ、泰に「婚約者に会わせて欲しい。」と言われました。
どうして泰と尊さんを会わせなくてはならないのか疑問でしたが、泰があまりにしつこいのと、ちょうど結婚後の相談で尊さんの家に行くところだったので一緒に連れて行くことにしました。
尊さんの家の前に差し掛かったところで門のそばに小学校低学年くらいの一人の女の子が立っていました。
私達がこの家を訪ねに来たと悟った彼女は私達に声をかけてきた。
「あのう、ここってさわいたかしさんのおうちですか?」
「そうよ。」尊さんの親戚の子かな、と単純に思った。
「・・・あの、わたし、沢井尊の、娘なんですけど、お父さんに会えますか?」
「お父さん」
その一言を聞いた瞬間頭が真っ白になった。
彼女---大崎 和香ちゃんはずっとお母さんと二人で暮らしてきたそうです。
今年、小学校に入学したしたとき、お父さんの名前を聞き出したそうです。
お母さんは頑としてお父さんの居場所を教えてくれなかったけど、お母さんの実家に置いてあるお母さん宛ての古い手紙の中にお父さんと教えられた名前が差出人の手紙を見つけて、今日一人で会いに来たと話してくれました。
小学校1年生の小さい女の子が住所を調べて一人でここまで会いに来るなんて、それだけで私の胸は締め付けられそうになりました。
「一緒に暮らすのはあきめるけど」、そう付け加えて、和香ちゃんは一度だけでいいからお父さんと遊園地行きたいって、そう語った。
この願いと同じような気持ちを昔どこかで私も持っていた気がする。
だから、だから---------
私は尊さんの家のチャイムを鳴らした。
「やあ、操ちゃん待っていたよ。」
玄関のドアを半開きにして顔をのぞかせた尊さんがほほ笑んで言った。
私は外していた左手の指輪を彼の胸に押し付けて言った。
「私、スポーツする人も嫌いだけど、自分の子供を大事にしない人は大嫌いなんです。」
「・・・・」
「彼女大崎和香ちゃんて言うそうです。」
私は尊さんに見えるところまで和香ちゃんを引き寄せて紹介した。
「大崎・・・」尊さんが少し青ざめて反応した。
「和香ちゃんこの人が沢井尊さんよ。」
和香ちゃんの顔がキラキラと輝いた。もう何も言うことはない。
「それじゃあ」
一言告げて私は尊さんの家を後にした。しばらく歩いたところで家に電話をかけた。
「あれ?操どうしたの?」
たまたま家に寄っていたらしいたく兄が電話に出た。
「たく兄・・・私、結婚辞めたからお父さん達にそう言っておいて」
「え?何言ってんの?みさ・・・・」
たく兄が説明を求める声も聞かず私は携帯の電源を切り街を彷徨い歩いた。
とっぷり日も暮れた頃だった。
「そろそろ帰ろう。」
泰の声がした。振り返ると泰がそこに立っていた。
「ずっといたの!?」
「そうだけど」
いまや日本中、いやもしかしたら世界中が注目している男がフラフラ彷徨う私の後をくっついて歩いていた!?
そう考えると眩暈がした。
「意外と気づかれなかったよ。」
私の思っていることが分かったように泰は言った。
そういうものでしょうか?
「とにかく帰ろう。監督もきっと心配しているよ。」
「家には帰らない。適当に友達のところに行くかホテルにでも泊るから泰は心配しないで、もう行ってくれて大丈夫だから。」
だって泰には関係ないことだし。
一人その場を立ち去ろうとした瞬間、泰に手首を掴まれた。
泰は私を引きずるように歩きだした。
大通りに出てタクシーを捕まえると、それに一緒に乗せられた。
「○○ホテル」行き先を告げるとタクシーは走り出した。
長い信号待ちの時に運転手が声をかけてきた。
「もしかして奥寺さんですか?」
ほらやっぱり、知られてる。でも泰は笑って言った。
「良く似てるって言われるんですけど、違うんですよ。だって今シーズン中ですよ。本物なら日本にはいませんよ。」
「そうだね。今朝もニュースで試合に出たってやってましたなぁ。ハハハ・・・」
陽気な運転手は自分が応援してる選手にそっくりな人に会えたということで喜んでいた。
「お姉さんも彼氏が奥寺選手に似てるってことがお友達に自慢できるんじゃないですか?」
私が会話に取り残されていることを心配でもしたのか、その運転手は私にも声をかけてきた。
「いいえ、私スポーツマンとか興味ないんで自慢のタネにもならないんです。」
さすがは接客業とでも言うんでしょうか。私がこの話題に乗り気ではないことを即座に察知した運転手はさりげなく別の話題に移していった。