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空を目指した兄と、地に足をつけた僕

掲載日:2026/04/26

昔から私は、人よりも物事をうまくこなせた。勉強でも、運動でも人付き合いでも。コツを掴むのが速く、最短で結果を出せる人間が私だった。


そのためか、周囲の人間は私を「神童」ともてはやした。小さい村に住んでいるというのも大きかったのだろう。それでも、私を知らない人間はいなかった。


対称的なのが兄だった。何かにつけて私と比較され、そのたびに「出来損ない」と陰で言われる人だった。普通なら怒って、暴力の名のもとに制圧してもいい。けど、兄はそれを笑って受け流す。そんな可哀想な人物だった。


そんな兄を私は不思議に思う。何をするにしても失敗するのに、どこか楽しそうで、笑いながら、「こうした方がいいかな?」「この方法はどうか?」なんて一人で呟きながら、めげずに向き合う。


普通なら失敗した現実から目を背けてもいいのに、いつも楽しそうに笑いながら、向き合うのだ。それにどこか気色悪さを感じていた。


どうして一つの方法にこだわるのか?得意な者に任せた方が早いでないか?そんな一人で全てを解決しようとすることの意味が分からなかった。


いつも思うのは、「先人や知人の知恵に頼ればいいのに……」という愚かな人間を見るそれだった。


そんな兄の一番の愚かな行為は、婚約者がいたのに、それを捨ててまで、自分の好きなことに没頭したことだろう。


婚約者の彼女は町の中でも有名な美人の女性。亜麻色のどこか麦畑の温かさを連想させる髪色。その温かな性格を反映したように、優しくて献身的な女性だった。


当然兄も、そんな彼女に対して、少し照れくさそうにしながら、はにかむように笑う。それはどこか微笑ましいように思っていた。そんな兄はまた何かに集中しだし、今度は空を目指すと言った。


当然、両親はそれに反対した。商人の跡取りとして、責任を全うしろと両親は説得するが、それでも空を目指すといってきかない。結局その婚約は破談となり、彼女の経歴に傷をつけることになる。


その時ばかりは、兄を殺したい気持ちになった。あんなに素敵な女性を振るのが許せなかった。なにより、この世界の外を目指したとして何の意味があるのかと本気で思った。


仮にこの世界の外に出たとして、そこに今すぐ我々が住めるわけではない。探るのなら探索期でも任せればいい。行ったところで、得るのは、自己満足しかない。そんな思いが渦巻き、私は兄にそれをぶつけた。


「兄さん。婚約者がいるんだから、そんなことをしている時間はないだろう」


作業台に広げられた設計図を指で叩きながら、私は言った。兄は少し困ったように笑い、後頭部をかく。


「そうなんだけどさ……それでも、空の世界を見てみたいって思ってしまったんだよ」


そう告げながらも兄は私を見ない。その視界の先にあるのは、窓の外。その先に広がる、空の先。宇宙と呼ばれる空間だ。


「だいたい、それでいくら稼げるというのか」

「金は……まあ、なんとかなるさ」

「それ以上に、婚約者のことはどうなるんだ。兄さんも大切に想ってるんだろ?」


兄は少しだけ黙る。それから、少しだけ悲しそうな表情をする。


「俺じゃ彼女を不幸にしちゃう。なにより……挑戦したいと思っちまった」


その視線を見て、本当に愚かだと思う。兄は婚約者と同じくらい。いやそれ以上に兄は宙に想いを馳せていたんのだから。


「見損なったよ、兄さん」


これまでどこか兄だと思っていた彼のことを、本当に愚かな人物だと思った。彼はそれからも、一心不乱に空を追いかけた。


兄の婚約者の方は、別の方との縁談が進んでいた。兄と比べたら10も年上の人。婚約を破棄されたせいで彼女に問題があると思われたのだ。


傷がついた彼女のことを好条件で受け入れてくれる人は少ない。なにより、彼女を好きな人達がいても両親がそれを許さない。だから、僕は初めて両親にお願いをしたのだ。


「フェリスに僕を紹介していただけませんか?」


そう初めて両親にお願いをした。私はその時初めて、片膝を地面につけ、両手を合わせて祈った。その行動が功を奏したのか、両親は紹介だけはしてやれると言った。


最初に向こうの両親と会ったときは、すぐに返された。「同情ならやめてほしいと」向こうの母君は告げ、父君には冷水を浴びせられた。


当然だ、向こうからすれば、娘を傷物にした忌々しい家族の一味。当然受け入れられるはずがない。だからこそ、僕も彼女と向き合うためにずっとその場所から動かなかった。


最初は無視された。けれど僕がどかないことを察したのだろう。今度は説得するように告げる。


「君を見ると兄を思い出すと」


そう告げられ、断られる。それでも僕は諦められなかった。


「どのような責任も負う覚悟です。どうか、彼女との婚約を認めてはくれないでしょうか?」


そう伝えると、彼女の父君はそれの目をじっと見つめ、振り払うように去っていった。


それからも僕は、ずっとのその場に居続けた。始めて泥臭いことをした。初めて、上手くいかないことに直面した。みっともなくて、周りから笑われて、それでも、胸の中に大切にしたい想いがあるから、諦められないのだと理解した。


この想いだけは絶対に曲げないと、初めて本気で誰かと向き合った。雨に打たれて、泥だらけになって、みっともない姿になった。向こうの両親はそんな僕を窓から眺めては、カーテンを閉める。


職場に行く時になって、「お願いします!」とただ頭を下げ続ける。それでも、彼女の両輪が僕を認めることはなかった。


そんな生活も長く続くわけがなかった。なにより雨に打たれたのが悪かったのだろう。僕は5日目にして倒れ込んでしまった。薄れゆく意識の中で、誰かが傍に駆け寄ってくる足音が聞こえた。


そうして目を覚ました時、一般的な病院ではなく、彼女の家で目を覚ました。傍には僕の額のタオルをせっせと代える健気な彼女の姿だった。


「……どうして?」


そう呟くと彼女はふっと笑う。


「あなたがあまりにも一生懸命だったから、ですかね?」


くすっと笑うその表情。それは、久しぶりに見た彼女の安心したような笑みで。そよ風を感じるような、居心地のいい笑みだった。


その一件があってからか、向こうの両親は僕を認めてくれた。


「にしても、まさかあの、エヴレン君が、家の娘のためにここまでしてくれるとは思わかなったよ。どこか君は冷たい人間なんだと思っていたから」

「お父さん。失礼でしょ!」


そう彼女の母親もいつもより低い声で、睨みながら告げる。それに僕は表情を崩しながら口を開く。


「いえ、自分でも意外だったんです。こんなにも、誰かを強く想う日が来るなんて……気づいたら、誰にも渡したくないと思っていました。初めて見た、あの優しげな笑みが忘れられなくて。そのためなら、自分のすべてを差し出してもいいと、そう思えたんです」


それに彼女の両親は目を見開いて驚き、フェリスさん自身も頬を染めながら下を俯く。途端に自分で告げな素直な感情に恥ずかしくなり、僕も下を向いてしまう。


そんな僕の姿を彼女の両親はニヤニヤしながら見つめていた。照れ恥かしい気持ちもありながら、それでもこの時、彼女の両親と打ち解けることが出来た気がする。


彼女と正式に婚約が認められ、僕はフェリスさんの家に婿養子という形でお世話になることになった。彼女と一緒に過ごす中で、支えられることが多かった。彼女が見る世界は僕のものとは違って、色んなことに感動する。それを僕に共有してくれる。


退屈だった日常は、なにを見ても、興味をもてる素晴らしい世界変わった。


全てのことに全力を尽くすようになった僕は、国で一番の大学に進学し、経済について学び、彼女に支えられながら商売を成功させた。いや、大成功と言って良いだろう。彼女の両親が、僕を婿に迎え入れられて良かったと涙するところを見れたのだから。


彼女とも相変わらず、上手くやっていて、二人の子供を授かることも出来た。その報告も兼ねて、僕は一度元の家族の所に戻った。


久しぶりに帰った実家。古びた庭。見慣れた玄関。そこには、まだ兄がいた。最初は、驚いた。


「まだ、ここにいるの?」


思わず母に尋ねてしまった。母はティーポットに紅茶を注ぎながら、どこか呆れたように、兄の部屋を見つめる。


「ええ。まだ目指してるみたいよ」


その言葉が、にわかには信じられなかった。あれから既に15年近くがたっている。それでも目指す意味が分からない。


呆れ半分、それと蔑み半分。その両方の気持ちを持って、彼の部屋に向かう。彼女の実家に、フェリスを送り届けてから、彼の部屋を訪ねた。


最初は文句を言うつもりだった。けれど、反応しないノックの先、その扉にいた兄の姿を見て、何も言えなかった。


兄は机に向かい、ひたすらペンを走らせていた。周囲には紙が山のように積まれ、床にも計算式の書かれたノートが散らばっている。


呼吸すら忘れているかのように、ただ一心不乱に書き続けていた。その机の上の紙を見た瞬間、私は思わず足を止めた。


そこに書かれていたのは、かつて自分が一度だけ目を通し、「時間の無駄だ」と判断して放り出した問題だった。解けないと判断した難問だった。


その問題を兄は何題も解いている。なにより、その回答には納得させられるものがある。何ページにも渡る試行錯誤。その中で分かりやすくまとめる力量。それに目を疑った。


あの頃の兄は、もういなかった。努力という手段で、何度も何度も壁にぶつかりながら、少しずつ確実に前へ進んでいたのだ。


気づけば私は、兄の背中を見つめたまま立ち尽くしていた。そして、ふと思ってしまう。私は、ここまで一途に本気で思い続けたことがあるかと。気持ちが一切色あせることなく、ここまで何かに本気で打ち込んだことが、あっただろうか、と。


彼女への愛情と兄の想い。そのどちらが強いのか?そう考えてしまう。


けれど、すぐにその考えを振り払う。意味のないことだと。何かに夢中になったところで、必ず何かを生み出せるわけではない。合理的ではない。そう思っていても、私の心は確実に動かされていた。


結局、私は兄と顔を合わせなかった。扉を閉め、静かにその場を離れた。


ただ、母と話した際に、兄は金銭を稼ぐために労働をしていると聞き、ここ一年半ほど十分に生活できるだけの金を渡しておいた。それが自分に出来ることだと思ったから。


それから二年後、ある朝、テレビをつけると、画面の中に兄が映っていた。宇宙服を着た姿で、記者たちに囲まれていた。兄は夢を叶え、宇宙飛行士になっていた。


人類が初めて宇宙に行ってから十年。ようやく兄も、その世界へ足を踏み入れたらしい。マイクを向けられた兄は、少し照れくさそうに笑って言った。


「あの先に何があるのか、自分の目で見られるのが楽しみです」


昔と同じ、子どものような笑顔だった。私はテレビの前で、しばらく黙っていた。はたして、あの時否定した兄の在り方は間違っていたのだろうかと。


大好きな人と一緒になった後、時折彼女を傷つけてしまった自分か。それとも、すべてを投げ出してでも空の向こうを目指し続けた兄なのか。そう思ってしまった。


どちらの方が幸せなのかと。


朝から少し重たい気分になり、それを心配してくれた妻に、少し歯切れの悪い言葉を返しながら、私はテレビを切って会社に出かける。いつもの日常を過ごすために……。


それから数日たっても兄の表情は忘れなれなかった。連日繰り返し報道される姿を見ては、落ち込む。それでも、何故か兄の姿を目で追ってしまった。


そんな、どこか色を失ったような夕方だった。部屋の中に差し込む橙色の光と、無機質なテレビの音だけが、やけに鮮明に見える。画面に、また兄の姿が映る。どうやら中継らしい。


ボーっと見つめながら、兄の耳にした言葉を。私は生涯、忘れないだろう。


「ここまでこられて感謝しているのは誰ですか?」

「……そうですね。両親と、それと……弟だと思います」


兄はにかみながらそんなことを告げる。私は食事中だというのに、家族の前で盛大に驚いて立ち上がってしまう。そうして、周囲を忘れたように彼を見つめてしまった。


「弟は自分と違って優秀で、そんな弟にどこかコンプレックスを抱いていたんです」


いつも自分の世界に生きていると思ったいた兄が、そんな事を想っていたとは知らず、私はひどく衝撃を受けた。


「それでむきになって、何者かになりたくてがむしゃらに努力した。僕が失敗して、見捨てられた先で弟は応援してくれたんです。私の邪魔になると思ったのか、陰ながら金銭的な援助までしてくれた。それがきっかけで俺は吹っ切れたんです」


兄は照れくさそうに頬を掻きながら、口元に笑みを浮かべる。そうして、画面の方に向き直り大きな声で宣言する。


「みてるか、エヴレン!! ありがとうな~」


その姿を見た僕は涙を流していた。互いが互いに意識していたのだとこの時初めて理解した。僕もだよ兄さん。ずっと何かに夢中になれる兄さんのことが、僕は羨ましかったんだ。


涙の一粒一粒に、彼との想い出が映し出される。どこか満たされる気持ちを抱きながら、それを心配そうに子供達が慰めてくれる。


『大丈夫ですか、父様?』


二人の可愛い子が傍に寄って来てくれた。大好きな妻はそれを微笑ましそうに見つめている。そうか、兄にも楽しいことばかりじゃなくて、辛いことがあった。それでも夢を叶えて幸せそうだった。


僕もまた、大好きな妻と子供に囲まれて幸せだった。この人生に後悔はなかった。そう思えた時に、俺は心の底から笑っていた。


「大好きだよ、フェリス、ノクト、アリス」


そう大好きな、大好きな家族の名前を呼んで、抱きつくのだった。


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