パックスの取引
「上手くいった」
攻撃が重なればドリミアの【予知】は攻撃を誤認する。飛ぶアントナイフより速く移動できるレオンだからこそ出来た攻撃だった。
――成功する確証はなかった。でも、ドリミアさんがヴィミを優先してくれたおかげだ。振り向かれていたら防がれていた。
「ふ、ふざけるな……。この私が、Lv.1とLv.2に負けるわけがない。そんなこと、私が認めない。【自然回復】で万全な状態になれば、お前らごときに倒されなどあり得ない……」
ドリミアの背中に突き刺さっているアントナイフが【自然回復】の効果を著しく遅らせた。腹部と胸部に跨るように抉り切られた大きな傷をすぐに治癒できない。溶ける氷のように体からにじみ出る血は未だ止まらない。
致命傷であるにも拘らず、救助カードに一向に入らなかった。
「ドリミアさん、救助カードを持っていないんですか?」
レオンは声を掛けるが、反応はなかった。
「あの状態で発動しない救助カードはないわよ。持っていないんでしょ。うぬぼれすぎね。あんな男、きっと死んだ方が世のためよ……」
ヴィミは【獣化】の影響が去り、ドリミアに背を向ける。だが、一度俯き、肩を震わせる。ウェストポーチから未使用の救助カードを取り出した。お金を渡すときのように手に力が入りながらレオンに押し付けた。
「ヴィミ、いいの?」
「あんなごみクズ野郎、死んで当然だと思う。でも、私は救助隊よ。人を助けるのが仕事。瀕死の者を前に助けない選択肢はない。たとえ、それが重罪人でも。……レオンは?」
レオンは救助カードを迷いなく受け取った。
「認めない……、ありえない……、私は、英雄になる男なのだ……」
「ドリミアさん、ここで死なせません。しかるべく生きて罪を贖ってください」
ドリミアの上に放られた救助カードが光る。彼が救助カードに入り、体内に入り込んでいた細いアントナイフや手記がドロップアイテムとして地面に落ちた。
「ヴィミ、まだアンダルタが残っている。すぐに避難を……」
レオンはドリミアが入った救助カードを拾い、背後に振り返った。
「あぁーあ、ドリミアさん、やられちゃったのぉ? 自称最強が聞いてあきれるねぇ」
ヴィミの首元に彼女が持っていたアントナイフを当てている青年が立っていた。橙色の髪はぼさぼさで、粗い息がヴィミの頬を撫でる。
「パックス……」
「はは、覚えていてくれたんだぁ。いやぁ、嬉しいねぇ。まあ、あんな化け物がいるところで長話するのもなんだからさぁ、早速取引と行こうよぉ」
パックスは暴れ続けているアンダルタに視線を一瞬むけ、アントナイフをヴィミの首元にぺちぺちと当てる。それで皮膚を深く撫でるだけで、彼女は死ぬ。
「『聖者の騎士』の皆はどうした……」
「あぁー、殺したよぉ。一人残らずねぇ」
「レオン、嘘よ。信じちゃ駄目」
ヴィミが喋った瞬間、パックスは彼女の太ももにアントナイフを躊躇なく突き刺した。
「ぐっ……」
「君はしゃべっちゃだーめぇ。今はレオンと話しているんだからぁ」
「やめろっ。ヴィミに手を出すな。僕と取引するのが目的なんだろ」
レオンはパックスの意識がヴィミに向くのを避けるため、すぐに会話を戻す。否応にもウルフナイフを握る手に力が入る。パックスの手の内がわからない状況に加え、ヴィミを盾にされ、すぐに攻撃できない。
――パックスは本気だ。こっちが少しでも動けばヴィミに危害が及ぶ。
「そうだった、そうだったぁ。あぁー、ほら、周りを見てもらうとわかると思うんだけど、もうグチャグチャじゃん。あの化け物と戦いたくないし『聖者の騎士』にもいる理由がなくなったわけよぉ。俺の順風満帆な生活が踏んだり蹴ったりなんだよねぇ」
「時間がない。要点を話せ」
――パックスは真面な人間じゃない。明らかにドリミアさんと似たタイプの人間だ。
「一七層にいる奴らの中で、俺より速いのってレオンくらいだと思うんだよぉ。あと、ドリミアさんの体をぶった切る武器もやばいじゃん。そんな物騒な武器を持っているなんて反則でしょ。だからさ、手持ちの武器を全部さっさと壊してくれるぅ」
「わかった。壊すから、ヴィミを解放しろ」
「何言っているのぉ。レオンが武器を壊してからでしょ。ほら、早くぅ~。じゃないと、この子の頸動脈が切れるよぉ。それでもいいのぉ?」
パックスはアントナイフの刃を首元に当て、器用に薄皮に傷を入れる。綺麗な赤い血が銀色の刃を伝った。
「ちょっとでも攻撃する素振りを見せたら、この子の寿命はここで終わりだ。ほらほら、さっさと壊してぇ」
――僕が武器を失った時、パックスが攻撃を仕掛けてきたら。はたまた、彼が取引を無視し、ヴィミを返してくれなかったら。
武器がなければレオンの戦闘力は皆無だ。逃げ足が速いシーフでしかない。
――こんな時こそ冷静になるんだ。冷静になるんだ。僕はシーフ。仲間の危険を回避するのが仕事。何か方法があるはず。ヴィミを安全に救出する方法が……。
全身から冷や汗が滲む。呼吸も荒くなり、肩が上下に小さく動く。
――ダンジョンの中では、少しの油断が仲間を危険にさらす。ドリミアさんを倒し、気が緩んでしまった。体の動きが万全じゃないヴィミから離れたのが間違いだった。
レオンはウルフナイフと大きめのアントナイフを叩きつけるようにして破壊しきった。武器が使い物にならないのは見るからに明らか。




