第三十五話 魔王復活
サオリんの小さな手が、震えるようにバロンへ伸びた。
「……ぅ……あ……」
その瞳の奥には、もはやサオリん自身の意識はほとんど残っていなかった。リサージュが完全に支配していた。
「バロン……あなたを、また立たせる」
その声は、サオリんの声帯を使ったリサージュの甘い囁き。少女の身体にはそぐわないほど、大人びた艶があった。
次の瞬間、凄まじい魔力がサオリんの体内で爆ぜた。
「っぐあ……ああああああああっ!!」
バロンの断ち切れた右腕に、黒い再生の炎が走る。
失った左眼の空洞から、どす黒い魔力が溢れ、肉と神経が再構築されていく。
再生は一瞬。だが、その代償は明白だった。
「サオリんの身体……もたないぞ……!」
バロンは歯を食いしばる。サオリんの皮膚はひび割れ、血管が浮き出し、骨が軋む音すら聞こえた。
しかしリサージュは少女の口で笑った。
「いいの。どうせ私は……サオリという器を借りているだけ。壊れる前に、あなたを元に戻せるなら、それでいい」
そして、限界の瞬間が訪れる。サオリんの身体が、崩れる砂のように崩壊を始めた。
「……本当はね、バロン。一度くらい……彼女の身体のままあなたに抱かれたかった……。でも、時間が足りなかったわ」
最後の言葉とともに、リサージュの魂はサオリんから抜け、黒い霧となってバロンの胸に入り込む。
バロンはその衝撃にわずかにたじろいだが、すぐ静かに目を閉じた。
「やらなくたっていいさ。リサージュがいてくれるなら……俺は、何でもいい」
リサージュの声がバロンの意識に寄り添う。
「ふふ……相変わらず優しいのね。でもね、まだ残りがいるの」
「残り……?」
「ええ。まだ生きている女が二人。若くて綺麗なコルト。そして甘い匂いのする子供、ベリー。どちらかを奪って……あなたに抱かれたい。私たちの新しい器として」
バロンは静かに息を吐いた。
「……別に、奪わなくてもいいだろ。リサージュがいてくれるなら……それだけでいい」
その言葉に、リサージュは陶酔したように笑う。
「あなたって、本当に……どうしようもなく私の好きな人」
崩れたサオリんの死骸から黒い残滓が舞い上がり、炎に溶けて消える。その隣で、完全再生したバロンが立ち上がる。
これが、怪物の復活の瞬間だった。
スカルドラゴンが最後の咆哮を上げ、骨の翼が砕け散った。
乾いた音とともに、巨体が崩れ落ちる。
骨と灰が混ざった粉塵が舞い、夜の空気が冷たく沈んだ。
「……終わった、のか……?」
斧を支えに立っているグレンデルが、肩で息をしている。
ミサトも足を引きずりながら近寄り、剣を地面に突き刺して座り込んだ。
「なんとか……倒したけど……」
冬吾や、他の仲間達はその場に膝をつき、しばらく呼吸が整わない。体は限界に近かった。
ドラゴンの骨が砕け、完全に沈黙したのを見届けて、ようやく戦いが終わったと全員が理解した。
だが──。
「……何も出ねぇな」
グレンデルが呟く。
食料も、水も、素材も。ボス討伐の成果として期待していたものは、スカルドラゴンの残骸からはひとかけらすら見つからない。
冬吾が骨片を拾い上げてみたが、触れた途端に灰になって指の間から散った。
「……まじで、何もないのかよ……」
ミサトが唇を噛む。
リサージュに乗っ取られたドラゴンということで、すでに魔力構造が壊れていたのか。それとも、元から死骸に価値はなかったのか。
結果は、ただの無駄骨。
誰も言葉を続けられなかった。
その沈黙に、冬吾がぽつりと漏らす。
「……俺たち、今……何人だ?」
ミサトがゆっくりと周囲を見回し、疲れ切った声で答える。
「……七人。もう、七人しか残ってない」
誰もが目を逸らした。
合併当初、十六名いたレゾナンス。
仲間が減り、戦いが続き、ついに十人を切った。
グレンデルが拳を地面に叩きつける。
「七人って……もうギルドとして成り立ってねぇよ……!」
涙の代わりに土埃が舞う。
「いや……まだだ」
冬吾は震える足で立ち上がる。声は弱いが、その奥には確かな意志があった。
「まだ……七人いる……。七人で……まだ……どうにか……」
その言葉が途中で揺らいだのは、無理もない。
誰もが知っていた。この世界が、七人でどうにかなるほど甘くないことを。
しかし、誰かが言わなければ完全に折れてしまう。
冬吾は自分に言い聞かせるように、もう一度繰り返した。
「七人……それでも……七人だ」
ミサトは涙をこらえるように目を伏せ、グレンデルは顔を覆った。
絶望と疲労と喪失。その全てが、冷たい夜風の中で重く伸し掛かる。倒したはずなのに、心は少しも軽くならない。むしろ、重く沈んでいく。
「……帰ろう」
冬吾が言った。
誰も反対しなかった。
七人は、ゆっくりと、足を引きずるように森の奥へと戻っていく。その背後で、粉々になったスカルドラゴンの骨が、淡い闇の風にさらわれて消えていった。
何も得られず、仲間を減らしただけの戦い。
それでも、立ち止まることすら許されない。




