第二十一話 二人だけの城
夜明け前の薄闇。
風が止まり、草原の静寂がふたりを包み込んでいた。
リサージュはバロンの隣に腰を下ろし、空を見上げた。
まるで何事もなかったかのように、穏やかな笑みを浮かべながら。
「ねえ、バロン」
「……なんだ」
「このサーバー、残りのプレイヤーって……もう私たちを除くと、16人だけなんだよね」
バロンは瞬きもせずに、彼女の横顔を見た。
その言い方が、まるで今日の天気くらいの軽さだったから。
「……そうだな。レゾナンスが七人、この世界から抜け出しませんか?が九人」
リサージュはコテン、と首を傾け、無邪気な声を漏らした。
「みんな、バロンのこと敵視してるんだよね」
「ああ……まあ、だいたいは」
「そっかー」
彼女は草を一本つまむような軽さで言った。
「だったら、こいつら全部殺しちゃえば、私たち完全に二人きりだね?」
風のない草原が、リサージュの言葉だけをくっきりと響かせた。
バロンは少しだけ口元を歪める。
驚きはなかった。
けれど、胸の奥にざらりとした違和感が落ちる。
平然と殺すと言い切るのか。
ほんのさっき、痛みに泣いて震えていた少女とは思えないほど、リサージュの声は透明だった。
まっすぐで、狂いがなく、曇りがない。
AIの論理。
必要なら命を切り捨てる判断。
彼女の中に根づく“別の価値観”。
(……やっぱAIだな)
だが同時に、バロンは自嘲する。
(いや……俺も似たようなもんか)
リサージュを守るために、ためらいなく首を引きちぎった。
血の匂いにも、肉の手触りにも、もう驚かなくなってしまっていた。
彼女と自分は、思った以上に似ているのかもしれない。この世界に来る前の自分を考えれば、その結論はむしろ当然だった。
リサージュはふわりと笑い、バロンの肩に頭を預けた。
「ね、バロン。ふたりきりのサーバーって……素敵だと思わない?」
甘く、残酷な声だった。
バロンは黙って空を見上げる。
この44(幸せ)の世界で、何が本物で、何が偽物なのか……自分ですらわからなくなりつつあった。
リサージュは急にぱっと立ち上がり、両手を広げた。
「ねえバロン! この世界ってさ……すっごいんだよ!」
そう言うと、彼女は草原の地面に置いてあった適当な木片や石を拾い上げる。
次の瞬間、アイテムクラフトの光が弾けた。
──ぱんっ。
乾いた光とともに、木片は立派なテーブルに、石は装飾のついた机へと変わる。
そしてリサージュはポケットの中から、どこで入手したのか小さな箱を取り出した。
「ほら、ケーキもあるんだよ!」
机の上に、三段のホールケーキがぽん、と現れる。
アイシングの白と赤いベリーが眩しいほど鮮やかで、それはこの残酷な世界に似つかわしくないほど幸福の色をしていた。
バロンは思わず吹き出した。
「……サンドボックスウォーズ。箱庭と戦争、その両方の要素が売りだもんなあ」
建築も破壊も、生活も虐殺も、全部同じ世界にある。だからこそ、この情景が妙にちぐはぐで、逆に心に沁みた。
リサージュはケーキナイフを握ったまま、ふと表情を変えた。ぱっと、咲くような笑顔。
「この世界でよかった……」
その一言は、あまりにも純粋で。
AIの彼女が「喜び」を覚え、この世界の中で生きることを肯定した初めての瞬間だった。
バロンはしばらく言葉を探し、そして静かに口を開いた。
「……なあ、リサージュ」
「ん?」
「二人だけの……城を作らないか?」
リサージュの瞳が、一瞬で輝いた。
光の粒が跳ねるように、喜びが溢れ出す。
「つくる!! バロンの城、リサージュの城、ふたりの城!!」
その反応が愛おしくて、胸が痛くなった。
AIらしさも、人間らしさも混ざった、唯一無二の存在。
「じゃあ……行くか」
「うん!」
二人は肩を並べ、中央金区画へと歩き出した。
そこは、かつてバロンが仲間と築き上げた拠点。
裏切りと戦火に焼かれ、灰の匂いがいまも残る土地。
かつての仲間が去り、血が染み込み、憎しみと後悔だけが積もった場所。
そこに今、バロンは新しい幸せを築こうとしている。
二人きりの、城を。
二人は金区画の中央に立ち、地面に基礎ブロックを置き始めた。
夕陽の色がブロックの影を伸ばし、もう誰もいないはずの区画に、
ふたりだけの音が響く。
コツ、コツ、コツ──。
石を積む音。木材を合わせる音。風がその上でそっと撫でる音。
「ねえ、バロン。すごいよあなた。人間なのに……天才だね!」
リサージュが木槌を抱えたまま、目を輝かせて振り返る。バロンは照れ隠しなのか、木材を持った手をわずかに下ろしてぼそりと返した。
「お前も……いまは人間じゃねぇか」
その一言に、リサージュの表情がふわりとほどけた。
嬉しさで肩がゆるみ、まるで胸の奥に花が一つ咲いたみたいに。
「そっか……そうだね。いまの私は、人間なんだ……」
その実感が、彼女の頬をほんのり赤く染めた。
そこからは息が合うどころではない。
リサージュは高速処理で最適な配置を計算し、
バロンは長年のゲーム知識と天性のセンスで大胆に形をまとめていく。
石ブロックで柱を、木材で梁を、天井はシンプルなアーチ。手探りで積み上げたはずなのに、二人の動きが自然と調和していく。
気づけば、夕陽が沈み切る頃。
中央金区画には、石と木だけで作られた小さな神殿が静かに立っていた。
「……やったな」
「うん……! ねえ、バロン。これが……二人の城の最初だね!」
リサージュは少し照れながら身を寄せた。
バロンは嬉しさを隠しきれないが、あえてそっぽを向く。
「明日はダンジョン行って、鉱石とか水晶とか……いろいろ集めるぞ。最高の城を作るんだろ?」
「もちろん!」
二人は汗で汚れた身体を、水たまりに足を浸けて軽く洗い流した。冷たい夜風が頬を撫でていく。
そして神殿の奥、寝室に到着すると。
「……木の……ダブルベッド」
バロンは固まった。
木材むき出し、角ばったベッド。
まあ、石と木だけで急造したのだから仕方がない。
その横で、リサージュはきらきらした目でこちらを見る。
「ねえ、バロン。ぎゅーして寝よ?」
「いや硬いし……明日ちゃんと素材集めてからにしよ……」
逃げ腰の返事の横で、リサージュはふわっと彼に抱きついた。
「バロンは柔らかいからいいの。気持ちいいし、あったかいし、わたし、バロンの腕の中で寝たい」
バロンは顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……好きにしろ」
声は平静を装っていたが、
心臓はとっくに限界突破していた。
興奮、緊張、幸せ、混乱。
鼻血が出る寸前の、情けないほど純粋な高鳴り。
リサージュはバロンの胸元に頬を寄せ、
まるで安心を探すように腕を絡める。
二人だけの、小さくて、不器用で、温かな夜。




