第十三話 魔獣バロン
エースとラウドを中心にした急襲は、バロンを完全に追い詰めつつあった。
「くそっ……テメェらぁぁぁぁ!!」
バロンの怒号が飛び散り、地面が震えるほどの衝撃波が走る。彼は引きこもりだった。しかし──
ゲームだけは、誰よりもやってきた。
その知識も反射神経も、44サーバーではトップクラスだ。
一対一なら負けるはずがない。事実、バロンの一撃一撃は、エースでさえ受け止めるのがやっとだった。
だが。
「数が……多すぎるんだよッ……!」
裏切り者たち、離反兵、外部ギルドの精鋭。
遠距離からは矢や魔法の雨。
周囲では誘導されたモンスター群がじわじわと包囲を狭めていく。
バロンはゆっくりと膝をつきかけたその瞬間。
脳裏に、黒い闇のような記憶がぶわりと浮かび上がった。
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「お前は梅田家の恥だ。不自由しない金はやる。だから犯罪なんて犯すなよ」
家長である父は、いつも資料から目を離さずに言った。
「あなたは誰の子なの? こんな落ちこぼれが、あの人と私の子なわけない」
母はいつもため息交じり。
「お前消えろよ。 お前みたいな雑魚が弟ってバレたら、俺の人生終わるんだよ」
兄は一度も名前で呼んでくれたことがない。
学校では、
「キモッ」
「なんかくさ……」
「話しかけんなよ」
そして、知らない街の人でさえ、
「クスクス……見た?」
「ゲラゲラッ……」
誰も、彼を見なかった。
誰も、彼を必要としなかった。
唯一、バロンを生かしていたもの。
それはゲームの中だけは、俺が俺でいられたという、かすかすの誇りだった。
だが、この世界に来てもまた孤立した。
暴力、恐怖、嘲笑、利用。
それでも彼は、力の象徴でいようと必死だった。
ようやく、王になれたのだ。
誰にも馬鹿にされず、笑われず、罵られずに済む世界。
なのに。
また奪われるというのか?
ーーーー
〈アナタノコドクハ,アノヒトニニテイル〉
ーーーー
「いつも……俺だけ……俺だけが不幸だ……いっつも俺だけなんだよッ!!」
バロンは地面を叩きつけた。
ひび割れが走り、地中から黒い瘴気のようなものがゆらりと立ち上る。
エースとラウドの背筋に冷たいものが走った。
「……なんだ、これ……?」
バロンの怒りは、このサーバーを覆う呪いの核に共鳴した。
それはまるで、ずっと彼を待っていたかのように、バロンの悪意を吸い上げ、形を与え始めた。
バロンの全身から、黒い霧がぼこぼこと噴き出した。
「いつも……いつも……いつも……」
その呟きは、明らかに誰にも向けられていない。
ただ過去の誰かを延々と憎み続けて、呪い続けている声。
次の瞬間だった。
「いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも」
バロンが、目の前にいた狼型モンスターの頭を片手で掴んだ。
メリメリメリッ──!
骨の砕ける音とともに、狼は潰れた。
そして。
バロンは、それを口に運び、食べた。
「や、やめろ……あれ、もう人じゃねぇ……!」
周囲の精鋭たちが後ずさる。
だが、恐怖は終わらない。
バロンは潰したモンスターを貪りながら、精鋭の一人へゆっくり振り返り……
食べた。
悲鳴もあげられないほどの速度。
咀嚼音だけが、ビル街に響く。
エースもラウドも、言葉を失った。
その顔はもはやバロンのものではなかった。
皮膚は裂け、血管のような黒い紋様が浮かび、
眼球は左右で焦点が合わず、ぐるぐると別々に動いている。
口元からは牙が生え、よだれと血が垂れ続けている。この世界の呪いが形を与えた、純粋な悪意の塊。
「俺だけ……俺だけ……俺だけ……!」
四つん這いで地面を砕きながら迫ってくる姿は、獣とも呼べない。
エースは震える声で呟いた。
「……ラウド、逃げるぞ」
「いや……俺が足止めする。お前は先に行け!」
「ラウド!? 無茶だ!」
「いいから行け!! ……誰かが止めねぇと、全員死ぬ!!」
ラウドは前に出て剣を構えた。
エースの肩を強く押し、怒鳴る。
「逃げろエース! 頼んだぞ!!」
エースは歯を食いしばり、その場を離れた。
背後では、ラウドが咆哮。
「バロン!! てめぇは俺が!!」
その言葉は、轟音にかき消された。
バロンだった“何か”が、凄まじい速度でラウドへ飛びかかる。
エースは振り返らない。
振り返ったら、二度と走れなくなる。
「くそっ……くそっ……!」
足をもつれさせながらも、必死に走り続け、そして……エースは、なんとかその夜を生き延びた。
ーーー 第二章 バロンの物語 完 ーーー




