第九話 邪王バロン
44サーバー・中央金大区画、深夜零時。
大聖堂の最深部。漆黒の玉座に腰掛けるのは、獅子王軍総帥・バロン。
揺らめく燭火が影を踊らせる中、跪いた側近が震える声で告げた。
「マスター……また一人、プレイヤーがモンスターにやられました」
バロンはゆっくりと顎を上げ、凍りつくような笑みを浮かべる。
「残り三十八人、か」
地の底から響くような低い声だった。
「構わん。見つけ次第、すべて我らのものにしろ。跪く者は生かし、逆らう者は……骨まで砕け」
その一言で、大聖堂の空気が瞬時に刃へ変わる。
獅子王軍の兵たちは無言のまま立ち上がり、闇へと散っていった。
まるで獲物を追う獣、足音すら残さない。
玉座に残った最後の部下へ、バロンは冷たく命じる。
「あの新顔を連れてこい。俺の前で土下座させてみせろ」
部下は影のように姿を消した。
静寂が満ちる。
バロンは瞼を閉じ、意識を現実にいた頃へ滑らせる。
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大阪郊外、築四十年のアパート三階。
六畳一間。窓は開かず、カーテンは五年もの間、陽を通したことがない。
梅田義之、三十五歳。
体重は百二十キロを超え、眼鏡は油と埃で曇りきっている。
床にはエナジードリンクの空缶とカップ麺の容器が山のように積まれ、
ゴミ袋は半年以上、交換すらされていない。
モニターの青白い光だけが、義之の顔を照らしていた。
父は関西でも名のある財閥の御曹司。
息子の奇行など気にも留めず、「好きにしろ」と札束と最新PCを投げ与えただけ。
母は十年以上、義之が出て行ってから一度も関わったことすらない。
義之を追い出したのは、彼とは真逆の兄。
梅田家の後継として、相応しい男。
義之にとって「家族」は、金だけくれる他人であり、心を寄せる存在など一度もいなかった。
中学の卒業式以来、彼は外の世界を捨てた。
外に出れば嘲笑と蔑みが待つ。
コンビニに行けば「デブ」「キモ」と囁かれ、
スーパーではレジの店員に舌打ちされる。
だから閉じこもった。二十年。
誰にも相手にされなかった少年時代。
図書館で一冊だけ、義之を救った絵本があった。
獅子王バロン
弱い動物たちを守る王の話で、義之はそれだけが支えだった。しかし、いじめのせいでその絵本が破られ捨てられた。
義之は泣きながら思った。
「僕だけは……バロンを守る。バロンになるんだ」
そして課金さえすれば、畏れられ、崇められ、誰も逆らえない絶対の王になれるゲームの世界で、彼は咆哮する。
ゲームの中でだけ、彼は憧れた「バロン」になれる。
「ここでしか……俺は生きてるって実感できない」
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玉座の上で、バロンは微かに笑う。
(今の俺は違う。神はこの俺を選んだのだ)
鎖の軋む音が響く。
捕らえられた新たなプレイヤーが、床を引きずりながら這い出てきた。
バロンはゆっくり立ち上がり、玉座の階段を降りる。
その足取りは王者そのもの。
唇の端には狂気めいた笑み。胸の奥では乾いた興奮が燃えた。
(そうだ……俺はここで王だ……!)
捕虜を見下ろす。恐怖に目を見開き、唇を震わせ、声すら出ない。
その惨めな表情が、義之の胸に二十年分の屈辱を甘く溶かし込んでいく。
外で踏みにじられた自分。
誰にも認められず、誰にも必要とされなかった自分。
その全てを、この世界で取り戻す。
だから支配する。
壊す。
踏みにじる。
恐怖の底へ追いやる。
それだけが、生きている証。
捕虜が涙と鼻水で顔を崩しながら叫ぶ。
「や、やめて……お願い……! 俺は、なにも……!」
バロンは足を踏み込み、男の頭を容赦なく押さえつけた。
床が軋み、嗚咽が跳ね返る。
「何もしてない? それがどうした」
ゆっくり、意図的に、残虐へと歪む笑み。
耳元に吐き捨てるように囁く。
「生き残りたければ、犬らしく泣き喚け」
男は青ざめ、喉を震わせ、絶望だけを吐き出す。
バロンはその恐怖を楽しむように、さらに肩へ足をのせ、わずかに体重をかけた。
「もっとだ……俺が満足するまで泣け。お前の命の値段は、俺の楽しみだ」
泣き声が大聖堂に反響し、壁を震わせる。
バロンの口元は狂気へと染まっていく。
(これだ……これが俺の世界!現実で踏みにじられた俺が、今は踏みにじる側!!)
【システム】《タムタム 撃破》
「……もう終わりか。脆いオモチャめ。情けない」
捕虜の嗚咽を聞きながら、部下たちは静かに目を逸らした。
胸の奥には、抑えきれない嫌悪が渦を巻いている。
だが――抗える者は一人としていなかった。
バロンはただの暴君ではない。
この世界の達人であり、圧倒的な戦略家だ。
SBWの別サーバーで培った膨大な経験。
初動から最適解を選び続け、資源も戦闘もギルド運営もすべて計算ずく。
現時点で、彼に対抗できる者は誰もいない。
部下たちは嫌悪を抱きながらも、沈黙のまま従うしかなかった。
バロンは捕虜の泣き声を聞きながら、次の一手を思案する。
(誰も、この世界で俺に勝てはしない……。すべては、俺の掌の上だ……)




