第6話 リーナの正体
◆その耳が語るもの
それは、魔力制御の訓練を始めてから、三日目のことだった。
「……また壊れたわね」
木造の訓練台に立てかけられていた杖が、バチンという音を立てて真っ二つに折れた。炭のように焦げ、煙を上げながら床に転がる。
「す、すみません……またですか」
キルアは申し訳なさそうに眉をひそめた。
これで何本目だろう。リーナが山小屋の裏から持ってきてくれた杖や短剣、指輪の類は、どれも数分と持たずに砕けたり、爆発したりしてしまう。
「はあ……やっぱり、ダメか。魔力量が規格外すぎるのよ、あんた」
リーナはぼやきながら、床に転がった杖の残骸を拾った。手のひらで軽く魔力を流し込み、その感触を確かめる。
「普通の人間なら、この程度の杖で問題ない。でも、あなたの場合は……そうね、水瓶に滝を流し込むようなもの。器が持たないのよ」
「じゃあ……どうすれば……」
キルアは苦い顔で自分の手を見つめた。
自分の中に眠る、巨大な魔力。その正体が“異常すぎる”せいで、ずっと魔法が使えなかったなんて――悔しさが込み上げてくる。
「なら……何を使えば、制御できるんですか?」
そう尋ねるキルアに、リーナはくるりと背を向け、棚の奥からゴソゴソと何かを引っ張り出した。
「こういうときはね、最終手段を使うのよ。魔力に器を合わせるんじゃなくて、器を魔力に“耐えさせる”の」
そして、床にドン、と置かれたそれを見て、キルアは思わず目を丸くした。
「これ……大剣、ですか?」
全長は自分の身長ほどもある。刃は分厚く、鉄でできているにも関わらず美しい銀の輝きを放っていた。柄には独特な紋様が彫り込まれており、ただの鍛冶屋の作ではないとすぐにわかる。
「そう、大剣よ。魔導杖の一種。これはね、昔の知り合い……一緒に冒険していた仲間の、忘れ形見なの」
「冒険者……?」
「昔の話よ。今みたいに静かに薬草を煎じてるだけの生活じゃなくて、世界中を飛び回ってた頃。あの頃は楽しかったなぁ……」
リーナは懐かしそうに笑ったが、その目の奥にはどこか寂しさが宿っていた。
「その仲間がね、最後にこの剣を残して逝ったの。“いつか、この剣を振るうべき奴が現れる”って」
「……それが、俺?」
「かもしれないし、違うかもしれない。でもね、少なくとも今のあんたに必要なのは、“魔力を逃がせるだけの強度”よ。剣は武器であると同時に、魔術の通し道。これくらい大きくて重ければ、魔力の暴走を抑えられるはず」
キルアは、そっと剣の柄に手を伸ばした。
そして、両手で持ち上げると、その重さに膝をつきそうになった。
「お、おも……!」
「でしょ? でも、これを使いこなせるようになれば、魔力の制御もぐっと安定するわ。筋力と魔力の両方が要るけどね」
リーナは腕を組み、にやりと笑った。
キルアはしばらく無言でその剣を見つめていたが、やがて頷いた。
「……やってみます。この剣で、魔法を制御できるようになりたい」
「そう言うと思ったわ」
◇ ◇ ◇
訓練が一段落したころ、小屋の前の石椅子にふたりで腰を下ろした。
陽が傾き始め、森には金色の光が差し込んでいる。
キルアはふと、リーナを見て言った。
「そういえば、リーナさんって……俺と同じくらいの年かと思ってました」
その瞬間、リーナは一瞬だけ「ぷっ」と吹き出し、次の瞬間、フードをすっと外した。
そこに現れたのは――特徴的な長い耳だった。
「……エルフ……?」
「そう、私はエルフなの。見た目は若くても、あんたより何倍も長生きしてるわよ」
「え、えぇぇぇっ……!」
キルアは驚きのあまり、腰を浮かせそうになった。
リーナはおかしそうに笑いながら、耳を少し揺らして見せた。
「ま、隠すつもりはなかったけど、言う機会がなかったのよね。あんたが思ってるより、私はいろんなことを見てきたし、いろんな命の終わりも見てきた」
その言葉に、ふと胸が締めつけられた。
この人がひとりで山に住んでいる理由。それはたぶん、誰かを喪った悲しみと、ひとりで生きる決意の上にあるんだろう。
「……それでも、俺を助けてくれたんですね」
「助けるっていうか、ほっとけなかっただけよ。あんた、死にかけのくせに“死にたくない”って目してたから」
キルアは、思わず微笑んだ。
「でも、ほんとに同い年くらいかと思ってました」
「ふふ、それがエルフなのよ」
リーナはそう言って、ゆっくりと目を細めた。
その笑顔は、どこか母のようでもあり、姉のようでもあった。
◇ ◇ ◇
こうしてキルアは、大剣を手に、リーナの下で本格的な魔力制御の訓練を始めた。
元・伯爵家の長男は、いまや山奥の小屋で、エルフの魔女の弟子として、新たな一歩を踏み出すことになる。
◆その耳が語るもの(リーナ視点)
あの子の魔力量は――やっぱり、異常だった。
三日目。訓練中にまた一本、訓練用の杖が弾け飛んだ。派手な音とともに床に転がったその杖は、焦げて炭のように黒くなっていた。思わずため息がこぼれる。
「……また壊れたわね」
キルアは苦い顔をして、壊れた杖を見つめていた。
「す、すみません……またですか」
その顔は申し訳なさそうだけど、心の奥にはしっかりとした芯が見える。折れていない。何度壊しても、諦めていない。
そう――この子は、強い。
「はあ……やっぱり、ダメか。魔力量が規格外すぎるのよ、あんた」
私は壊れた杖を拾い上げて、指先に軽く魔力を流し込んだ。予想通り。内部の魔術回路が完全に焼き切れていた。
(これだけの魔力、普通の人間にはまず扱えない。むしろ、ここまで暴走しないで済んでる方が奇跡に近いわ)
あの子の中には、とてつもない“何か”が眠っている。しかも、それを本人がまだ完全に自覚していないのだから、始末が悪い。
「なら……何を使えば、制御できるんですか?」
キルアの問いに、私はひとつ頷いてから、小屋の奥の棚へと向かった。ちょっとした“秘密の宝箱”を開けるみたいに、懐かしい気持ちになる。
「こういうときはね、最終手段を使うのよ。魔力に器を合わせるんじゃなくて、器を魔力に“耐えさせる”の」
埃を払って、それを床に置く。キルアが目を見開いたのを横目で確認しながら、私はにやりと笑った。
「これ……大剣、ですか?」
「そう、大剣よ。魔導杖の一種。これはね、昔の知り合い……一緒に冒険してた仲間の、忘れ形見なの」
その名前を出すと、胸の奥が少しだけちくりとした。
懐かしい日々。仲間と旅をして、遺跡を巡り、ドラゴンと戦った日々。あのときのことは、今でも夢みたいだ。
「その仲間がね、最後にこの剣を残して逝ったの。“いつか、この剣を振るうべき奴が現れる”って」
そして、もしかしたらその「奴」が――目の前のこの少年なのかもしれない。
「今のあんたに必要なのは、“魔力を逃がせるだけの強度”よ。剣は武器であると同時に、魔術の通し道。これくらい大きくて重ければ、魔力の暴走を抑えられるはず」
キルアはゆっくりとその剣に手を伸ばし、両手で持ち上げた。ずっしりとした重量に足元がふらついていたけれど、それでも歯を食いしばって持ち上げた。
「……やってみます。この剣で、魔法を制御できるようになりたい」
その言葉を聞いて、胸がじんわりと温かくなった。
(やっぱり、あのとき拾ってよかった)
そう思った。拾ったのは、ただの少年じゃない。きっと――未来を変える、何か大きな存在。
◇ ◇ ◇
訓練を終えた夕方、小屋の前の石椅子に並んで座った。キルアがふいに言った。
「そういえば、リーナさんって……俺と同じくらいの年かと思ってました」
ぷっと、吹き出してしまった。その無邪気な表情がおかしくて、つい、口元が緩んでしまう。
私はフードを下ろし、長い耳を露わにした。
「……エルフ……?」
「そう、私はエルフなの。見た目は若くても、あんたより何倍も長生きしてるわよ」
驚いた顔のキルアを見て、思わず微笑む。こういう反応、懐かしい。
「私はいろんなことを見てきたし、いろんな命の終わりも見てきた」
それは本当だ。
長命の種族は、必然的に多くの“別れ”を経験する。人間の時間はあまりにも短くて、儚くて、だからこそ美しい。けれど、悲しい。
――でも。
(この子の時間には、付き合ってみてもいいかもね)
そう思った自分がいた。胸が少しだけ跳ねた。
ああ、なんだかおかしい。こんな気持ち、どれくらいぶりだろう。
◇ ◇ ◇
キルアはきっと、もっと強くなる。
この子の魔力量は、私たちエルフと肩を並べるどころか、むしろそれ以上かもしれない。人間の身体に宿るには、あまりにも強すぎる光。
だからこそ、私は鍛えてみたくなった。
エルフとしての好奇心。魔女としての矜持。……そして、たぶんそれ以上の何か。
「ふふ……楽しみね、本当に」
ひとりごとのように呟いて、私は森の風を感じながら、小さく笑った。
キルア――この子は、どれだけの“領域”に辿り着けるのだろうか?
答えは、これからの時間で見つけていく。
私は、この不思議な少年の成長を、そばで見届けるつもりだった。