第30話 キルア、皇帝陛下に謁見する
◆桃色の魔女と銀の剣士――祝賀の城にて
帝城シャトーの広間には、今や華やかな空気が満ちていた。
さきほどまで絶望と混乱に包まれていたはずのその空間が、まるで別世界のように変わっている。
グリーンドラゴン討伐の報が届き、街にも、そして城にも光が戻った。
そして今、その“英雄たち”が、ついに城に姿を現す。
「――お待ちしておりました。陛下のお召しです」
近衛兵の案内に続いて、城の大広間へと三人の影が差す。
先頭に立つのは、銀髪の少年――キルア=レイグラント。
鋭い眼差しと大剣を背負った姿は、帝都中の誰よりも威風堂々としていた。
その隣には、栗色の髪をなびかせた少女――アリア=デュフォール。
気品と強さを兼ね備えたその瞳は、広間にいた文官たちすら思わず息を呑むほどだった。
そして、最後に入ってきたのは、ピンク色の長い髪を編み込み、グレーのローブをまとった、どこか人ならぬ気配を纏う女性――リーナ。
その瞬間、大広間の空気が張り詰めた。
玉座に座っていた皇帝――ルイコスタ陛下が、立ち上がった。
「そなたは……公爵家の……アリアではないか?」
驚きと安堵が混ざったような声だった。
「はい。デュフォール家のアリアです。ご無礼をお許しください。……ですが、いま私は、冒険者として、皆とともにここへ参りました」
アリアが恭しく膝をつくと、皇帝は「よく戻った」と優しく微笑み返した。
そして、次の瞬間――皇帝の視線がリーナに移ったとたん、その表情が一変した。
「……ま、まさか……あなた様は……リーナ様では……!?」
玉座の間にいた文官や騎士たちも、一斉にどよめく。
「え……? リーナ様って、まさか……」
「“桃色の魔女”……って呼ばれてた、あの……?」
「伝説の勇者パーティーの……あの魔法使い……!?」
リーナは肩をすくめ、照れ隠しのように笑った。
「そんな昔の話を持ち出すのかい? ずいぶん昔のことさ。もう忘れ去られてると思ってたよ」
「忘れるわけがありません!」
皇帝ルイコスタが、玉座を降りてリーナの前まで進み、深く頭を下げる。
「この帝国を築いた初代皇帝に仕え、共に魔王を討伐した勇者の一人――
あなた様こそ、この国の礎に名を刻む“英雄”ではありませんか」
「……光栄だけど、今の私はただの放浪魔女さ。そんな堅苦しい言葉は似合わないよ」
リーナの言葉に、皇帝は微笑み、続けて隣に立つ少年を見つめた。
「その少年は……?」
リーナは、ふっと口元を緩めて答えた。
「私の弟子さ。名前は――キルア。見ての通り、腕は確かだよ。あの竜を討ったのは、この子の剣だ」
「……キルア」
皇帝がその名を繰り返す。
少年の瞳は、まっすぐ皇帝を見返していた。どこか冷たいようで、内に炎を秘めた、凛とした瞳。
「よくぞ、この国を、帝都を……我らすべてを救ってくれた」
皇帝は静かに言った。
「その功績、決して忘れぬ。帝国は、そなたら三人を――“新たな英雄”として迎える」
場内がどっと湧いた。
貴族たちは歓声を上げ、兵士たちは剣を掲げて讃えた。
城の天井にまで届くような拍手の波が、三人を包み込んだ。
◇ ◇ ◇
その後、祝賀の宴が開かれた。
広間には豪華な料理と音楽、花々の飾りが並び、久々に帝都に本当の“笑い声”が戻ってきた。
「それにしても……このグリーンドラゴンの素材、どうするんだい?」
宴のさなか、リーナが酒杯を傾けながらぽつりと口にした。
「鱗も爪も、ものすごく貴重な素材さ。使い道に困るようなら、買い取ってもらうのもいいかもしれないね」
「うむ、それは我ら帝国が責任を持って買取ろう」
皇帝ルイコスタが頷く。
「竜の素材は、武具や魔道具の研究に欠かせぬ。正当な対価は必ず用意しよう。……それが、そなたらの第二の報酬だ」
アリアは微笑み、リーナはまた一口飲んでうなずいた。
キルアはというと、やや所在なげにロースト肉をかじっていたが、どこかうれしそうだった。
帝都は救われた。
けれど、それは終わりではない。
英雄たちの旅は、まだ続いていく。
新たな伝説は――この祝賀の夜から、また静かに始まるのだった。
◆百合の夜に、あなたと
帝都シャトーにて開かれた祝賀の夜は、熱気と興奮に満ちていた。
グリーンドラゴン討伐という奇跡に近い勝利。皇帝自らの讃辞。そして、リーナの正体が“建国の魔女”だったという衝撃。
だが、夜も更け、宴が落ち着きを見せ始めたころ――
キルアは、一人城の裏庭にいた。
「……なんだよ、あの騒ぎ」
天を見上げ、銀髪を風に揺らしながらぼやく。
リーナが、あの“伝説の桃色の魔女”だなんて。
誰もが驚いていた。皇帝すら頭を下げる存在。国家の礎を築いた真の英雄。
――だけど、俺は。
「……最初から、お前が“普通じゃない”ってことぐらい、わかってた」
その呟きに応じるように、背後から声がした。
「キルア、そこにいたのかい?」
振り返れば、ピンクの髪を夜風に揺らす女――リーナがいた。
ローブは脱ぎ捨て、薄紫のシルクのドレスに身を包んだ彼女は、まるで夜に咲く百合のように妖艶で、儚げだった。
「……来ると思ってた」
「ふふ、予知能力でもあるのかい?」
リーナはからかうように微笑むと、ゆっくりとキルアの隣に並んだ。
「宴で、私のこと……少しは見直した?」
「まあな。びっくりはした。でも――」
キルアは目を細めて、そっと彼女の髪を指先で梳いた。
「俺にとっては、ずっと前から“大切な女”だよ。昔の肩書きなんて関係ねぇ」
その言葉に、リーナは目を細めた。
「……嬉しいね、そう言ってもらえるのは」
しばらく、二人は何も言わず、月を見上げた。
静かな時間。だが、確かに流れている“共に過ごした日々”がそこにあった。
「……戻ろうか? 私の部屋」
リーナの囁きに、キルアは軽く頷いた。
「……ああ。今夜は、特別な夜だしな」
◇ ◇ ◇
帝城の一角――賓客用の一室。
だが、今その部屋は、まるでリーナの魔力が染みついたかのような、妖しい気配に包まれていた。
淡く灯る魔光のランプ。窓辺には風に揺れるカーテン。ベッドには、白百合を模した刺繍のシーツ。
リーナは、静かに背を向けながら髪を解き、ドレスの後ろの留め金に指をかける。
「キルア、手伝ってくれる?」
その声に応じて、キルアは無言で背後に立ち、リーナの腰にそっと手を添えた。
「……何度こうしても、慣れねぇな。お前が綺麗すぎて」
「お世辞ばっかり。……でも、そう言ってもらえるの、好きよ」
留め金が外れ、ドレスが滑り落ちる。
キルアはその肩にそっと唇を落とした。
「リーナ。……今日は、いつもより、お前のこと抱きたい」
「どうして?」
「……誇らしい気持ちもあるけど、それ以上に……お前が遠くへ行きそうで、怖い」
その言葉に、リーナは振り返り、彼の頬に両手を添えた。
「大丈夫。私は、ずっとここにいるよ。あなたが望む限り、私は“キルアのリーナ”でいる」
優しく、深く、口づけが交わされる。
そのままベッドに倒れ込み、静かに抱き合うふたり。
何度も重ねた関係だった。けれど、この夜は違った。
祝福され、認められ、過去と未来を知ったうえで――改めて、愛を交わす夜。
キルアの手が、リーナの肌を丁寧に撫でるたびに、リーナはそっと目を閉じた。
「ねえ……キルア」
「……ん?」
「こうしてあなたに抱かれるたび、少しずつ私、人間に戻っていく気がするの」
「……お前、エルフだろ」
「そうだった、エルフでした……でも今だけは人間なの、そして、もっとあなたを教えて。私は今夜、あなただけの女だって」
それは命令でも請願でもない、ただの純粋な欲求だった。
身体だけでなく、心を満たしたいという――百合のように繊細で、どこまでも白く、そして強い想い。
キルアは彼女の頬に唇を重ね、熱を注ぐ。
「……お前は俺の女だ。何があっても、それは変わらない」
「……うん」
その夜、ふたりは静かに何度も交わった。
そのたびに、ふたりの孤独が、少しずつ溶けていくのを感じた。
腕の中でリーナが安らかに眠るころ、キルアは彼女の額にそっと口づけた。
「……愛してるよ、リーナ」
誰に聞かれることもない、小さな声。
けれど、それは確かに――この世界のどんな魔法よりも、深い絆だった。




