第29話 皇帝ルイコスタ十三世
◆城を揺るがす災厄、皇族たちの逃走・後編
それは、まさに「終わり」を告げる音だった。
グリーンドラゴンの咆哮が響いた瞬間、帝城シャトー全体が軋み、どこかで石壁が崩れ落ちる音がした。
塔にいた見張り兵は腰を抜かし、剣を構えていた近衛たちも、目をそらし、足を後退らせた。
「もう……だめだ……」
誰かがそうつぶやいた。
祈りを口にする者、ただ床に座り込んで震える者、全力で走りながら涙を流す者――
帝都に生きる人々は、もう“希望”という言葉を忘れかけていた。
謁見の間の皇帝ルイコスタ十三世もまた、深く玉座に沈み、静かに目を閉じていた。
その隣に立つ皇妃は肩を寄せ合い、娘と息子の無事をただ願っていた。
(せめて、家族だけでも……)
それほどに、すべてが“終わっていた”のだ。
……だが、そのときだった。
「急報――急報です!!」
地下通路から駆け上がってきた伝令が、声を枯らして叫んだ。
「グリーンドラゴン、討伐されました!!」
城中の時が、止まった。
「……なに……?」
皇帝が、顔を上げる。
「本当か、それは……本当に……!?」
「はい! 上空での目撃者多数、討伐確認済み! 竜の残骸が、帝都東の外れに落下しております!」
「誰が……いったい、誰が討ったのだ!?」
誰もが身を乗り出すように、その問いに耳を傾けた。
伝令は深く息を吸って、言った。
「たった三人の若者たちです。その中の一人、銀色の髪を持つ大剣の少年――彼の一撃が、竜の“逆鱗”を貫いたと……」
「三人……?」
「はい。他の二人は、空中からの魔法攻撃と、囮として地上で竜を誘導した者。それぞれが、命を懸けて戦ったそうです!」
城にいた者たちは、その場で立ち尽くし、次第にどよめき始めた。
「……本当に……倒したのか……?」
「助かったんだ、私たち……!」
「生きてる……! 生きてていいんだ!!」
言葉にならない歓声が、波のように広がっていく。
歓喜の叫び、涙の声、拍手、笑い――
絶望が支配していた帝城が、今、光で満ちていた。
レオニスとエリナも、廊下の片隅で報せを聞き、顔を見合わせた。
「……兄様、助かったんだね……!」
「ああ……信じられないけど、本当に……」
胸の奥に詰まっていた重たい石が、ようやく消えていく。
そんな気がした。
◇ ◇ ◇
謁見の間に戻った皇帝ルイコスタ十三世は、ようやく立ち上がり、玉座の前に進み出た。
「すぐに、その三人を城へ招け」
重く、しかし確かな言葉だった。
「我が帝国を救った新たなる英雄として、しかと迎えねばなるまい」
その言葉に、廷臣たちは一斉に頭を下げた。
「恐れながら、陛下――お名前が、まだ……」
「構わぬ。名も、素性も、すべて明らかにすればよい」
皇帝は、瞳にかすかに光を宿して言った。
「だが、忘れてはならぬ。この命があるのは、名も知らぬ“誰か”が、死地へ飛び込んだからだ。
……真の騎士とは、そういうものだ。礼を尽くして迎えるがいい」
城の扉が大きく開かれ、使者たちが走っていく。
新たな英雄たちを迎えるために。
◇ ◇ ◇
帝都に、光が戻った。
空は高く澄み、鳥たちの鳴き声が、ようやく人々の耳に届くようになった。
焼け落ちた屋根もある。崩れた壁もある。
それでも人々は笑い合い、語り合い、誰もが“明日”を思い描いていた。
グリーンドラゴンを討った三人の若者。
その名はまだ誰も知らない。
だが――
“銀の大剣士”、“空を舞う魔女”、“運命に抗った少女”。
帝都では、すでに伝説として語られ始めていた。
そしてその伝説は、これから皇城の階段を登り、玉座の間に届く。
そう、皇帝のもとに――
新しい時代の“希望”として。




