第25話 帝都にグリーンドラゴン現れる
◆精霊との最終契約編
帝都の北西に広がる霊域の森。その奥に、ひっそりと古びた神殿が眠っていた。
石畳は苔に覆われ、風が枝葉を揺らす音だけが静かに響いている。
「……ここが、その場所?」
アリアが少し震えた声でつぶやく。
「ええ。王家が精霊と契約を交わしたとされる、最初の地。ここで何かを変えられるかもしれない」
そう答えたのはリーナだった。肩にかけた鞄から、分厚い古文書を取り出してめくる。
キルアも、その石の階段を見上げながらつぶやいた。
「呪いを解くには、ここと向き合うしかないってことか……」
三人は、風に押されるようにして石段を登っていく。
やがて、視界が開けた。小さな祭壇の周囲に、水晶の柱がいくつも立ち並び、その中心には、ひときわ大きな水晶が鎮座していた。
その瞬間だった。
風が渦を巻き、空気が震え、水晶がぼんやりと淡い緑色に輝き始めた。
「……来たわね」
リーナが小さくつぶやく。
次の瞬間、光の中から、半透明の姿がゆっくりと浮かび上がった。
それは、風と大地を司る精霊王――リュフィエ。
その存在は、威圧ではなく、どこか穏やかで、けれど抗いがたい気配をまとっていた。
『汝らは、千年前の契約の継承者か。それとも、新たな願いをもってここに来た者か』
低く響くその声に、キルアが前に出た。
「俺たちは、過去の過ちを正しに来た。王家の“代償”に縛られた少女の呪いを解くために」
アリアも、一歩踏み出す。
「……生きたいんです。決められた運命なんかに、従いたくない。自分の未来を、自分の意思で選びたい。だから……精霊の加護を、お願いします」
しばらく、森に沈黙が落ちた。
やがて、リュフィエが首を横に振った。
『加護とは、ただ手に入れるものではない。形ある“お守り”ではない。――それは、力を受け取る覚悟を持つ者の前にのみ、現れる』
リーナの表情が、わずかに変わる。
「まさか……“試練”?」
リュフィエは、静かにうなずいた。
『汝らに“試練”を与える。真に精霊の加護を求めるならば、それに立ち向かい、超えるがよい』
「試練って、いったい何を……」
アリアが声を震わせた、そのとき――
空が揺れた。
風が巻き起こり、森の木々がざわめく。
遠くから、まるで天地を裂くような、凄まじい咆哮が響いた。
リュフィエが静かに言う。
『――東の空を見よ。王家の業、その報いが再び姿を現した』
三人が振り返った。
遠く、帝都の方角に――
翠緑の巨大な翼が、雲の間から姿を現したのだ。
「グリーンドラゴン……」
リーナが顔色を失う。
「伝説の……魔獣?」
アリアの声も震えていた。
リュフィエの声が、風のように響く。
『かつて、精霊の怒りを買い、人が見放されたとき、災厄として姿を現したもの。再び、それが目覚めようとしている』
キルアは、拳を握りしめて言った。
「帝都を……襲うつもりなのか……」
『それが“試練”。精霊を忘れた街を救え。願うならば、その命で守れ。それができる者にこそ――真の契約を結ぶ資格がある』
風が静まり、水晶の光が、すう……と消えていった。
祭壇の中心は、再び静寂に包まれる。
アリアが、目を閉じて息を吐いた。
「……そんなの、無理に決まってる」
「いや」
キルアが短く言った。
「誰かが止めなきゃ、帝都が……お前の未来が、なくなる。俺たちは……やるしかない」
リーナも肩をすくめて、ニヤッと笑う。
「ったく、ドラゴン退治なんて簡単に言ってくれるじゃない。でも、やるわよ。あんたが本気なら、私も乗ってあげる」
アリアは驚いたように二人を見る。
「……ありがとう」
その言葉に、キルアは小さくうなずいた。
風が再び吹き始めた。
三人の視線の先、帝都の空には――緑の巨影が、いまにも地上へと降り立とうとしていた。
――試練は、始まろうとしている。
◆混乱の帝都、集え冒険者たち
その日、帝都はまだ朝の光に包まれていた。
市場には商人の呼び声が響き、人々はパンを買い、果物を吟味し、いつもと変わらない一日が始まるはずだった。
だが――突如、空を裂くような“咆哮”が、帝都の上空に響いた。
「……え?」
誰かが空を見上げた。その視線の先――
雲を押しのけるように、巨大な影がゆっくりと姿を現した。
翠緑の鱗。長くしなる尾。大地を揺るがすような羽ばたき。そして鋭く光る双眸。
「グ……グリーンドラゴン……!? 伝説じゃなかったのか!?」
その瞬間、帝都の人々は一斉に悲鳴を上げた。
「逃げろおおおおお!!」
「な、なんであんな魔物が……!?」
「子どもを連れて! 早く避難所へ!!」
市場は崩れ、荷車がひっくり返り、人々が我先にと路地に逃げ込む。
兵士たちが剣を抜いて広場に集まるが、その顔は蒼白だった。
「く、くるな! ここは王都の領空だぞ!」
そんな叫びが、竜に届くはずもない。
グリーンドラゴンは一声、咆哮をあげると、風を巻き上げながら街の上空を旋回しはじめた。
その爪と牙は、かつて王国の辺境を焼き払ったとされる“緑の災厄”。
帝都の空が、いまや“戦場”になろうとしていた。
◇ ◇ ◇
帝都の中央通りにある、冒険者ギルド本部――。
その内部も、騒然としていた。
「緊急事態発生!! 帝都上空にて、グリーンドラゴン確認!」
叫んでいたのは、ギルドの若い受付官だった。顔からは血の気が引き、声も震えている。
「こっちでも目視確認された! このままじゃ、市街地に……!」
「ば、馬鹿な……グリーンドラゴンは、封印されたはずじゃ……!」
集まっていた冒険者たちも、ざわざわと色めき立つ。
帝都に集まる者たちは、全員がA級以上の猛者ばかり。それでも、その誰もが、竜との戦いは未経験だった。
「急げ! まずは帝都防衛部隊と連携しろ! ギルドの精鋭たちは、第一防衛線へ!」
ギルドマスターのクロードが怒鳴るように命じる。
「B級以上の冒険者は全員、広場に集合! 命令があるまで勝手に動くな!」
書類を手に走り回る受付官。窓の外では、市民が避難を始めていた。
「飛行系の魔術師はいるか!? 上空の偵察が必要だ!」
「俺が行く!」
長身の槍使いが手を挙げる。
「ギルドに火力を――魔術師は第一区画に集中配置! 竜がそこを通れば、砲撃で足を止めろ!」
戦いの準備は、急ピッチで進められていた。
だが、ギルドの誰もが心の中で思っていた。
(……本当に勝てるのか?)
伝説の魔獣――グリーンドラゴン。
数百年前、王国の辺境を焼き尽くし、七つの街を滅ぼしたという怪物。その姿を見た者は少なく、生きて語った者はさらに少ない。
「おい、まさか本物じゃねえだろ?」
「でも、空を飛ぶ緑の影なんて、他にあるかよ……」
冒険者たちの間に、じわじわと不安が広がる。
「はっきり言っておく」
ギルドマスターのクロードが重々しく口を開いた。
「これは、“王家の災厄”だ。理由も事情も知らんが、帝都にグリーンドラゴンが現れた時点で、俺たちがやるしかない」
その目は鋭く光っていた。
「逃げたい奴は、今ここで立ち去れ。だが、ここに残るなら、覚悟を決めろ。“冒険者”ってのは、こういう時のためにいるんだ」
しばしの沈黙のあと、何人かが無言で剣を抜いた。
「……逃げる理由がねぇよな。俺たちゃ、命を賭けて金を稼ぐ連中だ」
「相手がどんな化け物だろうと、誰かが止めなきゃ、帝都が終わる」
「だったら、俺たちがやるしかねぇだろ!」
仲間たちの士気が、じわじわと高まっていく。
「全隊、出撃準備!」
クロードが叫んだ。
「魔術師班、地上支援班、回復班に分かれろ! 位置について、合図を待て!」
ギルドの一角が、まるで軍のように動き出す。
壁の外では、空に影を落とすようにグリーンドラゴンの翼が舞っていた。
その威圧に、地上の者たちは誰もが息をのむ。
だが、それでも――帝都は、まだ戦える。
冒険者たちがいる限り。
◇ ◇ ◇
一方そのころ、帝都の外れ。古びた塔の上から、フードをかぶった一人の老魔導士が空を見上げていた。
「……目覚めたか、“緑の災厄”よ」
彼は、深くため息をつく。
「あとは、お前たちがどう立ち向かうかだ。伝説を、ただ語るだけの時代は終わった。いま、それを超える者が必要なのだ」
空では、ドラゴンの咆哮が再び響いていた。
――帝都の運命は、風にゆらぎ、揺れていた。




