第18話 キルア、公爵令嬢から指名依頼をされる
◆その身に宿る呪いと、精霊の森へ
フランシュドの冒険者ギルド。昼前の受付カウンターには、今日も報酬を受け取りにきた冒険者たちが行列を作っていた。
キルアとリーナがいつものように足を運ぶと、受付のレミィがすっと顔を上げた。
「カイル=レインさん、リーナさん。ちょうどよかったです。お二人に“指名依頼”が届いています」
「……また?」
キルアが思わず眉をひそめると、レミィはこくりとうなずいた。
「今回の依頼主は、デュフォール公爵家の令嬢――アリア様からです」
その名を聞いて、キルアとリーナは目を見合わせた。
「あの時の……」
数日前、森で盗賊に襲われていた馬車を助けたときに乗っていた、あの令嬢。
彼女からの正式な指名。しかも今回は“公爵家”の名も添えられていた。
「場所は、フラン湖の別邸。馬車もこちらで手配されています」
「……乗るか?」
「ま、貴族の依頼ってのも悪くないかもね」
キルアは一度ため息をついてから、無言でうなずいた。
◇ ◇ ◇
湖畔の道を走る馬車の中。キルアは窓の外をぼんやり眺めていた。
リーナはというと、となりで「精霊信仰と土地呪術」なる古い本をパラパラとめくっている。
「お前、精霊について知ってること、けっこうあるんだな」
「まぁね。エルフの村じゃ、幼い頃から自然と精霊の話を聞いて育つから」
「……それって、呪いとも関係あるのか?」
「うーん、どうだろ。呪いってのは、精霊の加護を受けられない状態って意味でもあるから。少なくとも、精霊のお守りが関係してるなら、“加護の儀式”をやらなきゃダメだろうね」
「儀式?」
「あとで教えてあげる」
そう言って、リーナはいたずらっぽく笑った。
◇ ◇ ◇
到着した別邸は、白壁に赤い屋根の美しい建物だった。湖を望むその風景は、まるで絵画のよう。
執事に案内され、応接間に通されたキルアたちの前に、アリアが姿を現した。
「ようこそ、お越しくださいました」
淡い緑のワンピースを着た彼女は、落ち着いた様子で二人に頭を下げた。
「依頼について、詳しくお話しします」
アリアの隣に立った執事が、ゆっくりと説明を始めた。
「アリア様は、生まれたときから“精霊に見放された子”と呼ばれておりました。……実際に、複数の神官により、“十八歳で命が尽きる”との啓示が下されております」
「十八歳……」
キルアが小さくつぶやくと、アリアは静かにうなずいた。
「もうあと半年もないんです。でも……わたし、まだ生きたい。だから、唯一残された希望――“精霊のお守り”を探してほしいんです」
「そのお守りってのは、どこにあるんだ?」
キルアが訊ねると、執事は苦々しげに眉を下げた。
「……はっきりした場所はわかりません。ただ、古文書によれば、ここ南方の森のどこかに“精霊の痕跡”があると」
「伝説レベルってわけね」
リーナが、ふぅっと肩をすくめた。
「けどまぁ、興味はあるわね。“風の精霊の通い路”って呼ばれてる森、ずっと前から気になってたし」
キルアも小さくうなずいた。
「……やるしかないか」
そのとき、アリアが小さく手を上げた。
「それで……わたしにできることはありますか?」
「ん?」
「あなたも現地に行く必要がかしら」
その場に一瞬、静寂が落ちた。
キルアが目を見開き、何か言おうとしたそのとき。
「お嬢様、それはなりません」
そう言ったのは、執事だった。
「執事さん、精霊の加護ってのは、ただ“モノ”を持ち帰るだけじゃダメなの。祝福は、その場で、本人が精霊に“認められる”ことでしか受けられないの」
「……!」
「つまり、あんた自身が、その場所に行かないと“意味がない”のよ」
アリアはぎゅっとスカートの裾を握った。
「そう……なんですね」
「だから、大変な冒険になるけどどうする?」
リーナの瞳が、まっすぐにアリアを見つめた。
「その場所には、危険もある。精霊が眠る森には、昔から魔獣が出るって話もあるし。王都みたいな整備された道じゃない」
「わかりました……行きます」
アリアの声は、震えていなかった。
「わかりました。同行します。自分の運命に、ちゃんと向き合います。たとえ怖くても、必要ならば、自分の足で行きます」
その言葉に、キルアは何も言えなかった。
(この子……本気だ)
思わず、少しだけ拳を握る。
「じゃあ、俺たちも本気で守るだけだな」
「ふん、ようやく気合入ったじゃない」
リーナが口元を緩める。
そして、三人は立ち上がった。
――精霊の祝福を求めて。
運命を変えるための旅が、いま始まろうとしていた。
◆その身に宿る呪いと、精霊の森へ(アリア視点)
“十八歳で命が尽きる”
その言葉を、初めて聞いたときのことを今でも覚えている。
誕生日の数日前。幼いわたしの前で、神殿の神官は静かに頭を垂れ、父に向かって、そう告げた。
「この娘には、加護がない。精霊に見放された子なのです。十八の年、命は尽きるでしょう」
父は何も言わなかった。ただ、拳を握りしめ、母はその場で泣き崩れた。
わたしは何も分からなかった。ただ、自分が“呪われた存在”であると知り、何年も“死ぬ日”を数えながら生きてきた。
でも――
「まだ、生きたいんです。どうか、“精霊のお守り”を探していただけませんか?」
わたしはあの日、勇気を出して言葉にした。
そして今日、“あの人”がまた、目の前に現れた。
カイルさん――彼は、前に森でわたしを助けてくれた人。今は“カイル”と名乗っているけれど、きっとあれは偽名だ。
彼は、普通の冒険者じゃない。剣を握るその姿は、洗練されていて、美しくて、そしてどこか――とても哀しい。
それでも、わたしを助けに来てくれた。命令されたからじゃない。彼自身の意志で。
「じゃあ、俺たちも本気で守るだけだな」
その声を聞いたとき、胸が、ぎゅっと熱くなった。
嬉しかった。心強かった。だけど――正直、怖かった。
“精霊の通い路”なんて呼ばれる森へ行くこと。魔獣が出るかもしれない。護衛も最低限。舗装もされていない、危険な旅。
わたしみたいな、剣も振るえない貴族の娘が行って、何ができるのだろう。
……手が、震えていた。
応接間の椅子の肘掛けを握ったとき、はっきりと分かった。わたしは今、本当に怯えているんだと。
でも、それでも――
「……行きます」
言わなければならなかった。
「自分の運命に、ちゃんと向き合います。たとえ怖くても、必要ならば、自分の足で行きます」
それが、“生きたい”と願う者の覚悟だと思ったから。
誰かに連れて行かれるのではなく、自分の意志で、森に足を踏み入れる。
怖い。でも、逃げない。
逃げたら、また“あの日”に逆戻りしてしまう。
そして――
カイルさんと、もっと話がしたい。
もっと、近づきたい。
助けてくれたあの日のことを、ちゃんとお礼を言いたい。どうして、あの時助けに来てくれたのかを聞きたい。彼の素顔を知りたい。
ただの憧れじゃない。それは、時間をかけてゆっくりと、わたしの中に根を張っていた“生きる理由”になりつつあった。
もし、この呪いが解けて、もっと時間が手に入ったら――
わたしは、きっと彼と……
「……わたし、負けない」
部屋の片隅、窓辺に立って、湖を眺めながら小さくつぶやいた。
鏡のように静かな水面に、夕暮れの光がきらめいていた。
風が吹く。その風が、まるで彼の気配を運んでくるようで、わたしは少しだけ目を閉じた。
(カイルさん……あなたは、なぜそこまで強いの? なぜ、あんなに誰かを助ける眼をしているの?)
きっと、何か――深い悲しみを背負っている。
それがどんなものか分からないけれど、わたしは知りたい。
ただ助けられたお嬢様じゃなくて、同じ旅路を歩む“仲間”として、隣にいたい。
だから――この旅は、きっとわたしの“運命”を変える。
呪いを打ち破り、生きて、そして――
「……あなたのこと、もっと知りたいの」
誰にも聞かれないように、そっと、心の中で呟いた。
わたしは、デュフォール公爵家の令嬢、アリア=デュフォール。
でも、それだけじゃない。
これは、わたし自身の人生。わたしの選んだ道。
精霊の森へ――その先にある未来へ。




