第16話 キルア、B級冒険者になる。
◆風を追って、次の地へ
朝の光が、山小屋の窓辺に差し込む。
鳥のさえずり。木々を揺らす風の音。リーナの寝息。そして――隣で静かに目を開けた、ひとりの少年。
「……もう朝か」
キルア=レイグラントは、寝台の中でゆっくりと身を起こした。肩には毛布がかかっており、ぬくもりがまだ残っている。
隣では、リーナがまだ眠っていた。
長く伸びたまつげ。静かに上下する胸元。昨夜の余韻をほんのり残した頬の赤み。
キルアはそっと彼女の髪をなで、微笑んだ。
「……ありがとう、リーナ」
昨日は、たしかに特別な日だった。
“風の剣士”と呼ばれたことよりも、自分の剣で仲間とともに戦い、勝ち取った成果。それを、誰よりも近くで祝ってくれる存在がいること――そのすべてが、胸に温かく残っていた。
そのとき、リーナがゆっくりと目を開けた。
「……ん、ん……おはよ……あんた、もう起きてたの?」
「おう。そろそろ動き出そうと思ってな。今日は、ギルドに顔出すつもりだ」
「ふふ……せっかく目立たないように偽名使ってるのに。あんた、どんどん有名になってくじゃない」
キルアは苦笑して、毛布を整えながらベッドを降りた。
「有名になりたいわけじゃない。ただ、強くなりたいだけだ。誰にも、振り回されないくらいに」
「……うん、そうね」
リーナも立ち上がり、淡いグレーのローブを羽織ると、キルアの背に手を添えた。
「でも……少しは、頼ってくれていいのよ?」
「わかってる。お前がいてくれるってことが、もう何よりの支えだ」
その言葉に、リーナは微かに目を伏せ、頬を紅く染めた。
「……朝から、そういうのずるい」
「言葉にしないと伝わらないだろ?」
「ほんと、素直になったわね。前のあんたなら、絶対照れて黙ってたくせに」
「……かもな」
ふたりは笑い合い、身支度を始めた。
◆“風刃の誓い”、そしてふたり
「おめでとう、カイル=レイン君。これで、正式にB級冒険者として登録されました」
ギルドの受付嬢が、笑顔で言った。
朝のギルド内。ざわつく冒険者たちの視線が、銀髪の少年に注がれていた。彼は一礼すると、静かに認定証を受け取った。
――彼の名前はキルア=レイグラント。だがその正体を知る者は、この町にはいない。今は偽名“カイル・レイン”として、生きている。
そしてこの日、ついに、彼はB級冒険者になったのだった。
◇ ◇ ◇
その日の夕暮れ。町外れの岩場にて。
キルアの剣が、音もなく風を裂いた。
「……はっ!」
空気がゆらぎ、風の刃が真っ直ぐに走る。岩の表面が細く切れ、ぱらぱらと粉塵が舞った。
「風の魔術と体術の融合、ここまでやるとはね……」
木陰にいたリーナが、腕を組みながら感心したように言った。
彼女――エルフのはぐれ魔女であるリーナは、キルアを修行の間に助け、鍛え、導いてきた存在だ。
「正直、想定以上。ここまで才能あるなら、もうちょっと教え方考えとけばよかったかも」
「それ、褒めてんのか?」
「……ま、少しくらいは、ね」
リーナが小さく笑う。
最近のキルアは目を見張るような成長を遂げていた。風属性の魔力操作は、もはや中級魔術師レベル。剣技と魔法を同時に操る技術は、訓練された騎士団でもそうそう真似できるものじゃない。
何より、戦場での勘と反応の鋭さ――
(この子……ただの“貴族出身の逃亡者”なんかじゃない)
リーナの中で、キルアを見る目が変わりつつあった。
◇ ◇ ◇
翌日、ギルドにて。
掲示板の前で、リーナが一枚の依頼票を引き抜いた。
「はい、これ。今度は一緒に行くわよ」
「えっ、お前が?」
「B級以上限定の探索依頼。森の遺跡に入るんだけど、魔術罠の解析と護衛が必要。ちょうどエルフの魔術と剣士の組み合わせが最適ってわけ」
「一緒に……か」
キルアはちょっと驚いた顔をした。
これまでリーナは“師匠”として見守る側だったのに、今回は並んで戦う“パートナー”として同行するらしい。
「いいのか? 俺と組んで」
「当たり前でしょ。あんた、もう“弟子”ってレベルじゃないんだから」
その言葉に、キルアの心がふっと軽くなるのを感じた。
(やっと、ここまで来たんだな)
◇ ◇ ◇
依頼先は、フランシュドから南にある“嘆きの森”だった。
かつて魔族と人の戦争が起きた地で、今も魔力が不安定に漂っている。その森の奥にある古代遺跡――“リリノアの祠”が今回の目的地だ。
「罠解除は私がやるから、あんたは周囲の警戒」
「了解」
薄暗い祠の中、魔力を帯びた石壁には、不気味な光がほのかに浮かんでいた。中級以上の魔術師でなければ、この迷宮の魔法陣を見抜くのは難しい。
「……よし、封印解除まであと少し……っ」
その時だった。
ギャァァッ!
突如、奥の石扉が砕け、異形の魔物が飛び出してきた。角を持ち、腕が四本ある、灰色の異種族――かつての“魔人兵”の残骸だ。
「こっち来た! リーナ、下がれ!」
キルアが一気に前に出て、風の剣を抜いた。
「《風鎌・裂》!!」
斬撃とともに風が爆ぜ、魔人兵の肩が吹き飛ぶ。それでもなお、魔物は動きを止めずに突進してくる。
「タフだな……!」
キルアは魔力を脚に集中させ、跳び上がる。
「“風牙――乱舞斬!”」
連撃。連撃。連撃――
風の力をまとった剣が、まるで舞うように魔物を切り裂いていく。そして、最後の一撃。
「終われっ!!」
風とともに剣がうなりを上げ、魔物の胸を貫いた。
その巨体が、ゴウン……と音を立てて崩れた。
◇ ◇ ◇
遺跡の外に出たとき、夕日が森を金色に染めていた。
リーナはふう、とため息をついてから言った。
「……完璧だったわ。あの魔人兵、正直ひとりじゃ無理だった」
「そうか?」
「そうよ。あんたが“強くなった”の、私が一番わかってるから」
キルアは帽子をずらして、目元を見せた。
その瞳はもう、昔のような迷いを抱えていない。
「ありがとう、リーナ。……お前が拾ってくれたから、俺は今、こうして生きてる」
リーナは少しだけ顔をそらして、髪をいじった。
「ま、あんたが本気出すとは思ってなかったけどね。いい意味で予想外」
「それ、褒めてんのか?」
「……ちょっとだけ、ね」
二人の間に、やわらかな風が吹いた。
それは、“師匠と弟子”ではなく、“対等な仲間”として歩みはじめた瞬間だった。
――風はまた、新たな冒険の匂いを運んでくる。




