表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/38

第15話 キルア、風の剣士と呼ばれる

◆“風の剣士”と呼ばれた日

 冒険者ギルドの朝は、いつもにぎやかだ。


 「依頼票、貼り替えるよー! 昨日の分は右の壁に移動ー!」


 受付嬢の声に冒険者たちがざわつき、情報板の前に人だかりができる。


 そのなかで、ひときわ目を引いたのは、やや離れた場所で黙って掲示板を見上げる少年だった。


 銀髪に黒縁眼鏡。つば広の帽子を深くかぶり、茶色のローブをまとっている。


 彼の名は――キルア=レイグラント。だが今は“カイル・レイン”という名で、身を隠しながら生きている。


 「お、いたいた」


 声をかけてきたのは、前回のスナッチウルフ討伐でパートナーを組んだ冒険者、リオだった。


 「また依頼探しか?」


 「ああ。そろそろ、もう少し上の依頼もいける気がしてな」


 「ふーん……じゃあ、コレとかどうだ?」


 リオが手にしたのは、赤い印のついた依頼票だった。


 >【Bランク相当】「トゲリザード」討伐依頼

 >場所:南西の岩場地帯・フレイ断崖付近

 >報酬:銀貨30枚/討伐完了後即支給

 >※2人以上のパーティ限定


 「Bランク相当……けっこう本格的だな」


 「まあ、怪我人も出てる。突進力と再生力が厄介で、半端な奴じゃやられるって噂さ」


 キルアは数秒だけ黙ったあと、うなずいた。


 「行こう。俺たちなら、やれる」


◇ ◇ ◇


 フレイ断崖――そこは岩場と草地が入り混じった、人の気配が少ない地帯だった。


 風は強く、空気も乾いていて、視界が開けている。キルアは剣を下げ、リオは槍を背に構えていた。


 「このあたりの岩陰に潜んでるって情報だ。姿を見せたら、一気にたたむぞ」


 「了解。風を読む。気配を見逃すな」


 キルアは目を細めて、風の流れに集中する。風の魔術は“空気の揺れ”を感じ取ることで、相手の動きを察知できる。


 ――そのときだった。


 ゴゴッ……!


 岩陰から巨大な影が飛び出す。トゲの生えたトカゲのような魔獣――トゲリザードだ。


 全長は軽く二メートルを超え、背中の棘は金属のように硬く輝いていた。


 「突っ込んでくるぞ! 避けろ!」


 リオが叫んだと同時に、キルアは地を滑るように横へ飛んだ。


 ズガァン!!


 突進の衝撃で岩が砕ける。


 (速い……! けど、パターンは単純だ)


 キルアは魔力を指先に集めた。


 「《風刃・三連》!」


 三本の斬撃が空を切り裂き、トゲリザードの横腹に命中する――が、弾かれた。


 「硬いっ……!」


 「背中のトゲは刃を跳ね返すって話だったな! 側面からでも通らないか!」


 リオが電撃を帯びた槍で突く。トゲリザードが痺れて動きを鈍らせた。


 「今だ、カイル!」


 「――風脚・加速!」


 風を脚にまとい、キルアは一気に跳び上がる。そして、トゲのない頭部めがけて、渾身の一撃を振り下ろした。


 ザシュッ!!


 トゲリザードの頭が裂け、巨体が地面に崩れ落ちた。


◇ ◇ ◇


 その日の午後、ギルドの中は静かなざわめきに包まれていた。


 「え、あの依頼、成功したのか?」


 「Bランク級って、普通はもう少し上の連中がやるやつだろ?」


 「新顔の……あの銀髪のヤツがやったって? 名前なんだっけ、カイル?」


 「いや、“風の剣士”って呼ばれてるらしいぜ」


 当の本人であるキルアは、静かに依頼報告を終え、受付嬢から報酬を受け取っていた。


 「本当にやっちゃうなんて……驚きました。これで評価ポイントがぐっと上がりますね!」


 受付嬢がにっこり笑う。


 「……あまり目立ちたくはないんだけどな」


 「でも実力がある人は、嫌でも目立ちますよ? 気をつけてくださいね、“風の剣士”さん♪」


 キルアは苦笑しながらローブの裾を直した。


◇ ◇ ◇


 その夜、宿の部屋に戻ると、窓の外から小さな影がすっと入り込んできた。


 「……やっぱり聞いたわよ。ギルドで“風の剣士”って呼ばれてるってね」


 フードをかぶった少女――リーナだった。エルフのはぐれ魔女。キルアの師匠だ。


 「なに、見張ってたのか?」


 「当然でしょ。あんた、妙に目立つから。まあ……悪くないわね、活躍っぷりは」


 そう言ってリーナは、キルアの前に座ると、少し真剣な声で言った。


 「でも気をつけなさい。噂は噂を呼ぶ。正体を探る奴が、いつか現れるわよ」


 「……それでも、進むしかない」


 キルアの声には迷いがなかった。


 「俺はもう、誰かに守られて生きる立場じゃない。自分の剣で、自分の道を切り開く。リーナ、お前が言っただろ。“あんたは無力じゃない”って」


 リーナは少しだけ微笑み、立ち上がる。


 「なら、あとは――“どこまで行けるか”って話ね」


 「見てろよ。俺は、“ただの冒険者”で終わる気はないからな」


 銀髪の少年は、静かに窓の外を見つめた。


 風が吹く。遠く、夜の街の灯りがまたたいていた。


 そしてその灯りの向こうに、まだ知らぬ運命と戦いが、確かに待っている気がした。



◆風が語る、ふたりの夜


 夜の空気は、昼間の喧騒を忘れたかのように、しんと静まり返っていた。


 宿の小さな窓からは、満ちかけた月がのぞいている。灯火の明かりがゆらめき、木の壁にふたりの影を落としていた。


 「――聞いたわよ。“風の剣士”って、呼ばれ始めたんだってね」


 そう言ったのはリーナだった。白い寝間着の上から軽くローブを羽織り、髪をひとつに束ねたまま、キルアの横に腰かけていた。


 「……ああ。なんか、ギルドの連中が勝手に」


 キルアは照れくさそうに言って、湯気の立つマグを両手で包み込んだ。中にはリーナがいれてくれたハーブティー。ミントとレモンバームの香りが鼻をくすぐる。


 「嫌だった?」


 「……ちょっとな。でも、悪くはない」


 「ふふ。そうでしょうね。風と剣。今のあんたにぴったりの呼び名だわ」


 リーナの視線は、キルアの指に添えられた小さな切り傷を捉えていた。


 「怪我、大丈夫?」


 「ああ。軽いもんだ。リオが盾になってくれたし、俺も、ちゃんとやれた」


 「うん、見てたもの。あんた、本当に――強くなった」


 リーナは、そっとキルアの手をとった。指先を優しく包み込むように撫でる。


 「いつの間にか、“守ってあげたい”じゃなくて……“頼りたくなる”ような顔になってきたわね」


 「……そんなこと、ない」


 「あるのよ。……あたし、今夜は少し、お祝いがしたいの」


 「お祝い……?」


 リーナは立ち上がると、そっと灯りを落とした。部屋が少しだけ暗くなり、月明かりが、キルアの髪を銀色に染めた。


 「こういうのは、騒がしい場所でじゃなくて……ふたりきりで、静かに祝うものよ」


 リーナがそっと、キルアの頬に手を伸ばす。ふたりの距離は、自然と近づいていった。


 唇と唇が、ふれた。


 やわらかく、確かめるように。けれど次第に、ふたりの呼吸は重なっていき、触れあう手のひらが熱を帯びる。


 「……キルア」


 「リーナ……ありがとう。ずっと、そばにいてくれて」


 「言ったでしょ。あたしは、あんたが“どこまで行けるか”を見届けるって。だから……今夜は、ただの師匠じゃなくて……あんたの、女として隣にいたいの」


 その言葉は、キルアの胸の奥に深くしみこんだ。


 彼はそっと立ち上がり、リーナを抱きしめた。小柄な身体は思っていたよりも柔らかく、温かかった。


 ベッドに移り、毛布の下でふたりは向かい合った。


 キルアの指が、リーナの髪をすくう。耳元に触れたとたん、リーナは小さく息をのんだ。


 「……まだ、少し緊張してる?」


 「……してるに決まってるでしょ。こういうのは、慣れたくないのよ」


 「……同じだ。俺も、毎回……初めてみたいな気持ちになる」


 月明かりの中、キルアはリーナの肩にそっと口づける。鎖骨、胸元、そしてその奥へ――


 ふたりの体がゆっくりと重なり、やがて熱と熱が交わっていった。


 ささやくような声。ふと漏れる吐息。絡めた指と指、頬を寄せ合うたびに深まる絆。


 風が、そっと窓辺を通り過ぎていく。


 外の世界がどうあれ、この小さな部屋だけは、時間が止まったかのようだった。


 「……キルア」


 「ん……?」


 「これからも……こうして、あんたの帰る場所でいさせて」


 「……俺も、ずっとお前の隣にいたい」


 リーナは少し泣きそうな顔で笑い、そしてもう一度、彼の首に腕をまわした。


 夜が深くなる。


 何度も、想いを交わし合いながら、ふたりはただ静かに、愛の余韻に身を委ねていった。


 やがて、落ち着いた呼吸が、毛布の下から静かに流れてくる。


 外では風が木々を揺らし、月は高く登っていた。


 “風の剣士”として歩み始めたキルア。


 その傍には、いつだって彼を見つめ、支えるリーナがいる。


 ふたりの旅は、まだはじまったばかり。


 だけど今夜だけは、世界の喧騒を忘れて――


 ただ、互いを感じることだけに身をゆだねていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ