第14話 初めての戦闘依頼
◆朝の光と、やさしい始まり
朝が来た。
木の窓から差し込む光は、まだ淡くて、部屋の空気はしっとりと静けさに包まれている。
小屋の中、暖炉の火はとっくに消え、代わりに布団の中のぬくもりだけが残っていた。
キルアは、目をゆっくりと開いた。
見慣れた木の天井。ほこりっぽい香り。微かに風の音がする。
そして――隣には、リーナがいた。
ぐっすりと眠っている。淡いピンクの髪が枕の上に広がっていて、月光ではなく朝陽がその頬をやわらかく照らしている。
寝息は静かで、まるで波の音のように心地いい。
「……かわいいな」
思わず口に出してしまった。
リーナの寝顔は、普段の彼女からは想像できないほど無防備だった。きつい口調も、鋭い視線も、今はどこにもない。あるのは、ただ彼女らしい、柔らかい微笑みのような表情。
キルアは、そっと彼女の頬に指を添えた。
その瞬間。
「……ん……キルア?」
うっすらと、瞼が開いた。紫色の瞳が、眠たげにキルアを映す。
「……おはよう、リーナ」
「……ふあ……ん、おはよう……」
言葉の途中で、あくびがこぼれる。その様子が可愛くて、キルアはつい笑ってしまった。
「なによ、笑わないで」
「いや、ごめん。ちょっと意外でさ。朝のリーナって、こんなにおとなしいんだなって」
「……もう……」
そう言ってリーナは、キルアの胸に顔をうずめた。白いシーツに隠れていた肩が少し見えて、キルアはドキリとした。
昨夜のことが、ふいに思い出される。
互いに手探りで、でも心だけは確かにつながっていて。あの静かな、でも確かな時間。
「……あったかいね」
リーナの声が、胸元で小さく響いた。
「そうだな。朝って、こんなにやさしかったっけな」
「……あんたが隣にいるから、よ」
囁くように、そう言われて、キルアは彼女の髪に唇を寄せた。
「じゃあ、ずっと隣にいようか」
「……ん。約束よ」
ふたりの間に、また静寂が戻る。だけど、それは気まずさではなく、安心と信頼で満ちた沈黙だった。
リーナが、キルアの指を握った。まるで、もう一度確かめるように。
「ねぇ、起きなきゃいけないの?」
「うーん……まだ、いいんじゃないか。今日は仕事ないし」
「……そっか。じゃあ……もう少しだけ」
リーナは目を閉じたまま、キルアの胸にくっつく。
日差しが少しずつ強くなっていく中、ふたりはもう一度、眠りに落ちた。
***
次に目覚めたのは、もうすっかり朝日が小屋の中に差し込んだ頃だった。
キルアがふと顔を上げると、リーナはすでに目を開けていて、こちらをじっと見ていた。
「……起きた?」
「起きた。……でも、起きたくない」
「ふふ、子どもね」
リーナは軽く笑って、布団から起き上がると、乱れた髪をかきあげた。
「……なあ」
「なに?」
「きれいだな、って思った」
リーナが一瞬、動きを止めた。
そして、少し恥ずかしそうに髪で顔を隠しながら、ぽそりと答えた。
「……あんた、朝からほんと調子いいわね」
「ほんとのことだよ」
キルアが言うと、リーナはすこし赤くなって、でもどこかうれしそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、キルアは決めた。
この日々を、大切にしたいと。
リーナと過ごす時間を、決して失いたくないと。
***
「さ、朝ごはん作るわよ。パンでいい?」
「パンがいい。あ、あと昨日のスープの残りもあったっけ」
「あるわよ。あたしの味、気に入った?」
「もちろん。おかわり三杯いける」
リーナは呆れたように笑って、鍋の方へ向かった。
キルアは、その背中を見つめながら、ゆっくりと着替えを始める。
昨日とは違う、新しい朝。
ふたりで迎える、初めての「平穏な日常」。
それはとてもささやかで、だけど確かに幸せな時間だった。
そしてその幸せは――まだ、はじまったばかりだった。
◆牙と風と、剣のはじまり
冒険者ギルドの掲示板に、ひとりの少年が立っていた。
銀髪に黒縁眼鏡、茶色のローブ。つば広の帽子で顔を隠していても、その瞳だけは澄んだ青さを隠せない――だが今は、「カイル・レイン」という名でここにいる。
「……戦闘系、か」
前回の薬草採取依頼で少しばかりの金を得たキルアは、次のステップに進もうとしていた。目に留まったのは、赤い印のついた討伐依頼。
>【緊急】小型魔獣「スナッチウルフ」討伐
>報酬:銀貨10枚/討伐1体につき
>条件:単独行動不可。初心者歓迎。
(スナッチウルフ……狼型の魔獣か。やるなら、今だな)
だが条件には「単独不可」とある。つまり、パーティを組む必要がある。
「うーん……組む相手がいないんだけどな」
キルアが腕を組んで悩んでいると――
「お、そこの兄さん。ひょっとして、その依頼狙ってる?」
声をかけてきたのは、自分と同じくらいの年の少年だった。栗色の髪を後ろで束ね、軽鎧をまとい、背中に細い槍を背負っている。
「俺はリオ。この街でそれなりに活動してる冒険者。ちょうどこの依頼、一緒に行ける人探してたとこなんだ」
「カイル・レインだ。一応、初心者だが……迷惑はかけないつもりだ」
「その口ぶり、ただ者じゃないな。ま、いいや。やれるなら文句ない。行こうぜ、森へ!」
◇ ◇ ◇
南の森道を抜けると、開けた丘陵地帯に出た。
「このへんにスナッチウルフの群れが出るらしい。数は少なめだけど、すばしっこいらしいから気を抜くなよ」
「了解。連携、任せる」
風が草をなで、鳥の声が響く。
そのとき――
「……来た!」
茂みから灰色の影が飛び出した。鋭い牙、血走った瞳、そして俊敏な脚――まぎれもなく魔獣だ。
「スナッチウルフ三体! 囲まれるぞ!」
キルアは即座に剣を抜いた。リオは槍を構え、背中を預け合う。
(落ち着け……体は覚えてる。あとはタイミングだ)
最初の一体が飛びかかってきた。キルアは素早く身を沈め、踏み込みと同時に剣を一閃!
シュッ――ザクッ!
ウルフの胴が裂け、血が飛び散った。
「一撃……速いな、カイル!」
「まだ動ける。次、来るぞ!」
二体目が横から回り込む。キルアは即座に魔力を指先に集め、風の盾を展開。
「《風盾》!」
巻き上がる風が攻撃をそらし、カウンターの剣が斬り上げた。
「こっちも片付いた!」
リオの雷槍が三体目を突き刺し、青白い電撃が魔獣を貫く。
やがて、草原に静けさが戻る。空には風が吹き、ふたりの息遣いだけが響いていた。
◇ ◇ ◇
「ふぅ……けっこういい動きしてたな、カイル」
「お前もな。槍と魔法、両方使えるとは思わなかった」
「ま、田舎者の工夫ってやつさ」
軽口をたたきながらも、リオの目は鋭くキルアを見ていた。
「なあ……カイルって、もしかして元騎士とか?」
「……そう見えるか?」
「見える。“初陣”の動きじゃねぇ。動きに迷いがない。風魔法も独学ってレベルじゃないだろ」
キルアは一瞬、沈黙した。
だが――すぐに肩をすくめて、こう言った。
「……訓練は、受けたことがある。けど、それ以上は――秘密ってことで、いいか?」
「なるほど。まあ、名前とか過去なんて、冒険者じゃ重要じゃねぇしな。信じるのは“今、目の前で戦えるかどうか”だけだろ?」
「……いいこと言うな」
リオは笑い、手のひらを突き出してくる。
「じゃ、次も組むか? カイル=“正体不明”の相棒さんよ」
「……悪くない」
キルアもその手を取った。
◇ ◇ ◇
討伐報告を終え、銀貨を手にしたあと、宿に戻る道すがら。
キルアは空を見上げた。
まだ自分は、“死んだ”ことになっている。正体を明かせば、誰かが命を狙ってくるかもしれない。
でも――
(それでも、前に進める。今の俺は、もう……ただの「坊ちゃん」じゃない)
風が吹く。草が揺れる。
――かつては父に守られ、兄に憧れ、弟に裏切られた。
でも今は、自分の剣で、自分を守れる。
「……おかえり、俺」
胸の中で小さくつぶやいたキルアの表情は、少しだけ晴れやかだった。




