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第10話 キルア、街に買い物に出かける

◆街角の仮面と風の香り

 「はい、これ。着て」


 朝の山小屋、リーナが手にしていたのは、くたびれた茶色のローブと、つばの広い帽子、そして黒縁の丸い眼鏡だった。


 「……え、なにこれ?」


 キルアは眉をひそめて受け取る。


 「変装道具。今日は街に出るんだから、そんな目立つ顔じゃまずいでしょ」


 「目立つ顔って……」


 確かに、キルアの銀髪と透き通るような青い瞳は、目立たないはずがなかった。貴族らしい立ち居振る舞いも、街で浮いてしまうだろう。


 「この眼鏡、けっこう似合うと思うけど?」


 リーナがクスッと笑いながら、キルアの顔に眼鏡をかけてやる。ちょっと視界がぼやけたが、なんだか本当に別人になった気分だった。


 「これでよし。名前は“カイル”。リーナのいとこの兄。都会育ちだけど、今は療養中ってことにするから」


 「やけに設定細かいな……」


 「当たり前でしょ? エルフの魔女をナメないでよね」


 そう言ってリーナは、自分のいつものフードを深くかぶった。耳を隠すのが目的らしい。


 こうして、二人は小屋を出て、山道を越えて、麓の街へと向かった。


◇ ◇ ◇


 その街は“フォレストン”という名前だった。


 森に囲まれた、小さな宿場町。木造の家々が並び、石畳の道には朝市の店が立ち並ぶ。焼きたてのパンの匂いと、果物の甘い香りが風に乗って流れてくる。


 「うわ……人、多いな」


 「そりゃ朝市だもの。街の人たちの活気、けっこう好きよ」


 キルアは帽子を深くかぶり、少しうつむき気味に歩いた。リーナはその隣で、慣れた足取りで屋台を見て回る。


 「ほら、見て。今日はトマトが安い。あ、こっちのベリーもおいしそう」


 「料理、またするの?」


 「キルア用にね。栄養つけてもらわないと、修行も持たないでしょ?」


 リーナはそう言って、赤く熟したトマトを手に取り、八百屋の店主とやり取りを始める。


 その横顔を見ながら、キルアはどこか不思議な気持ちになっていた。


 (こうして、街を歩くのなんて……何年ぶりだろう)


 かつては、執事に付き添われ、誰かが道を開けるような暮らしだった。今は、人波に揉まれながら、自分の足で歩いている。


 (でも……なんだろう。この自由な感じ……悪くないな)


 「キルアー、ぼんやりしてないで、リンゴ運んで!」


 リーナの声に我に返り、大きなかごを抱えてあとを追う。


 「ったく……誰のために来たと思ってるんだか」


 「なにか言った?」


 「いえ、なんでもないです」


 リーナはにやりと笑い、次の店へと向かっていく。


◇ ◇ ◇


 広場の中心に、屋根付きのベンチがあった。


 二人はそこで少し腰を下ろし、買ったばかりの焼き菓子を食べることにした。


 「このパイ、うまっ……!」


 「でしょ? この店、地元の子どもたちに人気なの」


 キルアは、サクサクとした生地にベリーの甘酸っぱさが広がる味に思わず顔をほころばせた。


 すると、リーナがふいに言った。


 「ねぇ、なんか変な感じしない?」


 「え?」


 「さっきからずっと、私たちのこと見てる視線がある」


 キルアは周囲をさりげなく見渡す。


 子どもがじゃれ合っている。老夫婦が荷車を引いている。パン屋の前では、犬がこっそり盗み食いしようとして怒られている。


 ……だが。


 「たしかに……視線を感じる」


 リーナは帽子の影から、目だけで周囲を探る。


 「たぶん、貴族の目ね。訓練されてる感じ。でもまだ、“確認”まではされてない」


 「つまり……俺のことを探してるってことか?」


 「可能性はある。今日は偶然、姿を見られただけかもしれないけど……しばらくは街に出るの控えた方がいいかもね」


 キルアは、ぎゅっと手のひらを握った。


 「やっぱり……まだ誰かが、俺を……」


 「気を抜かないこと。けど、大丈夫。ここで簡単に捕まるほど、あんたはもう“無力”じゃない」


 リーナの声は、決して甘くないけど、どこかあたたかかった。


 キルアは、もう一口パイを食べる。


 その甘さが、不安の中でもほんの少し、心を落ち着けてくれた。


◇ ◇ ◇


 帰り道。


 山道を登る途中、キルアがポツリとつぶやいた。


 「なぁ、リーナ。お前に会えて……良かったよ」


 「……急になに? 惚れた?」


 「バカ」


 リーナはけらけらと笑いながら、荷物を背負って歩いていく。


 その背中を見ながら、キルアは空を見上げた。


 風が涼しく吹いていた。木々が揺れ、どこか懐かしい匂いを運んできた。


 ――変装した姿でも、今の自分は生きている。


 まだ知らない世界がある。まだ、これからやれることがある。


 その予感に、キルアの胸は少しだけ、高鳴った。



◆風の中の銀髪(盗賊視点)


 おらの名前はガズ。どこにでもいる野盗の一人だが、“鑑定”のスキルだけは自慢なんだ。


 どんな奴でも、一目見れば「強いか弱いか」「何者か」くらいは見抜けるってわけよ。


 今日もフォレストンの朝市で、ぶらぶらと人ごみの中を歩いてた。獲物探しってやつだな。金目の物を持ってそうな旅人がいれば、一仕事って寸法さ。


 ――けどな。今日は、ちょっと妙なもんを見ちまった。


「……おいおい、なんであいつが……」


 視線の先、広場のベンチに腰掛けてる若い男。くたびれたローブに、つばの広い帽子。しかも、黒縁の眼鏡までかけて、いかにも“隠れてます”って格好。


 だが――


 (見覚えがある……いや、まさか)


 おらは、スキルを発動させた。《鑑定》だ。


 ぼやけた視界の中に、くっきりと浮かび上がる“過去の記憶”。


 ――キルア=レイグラント。


 王都北部の名門、レイグラント伯爵家の長男。あの時の、馬車の中にいた“貴族の坊ちゃん”だ。


 (おかしい。確か、あいつは谷底に落ちて……)


 そう、あれは数週間前。依頼された“仕事”だった。


 おらたちは馬車を襲い、崖道へと追い込み、そのまま谷へと突き落とした。護衛も処理したし、馬車も木っ端みじん。生き残るはずなんて、ねぇ。


 けど、今そこに座って、ベリーのパイをかじってやがる。その姿を見て、おらの背筋に冷たいもんが走った。


 ――間違いねぇ。生きてやがったんだ。


 しかも、そばにいるのは女。ピンク色の髪に紫の瞳……妙な空気をまとってる。あれは噂に聞く“はぐれ魔女”かもしれねぇ。


 (おいおい、坊ちゃん。いったいどこで拾われたんだ?)


 遠くから様子を見てると、帽子を取って頭をかいた。陽の光に銀髪が反射した瞬間、確信した。


 (……あぁ、こりゃ確定だ)


 急いで広場の影に隠れる。まだ、おらに気づいた様子はない。だが、あの魔女の目つきは鋭い。油断はできねぇ。


 (さて、どうするか……)


 おらはしばらく、二人を尾行することにした。昼過ぎまで、食い物の屋台を回ったり、雑貨屋で道具を買ったりしていたが、ずっと「療養中の兄と付き添いの妹」って感じで自然に振る舞っていた。


 けど、気づいたぜ。あの男、背筋が伸びてる。貴族の癖ってのは、簡単に抜けるもんじゃねぇ。育ちが良すぎるのが滲み出てる。


 それに――奴の腰には、剣がある。でかい剣だ。


 (へぇ、坊ちゃん。まさか、強くなるつもりか?)


 しばらくして、二人は街の外れへと歩いていった。人気のない道を選んで進んでいく。日も傾いて、空が赤く染まりはじめていた。


 (このまま……山に帰るってことか)


 おらは後ろから、そっとついていく。


 小道は登り坂になり、やがて山道へと入る。あたりは薄暗く、獣の鳴き声が遠くに聞こえた。だが、おらの目は二人を離さない。


 そして、見えた。小高い丘の向こう――木立の中に、小さな山小屋。


 (なるほど、あそこか)


 おらは木陰に身を潜めながら、小屋の様子をじっくり観察した。


 煙突からは細い煙が上がってる。誰かが住んでる証拠だ。夜になると灯りがともった。間違いなく、二人はここで暮らしている。


 (あの魔女と、殺し損ねた貴族坊ちゃん……これは、面白くなってきたな)


 おらはそっと山道を下りはじめた。


 向かう先は、街外れの川沿いにある、親方の隠れ家。今回の“前回の仕事”を取り仕切っていたのは、親方――そして、その依頼主はレイグラント家の執事、セバスチャンって男だった。


 あいつは冷たくて淡々とした男だったが、仕事の報酬は確実だった。


 (報告しなきゃな。“坊ちゃんは生きてる”ってな)


 夜風が、山から吹き下ろしてくる。


 おらはローブを翻して、山を下りていった。


 これから起きることが、ただの盗賊の一日じゃ済まされねぇってことを――まだ、この時は少ししかわかってなかったけどな。

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