表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/18

第1話 落ちこぼれと呼ばれた日

◆落ちこぼれと呼ばれた日

 空は青く澄み渡り、春の風が王都の通りを吹き抜けていった。


 王立魔術学院の入学試験当日。試験会場には、各地から集まった貴族や富豪の子弟たちが勢ぞろいしていた。彼らの顔には、自信と誇りが浮かんでいる。中には、これが人生の第一歩だと緊張で顔を強張らせている者もいた。


 その中に、ひときわ目を引く少年がいた。


 銀色の髪に、蒼い瞳。透き通るような白い肌に、どこか冷たい雰囲気をまとった彼の名は――キルア=レイグラント。王都北部に領地を持つ、名門レイグラント伯爵家の長男だった。


 「……いよいよか」


 試験会場の門の前で、キルアは静かに息をついた。


 ――魔力量、規格外。幼少期からその体に宿る莫大な魔力は、多くの魔術師に「天才」の称号を与えられるに十分だった。


 けれど、キルアには決定的な欠陥があった。


 魔法が、発動しない。


 魔力を感じ、練ることはできる。属性も光と風の二重属性で、適性にも恵まれていた。だが、いざ術式を組もうとすると、まるで手の中から砂がこぼれ落ちていくように、魔力が拡散してしまうのだ。


 「きっと、本番ではうまくいくさ。きっと……」


 自分に言い聞かせながら、キルアは門をくぐった。


◇ ◇ ◇


 試験は実技重視。筆記のあとに、最も重要とされる「魔力制御」と「基本魔術」の実技が行われる。


 「受験番号二八六番、キルア=レイグラント」


 試験官に呼ばれ、キルアは壇上に上がった。注目が集まる。名門伯爵家の嫡男、しかも銀髪の美貌というだけで目立つのに、“規格外の魔力量を持つ少年”という噂も受験者の間で広まっていたからだ。


 試験官が一歩近づき、口を開く。


 「基本魔術ウィンドショックを行使せよ。制御重視。規模や威力は加点対象ではない」


 小さくうなずき、キルアは手を掲げた。風の精霊に呼びかけ、魔力を練る。光の粒子が集まり、空気が震える。


 だが、その瞬間――


 「……っ!」


 魔力が、暴走した。


 術式が崩れ、暴れだした魔力がキルアの手の中で爆ぜる。風圧が教室を揺らし、試験官がすぐに防御障壁を展開したため大事には至らなかったが――


 「失敗ですね。次の方」


 その言葉が、キルアの胸に深く突き刺さった。


◇ ◇ ◇


 その日の午後。


 受験者が集められ、合格者の番号が発表された。


 一人、また一人と歓声を上げる中。キルアの目は、無言で掲示を見つめていた。


 何度見ても、彼の番号はどこにもなかった。


 落ちた。


 “魔術学院に落ちた”


 信じられなかった。いや、信じたくなかった。自分の才能を信じていたわけじゃない。でも、努力してきた。兄弟の誰よりも早く起きて訓練場に立ち、魔導書をすり切れるまで読み、必死に練習した。


 ……それでも、だめだった。


 その夜。


 キルアは、屋敷の自室で窓辺に腰掛けていた。誰もいない暗い部屋。風がカーテンを揺らしている。遠くで時計の針がコツコツと音を立てていた。


 「なんで……だよ……」


 絞り出すように、呟く。


 期待されていた。家族、使用人、領地の人々、すべてが自分に夢を託してくれていた。


 「伯爵家の長男が、魔術も使えないなんて……笑えるよな……」


 涙が頬を伝った。


 悔しさでもない。怒りでもない。心の奥にぽっかりと穴が空いたような、そんな冷たい絶望が、胸の中に広がっていく。


 “キルア様は将来、王国一の魔術師になりますよ!”


 かつて言われた言葉が、まるで悪意のように頭の中で響いていた。


 自分は、魔術師になれない。


 自分は、ただの……落ちこぼれだ。


◇ ◇ ◇


 その日は、父親からの叱責もなければ、母親からの慰めもなかった。次期当主として育てられてきたキルアの落第は、家の恥として扱われ、誰もそのことに触れようとしなかった。


 だからこそ、余計に胸が痛んだ。


 存在を否定されるよりも、無視されることの方が、ずっと苦しかった。


 「……もう、終わったんだ」


 呟いたその言葉だけが、部屋の静寂の中に残った。




◆見届けた者の視点――「魔力だけの天才」 


 春の風が吹き抜ける中、王立魔術学院の入学試験会場は、若き才能たちの熱気で満ちていた。空は澄みわたり、まるで未来を祝福するような快晴――そんな日だった。


 試験官の一人である私は、広い試験場の中央に立ち、次々と実技に挑む受験者たちを見守っていた。魔力制御の試験。基本魔術ウィンドショックを行使し、その緻密さと安定性を評価するものだ。


 毎年、数百人の若者がこの門をくぐる。優秀な者、凡庸な者、時には“奇跡の子”と呼ばれるような逸材まで――


 そして、その“逸材”がやってきたのは、昼前のことだった。


「受験番号二八六番、キルア=レイグラント」


 その名を読み上げた瞬間、空気が少しざわついた。周囲の受験者たちが小声で噂し合い、視線が壇上に集まっていく。


 彼が歩み出たとき、私は思わず息を飲んだ。


 銀色の髪、氷のように透き通った蒼い瞳。名門レイグラント伯爵家の長男にして、王都でも指折りの魔力量を持つと噂される少年。背筋はまっすぐで、瞳には迷いがなかった。まだ十五にもならぬ年齢で、ここまでの威厳を持っている者はそういない。


 「準備は?」


 私が問いかけると、彼はわずかに頷いた。その目は、恐れもなく、ただ真っ直ぐに前を見ていた。


 ――基本魔術ウィンドショック、制御重視。威力は評価に関係しない。


 合図とともに、キルアは静かに右手を掲げた。練り上げられる魔力の密度に、私は一瞬、目を疑った。


(……なんという魔力量だ)


 その場の空気が変わった。まるで空間そのものが、彼の力に呼応して震えているかのようだった。周囲の試験官たちも顔を見合わせる。


 ――間違いない。彼は、魔力だけならば、この場で最も優れている。


 だが、その瞬間だった。


 「……っ!」


 空気が歪んだ。魔力の流れが暴れ出す。術式がまとまらず、光の粒が暴走を始めた。


 慌てて私は防御障壁を張った。爆ぜるように広がった風圧が教室内を駆け抜け、紙やローブが舞い上がる。目を細めながら、私はキルアの顔を見た。


 彼の瞳には、驚きと……そして、恐れが浮かんでいた。


「失敗ですね。次の方」


 そう告げるのは、残酷な仕事だ。けれど、そうするしかない。公平を保つために。


 そのときの彼の表情――私は、きっと一生忘れない。


 まるで、世界が音を立てて崩れていくのを見ているような……そんな顔だった。


◇ ◇ ◇


 午後、合格者の番号が掲示された。


 私は遠くから、そっとその様子を眺めていた。人波の中、銀髪の少年が一人、じっと掲示を見つめていた。


 声も、表情もなかった。ただ、静かに、何度も、目を走らせている。


 ――そこに、自分の番号がないことを、確かめるために。


 その背中が、あまりにも静かで、あまりにも悲しかった。


 彼は確かに、“魔力量だけ”ならば、歴代受験者の中でもずば抜けていた。だが、魔術師として大切なのは、力を「使える」こと。魔力量だけで成り立つ世界ではない。むしろ、制御こそが肝なのだ。


 (だが、それでも……)


 私は考えていた。彼のような存在を、簡単に見捨てていいのか――と。


 何か、もっと違う指導の仕方があれば。別の鍛え方があれば。あるいは、もっと早くにその欠点を補う機会があれば――。


 けれど、ここは王立学院。即戦力と素質を求める場であり、未完成な者を育てる場ではない。


 それが、制度の限界だった。


◇ ◇ ◇


 その夜、私は報告書を書きながら、ペンを止めた。


 キルア=レイグラント。魔力量、特級。制御困難。術式安定せず。再受験可の評価ではあったが、通過には至らず――


 その欄を埋めたあと、私はそっと、余白に一言を書き加えた。


 『――才能を否定するには惜しい存在。願わくば、彼の道がここで閉ざされぬことを。』


 彼の目には、まだ諦めきれない火が宿っていた。


 もし、あの火が消えずにいるのなら――


 いつかきっと、魔術の世界に風穴を開ける存在になるだろう。


 私は、そう信じている。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ