89 水着を買うのは夏に向けた準備?
夏休みを前にして、日常がざわめき始めている。
そんなざわめきが嘘のような休日、であってほしいとこの瞬間までは願っていたのだろう。
連は希朝と希夜に連れられて、お買い物に来ていた。
近所のお洋服屋にお買い物に来ているのだが、気まずいことこの上ないのだ。
人が少ないのが救いと言えるほどに、目の前に映る衣類は毒である。
少なくとも、慣れていない連にとっては有り余る毒だ。
「あの、希朝さん?」
「はい」
希朝は選んでいる手を止め、連の方を軽く振り返った。
「どうして水着を買いに来ているの?」
何を隠そう、希朝と希夜に連れられて水着を買いに来ていたのだ。
水着の話は以前も出ていたが、あまりに唐突だったのもあり心の準備が出来ていない。
どちらかと言えば、準備ができていれば逃げるという選択肢を取ると、希朝に予知されていたのだろう。
「前に労いのお返しをしたい、とおっしゃったじゃないですか」
わざとらしく口にする希朝は、手のひらの上で踊らせていたのだろう。
さも当然です、と言わんばかりの希朝に対して、連は呆れが湧かなかった。
希朝は少し間を置いてから「それに」と付け加えて続ける。
「前にきぃちゃんと、連さんと一緒に水着を買いに行きたい、って話があったからですよ」
「つまり必然だったと?」
「必然も続けば運命ですよ」
「でも、男がこの場に居るのはまずいんじゃ?」
一緒にいる場所は、女性用の水着が販売している棚やハンガーの前だ。
フリルがあしらわれたもの、布面積が少ないもの、オフショルダーなど、男にとっては理解できないものばかり並んでいる。むしろ、男という名の種別によっては、布を着ればなんでも同じ、で括る人だっているだろう。
理解こそできないが、この水着のどれかを希朝が着る、というのを妄想してしまうのは定めだ。
連が不安に息を吐き出すと、希朝は微笑むように笑っていた。
「大丈夫ですよ。連さんはあくまで付き人ですし、手を出さなければ問題はありません」
「……最低限の保証過ぎない?」
「選んで試着はしますが……連さんにはまだ見せませんよ?」
「会話をしてくれないかな?」
希朝は誰が見ても分かるほどに、自分の世界を展開している。
こちらの言葉を聞かないのは故意的であり、不安や心配の気持ちを芽生えさせないようにしてくれているのだろう。
希朝のさり気ないおせっかいは、何度も、何度も、静かに息をさせてくるのだ。
希朝は気になった水着を手に取り、体に当てては似合うか試している。
彼女がこうして可愛くなろうと、自身に似合うものを選んでいる姿を見るのは、正直好きなのかもしれない。
誰かが決めたわけではなく――連自身が好きだと思えたのだ。
今までなら、きっと決められなかった。
目の前に映る幸せな光景ですら、濁って見えていただろう。
幸せを知っているから輝いて見える。しかしそれは、希朝に想いを口にできていたのなら、より煌めいていたのかもしれない。
連はただ、今は俯瞰して見て、選んで楽しんでいる希朝と希夜が好きだと思うことにした。
自分は荷物持ちできているのだと、買い終わった後のことを考えるのもまた一つの手なのだから。
油断していた時、希朝が両手にハンガーを持って近づいてきていた。
「連さん、どちらの方がいいですか?」
「……どちら? ……っ!?」
連は言葉を失った。
言葉を失ったというよりも、その感情に対しての言葉を知らないのだ。
希朝がどちらと言って持ってきたもの、片手にはフリルがあしらわれた気品溢れる白を基調としたオフショルダー水着。
もう片方の手には、ゴスロリ風のセクシー度が高いビキニタイプの黒い水着を持っている。
黒の水着に関してだけ言えば、希朝が本当に着用するのか、と疑問になるほどのものだ。
明らかに布面積というよりも、人前で着るのを想像できない水着なのだから。
白の水着に似てフリルこそ多少はあるが、隠す範囲が見ただけでも段違いに違うのは、欲望の衝動に試練を与えていると受け取ってもいいだろう。
感想を待っている希朝に、連はどうしても言葉が出なかった。
それでも言葉を探すのは希朝を心配させないため、希朝に想いを伝える練習だと鼓動が押してくるからだ。
「その、白いのは希朝さんの雰囲気に似合っていて可愛いと思う。黒いのは、その……人前では見せないでほしい、かな」
「……っ!?」
希朝はじんわりと頬を赤くしていたが、後ろで見ていた希夜にニヤつかれていると知ってか、息を静かに吸っていた。
「そ、その、それで、どちらの方がいいですか……?」
希朝が様子を窺うように上目遣いで見てくるのもあり、連はもう一度二つの水着を見た。
片方はフリルのついた白い水着。もう片方はフリル控えめのセクシーな黒い水着。
「こっちかな」
連は迷わず、白い水着を指さした。
指さしたのはいいが、なるほど、といった様子で希朝が頷くのもあり、妙に背筋は寒気を覚える。
「連さんは黒の、ちょっとエッチな方を独り占めしたいのですね」
「言ってないよ?」
「大丈夫ですよ。男の子はみんな気持ちとは違う嘘をつく、って結が言っていましたから」
「……あの人、彼氏いないんじゃ?」
彼氏=男の気持ちを知る機会、なんて考えは場違いなのは理解している。
それでも結の入れ知恵込みだとしても、希朝が誘導するような言動をするのは予想外だ。
ふと気づけば、希朝は距離を詰めてきていた。
そして耳元でゆっくりと、囁くように口を開く。
「私のカップ数を知っているから、本当は答えたくないのですか? まあ……そんな純粋な連さんだから、私は安心できるのですよ」
そう言って希朝は耳元から口を離し、緩やかに微笑んでみせた。
先ほどの会話がまるで、道化師だったと錯覚させるほどに。
連が首を振ったところで、その鐘が響くことはなかった。
それから水着選びを希朝と希夜は再開していたが、一向に動く気配はない。
現場が動かないというよりも、お互いに目的があり、それに見合ったものを探しているからなのだろう。
希朝が手に取るものは一貫してこそいるが、連が指をさした白い水着は離していない。
希夜に関しては照れているのか見せたくないのか、選んでいるが手に取るまではいかないようだ。
やはり自分が居ると、なんて思えば希夜はこちらを見て、静かに首を振るので思い込んでいるだけなのだろう。
さり気なく心を読まれているが、家族にしか知り得ない阿吽の呼吸なのかもしれない。
その時、希朝が希夜に近づいていた。
「きぃちゃん、試着したいので……連さんが逃げないように見張っていてください」
「……僕を犬か何かと勘違いしてない?」
「連にぃは犬より知恵があるやんねぇ」
「希夜ちゃん、それは褒めてるの? あと、逃げないから腕を取らないで」
「うちは希朝ねぇに忠実やんねぇ」
含みを込めて言う希夜は、明らかに別の目的があるのだろう。
別の目的というよりも希夜も希夜で、希朝と連の関係を応援したいらしく、その天の川に橋を架けているのかもしれない。
希朝が近くの試着室に入ってから、数分が過ぎた頃だった。
きぃちゃん、と希朝が希夜を呼んだのもあり、希夜はカーテンを避けて覗くように中を見ていた。
「綺麗やんねぇ。連にぃにも見てもらうやんねぇ」
「き、きぃちゃん!?」
「恥ずかしがることはないやんねぇ。連にぃー!」
一方的な会話が聞こえてきたが、連は渋々試着室に近づいた。
「連にぃも見てやんねぇ。……見るべきやんねぇ」
「……希朝さん、見てもいいの?」
「嫌、とは言えないので、その、どうぞ」
希朝の許可をもらってから、周囲に人はいないが周りに見えないようにしつつ、カーテンの隙間から中を覗くように見た。
中を見ると、それは明らかに白い世界だった。
白い世界と呼ぶよりも、天使が舞い降りた羽と輝かしさで視界が覆われている。
(刺激的過ぎるのに……どうしてだろう、もっと、見ていたい)
不安定な気持ちは、静かに鼓動を加速させる。
てっきり白い水着を試着するとばかり思っていたが、その予想は大きく外れていた。
試着を終えた希朝は現在、ビキニではあるが、オフショルダーではない、三角水着を着用している。
薄桃色の生地に花の模様がプリントされている、目立つ装飾が一切無い無難な水着だ。
試着室の中を照らす光に輝く、白い腕や足におへそ。そして、寄せられた双丘からなる、上胸のふくよかな曲線。
お店とはいえ、ここまで鼓動が早くなるとは思いもしないだろう。
「すごく刺激的で、僕には塩辛いかな」
希朝はじんわりと顔を沸騰させるように赤くしていったが、それは緩やかな微笑みへと変わった。
「連さんの感想を貰えて、私、嬉しいです。似合っていますか?」
「うん。似合ってる。希朝さんなら何でも似合うけど、その――僕の価値観で、保証する」
「連さんのお褒め付きは、恥ずかしいですが、信じて胸を張れます」
それ以上胸を張られても困るが、希朝が口にした意味は辞典の内容通りだろう。
緩やかに微笑む希朝に迷いは感じられず、勇気に満ちているようだ。
希朝が試着を脱ぐとのことなので、連は静かに試着室のカーテンから頭を出した。
試着室から世界が店内へと戻ると同時に、隣にいた希夜がムスッと頬を膨らませており、不満でしかないと間接的な視線で伝えてきている。
「連にぃは、大きい方が好きやんねぇ?」
希夜が唐突に聞いてくるのもあり、連は思わずむせた。
希夜の言う『大きい』は今の状況なら確実に、胸部の事を指している。
頬をなぜ膨らませているのか疑問だったが、連が希朝に見惚れていたのを胸囲の差、とでも捉えていたのだろう。
連としては、以前希朝に答えたが、好きな子であれば何でも受けいれる覚悟がある。それとは別に、希夜は家族なので性的な目で見ているつもりはないが、少なくともそういう目で見てほしい気持ちでもあるのだろうか。
そんな不安定な憶測は呑み込んで、連はただ首を振り、家族としての言葉を希夜に送った。
「希夜ちゃん。遠慮なく、好きなのを買っていいからね」
「……連にぃ、機嫌の取り方下手やんねぇ」
「はは、そう言われると、何も言えないかな」
「でもうちは、そんな連にぃが好きやんねぇ」
なんて簡単に口にする希夜は、静かに星を繋ぐものだ。
(そういえば、水着を買うのはいいけど……プールや海に行く気なのかな?)
照明の明かりを帯びた白い天井を見上げて、連はふと思った。
買い物話は聞いたが、その先の事は何も聞いていないのだから。
誕生日にはお家デートをすると聞いているので、八月になったら持ちかけられる話なのかもしれない。
そんな期待や不安は、星宮家でしか連は知らない。それでも、この時間が大好きなのだと、静かに鳴る鼓動は知っているのだ。




