88 労い返しは不本意の刺激がお好みで?
期末テストが無事に終わった数日後、テストの点数と全体順位の書かれた紙が返却された。
今学期の行事が全て終わったのもあってか、どんよりとした空気はクラスからなくなっており、順位を気にする声や健闘を称える称賛で煌めいている。
馴染むことなく返された表を見ていると、いつの間にか優矢が前の席に座っていた。
「連、毎度よく頑張れるよなー」
「頑張ってないよ。たまたま覚えていた範囲が出題されているだけだから」
「って言っても、実力は嘘をつかないだろ?」
「……こっちに来てからは、痛感してる」
実力。そんなのはただの戯言だと、連は正直思っていた。
だけど希朝を守ったり、自分が歩むための力に使ったりとで、確かに身についていた力があると実感しているのだ。
誰でも出来て当然だ、と過去に言い聞かせていた自分は既にいなくなっているのかもしれない。
「……で、優矢はどうだったの?」
「ああ、これなら親には見せられるな」
「大変そうだね」
「連ほどじゃないさ。てか、星宮さんは安定して総合一位だけど……何気に国語は連が一歩上だったよな」
ふと気づけば、希朝と結が近づいてくるのが見えた。
「世間知らず、人の順位はぺちゃくちゃと喋るものじゃないの」
「星宮さんの順位はテスト返却の時点で想像に難くないだろ」
教科の先生が全体での最高点を先に言っていたり、返す際に情報を漏らしたりしたので必然になってしまったのだろう。
「ふふ、連さんは頑張っているようですし、たまには自分にご褒美をあげるのも必要では?」
希朝がクラスメイトも聞いている中で言ったのもあり、打倒天夜連盟が爆誕しつつあるのは見なかったことにした方がいいだろう。
「そうそう、たまには自分を労うのも大事だよ」
「そうですよね」
結の言葉に共感する希朝を見て、連は苦笑するのだった。
学校が終わり、家に帰ってからリビングに降りた時だった。
(……可愛いけど、どういう状況?)
リビングに入った矢先、ローテーブル前の座布団に座っている希朝の姿があったのだ。
薄い生地のベージュ色をした滑らかなワンピースの上から、落ちつきのある黒色のカーディガンを着用している。
夏だから薄着なのは理解できるが、大人びたような、それでいておっとりとした雰囲気を与えてくるのは希朝の持つ素質だろうか。
連自身、うっすらとした生地なのもあって、白い腕が軽く透けて見えるので心拍数を底上げしてきて辛いのだが。
ピンクの瞳も相まって、ほのかにも柔らかな印象は灯されるものだ。
希朝は自分自身をよく知っている、と受け取れるほどに妖艶なのかもしれない。
困惑して突っ立っていると、希朝が気づいたように連の方を見てきた。
「連さん」
「……えっと、どういう状況でしょうか?」
「連さんにご褒美……」
「えっと、ご褒美はまだ先なんじゃ?」
「間違えました、これはご褒美ではありません。労いです」
おそらく希朝は、以前連に『ご褒美が嫌なら労いで』と言われたのを覚えていたのだろう。
連が先に言ったことなので、労いではない、と否定する権利は無くなっている。
どちらかと言えば、希朝の今の服装自体もだいぶ連にとってはご褒美に当たるが、形あるご褒美以外はカウントされないのだろう。
息を呑み込みつつも、一応疑問を投げかけた。
「どう労うつもりで?」
「連さんに膝枕をしてみたいです」
そう言って希朝は、こっちです、と言わんばかりにポンポンと自身の太ももに手を弾ませている。
彼女の辞書に『魅了や誘惑』という言葉は存在しないのだろうか。
「嫌じゃないの?」
「嫌なら言っていません。それに……お風呂とか寝たりとか、今更――」
それに、から聞こえない声でもぞもぞと希朝が口ごもるので連は首を傾げた。
「……正座、きつくないの?」
このまま恋をしてもいいが、迷いは変に先延ばししてしまうのだ。
「正座は慣れていますし、長時間同じ姿勢をするつもりはありませんよ。……もしかして、連さんのベッドの上に座って、の方がよかったでしょうか?」
「ごめん、僕が悪かった」
なんで謝るのですか、と首を傾げる希朝には困ったものだろう。
ソファが無いので、ベッドの上に座ってもらうのは確かにありだ。だが、希朝の思い込みという名の妄想や、不慮の事故を避けるならば謝って済ませる方が早いと言える。
別の案を考えたところで、膝枕は実行するらしいが。
連は希朝に近づき、ふと思ったことを口にした。
「そういえば、希夜ちゃんはどうしたの?」
「きぃちゃんは結と遊んでくるらしいですよ」
「夏なのに元気だね……共犯?」
「連さん、話を伸ばすのはそれくらいにしましょうね?」
希朝はそう言って、半ば強引的に連を横にさせてきたのだ。
倒れないほどの引っ張りではあるが、重心を移動するように寄せられたのもあり、頭は自然と希朝の太ももにふわりと預けられている。
目の前に映るのは、テレビが載った棚。
顔の半分を楽園とも言える感触が、じんわりと連の脳へと電波を伝えてくる。
当たり前と言える、男の筋張ったような硬い筋肉質とは違う、女の子らしい張り付くような優しい弾力性のある感触。
希朝の肌には何度も触れる時はあったが、ここまで直接感じる柔らかさは初めてだった。
膝枕をされているのに、心はどこか安らぎを覚えてしまう。
気づけば、連は口角をとろけさせていた。
どこまでも感じていたい、希夜の前では見せたくない、そんな幸せな時間。
労いだと分かっているのに、心はご褒美を受け取っていると錯覚してしまう。
ふと気づけば、希朝は手を置くようにして頭を撫でてきたのだ。
髪を伝い届く手のひらの温かさは、夢見心地とすら言える幸せ空間を分泌させてくる。
「だらけちゃいそうだよ」
どうにか声は出したが、言葉はふわりと宙を舞っていた。
「ふふ、耳かきでも用意した方がよかったですかね」
「それをされたら、僕は希朝さんしか見えなくなるかな」
「嬉しいですが、それは困りますね」
なんて言って微笑む希朝は、自分以外の事にもしっかりと視野を広げているのだろう。
それでも希朝の優しさが、ところ構わず振りまくものでない、選ぶ優しさなのは連がよく知っている。
仮初だとしても、その優しさを見抜けるほどに希朝を見てきたから。
連が口を緩ませた時、希朝は不満そうに頬をくいくいと指の腹で押してきた。
「希朝さん?」
「女の子が膝枕をしているのに、感想の一つも用意できないのですか?」
「柔らかくて、僕は好きだよ」
「そ、率直すぎて照れますよ……もう、いつまでも横を向いてないで、上を向いてください」
分かった、と返して上を向いたのは間違いだったのだろう。
上を向くまでは、ただ希朝の顔を見るだけのはずだった。
見上げた世界の半分は光に遮られており、金環日食を彷彿とさせながら煌めくピンクの瞳が眩しく思えてしまう。
段々と高鳴るは、血沸き肉踊る体温。
連はうっかりと忘れていたが、希朝のふくよかな双丘なるそれは、見上げた世界に対して刺激が強すぎたのだ。
言葉を失うことは本当にある。また、気になっている以上に、好きになる感情を覚えた彼女のものだからこそ、心の準備を怠った気持ちは素直になりすぎてしまったのだ。
欲という大層なものではなく、ただ好きである兆しなる鼓動。
連が顔を沸騰するように赤くしていくと、希朝は覗き込んでいた頭を不思議そうにかしげていた。
「……連さん? 顔が赤いようですが、大丈夫ですか?」
「え、あ、うん。大丈夫、だよ……」
「無理、していませんか……。失礼しますね」
希朝はそう言って、目を瞑り、自身のおでこを連のおでこに当ててきたのだ。
ぎゅっと縮まる顔の距離。そして希朝がかがむ姿勢になったのもあり、双丘のふくらみは自然と連の胸板に当たっている。
変に手を動かせば触れてしまうほどに近しい、堂々たる零距離。
膝枕をされているのに、顔は熱を帯びて、鼓動は張り裂けんばかりに想いを唄っているのだ。
希朝に告白できていない自分が情けなくなるほどに、この恋距離は連にとって手の届かない距離に近しいもどかしさを覚えさせてくる。
頬に当たる、熱を帯びた微かな吐息の距離は、数秒なのに長い時間おでこが触れていたと勘違いさせてくるようだ。
おでこが離れると、視界は先ほどよりも光を取り戻していた。
希朝の覗き込む距離が変わったのもあり、上向きでも多少は楽になった証拠だろう。
「熱は無いようですね。ですが、体が無理をしている可能性もあるので、安静にしないと駄目ですよ」
「ごめん、希朝さん……そうじゃないんだ」
白状するか悩んでいたが、悩んで失敗するくらいなら口にしておくべきだろう。
こちらの目線を考慮していない希朝なので、伝えておいた方が未来の為にもなりそうなのだから。
「その、あの、僕の視界に、希朝さんのお……胸、が被さって、動揺しているんだ……」
「お胸が……っっ!? え、あ、ご、ごめんなさい」
「希朝さんが謝ることじゃないか! その、僕もまじまじと見て、ごめんなさい」
上しか見ていないのもあり、希朝の胸を下から見るのは必然になっていた。だが、断りを入れて横を見る手段もあったのだから。
服を着ているとはいえ、異性に対しては失礼だったのかもしれない。
連が謝ると「私の不注意でしたので」と焦り気味に口にする希朝の顔は赤いが、気にしていないのだろうか。
これ以上は良くないと考え、連が膝枕から解放されようとすれば、希朝は駄目ですと言わんばかりにおでこの頂点を指で押してくる。
力なく起き上がれない体は、ただ希朝の香りと温もりを感じるしかなくなっていた。
「連さんは、その……」
「どうしたの?」
「……女の子の胸を見るなら、どんな角度の方が好きですか?」
唐突な質問に、連は思わず息を呑み込んだ。
角度自体気にしたこともなければ、その思想に至ることが今までなかったのだから。
でも決まっている答えが、自然と目を瞑らせ、言葉を口から吐き出させるのだ。
「好きになった子であるのなら、どんなのでも」
「もう。連さんは本当に欲がないですね」
「まあ、希朝さんに欲情を煽られているおかげかな」
「そういうところですよ」
頬を柔くつまんで引っ張ってくる希朝だが、声は楽しそうに弾んでいる。
希朝の温かさを少し堪能してから、連は頭を持ちあがらせた。
希朝も満足したのか、無理に引き留める様子は無いようだ。
証拠に、ピンクの瞳は膝枕をする前よりも、潤いに満ちているのだから。
悲しさがあったのか、気持ちの重さがあったのかは不明だが、その輝きが好きだと連は心から言えるのだ。
「ありがとう、希朝さん。おかげでリラックスできたよ」
「疲れが取れたようなら何よりですよ」
「……労いだとしても、不釣り合いになると悪いから、僕にも何かお返しをさせてほしいかな」
それでしたら、と希朝は前置きをした。
「少し日を置いたら、お買い物に付き合ってもらえれば十分ですよ」
「分かった」
「素直なのはいいのですが……結の言っていたように、危機感の欠如、というものですかね……」
うまく聞き取れず「何か言った」と聞き返せば、希朝は静かに首を振っている。
労われたばかりだが、連は一応も込めて、あることを聞くことにした。
「あのさ……本当に、ご褒美を誕生日に?」
「ええ、約束ですから。それに先に言っておきますと、お家デートを考えているのですよ」
「お家デート。それだったら、希夜ちゃんも一緒になれそうだね」
「そうです。きぃちゃんも含めて、家族デートみたいなものですから」
どこか含みを込めて言う希朝は、一体どこまで考えているのだろうか。
楽しみにしている、と返せば、希朝は何よりも美しい笑みを浮かべていたのだ。




