80 思い出に残るお誕生日を
今日という名の日、流れた時間の終着点。
ゴールデンウィークからこの日まで、希夜の協力もあって、今やれる最大限の形で準備はできたのだ。
ダイニングテーブルの上には、希夜と一緒に作った料理や、連が腕によりをかけた大きめの鍋が座して待っている。
目立ちすぎない程度にパーティリボンが彩る、視界に収まる壁。
その壁に飾られたボードには、可愛らしい丸みを帯びた文字で、お姉ちゃんお誕生日おめでとう、と星の絵を添えて書かれている。
「あとは、希朝さんを迎え入れた時に……!」
他者を祝福する方法を知らない連であるが、形にできたと希夜が言っていたので問題ないと自負している。
希夜ありきだろうと、希朝に向けた気持ちは誰よりも籠っているのだから。
夕方を迎えた頃、希朝をリビングに招いたのだが、誘導している希夜に目隠しをされている。
何ですか、と希夜に言いたそうな希朝は、自分の誕生日を忘れているのだろうか。
とはいえ誕生日だからか、はたまた希夜の策略か、希朝はドレスのようなワンピースに身を包んでいる。
普段のピンク色とは違った薄桃色を基調としているが、シンプルな作りなのもあってか、希朝本来の可愛らしさをより引き立てているようだ。
「希朝ねぇ、準備はいいやんね?」
「もう、きぃちゃん。私はいつでも大丈夫ですよ」
「じゃあ、いくやんねぇ」
希夜はそう言って、希朝の目を覆っていた目隠しを外した。
目隠しから解放されたピンクの瞳は、輝くように見開かれた。
リビング全体を見ているようで、希朝は見惚れたように口を小さくぽっかりと開けている。
連は希夜と目を合わせてアイコンタクトを取り、希朝の前に出る。
「希朝ねぇ」
「希朝さん」
「お誕生日おめでとうやんねぇ」
「お誕生日おめでとう」
希朝は気後れしているのか、目をもう一度見開いてから、口元を緩ませた。
緩ませたのも束の間、小さな宝石が頬を伝うようにして落ちている。
両手で口元を隠しながらも、希朝は嬉しそうに頬を緩ませていた。
「きぃちゃん、連さん、ありがとうございます」
「希朝ねぇ、連にぃに祝われて泣くほど嬉しいやんねぇ」
「な、泣いていませんから」
希朝はこちらを見て微笑むので、その優しい顔は心臓に悪いものだ。
目じりを拭う希朝の表情はいつにも増して柔らかく、心の底から笑顔でいると思わせてくる。
他者を祝い、喜ばれている今、連は不思議と心の温かさを感じていた。
そんな連の気持ちをよそに、希朝は一通り見終わったからなのか、席に着こうとしていた。
「希朝ねぇが今日は主役やんねぇ」
「どうぞ、希朝さん」
連は希夜と一緒に希朝の椅子を引き、希朝を迎え入れた。
希朝は、もう、と言いたげに頬を膨らませているが、その表情は嬉しそうだ。
希朝が腰を下ろしたのを確認してから、連は希夜と一緒に椅子を押した。
連と希夜も椅子に座ってから、改めてお祝いの言葉を口にする。
「希朝さん、おめでとう。今日は希夜ちゃんも頑張ってくれた、希朝さんが好きなものを主にご飯を作ってみたんだ」
「私のために、ありがとうございます」
「うち、頑張ったやんねぇ」
「きぃちゃんもありがとう」
大きめの鍋の蓋を開ければ、そこには色彩豊かな野菜や、煮込まれたダシが風味を鼻に伝えつつも、うまみの艶が溢れだすお肉が時を持して存在している。
希朝が鍋を好んでいるので準備をしたが、ピンクの瞳の反射から見るに間違いはないようだ。
リビングにふわりと漂い始める濃厚なダシの香りを開幕の合図にして、連は希朝と希夜の分を小皿に盛り付けていく。
普段と変わりない食事の光景だが、囲うテーブルはひときわ強い色彩を煌めかせていたのだ。
食事を終えてから、連は冷蔵庫を開いていた。
冷蔵庫を閉めると同時に、一つの小皿を手に取って。
「希朝さん、これがご飯では最後のメインになるかな」
不意を突かれた様子で見てくる希朝は、ここまでサプライズがあるとは予想していなかったのだろう。
希朝の目の前に置いたのは、糖質を控えめにしつつも甘さを重視した、カステラ生地のショートケーキだ。
断層生地の間にはしつこくない、滑らかで上品なクリームを採用している。
希朝にバレないようにしながら、希夜と何度も調整を重ねたケーキなので自信を持って前に出せる。
「これ、うちからやんねぇ」
と言って希夜はショートケーキの上に『希朝ねぇのお誕生日』と丸文字で書かれたチョコ板を置いていた。
希夜が個人で準備したいと言っていたのは、チョコ板の事だったらしい。
甘みを抑えつつもチョコに合うようにしたのは、これを見越していた希夜なりの表現だったのだろう。
「もう。……希夜ちゃんと連さんは、私を何度泣かせれば気が済むのですか」
「何度でも、かな」
「連にぃの言う通りやんねぇ」
希朝の瞳にたまった雫は、頬を伝い、テーブルの上で弾けていた。
連と希夜は改良で散々食べていたのもあり、希朝にだけの準備になったが、祝ってもらえるのは嬉しいらしい。
希夜と顔を見合わせれば、希夜が微笑むので自然と連も笑みがこぼれていた。
フォークで切り込みを入れて、一口サイズにして口に運ぶ希朝は、美味しそうに笑みを絶やさずに咀嚼している。
何度も、何度も、幾度も噛みしめて、とろけさせて味わうように。
少ししてから、連と希朝、希夜はローテーブルがあるテレビ前に移動していた。
どちらかと言えば、ここからが本命の時間とも言えるだろう。
「次はお待ちかねの、プレゼントタイムやんねぇ。これがうちから希朝ねぇに贈る誕生日プレゼントやんねぇ」
希夜は先陣を切るように、希朝に袋に包まれたものを渡していた。
「きぃちゃん、これって」
「えへへ、この日の為に買っておいたものやんねぇ」
「後で開けて飾っておきますね」
「希朝ねぇには見抜かれていたやんねぇ」
希夜は希朝の欲しいものを渡したようで、渡した本人である希夜が嬉しそうだ。
笑みを絶やさない姉妹は『生まれた日である時間』を大切にしているのだろう。
ふと気づけば「次は連にぃやんねぇ」と希夜が言うので、希朝はこちらへと体を向けていた。
「連さんもあるのですか?」
「えっと、うん」
希朝から期待の眼差しを向けられているのもあり、むず痒いものだ。
連はそんな感情に首を振って、重ねた座布団の裏に隠しておいた、小さな箱を手に取った。
青色の四角い箱に、ラメの入った白いリボンが丁寧に巻かれている。
小さめな箱だったのもあってか、希朝は意外そうに首をかしげていた。
「これが僕からのプレゼントだよ」
「ありがとうございます。……開けてもいいですか」
連が頷くと、ほっそりとした指がリボンを手に取っていた。
リボンがシュルリと解かれていけば、青い箱はその姿を露わにする。
蓋が開かれる時、ピンクの瞳が光を帯びて輝いた。
「これは。日焼け止めに、栞?」
箱の中に入っているのは、希朝の肌に合う優しめの日焼け止めクリームと、羽を模したイラストが刻まれた栞だ。
栞についているチャームリボンがピンク色なのは、希朝の好きな色を思い浮かべた結果にすぎない。
気に入るかは不明だが、プレゼントにしては無難すぎただろうか。
「意外ですね」
「希朝さんの欲しいものが中々思い浮かばなかったから……その……普段使いできる方が、希朝さんに似合うかなって」
希朝は本やぬいぐるみ以外で言えば、そこまで物欲が高い方ではない。
希夜みたいに食べ物に対する欲が強ければ迷いはなかったが、希朝は欲しいものや必要なものになると迷いなく購入しているようなので難しいのだ。
だからこそ今後の夏も踏まえ、希朝の知識となる本に使えるものや、肌を守るクリームを選んだに過ぎない。
「……嫌だった?」
「連さんからもらって嫌になる理由はないですよ……嬉しいです。ありがとうございます」
ぎゅっと抱き寄せる希朝は、形を変えるふくよかなものも相まって、目には辛いものだ。
希朝の喜ぶ姿から目を逸らすように、連はポケットに手を入れた。
「そうだ。あと、希朝さんにこれもあげるよ」
「これは」
希朝の前に差し出したのは、スリーブに入った紙だ。
紙には連が描いた兎と太陽のイラストがある。
太陽に照らされる兎は、黒い瞳にほんのりとハイライトがかかっていた。
そしてその兎が持つ看板に……。
「お願いを聞く券?」
「えっと、これは、その……」
連は恥ずかしくなって、頬を掻いた。
自分で渡しておいてあれだが、いざ渡して説明するとなれば恥ずかしいものなのだ。
「二つだけじゃ物足りないかなって思って。それは、希朝さんが甘えたい時や、僕に我儘をしたい時に……その、してほしいことを言いづらい時とかに使ってもらえたらなって」
連なりの優しさだ。
希朝は希夜が居ると優先してしまうので、たまには独占できる権利、みたいな感じで使ってもらえたら嬉しい限りだろう。
無論、希朝の意志に反することをする気はないので、使うか使わないかは希朝次第だ。
希夜がどこか羨ましそうに見てくるが、希夜には別で考えているので我慢してほしいものだろう。
ふと気づけば、希朝は服の袖を引っ張ってきていた。
「その、今使ってもいいですか」
と希朝は言って、券を一枚渡してきた。
連が頷くと、希夜の前なのもあってか、希朝は耳の傍に口を近づけてくる。
「今日、その……連さんと二人きりで寝たい、と言ったら……」
口を離し、距離を取る希朝の顔は恥ずかしそうに赤くなっていた。
連は深くとらえずに、ただ笑みを浮かべる。
そして希朝が渡してきた券は、希朝に握らせるように手を上から被せた。
「それくらいなら、無くても叶えるよ。希朝さんは今日の主役だからね」
「うぅ、希朝ねぇと連にぃ、夜な夜な――はうっ!?」
「どうしたの、希夜ちゃん?」
「連にぃ、圧があるやんねぇ!」
「……連さん、ありがとうございます。きぃちゃん、この後、一緒にお風呂に入りましょうか」
「希朝ねぇとお風呂! えへへ、入るやんねぇ」
希夜の機嫌も忘れずに取る希朝は、しっかりとお姉ちゃんをしていて微笑ましいものだろう。
横目で嬉しそうに見てくる希朝に、連はただ頷き、今日にまだ終わりを告げないようにするのだった。




